すっかり暗くなった冬の山。
いつものような旅、ではなく。今回はしっかりとした目的をもって旅をしていた。
目的はご来光。時期は年末。年明けの朝日を見るために、山を登っていた。
「明日のご来光には間に合いそうだな、シャーロック。いや~、良かった良かった」
「それは構わないのですが……ステゴさん。僕達以外の人影が見えないのですが。これは一体、どういうことですか?」
焚火を挟んで目の前。葦毛のウマ娘がジトリと見てくる。
文句の1つに2つ言いたい。そんな顔をしているな。唐突に誘ったから当然か。
今回の旅は一人じゃない。同行者として、シャーロックを連れてきた。
たまにはメジロ家のことを忘れてこい、というメジロのおばあ様からのお達し。
無視することなんてできず、こうして私に捕まり。
一緒にご来光を見るために、楽しいハイキングとしゃれこんでいた。
まぁ、道らしい道はほとんどないんだけどな。
「今から行くのは、私が見つけた秘境中の秘境。普通の人は存在すら知らない。だから、人の姿が見えないのも当たり前だ」
「はぁ。それは理解できましたが、本当にこの道で合っているのでしょうか? こっちだった気がする、とかこっちだったかな? と、不安を煽るような言葉が聞こえてきたのですが」
「合ってる合ってる。大丈夫だシャーロック。私を信用してないのか?」
「少なくとも、信用に値する言葉を発していないので」
疑われるのも当たり前か。疑われて当然だから、なんも言えないが。
「コイツは手厳しいな。ただ安心してくれよ。ちゃんとこの道で合っているさ。下見もしてあるんだから」
「でしたら、不安を煽るような言葉を発しないでください。遭難したかと思いますので」
「仮に遭難しても、ロックがいるから大丈夫さ。アイツなら道を見つけられる」
「それは、確かに。そうかもしれませんね」
焚火の音をBGMに、シャーロックと、シャロと話す。
2人きり、ではない。3人だ。3人目は見えないが、確かにここにいる。
シャーロックのもう一つの人格。私の同類……ロックが。
おそらくロックは、シャロの隣にいるんだろう。時折いると思われる場所に目を向けているから。
「正直、僕は不安で仕方ないのですが。えっと、ステゴさんはこういう時嘘は言わないから安心しろ? まぁ、ロックが言うなら信じますけど」
なんなら、こっちのことそっちのけで会話をしている。
事情を知らない人が見たら、気が触れたと言われそうな光景。事情を知っているから、なんとも思わないが。
(相変わらずの信頼だ。シャロはロックのことを信頼し切っている)
「おいおい、目の前に私がいるのに、ロックとばかり話すと嫉妬するぞ?」
「あ、ごめんなさいステゴさん。ですが、ステゴさんと面識はあまりなかった気が?」
「そりゃそうだ。よく会っているのはロックの方だからな。シャロは意識がないんだろう? なら、ほぼ初対面みたいなものだ」
「その、では、何故嫉妬すると? 面識ないのですよね?」
訳が分からないと表情が物語っている。純粋で、からかい甲斐のあるお嬢さんだ。
ロックとは違う。アイツはからかったらからかい返してくるタイプだ。疑り深いし、鵜呑みにはしない。
同じ姿でも、ここまでの違いがある。面白い奴だな、やっぱり。
「気にしないでくれ。それよりも、もうそろそろ寝るとしよう。明日は日が昇る前に起きなきゃいけない。今の内に、英気を養っておくんだ」
「なんだかはぐらかされたような。ですが、ステゴさんの言う通りですね。ご来光を見るためにも、寝て体力を回復しましょう」
「テントと寝袋も用意してあるぞ。寝袋は1つだけな」
「もう一つ買えばよかったではありませんか」
呆れた目を向けてくるシャーロック。ごもっともな指摘をしながらも、向こうはすでに食べ終わった食器を片付けていた。
2人してテントに入り、身を寄せ合って寝る。
「今日も冷えるな~。というわけで寝るぞ」
「体温を維持するためには、近くで寝た方が効率的ですね。テントの中だと、こうする他ない気がしますけど」
「おまけに寝袋1つだしな」
私は小柄だからな。シャーロックは大柄だが、問題なく入ることができる。
狙っていたわけじゃないが、今の状況を知ったとあるメンバーが怒り狂いそうだ。今日のことは墓場まで持っていくとしよう。
「アラームもセットしてあるから、安心して眠ってくれ。それじゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさいステゴさん」
目の前にあるシャーロックの寝顔にお別れをして、夢の世界へと誘われる。
意識が落ちるのは、すぐだった。
◇
暗い世界に私はいる。
いつもの身動きできない感覚に、いつもの私ではない高い視点。
変わらない夢の世界に来た。そう実感する。
(あいつの記憶、か。はてさて、今日はどんな記憶かな?)
