ある日のことだった。
「シャロ。今日の夜は空けておきなさい」
ラモーヌさんから呼び止められ、唐突に誘いを受ける。
主語がない。周りが聞いても、ピンとこない誘いだ。
だが、俺とシャロには分かる。分かるからこそ、俺は溜息を吐きたくなる。
理由?
「分かりました。では、今日の夜にロックと併走ですね?」
「えぇ。運動場で待っているわよ」
これだから。ラモーヌさんと併走することになるからだ。
別に珍しいことでもない。
ラモーヌさんからすれば、じゃれ合いみたいなもんだ。
気に入った子と走りたい、みたいな。これといって、深い理由があるわけではない。
ただ夜の場合、走るのは決まって俺。シャロじゃない。
(俺の方が多いんだよなぁ、ラモーヌさんの併走。なんでなのやら)
嫌じゃないのだが、個人的にはシャロとやって欲しい。
ラモーヌさんは言わずと知れたトリプルティアラウマ娘。学園でも屈指の実力者だ。
シャロにとっても得難い経験になるし、強くなれる。旨みしかないわけだ。
ただ、ラモーヌさんがご指名するのは、俺のことが多い。なんでかは知らないけど。
シャロも、俺が夜走ることが分かっているためか、少し悔しそうな顔をしている。
「残念です。僕もロックみたいに、お2人の併走が見れたらいいのに……録画も、してくれませんから」
〈ラモーヌさんが無粋と言って不機嫌になるからな。諦めろ〉
「僕だって見たいのに!」
〈駄々をこねんなお前は。そんなに気になるかよ、俺とラモーヌさんの併走〉
夜を指定するってのは、そういうことだ。これが昼なら、シャロになる。
割合的には圧倒的に夜の方が多い。
ラモーヌさんは一体、何を考えているのやら。
てか、シャロもシャロで変なところでぐぬるな。そんなに気になるかよ、何話してるのか。
夜走ることになったので、気をつけなきゃいけないことが1つ。
〈クソ、またフジキセキにお願いして、1人で入れるようにしないと……怪しまれるし、あんまりやりたくねぇんだよなぁ〉
「ならお願いしなければいいではありませんか。そんなにお風呂が嫌なんですか?」
〈風呂が嫌なんじゃない、他の人と一緒に風呂に入るのが嫌なんだ! エッチなのはダメ!〉
「同じウマ娘なのですから、気にすることないと思いますけど」
お風呂の問題である。
走ったら汗を掻く。汗を掻いたら? そう、お風呂に入らなければならない。
汚いまま寝るなんて、俺は絶対にできない。シャロにも迷惑がかかるから。
なので、そういう時は寮長にお願いして、1人で入れるようにさせてもらう。
最後の風呂をいただく感じだ。
大抵テイエムオペラオーが最後なので、その後になる……バラの匂いが凄かったりするが、それはもう我慢だ。
急遽埋まった夜の予定。
ラモーヌさんからの誘いを、無下にするわけにはいかない。
「頑張ってきてくださいね、ロック。ラモーヌさんとの併走」
〈へいへい。程々に頑張りますよ〉
「ふふ。口ではそう言いつつも、楽しみなんですねロック。機嫌が良さそうです」
それに、なんだかんだ楽しみにしている俺がいる。
ラモーヌさんを走ることに、喜びを隠しきれない俺が。
◇
で、夜。
「来たわね、ロック」
「えぇ、ちゃんと来ましたよ。来なかった場合、何されるか分からないんで」
「無駄口は結構よ。その様子だと……準備運動は済ませてるみたいね。なら、走りましょう」
運動場に着くと、すでに準備万端のラモーヌさんがいた。
さっきまで軽く走っていたのか、わずかに頬が赤い。
深くは考えない。
お互いに準備は終わっているんだ。やることはただ一つ。
「フッ!」
「情熱的ね。さぁ、貴方の鼓動を感じさせて」
走ることだ。
特に目的はないのだろう。
ただ俺と走りたくなったのか、あるいは。
「貴方、最近トレーナーがついたそうね」
「俺、というよりはシャロですけどね。つきましたよ、トレーナー」
「変わらないでしょう。貴方も、あの子も」
近況報告も兼ねているのか。
ぶっちゃけよう。ラモーヌさん相手に嘘はつけない。
つけないというか、圧に屈してるというか。
