ディアシャーロック。
今欧州で最強と呼ばれる競走馬であり、あのフランキーが騎乗する馬としても有名だった。
全兄に欧州三冠のグローリーキングダム、全姉に英オークス愛オークスを含めたG1競走8勝のシェフィールド、現在も現役で世界中を駆け回っているマビノギオンがいる。
世にも珍しい白毛の馬というだけではない。
兄弟達に劣らない実績として、44年ぶりの英国三冠を達成した。
加えて、キングジョージ制覇に無敗。その成績は、ニジンスキーを彷彿とさせるものだった。
(分が悪い、なんてレベルじゃないな。なんせ、ディアシャーロックは)
でも、僕にとって実績はそこまで気にならなかった。
それよりももっと、気になる部分があったから。
それは、ディアシャーロックが前で、なおかつ逃げで勝負する馬だということ。
かなり賢く、フランキーの手によって鍛え上げられているということだ。
さすがに、メジロシャーロックほど賢くはない。あそこまで求めるのは、酷というもの。
ただ、賢くて人の言うことに従順。なおかつ強いとなれば……嫌でも結びつけたくなるだろう。
新聞に目を落とす。そこに書かれていたのは。
【メジロシャーロックを継ぐもの。その名はディアシャーロック!】
【かつて世界中を沸かせた大スターの復活。ディアシャーロックが前人未踏の偉業へと挑む!】
【ニジンスキーを超える逸材!その名はメジロシャーロックの正統後継者、白毛の三冠馬ディアシャーロック!】
シャーロックと似ていることを強調する、メディアの煽りだ。
確かに、似ている部分は多い。
毛色は違うけれど、晩年のメジロシャーロックはほぼ真っ白だったし。
思い出すのも仕方ないと思う。僕らがどう思うかは別として。
厄介なのは、ただ似ているだけじゃない。
レースの走り方も、メジロシャーロックに似ている。
これがとにかく厄介だった。
「前で勝負する、そしてフランキーが騎乗するってことは……絶対に効かないよなぁ、マーク戦法」
逃げの位置で走り、ほとんど狂わないペースで走ることを可能にしている馬。
事実、レースのほとんどは逃げ切り勝ち。序盤からペースを握って、他馬が追いつけない位置から仕掛けて勝つ、というもの。
フランキーが完璧なペースでコントロールするのも相まって、欧州のどの馬も崩すことができなかった。
全く、厄介なことこの上ない相手だ。
「メジロシャーロックを相手にするようなもの、か。ある意味、僥倖かもしれないね。君に、リベンジが出来るのだから」
厄介だけど、心は滾る。
かつて、ディープインパクトで挑んで勝てなかった。完敗としか言えない差を見せつけられた。
あの時よりも、僕の状態は悪い。競走馬の素質は申し分ないのに、僕自身が劣っている。
フランキーは衰えていない。まだまだ現役で通用する、世界一の騎手。
条件が悪すぎる。普通なら、諦めて利市さんに出走を諦めましょう、と言うだろう。
だけど、僕は燃え上がっていた。
悪い条件が重なっているのに、ディアシャーロックに挑むことに、全くと言っていいほど恐れがない。
むしろ楽しみで仕方なかった。
「アドマイヤコナンも、ヴェルメイユ賞を勝った。調子は良好で、問題はない」
それはきっと、もう一度君に挑めるかもしれないという気持ち。
あの日負けてしまった借りを、返せるかもしれない期待感。
違うことは分かっている。ディアシャーロックとメジロシャーロックは違うって、頭では理解している。
賢いとは言っても、さすがにメジロシャーロックには劣る。
弱点もないわけじゃないし、逆にメジロシャーロックにないものもある。
違う馬だ。そんなことは分かっている。
それでも、凱旋門賞が楽しみだった。
「今度は勝つよ。僕達がね」
決戦の日が、やってくる。
◇
当日の凱旋門賞は、かなりの客入り。
欧州で話題沸騰中の三冠馬。ニジンスキー越えの瞬間を見ようと、観客が集まったと言われている。
ブックメーカーでの一番人気も、やはりディアシャーロック。
世界一の馬に世界一の騎手……あの時と一緒だった。
前年度覇者トレヴがいるのに、見向きもされていない。
注目は全て、ディアシャーロックへと向いている。
アドマイヤコナンは、ヴェルメイユ賞もあってか3番人気。
上位人気の一頭として、名を連ねていた。日本馬の中では、一番勝利を期待されている。
けど、人気なんて関係ない。
僕達が欲しいのは、勝利なのだから。
