親愛なるシャーロックへ   作:カニ漁船

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全てをかけた逃亡劇

 日本ダービーは向こう正面を越え、第3コーナーに入ろうとしている。

 まもなく終盤戦。レーススピードは加速していき、前を走る馬に追いつこうと躍起になっている。

 

 だが、一部のファンは気が気でなかった。

 東京競馬場の第3コーナーにある大欅。今の状況でこの場所は、嫌でも思い出す事件があったから。

 

 稀代の快速馬。【異次元の逃亡者】サイレンススズカ。

 彼が骨折した場所こそが、大欅のある第3コーナーなのだから。

 

 固唾をのんで見守る。どうか無事でいてくれと、口にせずとも心の中で祈り続けた。

 

「大丈夫かよ、あんなに飛ばして逃げて」

「条件が揃いすぎてる……下手すりゃ、シャーロックもっ」

「縁起でもないこと言うんじゃねぇ! 大丈夫だ、シャーロックなら問題ねぇよ!」

 

 声を荒げて、言い聞かせるように大丈夫の言葉を口にする。

 

《第3コーナーに入りました。先頭は依然としてメジロシャーロックその差を6馬身から7馬身程広げて逃げております! 2番手はマイネルマクロスそしてメイショウムネノリ。後ろからコスモバルクが追い上げてくる、コスモバルクが2番手集団に浮上します》

《勝負をかけに来ましたね。馬群も先ほどよりぎゅっと縮まっています。後続勢の末脚に注目したいところ》

《先頭メジロシャーロックは大欅へ! まもなく大欅だ、メジロシャーロックの大逃亡劇。大逃げをするメジロシャーロック、葦毛の馬体が逃げに逃げている!》

 

 そう、きっと大丈夫だ、と。

 

 

 先頭を走るシャーロック。その胸中にあるのは、絶対に勝つという気概。

 

(負けられねぇんだよ! 勝つんだ、俺は!)

 

 普段の逃げとはまるで異なる走り。リスク上等、ハイリスクの勝負だ。

 正確なラップは刻まない。やることはただ1つ、己の背に乗る騎手との連携。

 

(岳さんは持ち直した。後は、俺の気力次第だ。俺がやれるかどうかで、全てが決まる)

 

 足音から大体の位置を把握。差が少しずつ縮まってきていることを確認。

 大事なのはここから。勝負の分かれ目は、ここだ。

 

 第3コーナーの大欅。シャーロックは──息を入れる。

 

《そして今! メジロシャーロックが大欅を超えたぁぁぁ! 大欅を超えて疾走するメジロシャーロック、メジロシャーロックが大欅を超えました! 最初の1000m、通過タイムは57秒5の超ハイペース! これだけのハイペースで、いまだ垂れる気配が見えないメジロシャーロック!》

《ですが、差は詰まってきていますよ。ここからが正念場です!》

《雪崩れ込んでくる後続、キングカメハメハも動いている! 2番人気キングカメハメハがついに動き出しました、中団からじわりじわりと伸びている! コスモバルクは2番手の2頭の外から、ダイワメジャーはまだ動かない!》

 

 最後の勝負に向けて息を整えた。

 岳寛も同じ考えだ。先程よりも手綱を締め、行く気を阻害するように動かす。

 

 理解している。最初の消極的な、妥協させるための行為ではない。

 

(ここで息を入れて、もう一度爆発させるための溜めだろ? 岳さん。分かっているさ!)

 

 全ては最後の戦いのため。

 押し寄せる後続を振り切るための、攻めの休息。

 

 最内の経済コースを走る。

 

「12秒台前半。だけど問題はないだろ? シャーロック。君なら、やれるだろ!」

(当たり前だ岳さん! つか、やれなくてもやる!)

