※7/6実況部分を修正。ちょっとあまりにも酷かったため。
第71回 東京優駿
| 枠順 | 番号 | 馬名 | 牡/牝 | 人気 |
1 | 1 | メジロシャーロック | 牡3 | 1 |
1 | 2 | マイネルマクロス | 牡3 | 11 |
2 | 3 | マイネルブルック | 牡3 | 13 |
2 | 4 | ダイワメジャー | 牡3 | 7 |
3 | 5 | ハーツクライ | 牡3 | 5 |
3 | 6 | アドマイヤビッグ | 牡3 | 6 |
4 | 7 | マイネルデュプレ | 牡3 | 17 |
4 | 8 | メイショウムネノリ | 牡3 | 18 |
5 | 9 | コスモバルク | 牡3 | 4 |
5 | 10 | フォーカルポイント | 牡3 | 12 |
6 | 11 | グレイトジャーニー | 牡3 | 15 |
6 | 12 | キングカメハメハ | 牡3 | 2 |
7 | 13 | スズカマンボ | 牡3 | 16 |
7 | 14 | キョウワスプレンダ | 牡3 | 14 |
7 | 15 | コスモサンビーム | 牡3 | 8 |
8 | 16 | ホオキパウェーブ | 牡3 | 10 |
8 | 17 | ハイアーゲーム | 牡3 | 3 |
8 | 18 | ピサノクウカイ | 牡3 | 9 |
◇
馬主席は異様な空気に包まれている。
発走を今かと待ちわび、盛り上がりを見せている東京競馬場のスタンド席とは正反対。
厳かな、静かな空気が支配していた。
理由は明白。車椅子に、力なくぐったりとしている喜多野美弥の存在だ。
喜多野裕二によって連れられ、観戦することが叶った彼女。
メジロシャーロックを見るために、無理を押してでもここにやってきたのだ。
しかし、生気を感じさせない。
生きているのがやっと。病室から無理やり連れだされたと言われても納得する、それほどの有様。
「裕、二っ。レースは、あと」
「もうすぐです。今、馬が入場していますよ」
「あぁ……シャーロック、どこっ、かしら? あの子、灰、色。分かりっ、やすいから」
「シャーロックはっ、丁度今入場してきました。岳さんを背に乗せて、今来ましたよ」
馬の識別すらついていない。辛うじてメジロシャーロックが分かる程度。
今すぐにでも病院に戻った方がいいのではないか?
馬主席で観覧している人の考えは一致している。
だが、誰も口にしない。
否。そんなこと、口が裂けても言えない。
知っているからだ。喜多野美弥がこのダービーに、どれほどの思いをかけているのか。
今まさに教えられているからだ。たとえ死の淵に立たされていようと、可愛い我が子の晴れ舞台だけはなんとしても観ようという気持ちを。
ついに巡ってきたチャンス。病室で過ごすことなど、出来るはずがない。
気持ちは容易に察せられる。同じ立場なら自分達も同じことをするかもしれないから。
だからこそ、馬主席にいる人は団結していた。
「裕二さん、どうぞこちらへ。こちらなら、全体をよりよく見渡せますよ」
「あ、ありがとうございます松下さん。ご迷惑を」
「迷惑だなんてとんでもない。可愛い子の晴れ舞台なのですから、一番見やすい席で観たいと思うのが、人の常です」
朗らかに笑うメイショウのオーナー。一番見える席へと誘導し、他の馬主達も環境を整える。
「室温もどうにかしなければ。できるだけ過ごしやすい空気で観戦したいですからの」
「頑張りましょう、美弥さん。シャーロック、調子良さそうですよ」
昔からメジロのオーナーとして親しまれてきた。
喜多野美弥の人徳が成せること。敵同士ではあるが、一人のために協力的になっている。
喜多野裕二は、思わず涙を流す。
(ありがたい限りだっ)
人の温かさに触れ、美弥が愛されていることを知り。
感激の涙を流さずにはいられなかった。
そんな馬主席の一幕から離れた、東京競馬場のターフ。
ファンファーレが響き渡り、枠入りが順調に進んでいく。
一頭、また一頭とゲートに入り。中で態勢を整えている。
《今年もこの日がやってきました。第71回東京優駿、日本ダービー。左回りの芝2400m、天候はこれ以上ないほどの快晴。絶好の良馬場日和です》
《観客は今現在で18万人を記録しているそうですからね。これほどの人数が集まったのは久しぶりではないでしょうか?》
《その18万人の観客が期待する、ダービー馬の誕生! 一生に一度しか出走が許されない栄光。たった一頭にのみ許される栄誉を求めて、選ばれた18頭がこの場に集いました。1番人気は当然この馬、1枠1番のメジロシャーロックだ!》
《出てきた時の歓声は凄かったですね~。東京競馬場が揺れたと錯覚しましたよ》
《今年の皐月賞馬、無敗の二冠をかけて臨みます! 準備は万全、体調は問題なしと陣営も太鼓判。病床に伏している喜多野美弥オーナーが見守る中、メジロ期待の星がゲートの中で静かに待っています》
そして今、最後の馬がゲートに入った。
18万人を超える観客が一斉に口をつぐむ。この時ばかりは声をあげるわけにはいかないと、一致団結する。
頭にあるのは、どういうレース展開になるのか? どの馬がハナを取って、ペースを握るのか?