とにかく、ラモーヌさんにはよっぽどの事情が絡まない限りは、正直に答えている。
シャロのトレーナーが気になっているのか、質問はそればかりだ。
「どうかしら? 意地悪されていない?」
「されてませんよ。というか、シャロに意地悪する奴がいたら勇者でしょ」
「そうね。そんな輩がいたら、存在ごと抹消させるものね」
「……冗談であってほしいんだよなぁ」
とはいえ、悪い噂もなければ向上心の塊。
今でこそ新人だが、すぐにでもトップ層に追いつけるだろう。
そう思うぐらいには貪欲だ。自分磨きに余念がない。
「困ったことがあったら、私に相談しなさい。シャロにもしっかりと伝えておくように」
「はいはい。その時は頼らせてもらいますよ」
「絶対に頼りなさい。頼らなかったら……コレよ」
「チョップの仕草を見せて、俺に何をするつもりですか」
トレーナー相手で困ることはないだろう、多分。
シャロにとって良い選択をしてくれるだろうし、な。
まだまだ頼りないところはあるが、これから成長していくだろう。
願わくば、シャロのことを導いて欲しいものである。
さて、軽く走るのはこの辺までか。
「本気で走るわよ。しっかり着いてきなさい」
「分かってますよ。マジの全力を使って、着いていくんで」
「……フッ!」
ラモーヌさんの圧が増す。
全てを飲み込むオーラ、他を支配するプレッシャー。
さっきまで走っていたメジロ家のメジロラモーヌから、初代トリプルティアラウマ娘のメジロラモーヌに切り替わる。
なら、こっちも出し惜しみはしない。
奥の手、というか、神から与えられた領域を使い、競り合う。
「いいわ……情熱的な眼差し。貴方の熱を、私に刻み込んで!」
「やるからにゃ勝つ……それだけだ!」
全盛期の力を使って、ラモーヌさんと全力で競り合った。
どれだけの時間を走ったか? 多分だけど、実際にはそんなに経っていない。
だけど、疲労に関しては別。
「本当に、不思議ね」
「なにがです? てか、満足は出来ましたか?」
「えぇ。とっても」
デメリットなしとはいえ、疲れるもんは疲れるのだ。
汗も凄いし、しっかり拭いて風邪を引かないようにしないと。
シャロに影響があるわけだし、管理を怠るわけにはいかない。
で、ラモーヌさんだが。
俺のことをジッと見ている。
心を、俺の奥深くを覗き込んでいるような、そんな目だ。
「普段は、静かな夜の湖畔に浮かぶ月。けれども、時折大きな揺れで波打つ」
「何の話で?」
「見た目以上に帯びている熱。静謐と、騒乱。どちらが本当の貴方なのか」
やがて、見るだけでは満足できなくなったのか。
俺の葦毛の髪を優しく撫で。指が顔を這い。
顎くいの状態に持ち込んだかと思えば、楽しそうな笑みを浮かべたまま。
「それとも──どちらも本当の貴方なのか?」
「……本当に何の話ですかね? 全然分からないんですけど」
「とぼけるのが上手ね。もしくは、本当に雛鳥なのかしら?」
俺のことを抱きしめてきた。
相変わらずだ、この人は。
俺だろうとシャロだろうと関係ない。
愛を振りまき、メジロシャーロックを際限なく愛している。
だからこそ、か。
どうしても前世のことを思い出してしまう。
親を亡くした俺の母親代わりをしてくれた、ラモーヌさんのことを。
抱きしめられることで感じる、ラモーヌさんの体温。
縋りたくなってしまう、甘えたくなる気持ちを必死に抑える。
(こっちでも、変わらず俺のことを愛してくれる。良い意味で変わらない)
「……もう子供じゃないんで。大丈夫ですよ、ラモーヌさん」
「遠慮しなくていいの。貴方は私にとって雛鳥。可愛い可愛いシャーロックだもの」
「……まぁ、いいっすけど」
こうなるともう、されるがままにしかならない。
無理に振りほどくと、ラモーヌさんが無言の抗議するし。
だからこれは、仕方ないことなんだ。うん。
どれだけの時間が流れたか。
「時間ね。帰るわよ、シャーロック」
気づけば、寮の門限が迫っていた。
今すぐにでも帰らなきゃまずい。門限破りになるのは勘弁だ。
風呂もあるし。誰もいない時間になったのは、怪我の功名って奴だな。
