ステゴの宣言が、頭の中に残っている。
「だから私が、あんたが抱える空しさを取り除いてやる。空しさなんて感じないくらい、レースを楽しめるようにな」
「これから先、アンタを楽しませる。タイムリミットまでの間に、あんたが心の底から笑えるようにしてやる」
「残された時間が少ないなら、その残された時間を目一杯楽しまなきゃ損だろ? だから私は、あんたを絶対に楽しませる。絶対にな」
俺を楽しませると。残された時間が少ないなら、目一杯楽しむべきだと言われた。
どうして俺のためにそこまでするのか。その理由すらも、ステゴは教えてくれた。
「あんたの笑ってる顔、好きだからな」
俺の笑っている顔が、笑顔が好きだから。それだけの理由で、アイツは誓ったんだ。
その宣言は、すぐに実行される。
「見てくださいロック。新年早々、凄いニュースが出ていますよ」
〈【時代を駆け抜けた渡り星がトゥインクル・シリーズに電撃復帰!ステイゴールドの初戦は?】、ねぇ。大々的に取り上げるわな、そりゃ〉
「はい。報道陣は間違いなく、黙っていませんから。ステゴさんのトゥインクル・シリーズ復帰なんて」
ステゴはレース界に戻ってきた。ドリームトロフィーに移籍せず、ずっと保留にしたままだったが、まさかの現役復帰を宣言した。
世間は寝耳に水。ステイゴールドほどのウマ娘が帰って来るなんて、夢にも思わなかっただろう。予兆すらなかったのだから。
「ドバイシーマクラシックで当時の世界最強を撃破。香港ヴァーズを、まるで翼が生えたかのような末脚で勝利したウマ娘。とてもファンに愛された、黄金の渡り星」
〈いつ見てもすげぇよな、ステゴは。ここ一番での勝負強さが半端じゃない。ハマった時の強さはガチだ〉
「はい。僕も映像で見たことがありますから。特に香港ヴァーズの末脚は、驚異の一言です」
おかげさまで、ネット上はお祭り騒ぎ。ステイゴールドが復帰するからと、宴の有様だ。
ネットだけじゃない。学園内でも、ステゴと縁のあるウマ娘達が歓喜に震えている。
「おいおいマメちん! オメー知ってたか? ステゴが現役復帰するってよ!」
「いえ、さすがの本官も分からず……ですが、またあのお方のレースが観れるとなると!」
「ふふふ。とても心が躍るね、オル。アネゴのレースがまた観れるだなんて」
「……フン」
「ハ! とんでもねぇことしてくれるぜ、ステゴのやつっ。ヒリつくじゃねぇの!」
黄金一族。ゴールドシップ達が今も廊下で大騒ぎしている。
いや、どうもそれだけじゃなさそうだ。
「なぁなぁ、いつから決めてたんだよステゴ! トゥインクル・シリーズに復帰するなんてよ!」
「アネゴの心境にどういう変化があったのか、私も気になりますね。お聞きしても?」
「なぁに。ちょいと戦いたい相手がいて、ね。そいつのためでもっ? おっと、噂をすれば」
当の本人が、廊下に立っていた。俺達がいる方をじっと見つめている。
丁度そのタイミングだ。シャロが廊下の方へと視線を向けたのは。
廊下の話に耳を傾けようとしたそのタイミングが、偶然ステゴがこっちを見るタイミングと重なる。
交錯する視線。ステゴが視線を逸らさないので、シャロも自分に用事があることに気づく。
「おはようございます、ステゴさん。それと、ニュースを確認しました。トゥインクル・シリーズに復帰すると」
「情報出回るの早かったな~。それだけ私の動向は注目されていたのか」
「ステゴさん程のウマ娘であれば、仕方ないと思われます。貴方はとても有名な方ですから」
適当な挨拶も程々に、ステゴはシャロへと指を突きつける……正確には、シャロの側にいる俺に、突きつけようとしている。
もっとも、見えてないから定まっていない。
「こっちか? それともこっちかな? う~ん、分からないな。見えるわけじゃないし」
「……もしかして、ロックのことですか?」
「お、その通りだ。ちなみに今どの辺にいるんだ?」
悩むステゴを見て、察したシャロは俺のいるところへと視線を向ける。
