暴走、という名の仮想大逃げの練習をし始めてそれなりの日数が経ち。
俺はどうにか岳さんに見捨てられずに済んでいる。
(自分でやっていることとはいえ、トラウマほじくり回すことしてるからな。捨てられても文句は言えねぇ)
『つーわけでさ、なんとか上の人間に捨てられずにいるわけよ』
『そりゃ大変だね。ぼくの鞍上は海外? ってとこにいるせいで、この前のレース違う人だったし』
意地悪でやっていることではないが、やはり気が気でない。
会話ができない以上、俺の気性が悪化したと思われる行為だ。てか思われてる。
場合によっては、岳さんから騎乗拒否を突きつけられてもおかしくない。
当然だ。トラウマを掘り起こすような走りをし出す馬に乗ろうと思わんだろうし。
(本当に良かったわ。見捨てられる気配がなくて)
朝の調教が終わって放牧の時間。ホッと一息つくほど安心している。
で、今話している馬のことなのだが。
『らしいな、カメハメハ。つっても、そろそろこっちに戻ってくるんだろ?』
『うん、戻ってくるよ。楽しみだな~』
『そりゃよかったな。やっぱ慣れ親しんだ人が一番だもんな』
『ぼくの人間はよく入れ替わってるけどね』
あのキングカメハメハである。
04世代のダービー馬。最強の大王と後に呼ばれることになる馬だ。
俺もまさか知り合いになるとは思わなかったよ。
出会い自体は調教の時。
俺が誰とでも合わせられることを聞きつけたカメハメハの調教師が、調子を上向かせるためにお呼ばれされた。
上の世代やタイドと調教することが多い俺だが、カメハメハみたいな同世代との調教も普通にやる。
特に、カメハメハは皐月賞に向かわない。かつ世代でもトップクラスの実力者。
やらない理由の方がないわけだ。康夫さんも二つ返事で了承している。
なので、やる機会は割と多い方。タイドに次いでよくやってるかな?
『でも、そろそろ固定化されそうなんだろ?』
『どうだろうね~。ぼくにはよく分かんないし、誰が乗ってもいいかなって』
『そうかい。ま、次のレースも頑張れよ。デカいレースなんだろ?』
それなりに仲は良い。
向こうも俺には気を許しているのか、放牧でも寄ってきたりするし。
……ただ、カメハメハは将来強敵になる競走馬だ。
(従来のレコードタイムを2秒以上縮めた日本ダービー。俺が大逃げをしなきゃいけないって考えた、原因の一頭だ)
鞍上をして誰が騎乗しても勝てる、とまで言わしめた馬。
強さに関しては言うまでもない。NHKマイルカップと日本ダービーを同時制覇した、数少ない馬だ。
800mも距離が違うのに、それを苦にせず勝利したんだ。能力が突出していなければできないことだろう。
もっとも、普段はそんなにバチバチやるような性格じゃない。
『シャロくんと走ると調子良くなるんだ。これからもよろしくね~』
『嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。皐月賞まで、じゃなくて4月の半分ぐらいまではやるだろうし、よろしくな』
『え~、それ以降はやってくれないの?』
こんな風にぶー垂れることもある、中々可愛いやつだ。
『その辺は人間が決めることだからな。俺にはどうしようもない』
『ふ~ん。なら、こういう時間が貴重だね』
『そういうことそういうこと』
ほのぼのとした雰囲気で接することができる……が、俺の胸中は穏やかじゃない。
調教で一緒になるから分かる。カメハメハは強いと。
俺も本気であたらなきゃ調教にならない。同世代とやる時じゃなく、上の世代を相手にするのと同じように。
カメハメハの強さを、俺は知っている。
(この先俺は、コイツに、カメハメハに勝たなきゃいけねぇ)
目標のためには倒さなきゃいけない強敵。それがキングカメハメハだ。
ま、放牧の今は関係ないけどな。
『とりま走ろうぜ。今日はちょっと走りたい気分だ』
『いいねいいね。向こうにハーツもいるし、誘おうよ』
『誘って大丈夫か? アイツ、気が立ってたりしねぇだろうな?』
『大丈夫でしょ、多分』
レースでは敵だが、それ以外では友達。
それがカメハメハとの関係だ。
ついでに今誘おうとしているハーツも。
『というわけでシャロくん。誘ってきて』
『なんで俺なんだよ。お前から言い出したくせに』
