競走馬の種付けは、一般的には4月とか5月に集中している。
早生まれの方が有利だとか、諸々の理由があるんだろうが、日本はこの時期だ。
実際には、2月から7月にかけてあるんだっけか? この辺の詳しい日程は分からない。
つまり、7月を越すことができれば、俺達のお仕事は終了。
晴れて解放され、一日中ゴロゴロすることが叶うのだ!
……なお、それは通常の場合に限る。
実はあるのだ。7月が終わっても、お仕事がある場合が。
種付けの仕事が、舞い込んでくる可能性があるのだ。恐ろしいことにな。
だからこそ、俺は今。
『お願いしますお願いします! どうか、どうかシャトル種牡馬だけは勘弁してください! せっかくシーズンを越したのに、しばらく休んだらまた種付けなんて嫌だ!』
『誰に何を言ってるの? シャロくん。シャトル種牡馬、ってなに?』
必死にお祈りをしていた。
馬房で、隣のキンカメから変な奴を見る目で見られながら。
どうかシャトル種牡馬だけは勘弁してくれ、と。恥も外聞も捨て去って祈っていた。
シャトル種牡馬。簡単に言えば、年に2回種付けを行う種牡馬のことだ。
基本春先に集中する種付け業務。じゃあ2回目はどこで? ってなるだろう。
2回目はオーストラリアを中心とした、南半球の国で行われる。
日本が春の間、向こうは秋。向こうが春の間、こっちは秋みたいな感じで、季節が逆転している。
そうなると、種付けの時期も変わってくるわけだ。こっちが秋の間に、向こうは春だから種付けする、みたいな感じ。
シャトル種牡馬というのは、これを利用したものだ。
秋はオフシーズン。その期間を利用して、春を迎えた向こうに渡る。
そして、向こうで種付けをする。お仕事が待っているわけだ。
代表的なシャトル種牡馬と言えば、やっぱりモーリスの名前が挙がるだろう。
日本でお仕事を終えた後、オーストラリアに渡ってまた種付けのお仕事。
明確な選定基準があるわけじゃないらしいが、海外遠征で好成績を収めた馬が選ばれやすい、なんて与太話がある。
……はい。
(オーストラリアは走ったことねぇけど、俺海外遠征で結果出しまくってんだよ! 下手すりゃシャトル種牡馬にされかねねぇんだよ!)
俺が選ばれる可能性、十二分にあるんじゃね? ということです。
いや、別にいいよ。シャトル種牡馬になってもさ。
けど、けどだ。お休みだと思っていたシーズンが、丸々潰れるんだぞ?
夏休みとか冬休みが、俺一人だけなくなるみたいなもんだぞ。
嫌すぎるわ。そんな社畜人生送りとうないわ。
おまけに、種付け業務がハードであることはもう分かっている。
(俺の目標のためには仕方ねぇかもしれねぇが……は、腹を括るしかないのか?)
ぶっちゃけ嫌だ。すげぇ嫌だ。
嫌だけど……やらねばならんことでもある。
覚悟を決めて、挑まなきゃいけないかもしれんのだ。
そうなったら、俺はやるだろう。
仕方がない。期待をされているのだから、応えないといけない。
(金額が金額だ。これで産駒が走らねぇ、ってなったら……!)