日ごろから競馬場に来ているファンは予想する。馬券を当てるために。
それ以外、あまり競馬場に来ないファン層は、応援している馬のことを考える。
特にメジロシャーロックのことを考えているファンが多い。
応援したくなる境遇、集ったファンのほとんどはメジロシャーロックのファン。
どんな厚い勝負を繰り広げてくれるのか?
期待に胸を膨らませる中──ゲートが開いた。馬が一斉に飛び出す。
第71回の日本ダービーは。
《さぁ始まりました日本ダービー! 誰がペースを握るのか? 逃げ宣言のマイネルマクロスが内枠有利を活かして先頭にっ!? ち、違う! 最内から猛烈な勢いで上がるメジロシャーロック、メジロシャーロックがハナを取る!》
《おっと、これは珍しいですね。ですが、メジロシャーロックは逃げ馬ですから、こんな展開もっ!?》
驚愕で始まる。
1枠1番。
東京競馬場。
最内枠からぶっ飛ばす馬。
鞍上は……岳寛。
この情報だけで、競馬場の常連客は感づく。
「おい、マジかよ。この舞台で、日本ダービーであれやる気かよ岳ぇ!?」
「やめろやめろ! シャーロックの持ち味潰すな! 落ち着け岳ー!」
声を荒げる。あの日見た光景が、今でも鮮明に思い出せてしまう。
かつて東京競馬場で起こった悲劇。防ぎようがなかった事故。
ダントツの1番人気が故障で天に昇っていった──沈黙の日曜日。
《最内からメジロシャーロック、メジロシャーロックが飛び出してきた! 競りかけるマイネルマクロス、外からメイショウムネノリが先頭を奪おうとしているぞ。しかしメジロシャーロックだ、メジロシャーロックだ! 綺麗なスタートからメジロシャーロックがハナを奪う!》
《ハナを、奪うだけじゃありません。これはっ、このペースはっ!》
《後先のことを考えない、とにかく飛ばして逃げまくる! 後続などお構いなしにペースをガンガン上げるメジロシャーロック! これにはたまらずマイネルマクロスもメイショウムネノリも控える構えだ。メジロシャーロックだけが抜け出したぁぁぁ!》
メジロシャーロックの大逃げが、東京競馬場で炸裂しようとしていた。
当のシャーロックはというと、闘志を滾らせている。
普段以上に、周りが歪んで見えるほどの熱を放ち、先頭をキープしている。
『やってやるよっ! 絶対に、やり遂げなくちゃいけねぇんだよ!』
覚悟を決めた目で、自分の前だけを見据えていた。
◇
どうも神様は、僕に試練を与えるのが好きらしい。
枠番が発表された時、そう思った僕は悪くないはずだ。
1枠1番。さらには飛び抜けた1番人気。場所もおあつらえ向きの東京競馬場。
あの日とほとんど同じ状況、嫌でも意識せざるを得ない。
(スズカ……っ!)