あいつとは別世界の私。こことは異なる世界のステイゴールド。その記憶の断片。
走った記憶だけに留まらない。レースだけの景色に収まらない。
一生涯の記憶。ステイゴールドの人生そのもの。
私が夢の世界で見るのは、決まってステイゴールドの記憶だった。
色濃く出るのは走っている時。でも、それ以外でも見ることがある。
今回はそのパターンだっただけ。特筆することでもない。
とはいえ、大体の記憶は見てきた。
知っている景色を見るのも珍しくない。同じような場面で、同じような気持ちを抱えるのもある。
どうせなら知らない景色を見たい。まだ見たことがない、未知の世界を見せて欲しい。
そう思いながら、今日の夢は何だろうかとワクワクしている。
見えてきたのは──目の前で息絶えそうになっている、誰かの姿だった。
(……は?)
こんな景色は見たことがない。
待っていた未知の景色だ。自分の知らない場面だ。
そのはずなのに、全くと言っていいほど嬉しくない。
その理由はシンプルで、目の前の誰かは死にかけているからだ。
今にも呼吸が止まりそうで、なのに夢の誰かを愛おしい眼差しで見つめている。
見えないはずなのに、苦しくて仕方がない。私の胸が、痛くて仕方ない。
「つよ、く、いき、て、ねっ」
その言葉を最後に、目の前の誰かはこと切れた。
ピクリとも動かなくなって、生命活動が停止したことを悟る。
(おいおい、なんだこりゃ……こんなの、見たことがっ!?)
瞬間、濁流のように押し寄せてきた。
私ではない。別世界のわたしでもない。誰のものかも定かではない、見知らぬ記憶。
その記憶はとても悲しく……絶望に満ちたものだった。
「最後に、貴方のような子に会えて。私は……とっても、幸せだったわ……っ」
愛してくれた老婆との別れ。
「先日の夕方、退勤した後──車に轢かれて。意識不明の重体だそうです」
お世話をしてくれた人が生死の境をさ迷った。
「最近メジロラモーヌが亡くなったんだって。シャーロックの母親代わりだった」
母親代わりだった存在との死別。
「きたきたー! 頑張れよシャーロックー! マックイーンが空から見守ってるぞー!」
一度も会うことなくこの世を去った父。
「俺がもう、レースで走ることはない。そういう病気なのだから、仕方がない」
病気で離脱した生涯最高のライバル。
そして、最も多かったのは。
「メジロシャーロックのレースは芸術的だ! 次はどんなレースを魅せてくれるのかな?」
「あれほど強いのは見たことがない! シャーロックに敗北はあり得ないよ!」
「まさしく完璧で隙が無いんだ。芸術的なレース支配で、我々を虜にする。シャーロックこそが、全ての頂点に立つ存在だ」
際限なく膨れ上がる、悪意なき人々の期待。
掛かるプレッシャーは尋常じゃない。走るだけなのに、足取りが普段の倍以上に重い。
「きっと素晴らしいレースをしてくれる」
「未知の世界を体験させてくれるはずだ」
「だって完璧なのだから」
のしかかる期待に圧し潰されそうになる。
「きっと走ってくれる。なにせシャーロックの子なのだから」
「間違いなく走るさ。世界最強のシャーロックの子だぜ?」
「走らないなんてことはない。絶対に」
走らなくても、期待がどんどん膨れ上がっていく。
(止めろ……止めてくれっ)
知らない記憶に圧し潰される。
いや、知っている。見当がついた。とめどなく流れる情報のおかげで、誰の記憶か分かってしまった。
(なんなんだこの記憶は? あいつは、こんなことを体験していたのか!?)
期待に、重圧に潰される。
全身が痛い。心も体も悲鳴を上げている。
(こんな状態で、一体っ)
だけど、夢のあいつは泣きごとひとつ言わず。
自分の心を押し殺して。誰かのために生き続けて。
誰の記憶なのか、分かってしまう。分かってしまったからこそ、叫んでいた。
この記憶の持ち主は、間違いない。
(お前はどうして、走れるんだっ!)