恐ろしい考えが頭をよぎる。最悪の想像が、頭を駆け巡る。
ギャンブルと言えばそれまで。自業自得と言われたらぐうの音も出ないが、やっぱり走って欲しいものだ。
それに、よしんば走らなかったら。メジロの復活も、一時的な延命にしかならない可能性がある。
俺の産駒が走りませんでした。賞金獲得できません。従業員が路頭に迷う前に、牧場を畳みます……なんてことも、あるわけで。
『どうかお願いします! 俺の子達が活躍しますように!』
『なんか内容変わってるし。そんなに気になること?』
『めちゃくちゃ大事なんだよ! 俺にとっては!』
『ふーん。変なの』
気づけばシャトル種牡馬のことそっちのけ。
まだ生まれてもいない子達の活躍を祈るようになってしまった。
いかん、この傾向はいかんぞ。
(あまりナイーブすぎると、前回みたいなことになりかねん! なんか、なんか楽しいこと……あ)
『そういやカメハメハ。お前って牧場の柵壊したりすんの?』
『するわけないでしょそんなこと。急に何言ってんのさ』
『何言ってんだろうな、俺』
なんで出てきたのが、某破壊神なんだよ。見たことねぇよ牧場の柵が壊れてるとこ。
『今日はもう休んだら? 明日もお仕事だし、気が休まらないよ?』
『そうさせてもらうわ。今のでちょっと冷静になれたし』
『ならいいけど。ぼくも寝るよ。おやすみ~』
とはいえ、どうにか冷静にはなれた。
明日もお仕事だし、今日はもう休むか。
余談だが、ユニさんはすでに寝ているのか会話に混ざらなかった。
いつもなら、俺とカメハメハが話してたら混ざるのに。
(ユニさんも疲れてるんだろうな。今日もお仕事だったし)
俺も寝るとしよう。
寝藁を敷いて、寝転がる。
少しうとうとした後、寝ることができた。
(実際、どうなることやら。俺の産駒は)
直前に余計なことを思い出したが、すぐに意識が切れる。
ちょっとの間おやすみだ。
で、数時間後に起きたんだが。
その時、スタッフさん達の世間話を聞くことができた。
「そういやさ、メジロシャーロックにはシャトル種牡馬の話が出てきてるじゃん?」
「らしいですねぇ。オーストラリアの方でも、かなり需要があるみたいで」
「そりゃそうだろうよ。なんせ、バイアリーターク直系だぜ? ヘロドのラインだし、実績も文句なし。そりゃ欲しがるに決まってるよ」
やはりというか、俺は向こうでも需要があるみたいで。
需要があるなら、向こうに渡る可能性がめちゃくちゃ高いのでは? と思わずにはいられない。
(ま、マジかよ。さようなら俺の休みと安息。短い期間を謳歌するよ)
なんて、黄昏そうになったが。
「でも、断ったってさ。ただでさえ種付け数多いんだから、オフシーズンくらいゆっくり休ませてやりたい、らしいよ」
「そうなんですね。でもそれなら種付け数を、って、難しい問題か」
「それはな。また別の話になるよ。今世界で一番需要があるからな」
どうも、俺のシャトル種牡馬行きは阻止されたらしい。やったぜ。
嬉しいけど、ちょっと複雑な気分だ。
(オーストラリアでも需要あるのか。嬉しいけど、やっぱ仕方ないよなぁ)
種付け時期が違うと、名馬の種付けもそう簡単にはできない。
事情が事情だが、やるせなさみたいなものが出てくる。
とはいえ、シャトル種牡馬にならなくてよかったわ本当。
てか、俺世界で一番需要があるんかい。ディープとかキンカメ、それどころか欧州のガリレオ以上なんかい。
(えげつねぇな。全員種牡馬として超が9つぐらいつく一流だぞ。そこに肩を並べるのか? 俺)
「海外需要が凄いからな。特に、イギリスなんて熱の入りようが凄いぞ」
「向こうは女王陛下が虜になってますからね。アルトアイリーニは本当に大変でした」
「あぁ、あの子な。シャーロックがいなかったらどうなってたことか……危うく、大怪我する人も出そうだったし」
なにはともあれ、需要はあるに越したことはない。
今の内に、稼げるだけ稼がせてもらいます。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。たくさん種付けすれば、一頭ぐらいは活躍馬が出てくるでしょ。
てか、今アイリーニの話が出てきたな。
(ま~凄かったなあの子。今でも思い出せるわ)
あの時の種付け業務はヤバかった。
