その日、俺は思い出した。
(なんで俺は、今まで忘れていたんだろうなぁ)
目の前で繰り広げられる光景に、それはもう全部思い出してしまった。
『ちょっとシャロ! あんたまさか、あたしと走るのやめてこんなやつと走ってるわけ!? 冗談じゃないわよ!』
『ウフフ、負け犬の遠吠えねェ。みっともないわァ』
『デカいレースであたしに負けた癖に粋がってんじゃないわよ!』
『ごめんなさァい? でもォ、貴方はワタシに3回も負けてなかったかしらァ?』
『うっさいわよ! これから全部勝つからいいの! それよりシャロ! ちゃんと説明して! なんでコイツと、よりにもよってコイツと走ってるのか!』
グルーヴさんとスティルさん、仲悪そうだったな、と。
いやぁ、今まで思い出せなかったのが不思議なくらいだよ。
そういやお二方仲悪かったな、と。実際のところは知らんけど。
(でも、思い出せなくても仕方なくないか? グルーヴさんあんまり話題に出さないし)
スティルさんについて、あまり触れてこなかったグルーヴさん。
覚えている限りでは、出会ってすぐの頃にちょこっと触れただけだ。
その時は確か、にっくきスティルインラブ、って言ってた気がする……いや、この時点でもうダメだろ。
(話題に出したくないくらいに嫌い、って可能性を考慮しておくべきだったか)
少なくとも、この光景で仲良さそうには見えない。
グルーヴさんはギャンギャン吠えてるし、スティルさんは挑発しまくっている。
険悪、とまではいかないが、仲が悪いと判断するには十分すぎるな。
『シャロ! しっかり説明しなさい! これは女王の命令よ!』
『まァ、怖い女王様ねェ? シャロ。こんな女王様は放っておいて、ワタシと一緒にトレーニングしましョ?』
『誰が怖いって~!? そんなことないわよね、シャロ!』
『まぁ怖くはないですけど』
いや、仲悪いわ普通に。その原因は俺にありそうだけど。
ちなみに、この状況を見て康夫さん達が静観しているかと言われたら、そんなことはない。
端田さんが頑張って抑えようとしている。
「グルーヴ、グルーヴ! お前はこっちだから、大人しく着いてきてくれ~!」
「ヤバいわ。全然動いてへん。アドマイヤグルーヴとスティルインラブがシャーロックを取り囲んどるわ」
「……中心にいるシャーロックは微動だにしていないのが、なんとも奇妙な光景ですね」
悲しきかな、グルーヴさんの力に適うわけなく。
引っ張っているが微動だにしていない。スティルさんをずっと睨みつけている。
やべーよ、耳絞ってすんごい威嚇してるよ。
ついでに、俺も挟まれてとんでもないことになってる。
動きたくても動けんわこれ。
にしても説明、か。
(グルーヴさんとトレーニングしなくなった原因も、ちゃんと分かってんだよな)
説明したところで理解してくれるかは、別だけど。
いや、この状況をそのままにしておくのはまずいな。
ひとまずは、グルーヴさんを落ち着けなくては。
『落ち着いてください、グルーヴさん。今から説明しますんで』
『簡潔に、速やかに説明しなさい! 事と次第によってはただじゃおかないわよ!』
『野蛮な女王様だこと』
『聞こえてんのよ! あんたからやってやりましょうか!?』
落ち着いてくださいって。そんな目を真っ赤にして怒らんでも。
俺とグルーヴさんが一緒に調教しなくなった理由。
スティルさんのため、ってのもあるが、もう一つ大きな理由が絡んでいる。
『俺とグルーヴさん、次のレース被ってるんですよ。だから一緒に走れないんです』
『……あぁ、そういうことね。あたしが次に出るレースに、シャロも出るってことね?』
『そういうことです。ここ最近ずっと別だったのはそういう理由です』
それが出走レースの被りだ。
