俺は今、人生の瀬戸際に立たされている。
「こうしてお会いするのは初めてですね、シャーロックのトレーナーさん。お話は、シャーロックからいろいろと聞いていますよ」
「は、はい。きょ、恐縮です。ほ、本日はこのような機会を設けてくださり」
「畏まらなくても大丈夫です。手短に済ませる予定ですので」
メジロ家のお屋敷、その書斎。
目の前に座っているのは、厳粛な雰囲気を纏った女性。メジロのおばあ様と呼ばれる人物。
姿勢を正し、視線を逸らさないように。少しの失礼もないように、真っ直ぐと見る。
気が気でない。
何を言われるのか、なにかやらかしてしまって、俺はこの場にいるのか。
考えても出ない答えが、頭の中をぐるぐると回っている。
(て、手短に? も、もしかして……契約解除を迫られるとか!?)
過去のやらかしも、おそらく知っていることだろう。
スカウト前に告白紛いのことをした件とか、結果スカウトにも影響が出たとか。
ありもしない想像が、頭の中に出てくる。悪い想像が、最悪の未来が。
なんてことを、考えていたのだが。
「学園でのあの子はどうでしょうか? 真面目過ぎる子ですので、頑張りすぎてはいませんか?」
「確かに、少しストイックすぎる面が目立ちますね。ですが、私が目を光らせているのは勿論のこと、ご学友やラモーヌさんの存在もありますので。決して無茶はしていないと約束できます」
「そうですか。それは良かった」
そんなことはなかった。
聞きたかったのは、学園でのシャーロック。真面目過ぎる彼女を心配しており、どう過ごしているのか、という雑談程度。
決して契約解除とか変な気を起こすな、とか。そういう話ではなかった。
我ながら、考えすぎだったようだ。
(冷静に考えれば、シャロが嫌がってるわけでもないのに、話が飛躍しすぎたな)
急にメジロ家に来てほしい、なんて言われるから戸惑ったけど、ちょっと考えれば分かることだ。
お家の子のトレーナー。一度も会ったことがないなら、どういう人物かを見定めるためにも、一度は会いたいと思うはず。
今回はその機会に恵まれただけ。それ以上でも、それ以下でもない。
(心配する要因が俺のやらかしにあるとはいえ、杞憂でよかったぁ)
真相が明らかになって、安心した。
それにしても、おばあ様が心配するほどの生真面目、か。
「その、シャーロックさんは昔からなのでしょうか? 真面目過ぎるというか、ストイックというか」
「……気になりますか?」
「はい。彼女のトレーナーとして過ごす内に感じたのですが、彼女は休みたがりません。常に研鑽を怠らず、前ばかりを見続けて進んでいます」
今もきっと、学園でトレーニングをしているだろう。休みだと伝えているのに。
容易に想像できるくらい、彼女は休むことをしない。
前だけを見続けて、立ち止まることなく進もうとしている。
「いくらなんでも真面目過ぎる。それも、危うい真面目さです。いつ倒れてしまってもおかしくない危険性を、彼女は孕んでいます」
勿論、そうさせないために俺がいる。
シャロが倒れないよう、万全の態勢を整えているつもりだ。
それでも、もしもがあるんじゃないか。
シャロの真面目は、不安を感じずにはいられない。
それが昔からのものなのか、それとも学園に入ってからなのか、はたまた最近か。
少しだけ、気になった。
おばあ様は、深い溜息を吐いた。
「やはり、分かりますか。あの子の危うさが」
「すみません。失礼なことは重々承知の上ですが、どうしても気になったもので」
「構いません。今回貴方にお越しいただいたのも、その真面目さが由来しておりますので」
そして、今回呼んだ理由について。
ただの雑談、シャロの近況報告で終わるわけがなかった。
「あの子の真面目さは、生来のものです。昔からあぁでした」
「昔から、ですか」
深く頷くおばあ様。
教えてくれたのは、シャロの昔について。