仕事に少しずつ辛さを覚え始めた頃。
4月の中頃だったか? その時に種付けした内の一頭が、アルトアイリーニ。
女王陛下が用意した、俺専用の繁殖牝馬である。
血統は確か、父デインヒルだった。職員さんの話を盗み聞きした情報。
デインヒルと言えば、大種牡馬も大種牡馬。
ウマ娘で言えば、ファインモーションの父馬だ。
母馬の名前は出なかったが、良血とは言われていた。
つまり、いいとこのお嬢さん。女王陛下所有の馬だから、お嬢さんなんてレベルじゃ済まないけど。
そんな牝馬の種付け相手に、俺が選ばれたわけである。
元々、俺のためにと用意されたんだから当たり前だね。
(どんな子なんだろうか? マジで用意するとは思わんかったわ)
ちょっとだけワクワクした気持ちを持ちつつ、会いに行ったわけだ。
その結果見せられたのは──暴れ回って、人間を振り回しているお牝馬様だった。
『わたくしに命令するんじゃないわよ! 蹴り飛ばすわよ!』
こえーよ。つか、もう蹴り飛ばしかねない領域まで来てるよ。
踏まれそうになってるし、なんとか興奮を抑えようとめちゃくちゃ頑張ってる。
「大丈夫大丈夫! 怖くないよ~!」
「ゆっくり、落ち着いてね! お願いだから本当に落ち着いてね!」
その数実に3人。3人がかりで対応していた。
だが、悲しいかな。
「わあああぁぁぁ!?」
「だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
『ふざけんじゃないわよ! わたくしを無理やり抑えつけるなんて、いい度胸ね!』
抑えつけること叶わず。
一人の職員さんが転び、周りも大慌てで駆け寄る。
その間も、アイリーニは興奮が収まっていなかった。
『全く……狭いとこに閉じ込められたと思ったら、また狭いとこに案内してきて! わたくしをなんだと思ってるのよ!』
あー、うん。ヤバいな、いろいろと。
これだけの気性難は、初めてかもしれない。
振り回す系は見慣れてるけど、ここまではいかなかった……んなことはねぇな。グルーヴさんとかめっちゃ振り回してたし。
ただ、ここまで興奮している牝馬の相手は、ちょっとなぁ。
「ど、どうしましょうか? 種付けの日、ずらしますか?」
「いや、発情の兆候はあるからどうしても、ってお達しだからな。だからどうにかして、せめて種付けができるくらいには」
「こんな状態じゃあ、命がいくつあっても足りませんよ~! メジロシャーロックになにかあったらどうするんですか~!」
職員さんもお手上げ状態だ。
被害を抑えるので精いっぱい。種付けの日をずらすことを検討し始めている。
どうしようね、本当。
(もうここまで来ちゃったしなぁ。やるだけやるか)
『あ~、その、どうも』
できる限り下手に、穏便に。
相手を刺激しないように立ち回る。
アルトアイリーニ。葦毛の馬は、俺の方を向くと。
『誰かしら? 貴方は』
警戒するように耳を立てて、俺の方を向いた。
職員さん達はぎょっとしているが、今はこの場をどうにかするのが先決。
対話を試みよう。うん、話せば分かってくれるはずだ。
『まず、自己紹介からだな。俺はメジロシャーロック。よろしくな』
『あら、礼儀正しいのね。名乗られたからには、名乗らないと失礼。わたくしはアルトアイリーニ。どうぞよろしく』
挨拶したら、好印象を抱かれた。
まずは良かった。これで喧嘩でも売られたらどうしたものかと。
『凄く興奮してるけど、どうしたんだ? 閉じ込められた、って言ってたけど』
『そうなのよ、聞いて頂戴! コイツらと来たら、わたくしを狭いとこに閉じ込めて』
その後、いろいろと教えてくれた。
何があったのかを。
……まぁ簡潔に言えば、飛行機の輸送を閉じ込められたと思っていて。
向こうよりも狭い放牧地に飽き飽きしていたとか、そんな感じらしい。
『もっと広い場所でのびのびとしたいわ! 貴方も分かるでしょう? わたくしの、この気持ちが!』
『分かりますよ。そりゃ広い場所で走りたいですよね』
『分かってるじゃない。話が分かるのは好きよ』
仕方ねぇよな。
まず、向こうと比べて土地が狭いし。
土地が狭いから、放牧地もどうしようもない。どうしても物足りなく感じるだろう。
とはいえ、我慢してもらわないといけないわけで。
(難しい問題だよなぁ……? って、なんだ?)