レース展開は、ディアシャーロックの逃げから始まる。
ラビットが競りかけようとしているが、意に介さず。
悠々と、王者の走りで迎え撃つのみ。全くと言っていいほど揺らがないように見える。
これは確かに、メジロシャーロックを思い出させるだろう。
馬体もそっくりで、毛色も似ているとなれば、思わずにはいられない。
でも……彼とは違う点が明確にある。
《コーナーを回る各馬。ディアシャーロックが先頭で走ります。そのすぐ後ろにつけるのは日本のアドマイヤコナン、日本が誇る無敗女王が、ディアシャーロックにぴったりとつけている。ディアシャーロックこれは少し苦しそうだ。アドマイヤコナンの徹底マーク、岳寛の判断は吉と出るか凶と出るか!》
それは、彼ほど完璧ではないということだ。
プレッシャーを感じないわけじゃない。相応に嫌なことだってある。
今だってそうだ。僕らが徹底マークしていることに、ディアシャーロックからわずかな苛立ちが感じられる。
あのフランキーが、必死に手綱を握っているんだ。馬の方も、掛かっているんだろう。
(こんな状況で、ブラフの意味なんてない。本当に掛かっている)
狂わない、精密機械のようだったシャーロックとは違う。
自分でレースを組み立てられるうえに、騎手の指示に120%応えたシャーロックではない。
ディアシャーロックは……メジロシャーロックではない。
ただ、崩せない。
フランキーがしっかりと手綱を握ることで、被害を最小限に済ませている。
欧州最強は、伊達ではなかった。
それでも、マークは止めない。
効くと分かっている手を、止める理由なんてないのだから。
《勝負はついにフォルスストレートへ。1馬身のリードを保って逃げるディアシャーロック、1馬身後ろから離されないアドマイヤコナン。外から被せられるがお構いなし、アドマイヤコナンは最内を陣取ります!》
じっくりと機会を窺う。
《後方集団にも動きが見られます。ジャスタウェイはどうか? ジャスタウェイはまだ動かない。ゴールドシップは後方3番手の位置だ。ディアシャーロックが逃げる、後続19頭を引き連れて逃げている。その背中を、逃がすまいと追いかける前の4頭その中にはアドマイヤコナン》
必ず時は来る。揺らぎが、絶対に仕掛けられたくない場面が。
ディアシャーロックにとって、一番嫌な場面が来るはずだから。
(じっと耐えるんだ、コナン。君だってっ!)
「負けたくないだろう、コナン!」
耐え続ける。確実に勝てる場面を、見誤らないように。
最後の直線に入る。
同じ位置で走っていた3頭が一気に仕掛けて、ディアシャーロックへと襲い掛かる。
《最後の直線に入りました。フォルスストレートを抜けてディアシャーロックが先頭で駆け抜けます! ルーラーオブザワールド、トレヴ、タペストリーの3頭! アドマイヤコナンはどうした!? アドマイヤコナンはまだ仕掛けない! 最内から動かないかアドマイヤコナン!》
まだだ、ここじゃない。
まだ仕掛けるべきではない。
《後続から伸びてくるタグルータそしてキングストンヒル! しかしディアシャーロック追いつかせない、ディアシャーロックが先頭を譲らない! 苦しげだがまだ粘っているぞディアシャーロック! やはりディアシャーロックの独擅場だ、リードをキープするどころかさらに差を広げるその差は2馬身に変わる!》
500、400。じっくりと耐えて、耐えて。
ついに──来た。
残り300m。アドマイヤコナンの全力を、発揮できる場所が。
「いまだ! 行け、コナンッ!!」
鞭を入れる。行けと、全力を出せと合図を出す。
アドマイヤコナンはすぐに応えた。手綱がグンと引っ張られ、思わず身を投げ出されそうになるほどの力がかかる。
決して離さない。無我夢中で鞭を振るう。
《残り300を切った! これはどうか、日本勢は苦しいかっ!? ここで最内からアドマイヤコナンが伸びてきたぁぁぁ! アドマイヤコナン来た、アドマイヤコナン来た! 日本の無敗女王がついにその牙を向く! 先頭との差をグングン詰めるぞアドマイヤコナン!》
これしか道はない。勝つためには、意識外の急襲しかない。
だからこそ、限界ギリギリまで我慢する必要があったんだ。
ディアシャーロックはメジロシャーロックに似ている。
ならば当然、あるはずのものがあるだろう。
(競り合いでこそ真価を発揮する……ディアシャーロックもまた、同じ強さを持っているはずだ!)