 

 ラチに激突しそうなほど近く、理想的な最短経路を進み続ける。

 

 場内に広がる割れんばかりの大歓声。

 よかった、超えてくれた、無事に走っている。

 そんな声が聞こえないほど、集中力を高める。

 岳との呼吸を合わせるため、指示に一秒のタイムラグすら生み出さないように、細心の注意を払う。

 

《第4コーナーを回るメジロシャーロック、その差は少しずつ縮まってきている! 8馬身はあった差が今は4馬身に、コスモバルクが猛然と襲い掛かる! コスモバルクが先頭を奪おうと差を詰めてきた!》

『逃がさねぇぞかいぶつ! お前を倒して、俺がのし上がるんだよ!』

『負けないぞ!』

『逃がさない!』

 

 コスモバルクらの叫びも聞こえない。

 いや、聞こえた上で無視をする。

 

(上等だ。かかって来いよ)

 

 彼らの叫びを聞いて、奥底から力が湧き上がる。

 沸々と、回復した体力を今すぐにでも使おうかと滾っている。

 

(これは勝負だ。俺と、お前たちの)

 

 逸る気持ちを抑え、我慢し続ける。

 最後の直線を向くまで、爆発させるのはとっておけ。

 今はまだ時ではない。第4コーナーの中ほどはまだ、動く時じゃない。

 

 待て。待て。

 

《第4コーナーからまもなく最後の直線へ。コスモバルクがその差を2馬身に縮めた、メジロシャーロックとの差を2馬身に縮めた! 万事休すか!?》

 

 まだだ、まだ動くんじゃない。

 

《後ろからキングカメハメハが飛んできた、ダイワメジャーも来る! 皐月賞2着のダイワメジャーもここで動く! 最後方からハーツクライがぶっ飛んできた!? ハーツクライがここできた! レースが入り乱れる、先頭はまだメジロシャーロック、まだメジロシャーロックであります!》

 

 コーナーを曲がって、視界が開けた。

 

 ──今だ。

 

『俺が先にくたばるかッ! お前らが着いてこれずにくたばるかッ! 勝負といこうじゃねぇかァァァ!』

 

 鞭が入る。コンマ数秒の狂いなく反応する。

 第3コーナーで整えた呼吸。僅かばかりに回復した体力を、ここで使い切る。

 後先は考えない。今の一瞬に全てを駆ける。

 

《第4コーナーから最後の直線へ! メジロシャーロック先頭、メジロシャーロック先頭! 二冠に向けて視界良し、コスモバルクが猛追するがメジロシャーロックが突き放す!》

《ここからですよ! キングカメハメハが迫ってきています!》

《勢いは後続、どこまで粘れるかメジロシャーロック! 大逃げが炸裂メジロシャーロック、残り400を切ってメジロシャーロック先頭! キングカメハメハがその差を詰めてくるか! 大外を走るコスモバルクを内から躱し、キングカメハメハが2番手に浮上! 先行集団は力尽きたか!? それでも粘る粘る!》

 

 全生命をかけた逃走劇を。

 メジロのダービー制覇のために。

 うるさいくらいに高鳴る心臓が欲する、衝動のままに。

 

 

 メジロシャーロックは最後の直線を、先頭で駆ける。

 

 

 

 

 

 

 痛みに堪えて、どうにか生き延びることができた。

 辛くて苦しくて、何度諦めが頭によぎったことか。

 いっそ楽になりたい、そう思ったことは一度や二度じゃきかない。

 

 けれど、死ぬわけにはいかなかった。

 まだ、まだ生きてやることがあると喝を入れた。

 

(……あぁ)

 

 この日を、日本ダービーを観るために。

 可愛い我が子の、メジロシャーロックの雄姿をこの目で収めるために。

 朦朧とする意識の中で、それだけを頼りに生き続けた。

 

 かつて髪の毛一本届かなかった栄光。

 全てのホースマンにとっての憧れ。史上最高の栄誉とも称されるレース。

 

(ほん、当にっ)

 

 届かなかった。何度も何度も敗れてきた。

 ダービーの称号は、この手から零れ落ちていった。

 もうダメか。自分の歳と牧場の結果から、諦めが頭にあった。

 

 ──けれども。

 

(本当に……っ)

「とても、きれいね……シャーロック」

 

 今まさに、その夢を叶えようと奮起している馬がいる。

 大逃亡を成し遂げようとしている可愛い我が子が、ダービーで先頭を走っている。

 

 かすれる視界で、その姿を収めることは簡単だった。

 だって、先頭を走っているのだから。

 ずっと、一度だって譲らずに先頭だったから。

 

 まだ完全に白くなっていない、灰色の競走馬が先頭を駆ける。

 地を這うようなフォームで、地面を力強く蹴り上げて疾走する。

 絶対に譲れない。なにがなんでも負けられない。

 勝利への執念が、馬主席にいるこの身に伝わってくる。

 

