それはある日の調教のこと。
「今日は他ん子と調教するで俊之。しかも、これまたえらい馬とや!」
いつも通り上機嫌の康夫さんが、今回の調教相手のことについて話していた。
俊之さんはというと、知っているのか特に驚いていない。
こういうのって事前に打ち合わせしてるだろうし、驚きはしないんだろうな。サプライズとかでもなさそうだ。
ただ、勿論俺は知らないので気になる。
誰が相手になるのかちょっとワクワクだ。
どうせ4歳馬以上が相手になること確定してるけどな。
(タイドと調教できない日は、もうユニさんで固定になったし。これで今更同世代との調教にはならんだろ)
俺の相手は3歳馬じゃ務まらん判定されている気がする。このことを喜んでいいのかどうか。
で、肝心の調教相手のことだ。康夫さんはえらい馬、と言っているが、果たして誰なのか?
凄い馬であることは間違いないだろう。重賞を勝っている馬、なのはほぼ確か。
(誰なんだろうな~)
のほほんと、楽な気持ちで康夫さん達の言葉を待っていた。
ま~大丈夫でしょ。そんな滅多な馬じゃないって。
「端田さんのところのアドマイヤグルーヴ、でしたね。年明け初戦が牡馬が相手になるから、今の内に慣れさせておきたいと」
「せや。アドマイヤグルーヴと言えば、良血も良血のお嬢様。しかも、昨年のエリザベス女王杯を制しとるからな。シャーロックの相手としても、ありがたいっちゅう話や」
待てや滅多な馬じゃねぇか。待て待て、初耳だぞそんなの。当たり前だけど。
康夫さん達が出してきた名前にびっくらこいたわ。なんでそんなビッグネームが飛び出してくるんだ本当に。
(あ、アドマイヤグルーヴ~!? ウマ娘に登場しているのもそうだけど、とんでもねぇ名牝じゃねぇか!)
牝馬三冠と呼ばれる桜花賞・オークス・秋華賞。その全てで負けたけれど、続くエリザベス女王杯で初のG1制覇を成し遂げている。
なんなら連覇しているのだ。エリザベス女王杯連覇。偉業も偉業、大偉業だぞ。ちなみに史上初の連覇はメジロドーベルだ。
つまり俺の相手は、またも年上のG1馬。ユニさんがいるとはいえ、とんでもない相手と調教することになったもんだ。
「向こうさんも、レース前に慣れさせたいみたいやからな。かといって下手な牡馬と調整するわけにはいかんし、機嫌を損ねたら大変や」
「そこで白羽の矢が立ったのが、ウチのシャーロック、と」
「そうや。シャーロックやったら滅多なことにはならんし、上手く合わせることができる。問題も起こさんやろうしな」
アドマイヤグルーヴ、か。
(ウマ娘だと馴れ合いを好まない、孤高の一匹狼感じ的なキャラだったけど)
こっちだとどうなんだろうか? ちょっと気になるな。
ユニさんなんかはすでにウマ娘の片鱗みたいなものが見えているし、もしかしたらアドマイヤグルーヴもその可能性があるか?
私に構わないで、とか認めたわけじゃないから、とか。言ってきたりするんだろうか。
(ちょっと楽しみだな。ワクワクしている)
「向こうさんももうそろそろ着きそうやしな。軽く準備運動しとこか」
「はい。それじゃあシャーロック。流して走ろうか」
俊之さんを背に準備運動。さてさて、どんな感じなのやら。
待つこと数分。お相手が来た。
来たのだが、アドマイヤグルーヴは開口一番。
『生意気そうな面ね! あたしがコテンパンにしてやるわ!』
『えぇ……』
『なによ? なにか文句あるわけ? この、あたしに!』
生意気判定されました。別に耳を絞って威嚇はされていないが、明らかに喧嘩を売られている。
警戒するように耳をピンと立てて、俺を睨みつけている。
調教助手の人が落ち着かせようと頑張っているが、あんまり効果はない。初対面の俺が気になるようだ。
「遅れました、池江さん。申し訳ありません」
「いえ、時間通りですわ端田さん。こちらこそ、アドマイヤグルーヴとの併せありがとうございます」
「はは。今栗東はおろか全国で話題になっている子ですからね。こちらとしてもありがたい限りです。それに、なにやら他馬に併せるのが上手だとか」
「そうやで~? シャーロックは誰が相手でも大丈夫や。問題なく走れる」
調教師間は大丈夫なんだけどなぁ。こっちはバチバチというか。
つか、全然キャラ違うな本当。