どうしたものか、なんて考えこんでいると。
アルトアイリーニはぼーっとしていた。
考え込んでるとかじゃなくて、呆けてるというか。何も考えていない感じ。
一体何があった、なんて思ったら。
『貴方、中々話が分かるじゃない。わたくしが会ってきた中でも、特に話が通じるわ』
唐突にそんなことを言われた。
よく言われることだな。話が通じる、って。
我が強い馬なんて珍しくないし、何なら一般的。むしろ俺の方が珍しいタイプ。
そりゃ興味も出てくるか。
『そりゃどうも。落ち着いてくれたようでなによりだ』
『えぇ。落ち着いたわ』
「アルトアイリーニが大人しくなった。な、なら今の内に!」
……待て。興味が出てきたってだけなのに、なんで視線が熱っぽいんだ?
俺の気のせいか? 気のせいだよな?
特になにかあるわけじゃ
『わたくしの話をちゃんと聞く姿勢、力ずくを好まない性格、なによりも、とても強いって分かる風格……気に入ったわ』
『は、はぁ。なら』
『わたくしと一緒に来なさい! 大丈夫、良い待遇で迎えるわよ!』
待て、なんで襲い掛かってくる!?
凄いすりすり寄せてくるな!? さっきまでの暴れ回ってたお前はどこ行ったんだよ!
『何不自由ない暮らしを約束するわ! まずは将来を前提とした付き合いを』
『落ち着け、落ち着け! まずは落ち着け! 本当に落ち着いてくださいお願いします、アルトアイリーニ!』
『アイリーニでいいわよよそよそしい! ふふ、ふふふ! わたくしと一緒に暮らすと言いなさい!』
ただ話を聞いているだけだった。
それだけなのに、俺はめちゃくちゃ気に入られて。
「よし、この調子で種付けを終わらせよう! 今がチャンスだ!」
「ごめんね、シャーロック。そのままで後ろに」
「アルトアイリーニ、落ち着いてます! 行けますよ!」
苦戦していた種付けも、スムーズに終わった。
終わったが、終わった後が大変だった。
「だ、ダメです! アルトアイリーニ、メジロシャーロックのそばを離れようとしません!」
『なに邪魔してんのよ! わたくしとシャーロックのひと時に、部外者はいらないわ!』
『落ち着け本当に! 何がお前をそこまでさせんだよ!?』
『一目惚れよ! 悪いかしら!?』
『別に悪くはねぇけどって、人間がヤバいから本当に止めてくれ!』
離れようとしたら、さっきみたいに暴れ回って。
命の危機が再び訪れたのだ。俺が隣にいなかったら、ヤバかったんだろうな。
どうにか抑えつけて、宥めて。
帰らせることができた……マジでアイリーニが一日の最後でよかったな。
(最初の方だったら、後に影響が出るレベルでヤバかったろ、これ)
そう思わずにはいられない。
今後会うかは分からないが、不安になる業務だった。
と、これがアイリーニとの出会いである。
うん、とんでもねぇ気性難だった。
そして、この一件のせいでさらに広がることになった。
「とにかく、気性難の子の扱いが上手いですよね、メジロシャーロック」
「現役の頃からそうだったらしいからな。気性難の駆け込み寺、って呼ばれてたらしいぞ」
「アハハ! でも、アルトアイリーニの件を見ていると、全然信じちゃいますよね」
俺の気性難矯正装置としての役目が。
おのれ、ここでも逃れられんのか。気性難をどうにかする役目が。
「本当に、これでメジロシャーロックは手の掛からない優等生だからなぁ。お世話をしていて、本当に癒されるよ」
「私、この前顔を舐められたんですよ? 甘えるみたいに。ふふ~ん、羨ましいですか?」
「なんだと!? くぅ~、俺もいずれはっ!」
あ、やっぱ嬉しいんだアレ。なら積極的にやるか。
盗み聞きをしていると、馬房の前に別のスタッフさんがやってきた。
「放牧の時間だよ、シャーロック。向こうでキングカメハメハ達も待ってるから、シャーロックも一緒のとこに行こうね~」
放牧だ。カメハメハ達も、いつの間にか連れていかれてたらしい。
種付け一年目。
いろいろ思うところはあるが、もうすぐでシーズンも終わる。
(後もう少しの辛抱だ! 終わったら、楽しいスローライフが待っている……はず!)
ディープにせがまれて、走っている未来しか想像できないけど。
それはそれで楽しいからいいか。
期待、応えられるといいなぁ。
あらやだこの子ったら。