「もうそんな時間か。てか、帰るつっても寮が違うでしょ」
「言わなければバレないわ。クリスエスも、歓迎してくれるわよ」
「そういう問題じゃないんすよね。俺は栗東に帰るんで。ラモーヌさんも大人しく美浦に帰ってください」
「つまらないのね」
つまらないじゃないんですよラモーヌさん。
てか、ことあるごとに俺を美浦寮に連れていこうとするのやめてください。
ラモーヌさんの誘いをスルーして、栗東寮へと帰る途中。
見覚えのある後姿を捉える。
小柄な黒鹿毛のウマ娘。髪を後ろで一つ結びにしている、彼女の名前は。
「よう、シャーロック。さっきは随分と楽しそうにしていたな?」
「ステゴか。お前もお前で何してんの? そろそろ寮の門限だぞ」
「いや~、こう、ふらっとね。おかげさまで、面白いものが見れた。というわけで、じゃあな」
「ダメだろ。ここで見逃したら俺が怒られるんだから」
ステイゴールド。ステゴに出会った。
旅に出ていることが多いステゴに会うとは、結構レアだな。
なんかいいことがあるかもしれない。もう一日が終わるけど。
ステゴの方だが……多分コイツ。
「もしかして、見てたのか? ラモーヌさんとの併走」
「そんなことはない。お前とメジロラモーヌが全力で競り合っていた姿なんて、私は見てないぞ?」
「見てんじゃねぇか。別にいいけどよ」
やっぱり、あの併走を見てたわけか。
勘でしかなかったが、合っていたようだ。
(そもそも、同じ方向から歩いてきたことが引っかかる。旅から帰ってきたなら、反対側から来ないとおかしい)
別の場所にいた可能性もあるが、わざわざ面白いものが見れたと口にした。
同じ方向で、ステゴが気に入るような面白いもの。
考えたら、俺とラモーヌさんの併走ぐらいしかないわけだ。気に入りそうなのはな。
「声かければよかったのによ。一緒に走るとか」
「いや~、さすがの私も、メジロラモーヌは怒らせたくないからな。触らぬ神に祟りなし、だ」
「混ざるくらいで怒るか? あの人」
「怒るね、間違いなく」
なんとなく神妙な顔つきのステゴはスルー。
どうせ同じ寮だし、一緒に帰ることに。
道中では、さっきの併走のことについて話していた。
「ところで、あんた随分と楽しそうだったな? 良い表情をしていたよ」
相変わらずのこれである。
勘の鋭さは、相変わらずってこって。
「そうか? まぁ、楽しかったってのは事実だな。言っておくが、嘘じゃねぇぞ?」
「疑ってないさ。あの表情を見て、疑えるヤツなんていない。あんたは、とても楽しそうに走っていた」
一拍置いて。
「──あの時の模擬レースと違って」
言い放った。
模擬レースとは違う雰囲気だった、と。
厄介だよ、本当に。
「あ~、ルドルフさん達と走った、あのレースか? あの時も楽しかったぞ。これも嘘じゃない」
「深くは詮索しないさ。ただ、模擬レースとはまた違った表情を見せていた。それが無意識か意識的か。どちらにせよ、気にはなるな」
「あっそ」
俺にも分からないことを、触れてこようとするステゴとラモーヌさんは。
(第一、模擬レースと併走で表情が違うって、どういうことだ? 俺としちゃ、変わらねぇつもりなんだけど)
本当に、厄介極まりない。
「それにしても、ふふ。あんたの笑顔、結構可愛いんだな」
「……はぁ? 急に何言ってんだ?」
「いやなに、無邪気な笑顔を見せたあんたの表情がな、結構ツボなんだ。楽しそうなのが伝わってくるからな」
「はぁ。まぁ、良かったな?」
ついでに、何言ってるのかよく分からない。
笑顔が可愛いって言われたから、とりあえずお礼を言うけど。
なんか違う気がするな、コレ。
「この時間だと、私達が最後の風呂だな。一緒に入るか?」
「勘弁してくれ。ただでさえ、人がいない時間を狙ってるってのに」
「どうして嫌なんだ? 同じウマ娘同士、だろ?」
「……分かってて言ってんのか、分かんなくて言ってんのか。とにかく、なしだ」
からかうように笑うステゴを躱しつつ。
栗東寮へと戻った。
余談だが、門限が結構ギリギリだったので怒られかけた。
やっぱすげぇよ、ラモーヌさんは。