『シャロくんから誘った方が確実だし。シャロくんが言い出したら勝負と思うかもしれないし』
『んだそれ……まぁいいけどよ。おーい、ハーツ』
いやはや、あのハーツクライとも出会うとは思わんかったわ。
栗東トレセンだからいつかはと思っていたが、案外早く会えた。
そのハーツはというと、刺々しい雰囲気。何話しかけてんだ? とか言いそう。
『なんだ? シャーロック。あいにくだが、俺はお前に用はない』
『そりゃ俺の方から声かけたんだから、俺が用があるんだよ。今から走らねぇか? カメハメハと一緒に』
『……いいだろう。今日こそ本気のお前に勝ってやる』
『放牧なのに本気で走るわけねぇだろお前。とりあえず走るのな?』
えらい喧嘩腰だな、いつものことだけど。
ハーツに関してはいつもこうだ。特に、俺にはかなり刺々しい。なんでかは知らん。
(対抗心でも燃やしてんのかね? 知らんけど)
『カメハメハ。ハーツ呼んできたぞ。んじゃ、走るか』
『おっけーい。走ろうか』
『あまり無理はするなよ、カメハメハ。シャーロック、お前は本気でやれ』
『カメハメハは軽くなのに、俺は本気とかどうすりゃいいんだよ』
カメハメハだけ置いていかれるだろうが、それ。絶対に着いてくるだろうけど。
というわけで3頭で併走だ。
『シャーロック、お前には負けん!』
『なんで毎回俺に対抗心燃やすんだよお前。つか、軽くって言っただろ』
『調教で手を抜かれたからじゃない? ま、楽しいね~』
ユニさんがいない時に絡みが多い2頭。仲良く……ハーツに関しては分からんが、まぁ仲良しだろ。多分。
最近はタイドと調教する機会が少なくなったからな~。
いや、仕方ない事情があるんだけど。
(俺もタイドも、どっちも皐月賞に出走する。だから一緒に調教するわけにはいかねぇ)
皐月賞でライバルになるんだ。そりゃ一緒に調教するわけにはいかんよな。
ま、仲が悪くなったわけじゃない。放牧でもたまに一緒になるし。
『本気で走れシャーロック! 俺を舐めているのか!?』
『放牧だから本気で走らねぇつってんだろ。勘弁してくれ本当に』
『仲良いね~シャロくんもハーツくんも』
この関係性を維持したいものである。
◇
皐月賞の前哨戦が全て終わり、本番を楽しみに待つファンが多い今日。
有力馬はどうか? 競馬仲間と一緒に盛り上がっていた。
「スプリングステークスはブラックタイドが勝ったみたいだな。サンデーかぁ」
「岳が素質を認めてるらしい。スプリングステークスも悪くなかったし、来るんじゃないか?」
まず名前が挙がったのはブラックタイド。
つい先日開催されたスプリングステークスを勝ち、ここまで5戦3勝2着1回と好成績を残している。
さらにはサンデーサイレンスの産駒。能力の高さに関しては疑いようがない。
本命候補の一頭。スプリングステークスの結果から、ブラックタイドは名を上げていた。
他にはコスモバルクか。
「コスモバルクも悪くないと思うぞ。地方から来てるってのがいいよな」
「地方からのクラシック挑戦っていいよな~。夢があるわ」
弥生賞は2着だったものの、能力は示した。
ここまでの成績も悪くない。重賞のラジオたんぱ杯も制しており、疑いようがない強さを誇る。
他には重賞で好走しているコスモサンビームに、京成杯勝ち馬のフォーカルポイント。
頭角を現してくる馬が増え始めてきた。
最も速い馬が勝つと言われる皐月賞。クラシック三冠競走の第一戦に、熱視線を送る。
だが、心待ちにしている大半の理由は1つ。
皐月賞における大本命。勝つのはこの馬を置いて他にはいないとまで断言する、飛び抜けた強さを誇る一頭の馬。
「つっても、やっぱ大本命はメジロシャーロックだろ! アイツだけ次元が違う!」
「そんなの当たり前だ! 俺はメジロシャーロックを応援するぞ!」
「同条件の弥生賞で、コスモバルク相手に完勝! これはもう決まりだ!」
メジロシャーロックだ。この馬無くして皐月賞は語れない、と豪語するレベルで盛り上がっている。
それも仕方ない。先に上げたコスモバルクを筆頭に、有力馬を軒並み圧倒しているのだ。
重賞5連勝は伊達ではない。2着につけた着差も、他と比べて飛び抜けている。
中にはメジロシャーロックの勝利を確信しているファンもおり、どう勝つのか? に焦点を当てる始末だ。