そこに俺がいると分かったんだろう。ステゴは、にやりと笑っていた。
「ひとまず、宣言通りだ。まずは私が勝負の土俵に立つことにしたよ。これなら、あんたとも戦える」
「え、え? その、お話が見えてこないのですが」
「別に逃げても構わないぞ? それでも私はレースに出るつもりだけどな。あんたとの勝負が楽しみだから」
戸惑うシャロを無視して、ステゴは俺へと語りかけている。傍から見たら意味不明な光景だ。
事実、ゴールドシップ達も戸惑っている。視線が微妙にズレているせいで、シャロに喋っているようには見えないのだから。
「アネゴが戦いたかった方は、シャーロックさん? いえ、それにしては視線と言動が」
「なんだ? ついにステゴのヤツ、見えないなにかが見えちまうようになったのか!? もしかしてシャーロックの近くにUMAがいるかもしれねーのか!?」
「ははは、あながち間違いじゃないな、ゴルシ」
勝手に人をUMA扱いするな。笑いながら言ってるんじゃないステゴ。
「とにかく、だ。私はあんたとの勝負のために、トゥインクル・シリーズに復帰した……逃げるなよ?」
最後に、にやりと笑って。ステゴは一団を連れて去っていった。
廊下が嘘のように静まり返る、が。視線はシャロに集中していた。
ヒソヒソ話、ではあるが、ウマ娘の耳は良いので声は拾える。想像通り、先ほどのやり取りだ。
「もしかして、ステイゴールドさんが復帰したのって」
「間違いないよ! だって、シャーロックさんがクラシック級に上がるのよ? タイミングが良すぎるって!」
「ってことは、ステイゴールドさんはシャーロックさんと戦うために? きゃ~!」
なにがキャーなのかは分からないが、盛り上がる子達の頭には一つの可能性が浮かんでいることだろう。
ステイゴールドはメジロシャーロックと戦うために、現役に復帰したと。そう考えるはずだ。
視線が少しズレていたとはいえ、傍目にはシャロの方を向いていたとしか思えない。
俺の存在なんて一部を除き見えていないのだから、当然シャロに話しかけていると誰もが思う。
後はステゴの言動。これで、答えは明白になる。
(別に厄介、ってわけじゃねぇが。ハァ)
「ロック、ステゴさんに何か粗相をしたのですか?」
〈俺が粗相をした前提で話を進めんな。まぁ、十中八九ステゴは俺と戦うために、戻ってきたんだろうよ〉
ステイゴールドはメジロシャーロックと戦うために戻ってきた、と。
(わざわざ往来の、人目がつきやすい廊下で宣言した。退路を断った、ってところか)
俺に念押ししたんだろう。自分に逃げる意思はない、ってことを。
つまり……あの時の言葉は。
〈全部本当のこと、ってわけか。はは〉
「なにが、でしょうか? ロック。本当のことって、ステゴさんと何か話を」
〈ん、まぁ。いろいろとあったんだよ。詳しくは長くなるから、後で話すさ〉
「本当ですよね? いつも教えてくれない気がするのですが」
〈今度はちゃんと教えるよ。嘘じゃない〉
どうして俺のためにそこまでするのか。理由は分からない。
いや、きっと深い理由なんてないんだろう。
俺の笑顔が見たいから。たったそれだけの理由で、俺と走ろうとしている。
あの時の言葉が甦る。
「これからも積極的に関わるし、嫌だと言っても踏み込んでやる」
……ここまで言われたら、なぁ。どこかのタイミングで、走ることも考えなきゃいけない。
なにせ、踏み込んでくるとまで言ったんだ。諦めるつもりは微塵もないんだろう。
俺の笑顔を見るために……俺を、レースで楽しませるために。アイツはトゥインクル・シリーズに戻ってきた。
なら、俺も俺で腹を括る必要がある。それが筋ってもんだ。
〈シャロ。もしかしたら、トゥインクル・シリーズのどこかで俺が走ることになるかもしれない。そのことは頭に入れておいてほしい〉
「ロックが、レースにッ!? ど、どういう心変わりでしょうか! 僕が何度言っても、走る気はないと仰っていたロックが!」