サイレンススズカ。僕が壊してしまった、彼のことを。思い出さずにはいられない。
「くっ……! 違うだろ。僕が今騎乗しているのは、スズカじゃないっ!」
そう口にして自分を鼓舞する。
あの時とは違うと、今度こそ大丈夫だと自分を信じさせる。
それでも、頭に浮かんでくるんだ。
あの時の情景が。鮮明に思い出せてしまうんだ。
手汗が酷い。まだレースは序盤も序盤なのに、もうレース終わりのような汗をかく。
額から流れ出る。全身の穴という穴から噴き出る、嫌な汗。
《第1コーナーを回って先頭はメジロシャーロックだ、メジロシャーロックが先頭だ。すでに2番手との差は4馬身から5馬身は開こうかとしている。これは、2番手以下は逆に冷静になったと見ていいのでしょうか?》
《いえ、2番手以下もかなりのペースで走っています。メジロシャーロックを逃げさせたらまずいと言うのは、共通認識としてあるはずですからね。問題は、それを無視できるほどメジロシャーロックは》
《2番手以下よりも早いペースで駆け抜けている、ということですね。これは大丈夫か? 最後までペースを保つことは出来るかメジロシャーロック初めての大逃げだ!》
今頃、会場では悲鳴が上がっているかもしれない。
康夫さんも裕二さんも、もしかしたら美弥さんも心配しているんだろうな。
それだけのことを、僕達はしでかしているんだ。
……けど、これこそが最善手だ。
これを最善手だと、僕は信じた。シャーロックの野生の勘を、僕は信じている。
だから、こそっ!
(僕が折れるわけにはいかない。とにかく信じるんだ、シャーロックを。僕の相棒を、大切なパートナーを!)
「今は11秒台後半。向こう正面までは休憩できないよ。頑張って、シャーロック!」
リードするんだ。
今も頑張って、僕の期待に応えようとしてくれる彼に。メジロシャーロックのために!
……けど、トラウマは確実に僕を蝕んでくる。
あの日の情景を見せるだけでは終わらない。
僕が最近見ていた夢を、シャーロックが壊れてしまう夢さえも見せてくる。
(っ、幻覚だ。こんなのまやかしだ!)
頭では理解できているんだ。
まだ第2コーナーを走っているところ、大欅にすらたどり着いていない。
そうだ。こんなのは、僕のトラウマが作り出した幻覚だ。
《第2コーナーからまもなく向こう正面。差を大きく広げて逃げるメジロシャーロック、凄まじいハイペースで駆け抜けます! 2番手はマイネルマクロスそしてメイショウムネノリ、2頭が競り合います》
《差はかなり開いていますね。6馬身から7馬身ほどでしょうか?》
《これ以上は近づけないという判断か? いや、それでも果敢に行きます2頭。メジロシャーロックに挑みに行く! キングカメハメハは中団、これは良い位置につけている!》
《これだけのペースだと、有利なのは後方ですね。馬群も縦長ですので、仕掛け次第では容易に追い抜けますよ》
分かっている、のにっ!
(やめてくれ……やめろ!)
思わず手綱を強く絞ってしまう。
これ以上行くなと、シャーロックに指示してしまう。
幸いにも、シャーロックは関係ないとばかりに走っていた。
きっと、調教での成果か。
(何度もやってしまったことだ。シャーロックも、慣れ切っている)
はは。なんて……情けないヤツなんだ、僕は。
結局、トラウマを払拭できていない。
過去の出来事に縛られて、ただ乗っているだけの騎手に成り下がっている。
《4番手にはコスモバルク、2馬身離れた5番手にダイワメジャーだ。先頭メジロシャーロックが向こう正面に入ります。リードは8馬身は取っているか? メジロシャーロックの大逃げ、岳寛の大逃げが炸裂しています》
《いや、凄まじいですね。暴走でなければいいですが》
《果たしてどのような狙いがあるのか? メジロシャーロック騎乗岳寛。東京競馬場で大逃げを披露している。逃げて逃げて逃げまくる、この先のことをしっかり考えているのか岳寛!》
呼吸が荒い。夢の光景が、頭にこびりついて離れない。
シャーロックの脚が折れる。僕は身を投げ出される。
それは大欅だけじゃない。なんならこの第2コーナーでも、向こう正面の途中でも。
果てには最後の直線での勝負で。いろんな場面での最悪を想像してしまう。
いや、想像させられる。
シャーロックが壊れる景色を無限に再生させられている。
一秒が一時間にも感じてしまうような感覚。
何度も何度も、スズカの光景がフラッシュバックして。
同じような末路を辿るシャーロックの幻影を、見せられる。
ダメだ、ダメだ。
(スズカに続いて、シャーロックまで喪ってしまったら……僕は……!)
「いやだ……それだけは絶対に嫌だ……っ! シャーロックまで、喪いたくはないっ!」
手綱を絞る。これ以上はダメだと、セーブをかける。
無意識にじゃない。僕の意思で、手綱を絞った。
何をやっているんだ。そう言いたくなる所業。
これまでの調教を無駄にする行為。殴られても文句は言えない。
でも、それでも。僕が怒られて、主戦を降ろされて助かる命があるのなら。
(安いもの、なのかもしれない)
このペースを維持するだけでも勝てる。
調整は完璧に出来るはずだ。シャーロックは賢いから、自分で出来る。
僕の手なんか借りなくても、大丈夫ッ!?
