朝日杯フューチュリティステークス。
中山レース場で開催される芝1600mのレースで、格付けは最高位のG1。
ジュニア級ウマ娘にとっては伝統の一戦であり、勝ちウマ娘の中には三冠ウマ娘ナリタブライアンの名前もある。
今後のクラシック戦線に弾みをつけるには、もってこいのレースと言えるだろう。
メジロのウマ娘も、最近だとベイリーさんが勝ったレース。
シャロもまた、ベイリーさんに続くと意気込んでいた。
その結果。
「スゥー……フゥ……大丈夫です。僕は、やれる」
ガッチガチに緊張している、というよりは気負い過ぎている。
結果を出すことに固執しすぎているのか、自己暗示のように言葉を繰り返し。
出走するウマ娘の名前、警戒すべき相手の名前を復唱し。ひたすら頭の中に叩き込んでいる。
レースも始まってないのにこれだ。
勝負服での初陣だというのに、そんなこと全く気にしていない。
見ているこっちが心配になるくらい、シャロは気負っていた。
緊張しているシャロを見ると、懐かしくなってくるな。
(俺もそうだったからな~。初のG1レースってことで、すげぇ緊張してた)
そのせいで出遅れかましたんですけどね。勝ったからノーカンで。
確かに、シャロのメンタルは強い。
物怖じしないし、言いたいことは結構容赦なく口にする。
大舞台でも強さを発揮できる。重賞で、問題なく走れていたのがその証拠だ。
とはいえ、さすがにG1の舞台ともなると緊張もするだろう。
目標がレースで活躍して、メジロの栄華を取り戻すことだ。朝日杯は是が非でも取っておきたい。
ジュニア級で名を轟かせ。クラシック以降で更なる名声を手にする。
今後のことを考えると、朝日杯は絶対に落とすわけにはいかないレースだ。
そんな状況ともなれば、緊張しない方がおかしい。
たとえシャロが図太かったとしても、他と変わらないウマ娘だ。
天才だとかメジロの寵児だとかいろいろ言われてるけど、シャロだって普通のウマ娘に変わりない。
人並みに緊張するし、不安にもなる。
(さすがに、緊張しっぱなしはまずいな。俺からも何か言うべきか)
〈ま~シャロ、落ち着けよ。お前緊張しすぎ。もっと気楽に行けよ、気楽に〉
「ロック、僕は落ち着いています。レースを勝って、メジロの名を世間に知らしめる。メジロの栄華を取り戻す……そのためにも、この朝日杯は負けるわけにはっ!」
〈落ち着いてねぇよお前。自分の発言を省みろ。全く落ち着いてないから、焦りっぱなしだから〉
落ち着かせようとしたが、あえなく撃沈。
悲しいかな、あんまり効果はなかったようだ。
どうしたものか、なんて思っていると。
「ねぇシャロ」
トレーナーが口を開いた。
何を言うつもりなのか。シャロも、トレーナーへと視線を向ける。
「どうされましたか? トレーナーさん。心配せずとも、僕は必ず勝利をこの手に」
シャロの言葉に、トレーナーはあっけらかんと。
「朝日杯を勝ったらさ、お祝いにハンバーガーを食べに行こうか」
「……はんばぁがぁ?」
「うん。ハンバーガー。この前食べたい、って言ってたよね? だから、この機会に食べに行こうよ」
そう言い放った。
えっと、どういうことだ。ハンバーガーって、なんかの暗号か?