〈気が変わった。だが、少なくともクラシック三冠レースを走るつもりはない。それだけだ〉
「はい、分かりました! それでも、ロックが走る気になってくれて嬉しいです!」
期待に応える、いや違う。
俺自身もどこかで楽しみにしている。ステゴと、ステイゴールドと戦えることに。ワクワクしている。
全く未知の相手だ。史実でも対戦したことがない、活動時期が被っていない相手と戦える。
(ステゴの実力は一度しか体感していない。けれども、その一度で強さをはっきりと感じた)
どこかで冷めていた熱が、再燃するような感覚。再びレースで走るかもしれない予感に、俺の心は──滾っていた。
◇
ステゴの現役復帰。とはいっても、劇的に何かが変わるわけじゃない。
〈というわけだ、お友だちさん。俺はレースに出ることになったよ〉
〈ギャハハ! ステゴのヤツ、そんなこと考えてたのか! オモシロ!〉
〈俺は面白くねぇんだよなぁ。表舞台に無理やり引きずり出されたんだから〉
いつものように、旧理科準備室でお友だちさんと駄弁る日常。シャロの授業中は基本的にここだ。
いつもならアグネスタキオンもいるのだが、今日はいない。珍しく授業に出ているようだ。
俺とお友だちさんの2人きり。だから何だって話だけど。
お友だちさんはにやりと笑う。顔は黒塗りされてて見えないけど、なんとなく分かってきた。
〈けど、ロックちゃん滾ってるだろ? 闘志が隠し切れてねーぜ〉
〈ま、それはな。ステゴは俺にとって未知の相手。どんな手で来るのか想像もつかない。そりゃ、楽しみになるってもんさ〉
〈ギャハハ! ロックちゃんってレース狂いだよなー! ま、模擬レースだと全然そんなことねーけど〉
コーヒーを飲んで、会話に花を咲かせる。俺達の姿は見えないから、一般人が見たら卒倒ものの光景だ。
もっとも、そんなこと気にするようなお友だちさんじゃない。割と悪戯好きなのだ、お友だちさん。推定サンデーサイレンス。
今の話はステゴとのやり取り。俺がトゥインクル・シリーズのレースを走ることになったことを、お友だちさんに話していた。
大爆笑のお友だちさん。ただ、とあることから視線の感情に疑問が混じる。
〈なんでだろーな? 併走だとロックちゃんバチバチなのに。模擬レース見る限り、全然そんな感じしねーんだもん〉
理由は、俺が直面している問題そのものだった。
ステゴにも言われたこと。模擬レースと併走で、俺の感情に差異があること。併走では楽しそうなのに、模擬レースではそうじゃないこと。
目下、俺を悩ませている問題だった。
〈それが分かれば苦労しないんだけどな。つーか、俺にもよく分かってないし〉
〈うーん……ハッ!? もしかして、俺がロックちゃんにとって特別な〉
〈ごめんなさい〉
〈ノータイムで謝るな、アヤマルナ! 傷つくぞ!〉
そもそも俺が気づいてない問題なんだ。どうしようもない気がする。
これの突破口さえ見つかればいいんだけどなぁ。
〈お友だちさんは何か分かんないの? これの理由〉
〈分かってたら苦労しなーい。ロックちゃんの気持ちの問題じゃねーの?〉
〈だよなぁ。自分で見つけるしかないかぁ〉
〈相変わらずのクソ真面目、クソマジメ! ロックちゃんのそーいうとこ、好きで嫌いだぜ〉
〈どういうことだよそれ。どっちだ〉
今は考えても分からない。なら、考えるべきではない。
ドツボにハマる前に切り替えよう。いずれ、分かる時が来るだろうさ。
(模擬レースが楽しくなくて、併走では楽しい理由、か。数なのかねぇ?)
……本当に分かる時が来るだろうか?
〈てかロックちゃんは頼らなさすぎ! もっと頼れ、タヨレ! 主にオレとか!〉
〈お友だちさん何してくれんの? 併走とか?〉
〈……コーナリングとか?〉
〈別にいいかな。今でも十分すぎるほどあると思うし。てか、この前コーナリングの差で負けたろ、お友だちさん〉
〈のーかん、ノーカン! 次はオレがかーつ!〉
頼れ、か。こういうこと分かる人、いるのかね。自分で見つけなきゃいけない気がする。