「あの子の根底にあるのは、滅私奉公。自らの全てをメジロ家に捧げる覚悟で、彼女は歩み続けている」
「滅私奉公、ですか」
「えぇ。愛を受けた自分は愛を返して然るべき。その結果として、自らの体を厭わないのは当然のこと……それが、あの子の意識に深く根付いています」
とりわけ根柢の部分。精神的な支柱の話。
シャロの根幹となるものは……滅私奉公の精神。
(文字通り、メジロ家のためならば命を尽くす、ってことか)
「あの子は、幼い頃から聡明でした。学業・スポーツ・芸術……どの分野においても、完璧に近い模範解答を叩き出す。それはひとえに、あの子の努力で成り立っているものです」
「才能に恵まれた上で、本人は決して努力を怠らない。だからこそ、完璧な結果を出すことができる」
「その通りです。もっとも、外部の人間からすれば、シャーロックの努力は分からないのでしょうけど」
「公にすることを好みませんからね、シャーロックは」
だからこそ、メジロのおばあ様は憂いているのだろう。
不安になっている。シャロの将来が。
「まだ小学生に上がりたての頃。シャーロックは突然言い始めたのです。恩を返したい、と」
「恩、ですか」
「はい。周りから優しくされている、このメジロ家が大好きだから。大好きな人達の力になりたい、優しくされた分だけ報いたい……まだ小学生がです。そんなことを口にしました」
でも、分かる。俺も今出てきた情報に、絶句しているから。
小学生の歳なんて、遊びたい盛りのはずだ。
メジロ家のような名門の事情は分からない。
お家のこととか、それこそ習い事とかたくさんあるだろうし。
けれども、シャーロックのは根本的に違うと理解する。
「自らが持てる力を全て使い、メジロ家の繁栄のために尽力する。そのためならば、どんな努力も惜しまない。誰に言われるまでもなく、自分一人で。果てには……我々の目の届かないところでも」
俯くメジロのおばあ様。一瞬だけ見えた目には、深い悲しみが見えていた。
「あの子には、のびのびと走って欲しい。幾度となくそう伝えてきました。私だけではなく、マックイーンやラモーヌを筆頭とした、可愛い子らも。ですが、結果は御覧の有様です」
「……変わることなく、いまだに進み続けている」
「強い責任感からではありません。周りに置いていかれたくないが故の劣等感でもありません。シャーロックは、それが当然だと捉えている」
気持ちは、察することができる。
シャロのは自己犠牲に近い。
やらなければいけない、置いていかれたくないという負の感情じゃない。
当たり前。呼吸と同じで、やって当然という気持ちで、メジロ家に自らを捧げようとしている。
幼い子が、自分が犠牲になるような考えを口にした。
大人としては、気が気でないだろう。
だから、心配する気持ちはとてもよく分かる。
「あの子のやりたいことを否定したいわけではありません。ですが、あの在り方のまま進んでしまうと、よくないことが起こりかねない」
「それこそ、自分の限界を超えたトレーニングをしてしまって」
「壊れてしまうでしょう。あの子は、壊れるまで気づかない子ですから」
そして、俺がやるべきことも。
頭を下げるメジロのおばあ様。
「お願いします、トレーナーさん。どうか、シャーロックを」
失礼と思いながらも、言葉を遮り。
「私が彼女を、壊させません。絶対に」
約束をする。メジロシャーロックを、無事に走らせると。
目を見開いているおばあ様に、覚悟を伝える。
「オーバーワークは防ぎます。常に目を光らせて、体調には細心の注意を払います」
鋭くなる視線。それらを無視して、自分の気持ちを正直に。
「ですが、無理に束縛しすぎたりはしません。彼女の気持ちを蔑ろにして、メンタル面での不調が起きては本末転倒ですから」
「ほう」
「全部が全部完璧に出来る……それはお約束できません。ですが」