これで孤高キャラは無理がある。180°違う印象だ。
(こっちだと喧嘩っ早いというか。ただ、あんまり怖さは感じないな)
『聞いているわけ? あたしを無視しようっての!』
『聞いてますよ。別に無視してるわけじゃないです』
『ならあたしの言葉にはしっかり耳を傾けなさい! この、アドマイヤグルーヴ様のね!』
むしろ微笑ましさすら感じる。こう、頑張って自分を強く見せているような。
なんつーか、敵意はそこまで感じないんだよな。口調は敵意丸出しだけど、それだけじゃないみたいな。
今はいいか。調教のことを考えよう。
相手はエリザベス女王杯を制したG1馬。言うまでもなく古馬との混合戦だし、制したのだから強いことは確定。
というか、この年のエリザベス女王杯も制した馬なのだ。強いなんてもんじゃない。
『今日はよろしくお願いします、アドマイヤグルーヴさん。頑張らせていただきます』
『精々頑張りなさい! あたしをがっかりさせないようにね!』
学べるところは学ばせてもらうぞ。
そして調教での併走。アドマイヤグルーヴさんはというと。
『あの、もうちょっと本気を出しても大丈夫ですよ? 自分、まだいけるので』
先ほどの好戦的な部分はどこへいったのやら、ちょっと尻すぼみしていた。嘘だろ。
もっとこう、オラオラがつがつ来るのかと思ったのに。なんならさっきまではしつこく挑発してたのに。
今は遠慮しているというか、どこか自分の力を発揮できてなさそう、というか。
『ふ、ふふん。これは手加減、ってやつよ。生意気とはいえ後輩、あたしの下! 下の顔を立てるのもあたしの役目!』
明らかに虚勢、ってのが分かるくらいだ。無理してますってのが丸わかりである。
さっきの威勢のよさどこ行ったんすか。なんで俺と併走してこんなことに。
「う~ん、やっぱり厳しいのかなぁ?」
向こうの調教助手さんも、騎乗しながら手応えを感じていないみたいだ。
首を傾げては、アドマイヤグルーヴさんにもっと行くよう指示している。
今のところ時計も全然、もっと追い込んだって問題はない。
だというのに。
『生意気な人間ね! 振り落とすわよ!?』
『止めてあげてくださいよ。ケガしちゃいますよ』
『変なことしてくるんだから当然よ!』
どうも本気を出せないみたいだ。なんでだろうか。
一通り走り終わった後、向こうの調教師さん、端田さんが苦い顔をしている。
あの顔見る感じ、お望み通りの期待は得られなかった、ってとこか。
「やっぱり、牡馬が相手だとどこか委縮してるなぁ。年下の牡馬が相手でも、あんまり良い時計が出ていない」
「普段のデータと比較させてもらいましたけど、あんまよろしくないですね確かに。もうちょい走ってもよさそうなもんですけど」
康夫さん的にもダメらしい。
もっと実力はあるのに、その実力を発揮できずにいる、と。
肝心のアドマイヤグルーヴさんはというと、特に気にしてなさそうだ。
今の内容も、まるで当然とばかりに受け入れている。
『ふふん。下の顔も立てることができる。あたしはやっぱり出来る子ね』
ドヤ顔すら見えそうだ。馬だとこんな愉快な性格なんだな。
『あの、アドマイヤグルーヴさん? 大丈夫ですか?』
一歩近づく、が。凄い勢いで後ずさった。耳を立てて威嚇するおまけ付きで。
その反応はいくら何でも傷つきますよ。
『な、なによ! なにか文句あるわけ!?』
『いや、その。もうちょっと本気出してもらっても大丈夫ですよ? さすがにそこまで弱くはないので』
ぶっちゃけ、いつもより余裕を感じる内容だった。タイドの調整メニューとさほど変わらん、というか。
牡馬と牝馬で差があるとはいえ、これはちょっと、と思うような量。
康夫さんだけじゃなくて、俺もそう思っているんだ。俺でも気づくレベルだから相当だろう。
肝心のアドマイヤグルーヴさんは、認めたくなさそうだけど。
『え、遠慮しなくていいのよ。あたしは先輩、貴方より偉い! あたしは、貴方のメンツを守ってあげてるの!』
『俺のメンツ守るために、アドマイヤグルーヴサンのメンツが消えそうですけど』
『うるさいうるさい! とにかく大丈夫なんだから!』
認める気はさらさらなさそうだ。
これ以上何かを言っても無駄だな。諦めよう。
「今後はどうします? こちらとしては、予定が合うんやったら問題ないですけど」