 彼らの考えが、伝わってくるようだった。

 

見えていますか? 美弥さん

美弥さんがどんな状態でも、これなら見える

 

 自分のために、誰の目から見ても分かるように。

 彼らは駆け抜けている。東京競馬場で、逃げ不利の場所で、大逃げをしている。

 

《メジロシャーロック粘る、メジロシャーロック粘る! 東京の坂を上がり切ってもまだ粘るまだ粘る! 先行勢はすでに落ちてきている、コスモバルクもここまでか!? しかし、しかし!》

《凄まじいスタミナですねっ。まさか大逃げもできるとは!》

《まだ走れる! まだ走れるメジロシャーロック! 力尽きることを知らない疾走! メジロシャーロックが2番手に浮上したキングカメハメハとハーツクライの猛攻から逃れようとしている! 残り200を切った、メジロシャーロックはまだ逃げる、まだ逃げる! どこまでも逃げてやるメジロシャーロック!》

 

 大きく差をつけて逃げ続け、今も2馬身のリードを保って逃げている。

 

「ちゃんと、みえているわ。シャーロック……。とても、とってもっ、きれい」

 

 かすれた声で、シャーロックの名前を呼ぶ。

 頑張れ、ここで見ているぞと。応援する。

 

 声は聞こえずとも、思いは届く。

 

あなたに日本ダービーの称号を

 

 流れる涙を拭わず、一秒たりとも見逃さないように。

 

 私は、メジロシャーロックの雄姿を目に焼き付けていた。

 

 

 

 

 

 

 もう考えがまとまらない。

 とにかく逃げることだけを考えていた。

 

《メジロシャーロック先頭! メジロシャーロック先頭! キングカメハメハが追いつこうとする、キングカメハメハとハーツクライが追い縋る!》

『逃がさない、絶対に逃がさない……っ!』

『お前に、負けてたまるかァァァ!』

 

 後ろから強くなる圧のことなんてどうでもよかった。

 カメハメハとかハーツのこととか、一片も考えてなかった。

 

《だがしかし! メジロシャーロック意地でも抜かせない! 2馬身から先を縮ませない! メジロシャーロック先頭、メジロシャーロック先頭!》

 

 とにかく前へ。脚が限界だって訴えても前に出続ける。

 逃げる、逃げる。必死に逃げる。

 追いつかれそうになっても、根性だけで抜かせない。

 

《栄光まで残り100を切った! 必死に鞭を振るうキングカメハメハ安堂克己! ハーツクライ槙山憲弘! だがメジロシャーロックを捉えることは出来ない!》

 

 笑顔が見たいから。美弥さんに、笑顔でいて欲しいから。

 俺のためにって、ダービーを観に来てくれた美弥さんに。

 

《シャーロック先頭! シャーロック先頭! 葦毛の馬による大逃亡劇!》

 

 俺のことを可愛がってくれて。

 産まれてすぐに母親を亡くした俺のために、いろいろとしてくれて。

 お世話になった。俺の見えないところでも、いつも頑張ってくれていたんだと思う。

 

 だからこそ、これは恩返しでもある。

 美弥さんが欲しがっていたダービー。

 そのダービーを勝ち取るためならば。

 

『負ぁぁぁけぇるかぁぁぁ!』

 

 俺は、どこまでも駆け抜けてやる。

 

 その執念が実ったか。俺は誰よりも早くゴール板を駆け抜けた。

 

『やっぱりっ、強いね。シャロくんは……!』

『それ、でこそ。お前だ。俺が超えるべき、壁っ!』

 

 カメハメハとハーツの呟き。俺は──日本ダービーを勝った。

 

《71代目のダービー馬に輝いたのはメジロシャーロックだぁぁぁ! メジロシャーロックが今ゴール板を駆け抜けたぁぁぁ! 大王を下すメジロの逃亡劇! 葦毛の馬が最初から最後まで逃げ切ったぁぁぁ! キングカメハメハとハーツクライの猛追を振り切って! メジロシャーロックがキングカメハメハを半馬身差でねじ伏せたぁぁぁ! 大王陥落! 大王すらも超えた最強のダービー馬の誕生です! メジロの悲願がここで叶う! ついに、ついにメジロがダービー制覇の偉業を成し遂げたぁぁぁ!》