ここまでディアシャーロックは、競り合いらしい競り合いをしてこなかった。
どのレースでも、セーフティリードからの逃げ切り勝ちを収めていた。
だから全員思っているだろう。体力を削って、競り合いに持ち込めば勝機はあると。
だけど、それはダメだ。
メジロシャーロックに似ているならきっと、勝負根性も持ち合わせているはず。
スタミナの限界を超えて、抜かせない強さを発揮するはずだ。
なら、取れる手段はたった一つ。
「一気に、捲る!」
残り300mから捲って、勝負根性を発揮させない。
相手のスピードすらも超えて、突っ走るしかない。
誰も知り得ないかもしれない、ディアシャーロックの強みを知って……僕は勝つ。
残り200m。2馬身あった前との差が詰まる。
《アドマイヤコナンがディアシャーロックに追いつくか!? 内から猛烈な勢いで上がってくるアドマイヤコナン! 日本の無敗女王が、世界最強のディアシャーロックへと襲い掛かる! アドマイヤコナンとディアシャーロックが完全に抜け出しました一対一!》
他の馬はディアシャーロックに振り切られた。
残されたのは僕らだけ。
僕らだけが、ディアシャーロックに勝ちうる可能性を秘めている。
勝つんだ。今ここで。
(あの日勝てなかった屈辱を、ここで晴らす!)
「まだだ! コナン! まだ、行けるだろう!?」
鞭を入れる。アドマイヤコナンが、全力で走っている。
周りのことなんて見えていない。ただ、隣を走るディアシャーロックだけを見ている。
《残り100m並んだ並んだ! ディアシャーロックとアドマイヤコナンが並んだ! だがここでアドマイヤコナンが前に出る!? アドマイヤコナンが前に出た! デルトリ必死に鞭を振るう! 寛も鞭を振るう! 完全な一騎打ち、無敗対決、同父の一騎打ちだ!》
並んでいたことにすら気づかない。
いろんな思いを込めて、鞭を振るう。
最後に思い浮かんだのは、虹の橋を渡ったメジロシャーロックのこと。
(シャーロック……っ!)
