──衝撃が身体を突き抜けた。
彼女の走りを見た瞬間、気づけば体が動いていて。
「あ、あの! ちょっといいかな!?」
「はい。どうされましたか?」
休憩している彼女の前に脚を運び。
奥底から沸き上がる衝動を、思いのままに口にした。
「君の走りに惚れた!」
凄い走りだった。思わず身を乗り出すような、素晴らしいものだった、って。
デビュー前とは思えない、力強い走り。
確かに芯の通った、目指すべき理想がしっかりと見えている。
自信を感じられる、揺るがない信念。
たった1回しか見ていない走りで、たくさんのことを理解できた。いや、させられた。
ドキドキしている。気づいたら走り出していた。
頭よりも先に、身体の方が動いていたんだ。
自分が感じた素晴らしさを、彼女に伝えたいと!
俺の思いを聞いた彼女の表情は。
「はぁ。ありがとうございます?」
きょとんとしていた。
◇
「あ~……本当にやらかした……」
「マジでやらかしたな、お前。よりにもよって、あんなにトレーナーがいた場面でやらかすとか」
「本当だよ……気づいたら体が動いていたとはいえ、やらかした……」
夕暮れ時の休憩室。
同期に呆れた視線を向けられながら、昼間の一幕を思い出す。
軽率だった。およそ大人とは思えないような行動だった。
「わざわざ走っていって、君に惚れた! なんて言うんだもんな、お前。俺の隣にいたベテラントレーナーも、ぽかんとしてたよ……ぶふっ!」
「わ、笑うな! それに、走りに惚れた、だ! そこ間違えないでくれ!」
「はいはい。にしても、お前がそんな情熱的なやつだったとはな~」
我ながらどうかしていた、本当に。
同期にもからかわれるし、他のトレーナー陣には殺気の籠った目で見られるし。
散々だった。自業自得とはいえ。
「ま、あんまり大ごとにならなくてよかったんじゃねーの? 針の筵だったとはいえ、許してはもらえたんだろ?」
「……許す、というか。他のトレーナーからの助け舟があったけど。まぁ何とかなったよ」
「さすがに不可侵条約まで侵したら、ダメだったかもしれないな。スカウトではなかった、ってのが効いたか」
スカウト紛いの行為、もしくは抜け駆けとみなされるようなことをするだけで、殺気を向けられる。
周りの視線が鋭いものになる。
これだけで、メジロシャーロックがどれだけ特別か。身に染みてよく分かった。
メジロシャーロックは、誇張抜きに学園中の全トレーナーが狙っている。
近年成績が不振気味である名門メジロ家。
そのメジロが誇る天才児で、【メジロの寵児】と呼ばれるほどに愛される彼女。
才能は群を抜き、【メジロの至宝】メジロラモーヌや【名優】メジロマックイーンすらも超えた才能を持つ、とまで言われている。
「人呼んで、【神に愛されたウマ娘】。メジロシャーロックを指して、よくいわれる言葉だ。お前も聞いたことあるだろ?」
「ある、というか、だから今日見に行ったんだけど」
「興味持つのが遅すぎるけどな、お前の場合。実際、魅了された結果あぁなったんだっけ?」
「もう忘れてくれ、本当」
彼女は才能に恵まれている。学園中の全トレーナーが、スカウトに躍起になるほどに。
だからこそ、不可侵条約的なものがあった。
「選抜レースが終わるまで、メジロシャーロックのスカウトは禁止……だけどこれって」
「ま、元はメジロシャーロックの言葉だな。選抜レースが終わるまで、スカウトを受ける気はありません。この言葉があるからこそ、大多数のトレーナーは自粛した」
「それに、無理なスカウトをしたら、メジロラモーヌが飛んでくるんだろう? 彼女、メジロシャーロックを溺愛しているみたいだから」
「その通り! 実際やった奴はいるらしいが、どんな目に遭わされたのやら」
次の選抜レースまで、メジロシャーロックのスカウトはしない。
トレーナー間で交わされた約束事だ。
無論、知らない人間だっている。無理に迫ったトレーナーもいたらしいが……どうなったのかは知らない。
少なくとも、俺以上に青い顔をしていた。余程怖い目に遭わされたのだろうか?