確かに、シャロは食べたいとは言っていた。食べたことがないし、珍しさから口にしたいと。
でも、今言うことなんだろうか。
シャロも困惑している。豆鉄砲を食ったような顔はかなりレアだ。
次の瞬間には、場に不釣り合いな発言に怒ったのか、表情が険しくなる。
「ふざけているのですか? トレーナーさん。今大事なのは朝日杯のことであり、その後のことではありません」
「ふざけてないよ。俺は大真面目だ。前にシャロが食べたいって言ってたから、勝ったらハンバーガーを食べに行こう、って提案しているだけ」
「それがふざけているというのです! 全く、レースのことに集中しないで、何を考えているのかと思えば……っ!」
至極当然の言葉。
集中しているのに変なことを、それもレースが終わった後のことを言われたら、そりゃ憤りもするだろう。
だが。
(シャロの緊張、解れてんな。肩の力が抜けている)
狙っていたのか天然なのか。
怒りによって上書きされたせいか、気負い過ぎていたメンタルが逆に落ち着いていた。
無駄に入っていた力が程よく抜け、リラックスした状態へと戻っている。
さっきとは大違い。いつもの状態になっていた。
トレーナーは、笑っている。
「よし、良い感じに肩の力が抜けたね」
「肩の力? ……あっ」
シャロも気づいたんだろう。さっきまでの自分の姿と、トレーナーとのやり取りに。
気づけば無駄な力が抜けている自分に、目を丸くしている。
「さっきまでのシャロは、肩に力が入っていたからね。勝たなきゃいけない、負けるわけにはいかない。そう考えることは、別に悪いことじゃないよ」
「そう、ですね。悪い、ことでは」
「だけど、気負い過ぎは毒だ。程よい緊張は心身に良い影響をもたらすけど、緊張しすぎるとかえって逆効果。普段の実力を発揮できなくなる」
諭すような言葉。シャロの意見をすべて否定するのではなく、やり過ぎはよくないと釘をさす。
距離を詰め、シャロの手を握り。
「大丈夫だよ、シャロ。君の実力を発揮できれば、朝日杯は勝てる。そのために、頑張ってきただろう?」
「……はい。勝てるように、頑張ってきました」
「なら、大丈夫だ。君なら勝てる。ジュニア級の頂点に立つことだって不可能じゃない。君の強さは、走りは。唯一無二だ」
お互いの体温を感じさせる触れ合い。
シャロは拒まず、むしろトレーナーの手を握り返している。
確かめるように握って、笑う。
「ありがとうございます、トレーナーさん。どうやら僕は、功を焦りすぎたようですね」
緊張は解れたようだ。
いや、凄いなトレーナー。
プレッシャーを感じていたシャロを、こうやって落ち着かせるとは。
(こういう感じで落ち着かせるのか。勉強になるなぁ)
あいにくとこういう経験はないので、とてもタメになる解し方だった。
別の話題を振って、思考を別のことに誘導した後、本命の話題に移る。
俺もやってみよ。やる機会があるかどうかは別として。
〈感謝しとけよ? シャロ。トレーナーのおかげで、お前の緊張は解れたんだから〉
微笑むシャロは、深く頷く。
「はい。重ねて感謝を申し上げます、トレーナーさん。下手をすれば、レースへの影響も考えられましたから」
「いやいや、これもトレーナーの仕事だよ。それに、君が全力を出せれば負けないと思っているのも本当だし」
「ふふ。では、君の信頼を真にしましょう」
もうすぐ時間だ。控室を出なければいけない。
少しの別れ。レースという戦場に赴くため、シャロは立ち上がる。
別れ際。くるりとトレーナーの方を向いて。
「緊張も解れたので、行って参ります……あぁそうでした」
誰もが見惚れるような笑顔。子供のように、にっこりと笑って。
「僕の勝負服、似合っていますか?」
勝負服の感想を求めてきた。
メジロカラーの勝負服。マックイーンのような、シンボリルドルフのような服だ。
着ているだけで不思議な力が出てくる、らしい。あいにくと俺には分からん。実際に、俺がシャロに憑依すればわかるんだろうが。
可愛い、というよりはカッコいいとか凛々しい路線。
俺個人の意見としては、大変よく似合っている。
「凄く似合っているよ。シャロにぴったりの勝負服だ」
「ふふ、ありがとうございます。では改めて、行って参りますね」
トレーナーは間髪入れずに答え。
シャロもまた、機嫌良さそうに部屋を退出した。
俺はその姿を見送る。トレーナーと一緒に。
「……さて。俺も観客席に向かうか」
〈ついでに俺も行くか。今日は誰がいるのやら。前のデイリー杯ではグルーヴさんがいたし、スティルさんとかいても驚かんぞ、俺は〉
シャロの雄姿を見届けるために。
◇
中山レース場の観客席。
かなりの盛り上がりで、右を見ても左を見ても人、人、人。
G2やG3とは比較にならない。とある事情から、シャロのレースはかなりの客入りなのに、G1はさらに多く感じる。
「いけー! 頑張れー!」
「落ち着いてー! 焦らなくても大丈夫よー!」
発走している朝日杯。
推しを応援すべく声を上げ、拳を握りしめる観客達。
そんな姿を見つつ、俺はターフへと目を向ける。
俺は出遅れた朝日杯。シャロは──出遅れなかった。
スタート良しで始まったものの、先の3戦で結果を出し過ぎたせいだろう。
集中的なマークにあっており、中団でのレースを余儀なくされた。