 

 ガチで疲れた。もう走る気力なんてこれっぽっちも残っちゃいねぇ。

 筋肉痛みたいな痛みが脚を襲うし、心臓もうるせぇくらいに鳴っている。

 こんな激走は初めての経験だ。大逃げで走るってのは、こういうことなんだろう。

 

 あぁ、でも。

 

《そして! 赤く光るレコードの文字! 従来のレコードタイムはアイネスフウジンが記録した2分25秒3、その記録を2秒以上も塗り替える驚愕のタイム2分22秒8! 2分22秒8で! 世代の頂点に輝いたメジロシャーロック二冠達成です! 皐月賞に続いてのレコード、このダービーでもレコードを記録しました!》

「やった、やったぞ! 頑張ったなメジロシャーロックぅぅぅ!」

「凄いわー! お疲れ様ー!」

「なんて凄い馬なんだ! 現地で観れて幸せだぁぁぁ!」

「シャーロック! シャーロック! シャーロック!」

「ユタカ! ユタカ! ユタカ!」

 

 うるせぇくらいの大歓声と、俺と岳さんの名前をコールする人々。

 涙を浮かべている人もいる。秋天で起きた出来事が払拭されて、喜んでいる人がいる。

 みんなが嬉しそうにしている。勝者を讃え、日本ダービーを観に来てよかったと口にする。

 

 はっきり言おう。最高の景色だ。

 

(この景色が見れたんだから、頑張った甲斐があったってもんだ)

 

 勿論、観客だけじゃない。

 俺の上にいる岳さんも、涙を流しているのが分かる。

 声がすでに涙声だ。

 

「お疲れ様っ、お疲れ様シャーロック。よく、よくがんばったねっ」

(おーよ。頑張らせてもらったぜ)

 

 レース中もいろいろとあったが、最後には吹っ切れていた。

 それに、岳さんが息を入れるタイミングを教えてくれたからこそ、俺は最後の直線を駆け抜けることができた。

 

 この大逃げは、岳さんなしには成し遂げられなかっただろう。

 

(最高だったよ、岳さん)

 

 ありがとよ。俺の我儘を聞いてくれて。

 トラウマがあるだろうに頑張ってくれて。本当に頭が上がらねぇ。

 

 

 そして、忘れてはいけない。

 ウィナーズサークル。車椅子に乗った人。

 裕二さんに押されて、ここまで来た──美弥さん。

 

 やつれている。初めて会った時よりずっと、なんなら最後に会った時よりもさらに痩せ細っている。

 ずっと、戦っていたんだ。病気や運命と。

 俺のレースを観るために、ここまで頑張った。

 

 目には涙が見える。

 本当なら立ち上がらない方がいいかもしれない。

 なのに、美弥さんは立ち上がった。俺へとゆっくり歩いてくる。

 

 俺の前に立った美弥さんは。涙を流しながら、俺の首へ手を回し。

 

「ありがとう、ありがとう。よく、見えたわ」

(……美弥、さん)

「貴方の走りが、貴方の雄姿が。席からでも、近くに感じちゃうぐらい……ちゃんと、みえてたっ」

 

 抱き着いてきた。残った力を振り絞って、健闘を称えるように。

 

 力は、ない。弱々しく、抱き着くというよりはもたれかかっている。

 けれど、確かに感じる。

 生命を。美弥さんの鼓動を。

 

「ありがとう、シャーロック……メジロの、私達の悲願を、叶えてくれてっ」

(……こっちこそありがとうだよ。俺のこと気にかけてくれて、無理してでも観に来てくれて。ありがとうしかない)

「最後に、貴方のような子に会えて。私は……とっても、幸せだったわ……っ」

 

 いつまでも、感じていた。

 

 

 第71回日本ダービー勝者・メジロシャーロック。二冠達成。メジロの馬による初のダービー制覇。

 また、皐月賞と日本ダービー制覇により、喜多野美弥はオーナーとして八大競走の完全制覇を達成。

 

 

 

 

 

 

 日本ダービーから数日後。

 生江康夫厩舎に一つの報せが届いた。

 

「……そっか。美弥さん、亡くなってもうたか」

 