でも正直、彼らの気持ちは少し分かった気がする。
「ま~気持ちは分からんでもないけどな。メジロシャーロックの走りは、素晴らしいも」
「そう! そうなんだよ! あの子の走りは凄いんだ! およそデビュー前とは思えない!」
「うわびっくりした!? 急にどうし」
「とにかく完成度が凄いんだ! クラシックとか、シニア級のウマ娘がやるようなことを、まだデビュー前なのにやっている。それが凄いんだ!」
だって、それだけの走りを俺は見た。
ただの練習だというのに、思わず魅了される強さを。
他とは違う、圧倒的な輝きを見たんだ。
あの輝きがあるなら、にわかには信じ難かった噂も信じられる。
学園中のトレーナーが狙っているという、ありえないようなことも理解できる。
俺も……彼女のトレーナーになりたいと、思っているから。
「常に課題を持ってやっているのかな? ただ走るだけじゃない、目的を持って走っている。これ自体はどのウマ娘もやっていることだけど、メジロシャーロックはその目的地点がとんでもなく高い!」
「わ、分かった。分かったから落ち着」
「素質が凄い、これは走る子だってすぐに分かる! トレーナー成り立ての俺でも感じるんだから、ベテランならよっぽどだ! 確かにあの才能は放っておけない、伸ばしたいって誰もが思うはずだ! いいや、絶対におも」
「落ち着けって! 声デカすぎ、周りが見えてなさすぎ! みんなお前のこと見てるぞ!」
興奮気味に語っていると、同僚に制止されて……あ。
し、視線が。周りからの鋭い視線が刺さる。
そういえばここ、休憩室だった。自分以外にも人がいるんだった。
「ご、ごめんなさいごめんなさい! つい興奮しちゃってっ」
やらかした。
ただでさえ昼間やらかしたのに、さらにやらかしてしまった。
穴があったら入りたいっ!
ただ、特に叱られはせず。
反省が伝わったのか、何も言われなかった。
ほっ、良かった。
ひとまず、落ち着いた。
「ごめん、つい思い出しちゃって」
「凄かったな、お前。そんなに夢中になるとはな」
揶揄うような表情が目につく。
その表情は、一瞬で心配に切り替わった。
「だが、競争率は激高だぞ~メジロシャーロックは。知ってると思うけどな」
「それは身に染みて分かったよ。あれだけの人数がいたらね」
「俺らみたいな新人にもチャンスがあるとはいえ、な。宝くじの一等が当たるような確率だ。ないよりマシ程度に思うしかない」
というのもまぁ、スカウトの難易度がかなり高い、というもの。
少なくとも、よっぽど運がよくない限り、俺達のような新人はスカウトできないだろう。
頑張りはするが……望みは薄い。
でも、それでも。
「スカウトの声は、かけるよ。可能性が0じゃないなら、俺は……彼女のトレーナーになりたい」
「へぇ? 今日見に行っただけなのに、凄い気に入ってるな。気持ちは分かるけど、アレか? やっぱ才能が凄いからか?」
「いいや。正直、才能とか、勝てるかもしれないとか。そういうのは気にしないんだ」
俺は彼女の走りに魅入られた。
彼女の先を、未来を……彼女の隣で見たいと思った。
「走りが好きなんだ。彼女の芯の通った走りが、美しいと感じた走りを好きになった。だから、ただ彼女が走っている姿を見たい。それだけだよ」
思いの丈をぶつける。
その結果、選ばれなかったとしても。
悔しいけど、仕方ないことだと割り切ることができる。
思いを伝えずに逃げるなんて……できないから。
一生、頭の片隅に残ってしまうから。後悔の気持ちが。
そうならないためにも、玉砕覚悟で挑む。
それが俺の、信念だ。
同僚は、笑った。
「……ま、いいんじゃね? むしろ勝ちたいだけ、なんて思ってるやつよりも、よっぽど素晴らしい理由だよ」
「そ、そうかな? あはは、なら」
「ま、今度は選抜レースまで待てよ? 次はないかもしれねぇからな~」
「さすがにもうしないよ!」
メジロシャーロックが誰を選ぶのかは分からない。
ただ、審判の日を待つ。
選抜レースの日が、楽しみだ。
◇
同僚と別れ、仕事を終わらせて帰路についていると。
「……バイオリンの音? この音は、三女神像の方から、か」
誰かがバイオリンを奏でていることに気づいた。
こんな時間に、なんて思いつつも、耳を傾ける。
(凄い演奏だ。プロの人でもいるのかな?)