重圧に圧し潰されそうになりながらも生きて、走って──
(なぁ、教えてくれよ……)
「メジロシャーロックッッ!!」
その果てに、自らの命を散らした──シャーロックの記憶だった。
◇
気づけば飛び起きていた。
「っ、はっ!?」
「あ、起きましたか。大丈夫ですか? ステゴさん。随分とうなされていましたけれど」
荒い呼吸、整わない息。
心配そうに見ているシャーロックの姿を見て、少しだけ安心感を覚える。本当に、少しだけだが。
「……なんでもない。新年早々、とんでもない夢を見てしまっただけだ」
「そうなのですか? それはまた……ステゴさんは、厄年になってしまわれるのでしょうか?」
「所詮は夢のことだ。今後の人生に左右するわけじゃない。明日か、もしくはまた寝たら忘れるさ」
「だといいですね。では、テントを片付けていきましょうか。丁度アラームも鳴ったことですし」
時計のアラームを止めるシャーロックを横目に、寝袋から出る。
噴き出す汗が止まらない。Tシャツはべったりと張りついていて、今すぐにでも着替えたかった。
どうせシャーロックしかいないし、着替えてしまおう。
鞄の中から新しいのを取り出して、すぐに着替える。
「あの、ロック? どうされましたか? 不意打ちで着替えないで欲しい? あの、ステゴさんはウマ娘ですが……だから問題? 相変わらず、ロックの言うことは分かりませんね」
後ろでシャーロックがなにか言っているが、聞こえないふりをした。
いや、違う。それどころじゃなかった。
(アレは、シャーロックの記憶だ。断言してもいい)
頭の中に出てくるのは、さっきの夢。
波乱万丈、なんてレベルじゃない。親しい存在がどんどんと消えていき、最後には自分さえも消えてしまった悲しい記憶。思い出すだけで悲しくなるような、そんなものだ。
そしてその夢が、シャーロックのものだと確信している。気が気じゃなかった。
(実際に、シャーロックが、ロックが体験したことなのか? だとすれば、アイツはっ)
いったいどれほどの苦難を乗り越えて、ここにいるのか。
一体何故、何もしようとしないのか。今も自分の気持ちに蓋をしたままなのか。
疑問は尽きない、けど。
「……待たせたな、シャーロック。それじゃ、行こうか」
「はい、ステゴさん。ご来光のためにあともうひと頑張りです!」
目の前でむんと気合いを入れるシャーロック。
不安にさせないためにも、この場では取り繕う。せっかくの旅を、台無しにするわけにはいかない。
今この場で、言及するべきじゃないことだ。帰った後にでもすればいい。
片付けて、しばらく歩けば目的地。
少し待てば、日が昇ってきた。初日の出、ご来光の瞬間に居合わせる。
「わぁ……! とっても綺麗ですね! さすがは、ステゴさんが厳選した秘境です!」
「そうだろう? この景色を、あんたたちに見せたかったんだ」
感動しているシャーロック。白い息を吐いて、太陽に手を合わせている。
無邪気で子供っぽい、純粋で無垢なシャロ。いつもの使命感に駆られている姿からはかけ離れた、おそらく素の姿。
(こっちが本当のシャロなんだろうな。普段は気を張り詰めているだけで)
メジロの使命なんて関係ない。子供のように振舞うこの姿こそが、本当のシャロなんだ。
だとすれば、ロックの方はどうなのだろうか。
シャロのためにと言い、自分のやりたいことは語らずに。
他の人には距離を取って、極力仲良くならないようにしている姿。一歩ひいた位置から私達を観察しては、悲しげな顔をする。
(ロックはいつも変わらない。気を張り詰めていて、時折悲しそうな表情を見せて……)
「あんたは、決して本心を語らないよな。あんたの本心は一体、どこにあるんだろうか? そして、何を感じているんだろうか?」
「どうしましたか? ステゴさん。急に変なことを言い始めて」
「……いいや、こっちの話だ。詳しい事情は、そこにいるロックにでも聞くんだな」
好奇心が抑えきれない顔でロックを問い詰めるシャロの会話を聞きつつ。
目の前に広がるご来光の景色を目に焼きつけていた。
(あんな記憶を見た後だ。余計に思っちまったよ──楽しくレースを走るあんたを見たい、ってな)
「こっちでは、向こうとは違う道を歩める。私やスズカがそうだったように、な。だからあんたも、違う道を歩めるはずだ」
今もシャロの追及を躱しているであろう姿の見えない同類に、思いを馳せながら。
意図せずやべーのを見ちまったステゴさん。