 美弥さんの訃報。俺のダービーを見届けた美弥さんは、先日病院で亡くなったそうだ。

 役目を終えたかのように、心臓の活動が停止したらしい。

 ……寂しいな。もう、会えないなんて。

 

 報せに来てくれたのは裕二さん。目は赤く、さっきまで泣いていたんだなって分かる。

 

 けど、その顔はどこか晴れ晴れしいもので。

 

「ダービーを観れただけでも奇跡のようなものでした。そのダービーで、悲願を叶えてくれた」

「最後の表情は、どうでした?」

「とても安らかに、向こうへと渡りました。きっと、美弥さんは幸せだったと思います」

 

 俺達へと頭を下げる。感謝の感情が伝わってくる。

 

「いえ、間違いなく幸せでした。みなさんのおかげです。本当に、本当にありがとうございますっ」

 

 深い感謝の気持ち。康夫さんも俊之さんも、岳さんも泣いている。

 リョーマもそうだ。大声で泣き喚きはしないが、美弥さんの死を悼んでいる。

 勿論俺もだ。それだけ、悲しい気持ちが溢れている。

 

 葬式には俺も参列した。馬なのに大丈夫か? と思ったけど、どうやら特別に許可をもらったらしい。

 メジロの悲願を叶えた馬。裕二さんが方々に土下座して回る勢いで、参列を認めさせてくれた。

 

 関係者だけの葬式。中には有名な馬主さんの姿もある。

 焼香は、俺じゃあげられないので代わりにリョーマが。

 

 最後に、棺で眠る美弥さんの姿を収める。

 顔はとても安らかで、死んでいるとは思えないほどだ。

 

(……ありがとうございました。向こうでゆっくり休んでください)

 

 お辞儀するように頭を下げて後にする。

 

 葬式は何事もなく終わって、俺はまた栗東へと戻ることになった。

 

 

 それからまた日が経って、栗東の馬房。

 帰省に関する話はまだ出ていない。もしかしたら、この夏も栗東で過ごすことになるかもしれんな。

 

 考えるのはこの先のことだ。

 

(二冠、か。今のところ順調だな)

 

 日本ダービーを制した。これで二冠。無敗の三冠に、王手をかけている。

 

 けど、まだだ。

 

(次の菊花賞も気は抜けねぇ。カメハメハ、は分からんが、相手になるのはあのデルタブルースだ)

 

 長距離の雄。オーストラリアの長距離G1、メルボルンカップを制した猛者。

 また、菊花賞にはハーツクライも出走していたはずだ。アイツも、油断ならない強敵。

 

 俺の目標のためにも、立ち止まるわけにはいかない。

 まだ終わりじゃないんだ。この先も頑張っていかなければ。

 

 そのためにも、明日からまた頑張らないとな。

 ま、でもね?

 

(いや~、俺も無敗の二冠馬か~。世代の頂点とも言われて悪い気はしない。最高の気分だ!)

 

 ちょっとくらいは喜んでも許されるだろ、うん。

 

 

 

 

 

 

 栗東、末本厩舎。

 調教師である末本は、覚悟を決めた表情で一頭の牝馬を見つめる。

 

(ダメもとで、お願いするしかねぇ。受けてくれんかもしれんが、そん時はそん時だ)

 

 頭によぎるのはとある噂。今栗東で最も有名な、かの牡馬だ。

 気性の激しいアドマイヤグルーヴが気を許し、一匹狼のネオユニヴァースと仲の良い馬。

 クラシック二冠を勝ち取った、彼に。

 

「今度お願いすっぞ。スティルインラブとメジロシャーロックを併せてくれんか? と」

 

 メジロシャーロック。かの陣営に、牝馬三冠のスティルインラブと一緒に調教してくれないか、と。

 

 そう末本は考えていた。

 

 悪化する気性。次のレースも心配でならない。

 そんな気性を、メジロシャーロックならどうにかしてくれるかもしれない。

 一縷の望みに賭けて、メジロシャーロックとスティルインラブを併せようと考えていた。

 

 金鯱賞が終わった後。6月に入ろうかという時期の話である。




ついに関わることになるスティルさん。

Q.今回のレコードタイムってどれくらい?

A.更新されるのを15年後のロジャーバローズまで待たないといけない。
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