気づけばつられるままに、音のする方へ。
帰ることを忘れて、三女神像の方へと足を運ぶ。
先にいたのは──メジロシャーロックだった。
たった一人の演奏会。風になびく髪が美しく、まるで絵画のようだった。
(す、凄い……)
魅入られる。呼吸すらも忘れて、演奏する姿を眺める。
演奏の腕は言うまでもない。プロにすら匹敵、勝るとも劣らない。
(下手したら、プロすらも超えているんじゃないか?)
浅い知識しかない俺でも、そう思わせるほどに。彼女の腕前は突出していた。
ただ、どうしてだろう?
昼間見た彼女とは違う、ような。
(儚げ、というか。触れると消えるみたいな感じじゃないけど)
「悲しくて、ボロボロで……くたびれている、ような」
およそ同じ人物とは思えない。
姿かたちが一緒の別人のような、そんな気がした。
もしかして、姉妹なのだろうか?
とてもよく似ている、一卵性の双子とか、そんな感じの。
(でもそんな話、聞いたことないしな。いるんだったら、もっと話題になってるだろうし)
演奏に耳を傾け、彼女が誰かを考えていると、突然。
「いるのは分かっていますよ。どなたですか?」
心臓が跳ねた。
(俺の存在、バレてる!?)
まま、まずい。気分を害してしまっただろうか?
逃げるか? まだ俺が誰かは分かっていないだろうし、今すぐに立ち去れば、俺だと分からないはず。
……いや、逃げるのはダメだ。
顔は割れていないにしても、不誠実のように思える。
もし演奏の邪魔で、気分を害してしまったのだとしたら。
(謝らないと)
俺は、謝らないといけない。
大切な彼女の時間を、台無しにしてしまったのだから。
隠れるのを止め、彼女の、メジロシャーロックの前に立つ。
「えっと、メジロシャーロック、だよね? ごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだ」
「あなたは……昼間のトレーナーさんですね?」
声は、昼間会った時と同じ。
メジロシャーロックで間違いなさそう、だけど。
(俺の、気のせいだったのかな? 思い込みすぎか?)
話している時も、昼間のメジロシャーロックと変わらなく。
俺の気のせいだったのか、と考えを改める。
それでも、気になって仕方ない。
「あ、もう一ついいかな?」
気づけば、メジロシャーロックに聞いてしまった。
もう後戻りはできない。
後悔するよりはマシ、頭にこびりつくよりはずっといい。
そう思って。
「構いませんが、どうされましたか?」
「えっと……昼間会った時と、なんとなく雰囲気が違う気がするんだけど。本当にメジロシャーロック、なのかな?」
口にしていた。
もしかして違う人物ではないか、と。
メジロシャーロックは、目を見開いていた。
どうして俺がそんなことを口にしたのか、分かっていないのか。
それとも、別の驚きがあるのか。
分からないけれど、彼女は。
「どうして、そのように思ったのですか? 僕が、別人ではないか? など」
興味深そうに、訪ねてくる。
聞かれたからには、答えないと。
発端は俺なのだから。
「その、昼間見た時の君は、もっと芯の通った感じがしたんだ。自分に絶対の自信を持っている、というか」
「……へぇ。それで?」
「でも今見た君は、なんというか……儚げで。痛々しいように感じたんだ。芯の通っている部分はあるけれど、なにか不安があるような、揺らぎがあるような」
ありのままに、感じたことを伝えた。
俺がどのように思ったのか、どうして別人のように思ったのかを詳細に。
メジロシャーロックは、特に口を挟まなかった。
「上手く言葉にできないけど、違う気がするんだ。走っていた時のメジロシャーロックと、今目の前にいる君は」
「違う、ねぇ」
「それで、どう、かな? 君は、メジロシャーロック、なのかい?」
最後の確認をするように、彼女に問う。
一体どんな言葉が飛び出すのか? 本当に別人なのか?