今、自分ができる精一杯を。俺が出来る、最大限のことを。
「俺が必ず、メジロシャーロックを無事に走らせます。絶対に、この命に代えても」
誠心誠意、メジロのおばあ様に伝えた。
無言の空間。張り詰めた空気の中で、俺とおばあさまの視線が交錯する。
一分か、二分か。永遠にも近い時間が流れたように錯覚する中。
「あの子は、情熱的なトレーナーを選んだようね」
ふっと笑った、メジロのおばあ様の言葉で。
緊張した空気は霧散した。
認められた、のだろうか。
「どうかこれからも、シャーロックのことをお願いします。トレーナーさん。再三の言葉になりますが、あの子は無茶しがちですから」
「はい、勿論です。無茶をしないように、目を光らせます。まずは、帰ってから自主トレをしたかどうかですね。彼女の場合、休みと伝えてもやりかねませんから」
「あら、頼もしい。是非ともお願いします」
いや、認められた。
和やかなムードが、その証明だ。
でも。
「ですが、あの子に告白紛いの言葉を贈ったそうですね? ラモーヌから聞いていますよ」
「え!? あ、それは、その。い、勢い余って、と言いますかっ」
スカウトの一件については、言い逃れできなかった。
事実だから仕方ない。この辱めは、甘んじて受け入れるしかなかった。
◇
話はシャロのことだけ、では終わらなかった。
「シャロのことは安心できます。ですがあの子には守護霊が……ロックがいます」
話題はロックのことに。
雰囲気は、先ほどよりも深刻に。表情も、より深刻になっている。
おばあ様の口から出てきた言葉は。
「ロックのこと、ですか」
「えぇ。私は、シャロよりもロックの方が深刻だと捉えています。それはきっと……貴方も同じ考えのはず」
ロックの方が心配、というもの。
その意見を俺は、否定できない。
確かに、シャロの問題は深刻だ。
幼い頃から根付く滅私奉公の精神。
意識を変える変えないは別として、そう簡単にはいかないだろう。
だけど、シャロはまだいいんだ。
問題が大きいのは、ロックの方。
「あの子は自分のことを決して話さない。どうしてシャロの守護霊をしているのか、一体どんな経緯で憑りついたのか」
「私も、教えられていません。また、彼女のことについて聞いても、はぐらかされます」
「ラモーヌやマックイーンにも、話したことがないそうです。何度聞いても教えてくれる気配がない、と」
ロックは自分の素性を語らない。
どういう経緯でシャロに憑りついたのか、その一切を語ろうとしない。
その上で、さらに問題なのが……シャロ以上に、自己犠牲の精神が強いというもの。
「薄々感じてはいます。ロックは、シャロ以上に自分のことを蔑ろにしているんじゃないか、って」
「……否定できませんね。口では心配はない、大丈夫と言いますが」
「本心を曝け出そうとしない。なんでもかんでも我慢して、許容量以上のことをやってしまう」
美徳かもしれない。
他人に迷惑をかけない生き方、と言えば聞こえはいいけど。
親しい間柄にさえも、胸の内を明かさない。ガス抜きができていない。
どうしてかは分からない。教えてくれない、相応の理由があるんだろう。
俺達が信頼されていないだけ。そう考えることもできる。
だけど。
「時折あの子が見せる悲し気な顔。その真相すらも、教えてくれませんから」
「……はい。なにかあったことは分かるけれど、ロックはその一切を教えてくれません」
「あの子にも、深い事情があるのでしょう。人には話せない事情というものが。結果、あの子からは拒絶の意思を感じます。線引きのようなものを」
「明確な拒絶の意思。自分の領域に踏み入れさせないと言いたげな、遠ざけようとする気持ち」
ロックが、俺達を拒絶していることは分かる。
なにかを抱え込んでいて、過去にも何かあった。