さらには境遇。周りを取り巻く環境もまた、応援される要因の1つとなっている。
「メジロ復活、頼んだぞメジロシャーロック! お前しかおらん!」
「かつての名門復活の狼煙をあげようぜー!」
「……ゆーてもメジロベイリーが2000年代だったはずじゃ」
「頑張ってくれメジロシャーロック! メジロのおばあちゃんのためにも!」
悲劇的な出生エピソードを始めとした、応援したくなる要素の数々。
自然と熱が入り、応援しなければと団結する。
加えて血統。これもまた外せない。
「ついに出たマックイーンの大物なんだ。本当に取ってくれ!」
「オグリキャップはクラシック競走に出れなかったからな。祖父の果たせなかった無念を頼んだぞ!」
「メジロコナンもそうだ。母と祖父の代わりに、お前が取るんだ!」
非サンデーならばコスモバルクもそうだが、父はアイルランドの競走馬。
メジロシャーロックは非サンデーかつ、父も母も内国産馬だ。
純日本馬。応援したくなるのはやはり、メジロシャーロックの方だろう。
仕上がりに関しても、陣営が太鼓判を押している。
「最近は調教にも熱が入っとるようでな。めちゃくちゃ気合い入ってますわ、シャーロック」
「気合いが入りすぎて、制御するのが大変な時がありますけどね。ですが、皐月賞も頑張ってくれますよ」
生江康夫調教師の言葉に、騎手を務める岳寛の自信。
どちらも信じるに値する情報だ。
調子も落ち込んでおらず、気合十分といった様子。絶好調で乗り込める。
「当日は、僕がシャーロックにどう乗るか? ですね。僕の方が頑張らないといけません」
岳の謙虚な発言も話題を呼ぶ。本人からすれば謙虚でも何でもなく、本気で言ってることだが、世間はそう認識しなかったようだ。
余談だが、ブラックタイドの騎手は別の人物が務める。スプリングステークスでも務めた槙山憲弘騎手だ。
本命に推さない方が難しい。
実力も人気も飛び抜けている。
それがメジロシャーロックだ。
「もう皐月賞が待ちきれねぇよ。桜花賞もまだだってのによ」
「その気持ちはすげぇ分かる。だって俺もそうだもん」
「メジロシャーロックが走る時が楽しみで仕方ねぇよ! 早く走ってくれー!」
果たしてどのような結末を迎えるのか? ファンはワクワクが止まらなかった。
しかし、何が起こるのか分からないのが競馬のレース。
人気薄の馬が勝つこともあり得る。大本命が惨敗することだってあるのだ。
チャンスは平等。どの馬にも勝つ機会は与えられている。
「よーし、今日もしっかり追い込むぞ! 相手はあのメジロシャーロックだからな。頼んだぞマルク!」
「オーケー。任せてヨ、植原」
故に、調教師も本気で追い込む。1つでも上の着順でゴールするために、勝つために。
相手が誰だろうと関係ないのだ。
どれだけ強い馬が相手だろうと、それが退く理由にはならない。
絶対に勝てないわけじゃない。本気で臨んで勝利をもぎ取る。
その一心で、調教に打ち込む。
(スプリングステークス3着。どうにか優先出走権を得られた。このチャンス、逃すわけにはいくまい)
「いい調子だぞメジャー。今日も頑張ったな」
植原もその一人だ。皐月賞に出走することが許された馬、ダイワメジャーを撫でつつ、思いを馳せる。
(相手はとんでもない馬。それに、名手である寛さんだ。間違いなく、どの馬よりもマークされるな)
勝利への道筋を、勝つためのプランを練る。
相手の状況と自分達の状況。そこから導き出される答え……優位なのは自分達だと。
(対して俺らはマークが薄い。スプリングステークス3着の馬なんかより、大本命の方をマークするに決まってる)
自由に走れるはずだと、ある程度の展開を予想する。
ほくそ笑む、なんてことはしない。
有利なだけで勝てるわけじゃないからだ。
(騎手も、マルクに代わった。外国人騎手、こっちも名手だ)
外国人騎手マルク・デムール。オーナー側からの要請で、これまでの騎手を変更して乗り替わることになった。
昨年ネオユニヴァースを二冠に導いた名手。腕に関しては文句なしと言える。
最善を尽くす。打てる手は全て打った。
万全の状態で皐月賞へと臨む。気合いが入っていた。
そして月日は流れ──皐月賞の朝を迎える。
次回は皐月賞本番。