彼女は──笑った。
「今の俺が儚げ、ねぇ。初めて言われたかもしれねぇな、それ」
男勝りの口調で、演技は止めたと言わんばかりに。
えっと、どういうことだろう?
口調、変わったけど。違うウマ娘、なのかな? これ。
「ま、あんまりあれこれ言うのはナシにしよう。お前の言う通り、昼間会ったシャロと俺は別人だ。俺はそうだな……シャロの守護霊、みたいなもんだな」
「しゅ、しゅご、れい?」
「おう、そういうこった。つまり、別人だっていうお前の予想は半分当たっている。人格自体が違うんだからな」
どうも違う子らしい。
だとしたら、人違いで謝らないとっ?
「人格? 人格、ということは……多重人格みたいなもの、なのか?」
「う~ん、その辺は少しややこしいんだよな。アレだ、憑依みたいなもんだと思ってくれ。幽霊がメジロシャーロックの体を借りている、みたいなもんだ」
「あ~憑依、憑依ね。憑依、憑依……それもなにかおかしくない?」
オカルトチックというかなんというか。
急にいろんな新情報が出てきて、理解が追いつかない。
つまり目の前にいる彼女は、誰なんだ?
「つってもなぁ、事実だし。俺はシャロとは違うし、二重人格ってわけでもない。完全な別人なんだからな」
「え、え~……余計わけ分からなくなってきた。つまり君は、誰なんだ?」
名前だけでも聞こう。これ以上こんがらがる前に。
彼女は、にっと笑って。
「俺はシャーロック、メジロシャーロックだ。気軽にロックと呼んでくれ」
……いや、メジロシャーロックじゃないか。
◇
あれからいろいろと情報を聞いて、どうにか整理がついた。
「つまり君は、メジロシャーロックを守る守護霊で。たまにこうやって、彼女の体を借りている、と」
「そういうこと。ちなみに、こうしている間シャロは寝ている。意識の奥底でな」
「じゃあこの会話も」
「アイツには聞こえていない。それどころか、会っていることすらも知らない」
ロックと呼ばれる存在について、ある程度は納得できた。
(守護霊、か。学園にはそんな存在がいるって、聞いたことがあるな)
マンハッタンカフェ。彼女は幽霊が見えるらしい。
彼女が言うには、学園にも幽霊はいるんだとか。
となれば、守護霊ぐらいいても不思議ではない、か。
納得できるだけのことが学園にあるの、なんかおかしい気がするけど。
今更か。光っているトレーナーもいるぐらいだし。
「だから、この機会に取り入っても無駄だぞ。俺は別に、贔屓をする気はないからな」
「あ、それはしないから安心して。フェアじゃないし……昼間の出来事見てたなら、信じられないかもしれないけど」
「あ~、アレな。傍から見てる分には面白かったぞ。急にシャロが告白されたからな」
「言わないで!」
「なんにせよ安心しろ。俺の方から口添えする気は一切ない。トレーナーはアイツが選ぶべきだからな。俺の介入があっちゃダメだ」
ロックの人格の方だけど、メジロシャーロックとはかなり性格が違う。
向こうはお嬢様だったけど、こっちは近所のお姉さんというか。
近寄りがたい雰囲気は一切なく。親しみやすい性格だった。
いろいろと聞いていると、もうすっかりいい時間だった。
「そろそろ帰らないとまずいんじゃないかな? 寮の門限に間に合わなくなるよ?」
「お、マジか。もうそんな時間か。早く帰らないと、タイドが心配するか」
バイオリンのケースを担いで、ロックは寮へと歩き出す。
「じゃあな、トレーナー。俺からは何もしてやれないが、シャロに選ばれるといいな」
「はは。希望は薄いけど、頑張るよ」
「おう、頑張れよ」
その背中が見えなくなるまで見送って。
「俺も、帰るか」
俺も、トレーナー寮へと帰ることにした。
情熱的なトレーナーらしい。