辛いことや苦しいことがあったんだろう。悲しい表情から、ある程度のことは察せる。
ロックもシャロと変わらない。
真面目で、優しい子だ。根っこの部分は、2人とも変わらない。
だからきっと、語らないのは彼女なりの優しさなんだろう。
(楽しい話じゃないから。いつもロックはそう言ってはぐらかす。嘘じゃないんだろうな)
なんとかしてあげたいのは、きっとみんな一緒だ。
俺だってメジロのおばあ様だって。メジロラモーヌやオグリキャップも同じ気持ち。
でも、ロックがそれを望んでいない。
何も教えてくれないから、その理由も分からない。
現状では、八方塞がりだ。
けれども。
「勿論、ロックのことも気にかけます。彼女もまた、私の大切な担当ウマ娘ですから」
「っ! ……ふふ、左様ですか。シャロだけではなく、ロックもまた自分の担当ウマ娘、と」
「はい」
一緒だ。
今はまだ頼りないけれど、やれるだけのことをやる。
これから頑張って、彼女にとって頼れるような存在になってみせる。
いつかきっと、ロックの抱えているものを支えられるくらいに。
メジロシャーロックというウマ娘に、俺は踏み込み続ける。
迷惑を承知の上で踏み込む。嫌われてもいいから踏み込む。
(でも、程々にしないとな。前みたいに、踏み込みすぎるのはNGだ)
焦らず、慎重に。
彼女の信頼を勝ち取ろう。
決意の裏で、メジロのおばあ様は、少し考えているような素振りを見せていた。
ほどなくして、口を開く。
「ステイゴールドさんを頼りなさい」
出てきたのは、ステイゴールドという名前。
その名前には、聞き覚えがあった。
「ステイゴールド、ですか。あの」
【異次元の逃亡者】サイレンススズカと同じ世代のウマ娘。
スペシャルウィークらの黄金世代、テイエムオペラオーを筆頭にした覇王世代、ジャングルポケットといった新世代のウマ娘。
その全てと競い、果てには海外のウマ娘とも戦った渡り星。
【黄金の旅人】ステイゴールド。
どうして彼女の名前が出てきたのか。
理由は単純だった。
「彼女もまた、ロックに探りを入れているウマ娘です。きっと、貴方に有益な情報をもたらしてくれるでしょう」
「ステイゴールドが、ロックのことを」
「はい。放っておけない存在であると、そう語っていたそうです。貴方が知らない情報も、持ちえているかもしれません」
ステイゴールドもまた、俺と同じようにロックを知ろうとしている。
上手くいけば、情報が貰えるかもしれない。
今持っている、ロックの情報を。
「分かりました。では、時間がある時に探してみます。ステイゴールドを」
「気をつけてください。ステイゴールドさんは気ままな旅人。捕まえるのは容易ではありません」
「確かに、学園でもあまり見かけないですからね……とにかく、頑張ります」
教えてくれるかは分からない。会えるかも不明。
それでも、やらないよりははるかにマシだ。
こうして、メジロ家の訪問は終わった。
後は学園に戻って、シャロが無茶をしていないか確認をする。
「帰ったら早速ロックに聞こう。昨日の時点で話は通してあるから、大丈夫だ」
行きとは違い、軽い足取りで学園へと戻る。
メジロ家の執事さんの車に送られながら、今後のことを考えていた。
ちなみに、シャロはやっぱり無茶をしようとしていたようで。
「ロック! なんでトレーナーさんにバラすのですか!? 黙っていればバレっ、え? そもそも休めと言われたのに、練習する方がおかしい? ろ、論点のすり替えです! 議論を、議論を要求します!」
「バレるバレないとか考えてる時点で、もうダメだよ。ほら、休んだ休んだ」
「あー!?」
ロックの時間稼ぎと密告により、未然に防ぐことができた。
「ありがとう、ロック。君のおかげで助かったよ」
「礼には及ばない……って! トレーナーさんとロックで共謀していたのですね!?」
話を通しておいて正解だったよ。