(手綱が、ものすごい力で引っ張られてっ!)
弱気になっていたところに、手綱をすさまじい力で引っ張られた。
抑えろという意志に逆らうように。弱気になっている僕を、叱るように引っ張られる。
その時だった。
逃げてんじゃねぇぞ
シャーロックがそう言ったわけじゃない。
でも、手綱越しに、彼の感情が伝わっているような気がした。
やりたくないことなのは分かってる。でも、勝つためには必要なんだ。お前の力がなきゃダメだ
勝利への強い意志。飽くなき欲求。
ここは絶対に勝たなきゃいけねぇんだ。勝って、勝って
普段の賢さが見えなくなるほどの闘志。
美弥さんにダービー馬の称号をプレゼントするんだ。俺が、美弥さんを安心させるんだよ!
ハッとした。悪夢やトラウマのことでいっぱいで、忘れていた。
僕は何をしていた? 何をやろうとしていたんだ、僕は?
そもそもだ。どうして大逃げをしようとしたんだ?
ダービーを絶対に勝つためじゃないのか?
本当なら、ダービーまで生きることは難しいと言われていた美弥さん。
だけど、奇跡を起こして。美弥さんはこのダービーを観戦している。
懸命に戦って、歯を食いしばって。シャーロックがダービーを勝つ姿を心待ちにしているんだ。
それを僕は……何をしようとしていた?
(大バカ野郎じゃないか、僕はッ!)
鞭を入れる。いれるのはシャーロックじゃない、僕の脚だ。
僕の脚を鞭で叩く。気合いを、入れるために。
《鞭が入った岳寛、これはまだ行けという合図か!? 自滅覚悟の大逃げを打つつもりかメジロシャーロック岳寛! これは明らかな暴走、明らかな暴走だ! 2番手以下を突き放して逃げるメジロシャーロック、抑える気は一切なし!》
痛い。けど、正気に戻った。
あぁそうだ。何で忘れていたんだ?
今回だけは絶対に負けられないんだ。負けちゃいけないんだ。
負けちゃいけないからこそ、大逃げを選んだんじゃないか。
控える競馬ではキングカメハメハ達に100%は勝てない。
よくて五分の勝負。下手したら負ける可能性がある。
同じ位置での勝負は、五分だ。
だからこそ、ハイペースの消耗戦を選んだ。
これなら勝率を限りなく100%に近づけることができる。
シャーロックの強さと、心肺機能があるからこそできること。
(超ハイペースで他の子のスタミナを枯らせる。この状況で、スタミナを残すことは難しいはずだ)
《向こう正面半分を過ぎました。まだ先頭だ、メジロシャーロックまだ先頭だ。2番手に8馬身の差をつけて逃げるメジロシャーロック!》
《まもなく後半戦。さぁ、レースが動きますよ!》
《キングカメハメハは中団、皐月賞2着のダイワメジャーは先行集団に混ざります。最後方にはハーツクライ、後方集団もばらけている。縦長の馬群、向こう正面でやや落ち着きを見せている》
そうだ。大逃げを選んだのは僕だ。
僕自身、承知の上で挑んだんじゃないか。
なのに僕は、逃げようとしていた。
みんなの思いを無視して、逃げようとしたんだ。
(いいわけっ、ないだろ! そんなことッ!!)
「ありがとうシャーロック。おかげで目が覚めた……行くよ」
手綱を緩める。
抑えつけない。シャーロックと同調して、最適なペースを生み出すことだけを考えるんだ。
今もトラウマは僕を刺激している。
シャーロックが壊れる景色を、スズカが壊れる光景を見せ続けている。
けど、もう問題ない。
それ以上の強い気持ちを、僕は貰った。
(絶対に勝つんだ、ダービーを。メジロにダービー馬を誕生させるんだッ!)
「メジロの悲願のために……君の力を貸してくれシャーロック! 僕と君で、みんなで! ダービーを獲るんだ!」
シャーロックが喋ったわけじゃない。
でも、不思議とこう言っているような気がした。
任せろ相棒
と。
《まもなく大欅が待つ第3コーナー! 魔の第3コーナーが待ち受ける! 大逃げのメジロシャーロック、後続が差を詰めようとしているぞ! メジロシャーロックの大逃げはどうなるのか!?》