《メイショウボーラーが果敢に攻めます。後続に差をつける逃げ、1600mをかなりのペースで飛ばしています。1番人気メジロシャーロックは現在9番手から10番手の位置。外の位置につけていますメジロシャーロック。ですがじわじわと、じわじわと上がってきています》
だが、シャロは微塵も動揺していない。
冷静に周りを見渡し、進路を塞がれないように立ち回って、自分のペースを貫いている。
周りはキツいはずだ。
マークしている相手は自分のペースを貫いている。
対して、マークしている自分達は相手のペースで走らざるを得ない。
自分のペースで走れないのだから、相当なストレスを抱える。勝つために仕方ないとはいえ、苛立ちを覚える子は多い。
結果として、ペースがガタつく。
実際に、シャロの周りの子達は呼吸が乱れ始めた。
序盤からマークし続けて、レースの半分を通過。全く効果のないマーク戦法に、嫌気が差した。
マークすることを止めて、自分がと前に進もうとする。
その隙を見逃すシャロじゃない。
すぐさま前を走るこの後ろにつけ、風除けにしながらレースを展開。
徐々に脚を延ばしていく。エンジンを温め、ギアを加速させる。
《残り600を過ぎて第3コーナーを回ります。ここで動いたのは中団のメジロシャーロック、メジロシャーロックがじわじわと伸びてきています。大外から上がるメジロシャーロック、リガードシチーを躱して大外からメジロシャーロックが上がってきている!》
まだ加速は終わっていない。
シャロはまだ速くなる。その証拠に、一緒に上がっていったリガードシチーとの差が少しずつ開いていく。
前との差が詰まるのも早い。
これに関しちゃ、理由は明白だ。
〈メイショウボーラーがかなりのペースで逃げてたし、それにつられた先行勢もしてやられた、ってところか。スタミナと脚、どっちも残らねぇだろ〉
いくら中山の最後の直線が短いとはいえ、それでも結構な距離だ。
序盤から飛ばし続けて、最後まで保つわけがない。
ジュニア級ならば尚更。スタミナも、力も。何もかもが足りていない。
となれば、序盤から賢く立ち回っていた奴にツキが来る。
「頑張れー! シャーロック!」
「いや、いつの間にかシャーロックが先頭に追い付きそうだぞ!? どうなってんだ!」
「速いはやーい! がんばれー!」
800mロングスパート。俺もやっていたことを、シャロはやろうとしている。
〈そもそも、シャロは末脚の持続の方がすげぇからな。俺と一緒だし〉
末脚の持続力に関しては、右に出る者はいない。
トップスピードに乗れば、もはや手が付けられないだろう。
証拠に、シャロはグングン加速し、気づけば先頭に追い付いていた。
《第4コーナーを回って最後の直線へ。中山の直線は短いぞ、後ろの子達は間に合うのかッ!? こ、ここでメジロシャーロックが追いついた! 早々に追いついたメジロシャーロック、中団から一気に先頭に追い付いた! いつの間に追いついたメジロシャーロック!? メイショウボーラーを早々に捕らえる!》
残り200mで躱し、先頭に立った。
中山の急坂なんてものともしてない。周りがいっぱいいっぱいの中で、ただ一人平然と駆け抜ける。
勝負は、800m地点で決まったも同然だった。
(ペースコントロールも文句なし。初めて差しの位置で勝負することになったが、問題はなかった。悪くねぇ)
どんどん開いていく差。
4バ身まで開いたところで、シャロの体がゴールラインを割る。
《勝ったのはメジロシャーロックだ! 断然の1番人気メジロシャーロックが、期待に応えたメジロシャーロック1着! 他のウマ娘達を全く寄せ付けない勝利、完勝です! 2着に4バ身差を付ける楽勝、新たなジュニア級王者の誕生です!》
大歓声と拍手に包まれて。
シャロは朝日杯を制した。文句のつけようがない完勝である。
ひときわ大きな歓声。
シャロの勝利を祝福する声で溢れ返る中山。
「凄かったぞー! これはクラシック三冠もいただきだー!」
「来年の主役は、メジロシャーロックで間違いないっしょ! 強すぎー!」
「やりましたわシャロさん! やはりシャロさんしか勝ちませんわ! シャロさんこそ最高のウマ娘ですわー!」
メジロマックイーンのような声が聞こえるが気のせい。きっと気のせい。俺の気のせい。
ともかくとして、声援に応えるシャロ。
手を振って、言葉にせずともお礼をファンに伝えている。
その視線が、トレーナーのところで止まる。
無言のやり取り。お互いに笑みを浮かべて、頷く。
なんの確認をしていたのかは知らない。けれども、1つ分かることがある。
(仲が深まった、ということだな? そういうことだな!)
こんなに喜ばしいことはない。
シャロとトレーナーの仲が深まるのは大歓迎だ。この調子で、どんどん仲良しになって欲しい。
その内、シャロが俺を頼らなくてもよくなるように。
ウィナーズサークルでのインタビューを終え、控室でのシャロは笑顔だった。
「それではトレーナーさん。約束通り、はんばぁがぁのお店に連れて行ってもらいますね?」
「あ、本当に行くんだ。別に構わないよ。それじゃあ、明日にでも」
「あれ? はんばぁがぁのお店は、24時間やっているとお聞きしたのですが……」
「最近はそんなことなくなってきたんだよね。少なくとも、今日中は無理かな」
トレーナーとご飯を食べに行く約束も取りつけ。
朝日杯は大満足の内に終わった。
シャロも満足、トレーナーも満足、俺も満足。
良かった良かった。
シャロからの信頼度がUP