「……引き続きお願いしてもよろしいでしょうか? 大阪杯を見据えて、出来る限り不安要素を取り除きたいので」
「せやったら、今後も継続っちゅうことで」
なにせこの1回だけじゃないし。長い付き合いで警戒心を解いてもらうしかないな。
◇
で、調教相手が継続したのは良いのだが。
「今日もアドマイヤグルーヴとですか? 多いですね、最近」
「端田さんもなんとかしたくて必死や。調教相手を牡馬にして、改善に努めとるらしい……最初の内の話やったけど」
ほぼ毎日アドマイヤグルーヴさんである。いくらなんでも多すぎだろ。
気持ちは分からんでもない。相手は体格や強さ的に優れている牡馬、改善できる場所は改善するべきだ。
そこに、調整するのが上手いと噂の俺をあてがう。その理屈は理解できる。
俺も、出来る限り改善できるように頑張った。超頑張った。
調教が始まる時は。
『やっぱりアドマイヤグルーヴさんって凄いですね。一緒に走っていると余計に感じますよ』
『ッ! す、すごい? あたしが?』
『はい。いつも俺のためにって加減してくれてるんですよね? 加減してこれなら、本気を出したらもっと凄いんだろうなって。いつも思ってます』
『ふ、ふふーん。なかなか分かってるじゃない!』
褒めて調子を伸ばしたり。
『瞬発力勝負じゃとても敵わないですね。この末脚が、レースで勝つための秘訣ですか』
『そうよ、あたしの脚は誰にも負けないんだから! あのにっくきスティルインラブにも、これからのレース全部勝ってやるんだから!』
調教中もとにかく褒めたり。
アドマイヤグルーヴさんが本気を出せるように、牡馬が相手でも力を発揮できるように。
『そ、その~。ちょっと聞いてもいい? いやね、本当は大丈夫なのよ? 大丈夫なんだけど一応ね? 一応聞いておこうと思って』
『念押ししなくても大丈夫ですよ。何でしょうか?』
『その……お、男の子相手でも緊張しないようにするには、どうしたらいいのかしら?』
その中で悩みも打ち明けられたんだ。
相談に乗ったりして、個人的には仲良くなれたんじゃないかな? とは思う。
『普段を知らない相手だし、体つきも大きいから緊張する、ですか。俺は大丈夫なんです? よく人にバッキバキの筋肉してる、とか言われますけど』
『あ、あんたはいいのよ。何度も会ってるうちに慣れたわ』
『それならいいですけど。ま~そうですね……俺で慣れたらいいんじゃないですか? 全員俺だと思えば、な~んて』
『それは良いわね! さっそくそうするわ!』
『え』
我ながら成功している、と言ってもいいな。順調そのものだ。
で、その結果が。
『さぁシャロ! 今日も元気に頑張るわよ!』
『はい。よろしくお願いします、グルーヴさん』
『あたしにしっかり着いてきなさい! 遅れるのは許さないわよ!』
この前までの虚勢はどこへ行ったのやら。俺に先輩風を吹かせる馬が爆誕した。
いくらなんでも変わりすぎだろ。最初の頃のあなたどこにいったんですか。
康夫さんも苦笑いしてるよ。端田さんは申し訳なさそうだし。
「すみません康夫さん。アドマイヤグルーヴ、メジロシャーロックを気に入ったみたいで」
「あ~、大丈夫ですよ。それより、どないですか? 調子は」
「絶好調ですね。最近では力を発揮できるようになりましたし、このままなら大阪杯もいけそうです」
なんでもグルーヴさん、調整相手が俺じゃないと分かった途端、キレ散らかすらしい。
烈火のごとく怒る、なんてことはないが、露骨に不機嫌になるそうだ。
それはそれでいいのか?
『シャロはあたしの家来みたいなものなんだから。家来が女王に尽くすのは当然でしょ?』
『俺がいつ家来になったと。いや、まぁそれでやる気出してくれるならいいですけど』
『任せなさい! 弟子を満足させるのもあたしの役目。でも……遅れるんじゃないわよ!』
『相変わらず速いなぁ、グルーヴさん』
新しい調教相手が増えた。これでユニさんに次ぐ2人目の固定メンバーである。あくまで年上の馬限定の話ね。
なお、この話をユニさんにした時。
『えまーじぇんしー。“取る”をされるよっ!』
『何を取られるんですか』
危険警報を発令していた。よく分からん。
調教相手が増えるよ。やったねシャーロック!