力を貸してくれと思ったのかもしれない。
君の力なんて必要ないと思ったのかもしれない。
ただ、君に勝ちたいと思ったのかもしれない。
どんなことを考えていたかは、覚えていない。がむしゃらだったから。
ただ、覚えているのは。
《ディアシャーロックを抜いたァァァ! 日本の無敗女王が、アドマイヤコナンが前に出た、前に出た! 絶対無敵のディアシャーロックが陥落する! アドマイヤコナンが駆け抜ける!》
ディアシャーロックを競り落としていたこと。
フランキーが悔しそうに、それでいて嬉しそうな顔をしていたこと。
そして。
《アドマイヤコナンだアドマイヤコナンだ! メジロシャーロック以来、9年ぶりの勝利をこの手に! アドマイヤコナン岳寛が! 日本馬として2頭目の偉業を成し遂げた! アドマイヤコナンが凱旋門賞を制したァァァ!》
誰よりも早く、ゴールラインを割ったことだった。
嬉しくて仕方なかった。
気づけば涙を流していて、隣にディアシャーロックが来ることに気づかなかった。
「やられちまったヨ、タケ。congratulation!」
「は、はは。ありがとう、フランキー。今でも、信じられないよ」
「オレらモ、自信はあったんだけどナ。やっぱタケには分かってたカ、ディアシャーロックの勝負強さ」
フランキーからお祝いの言葉を貰う。
負けて悔しいはずなのに、僕の背中を叩いて、勝利を祝福してくれる。
……馬の方は、そうでもなさそうだけど。
「凄い睨んでるね、ディアシャーロック。コナンがタジタジしてるよ」
ぎろり、といった具合に、コナンを睨んでいる。
コナンは訳が分からなくて、戸惑っていた。
まぁ、急に睨まれたらびっくりするよね。分かるよ。
ディアシャーロックの上にいるフランキーは、笑っていた。
子供の癇癪を見ている親のように。
「コイツ、負けたことないからナ。負けたことを分かってル、今は悔しくて仕方ないんダロウ」
「そうかもしれないね。可愛い子だ」
「渡さないゼ。ディアシャーロックの鞍ハ、この先もオレ専用だからナ」
フランキーとグータッチを交わして、分かれる。
帰ってきた僕を迎えたのは、アドマイヤコナンの関係者達。
利市さんも、泣いて喜んでいた。
「よくやってくれた、寛君! ついに、ついに成し遂げたなっ!」
「はい。勝つことができました。最後の最後まで、気が抜けなかったです」
「君の大目標は達成できたな。この先は、どうするつもりだ?」
調教師の泰敏さんの言葉。
次の目標、か。
凱旋門賞で勝つことは、僕の目標だった。
一番欲しかったタイトル。競馬の頂点の証。
それを取った今、僕の目標はない……なんてことはなく。
むしろ、新しい目標が次々に出てくる。
まだまだやりたいことが、たくさんあるんだ。
「ブリーダーズカップの優勝でも目指しましょうか。まだまだ、競馬にはやれることがたくさんありますし」
「っ、はは。まだ足りない、か」
「足りませんよ。シャーロックの子らで、いろんな大レースを制したいですから」
受け継がれるシャーロックの血。
もしかしたら実現するかもしれない、父ディープインパクトと母父メジロシャーロックの血統。
もしかしたらじゃないな。確実に、実現するはずだ。
「ディープインパクトとメジロシャーロックの血を継ぐ子に騎乗して、大レースを勝つ。それも目標、ですね」
「……全く。恐ろしいベテランだよ」
「それほどでも」
シャーロック。君は空の上から、僕らを見守っているのかな?
僕はもう大丈夫だ。君に伝えることなく、君は逝ってしまったけれど。僕はもう大丈夫だ。
ケガの影響もない、不安も何もない。
これから先も、僕は進み続ける。騎手を続けて、君の子に騎乗して勝ち続ける。
だからどうか。
「空で見守っててくれ、シャーロック。君に良い報告を、届けるよ」
安らかに過ごすことを。ゆっくりできていることを願うよ。
◇
……ちなみに。凱旋門賞から1ヶ月経ったジャパンカップ。
アドマイヤコナンは出走。ディアシャーロックも参戦することで、かなり話題を集めた。
また凱旋門賞のような競り合いが見られるのか。熱い戦いが繰り広げられるのか。
観客は沸いていた。
その結果はというと。
《エピファネイアだエピファネイアだ! 英国三冠馬も凱旋門賞牝馬もまとめて一蹴エピファネイア! これが万全なエピファネイアの破壊力! まとめて粉砕したエピファネイアァァァ!》
2頭ともエピファネイアの前に屈した。
2着にディアシャーロック。3着がアドマイヤコナン。
なんというか、お互いがお互いをマークしすぎた結果、エピファネイアに出し抜かれたというか。
そんな感じの勝利だった。負けた言い訳でしかないけど。
なお、ディアシャーロックはその後ドバイワールドカップに出走。
ジャパンカップの鬱憤を晴らすとばかりにエピファネイアを圧倒し、2着に7馬身差をつける形でドバイワールドカップを制した。
やっぱ強いね、あの馬。
芝もダートも走れるバケモノであることが発覚するディアシャーロックである。