康夫さんが言っていたのだが、俺の次走は京都大賞典らしい。
菊花賞の前哨戦なら神戸新聞杯なのだが、あえてこちらを選択。
その理由が、古馬戦の経験を積んでおきたい、というもの。
「シャーロックやったら、古馬相手でも十分勝負できるわ。年上は、2歳馬の頃から相手しとったからな」
「問題はないと思います。俺も、異論はありません」
将来を見据えての選択。
京都大賞典を踏み台にして、俺は菊花賞に臨む。
中1週だが、俺なら問題にしないと判断。
こうして決まった。
で、この京都大賞典にはグルーヴさんも出走する。
牡馬と牝馬の混合戦だが、マーメイドステークスの圧勝から問題なし、と判断されたみたいだ。
同じ混合戦である大阪杯はユニさんの2着、金鯱賞もタップダンスシチーの3着に入り込んでいる。
陣営が乗り込んでくるには十分すぎるな。
で、ここからが本題。
俺の次走は京都大賞典。
グルーヴさんの次走も京都大賞典。
はい、出走するレースが被りましたとさ。
『同じレースに出るんだから、一緒に走ることは出来ません。それはグルーヴさんも分かってますよね?』
『分かってるわよ。あんまりバカにしないでちょうだい』
『ただ、スティルさんは京都大賞典ではない別のレースに出ます。レースが被らないから、俺と走ってたんです。それが理由ですよ』
タイドの時もそうだったが、同じレースに出走する馬同士で調教するのはダメだ。
ましてや敵陣営。余計やるわけにはいかない。
作戦が筒抜けになっても困るし。
一応簡単に説明すればこんな感じだ。
言うなれば仕方のない事情、ってやつだな。
ちゃんとした理由、大義名分がある。
もっとも、それでグルーヴさんが納得するはずもなく。
相変わらず目を真っ赤にして怒っていた。こわっ。
『だからって、なんでよりによってスティルなのよ!? あたしから! 女王の座を奪おうとしたにっくき敵! コイツ以外なら良かったのに!』
『あらあら、嫉妬は醜いわねェ。シャロもそう思わなァい?』
こっちに矛先向けないでください。
グルーヴさんすげぇ睨んでるから。ギロッ! って感じで睨んでるから。
雷親父も裸足で逃げ出すわこんなん。
つってもなぁ。スティルさんとの調教も、仕方ない事情が絡んでるし。
『スティルさん、ここ最近調子を落としてたみたいですから。それで俺があてがわれたんですよ。俺ってそういう馬と一緒にやること多いんで、その繋がりだと思います』
『ふ~ん? つまり……問題を起こしてるから、仕方な~くシャロが相手してるってことね? プークスクス!』
『それ、貴方にも同じことが言えるのだけど?』
スティルさん、それに関してはノーコメントで。
で、あらかた事情を説明したわけだが。
『納得してくれました? グルーヴさん』
『無理よ! シャロはあたしと走るべきよ!』
はいそうですよね。ここで大人しく引き下がるあなたじゃないですよね。
知ってましたよ十分すぎるくらいに。
『そんなの人間の都合じゃない! シャロはあたしと一緒にいるべきなの! 女王と家来なんだから当然でしょ!?』
『まァ怖い。此方の女王様は暴君ですこと。悪いことは言わないわァ、シャロ。ワタシと走りましョ?』
『いや、元からスティルさんって決まってたからそりゃ走りますけど』
とはいえ、癇癪起こしっぱなしはなぁ。
さっきから端田さんめっちゃ頑張ってるし。
この先もこんなことになるのもアレだ。ここでどうにかしておく必要がある。
つっても、交渉できそうなもの……あるにはあるな。
ぶっちゃけ賭けだけど。
(可能性は高い。なら、チラつかせるには十分か)
『グルーヴさん、今だけの辛抱ですよ』
さて、これでどう転ぶか、だ。
これでダメだったらもう知らん。端田さんにさらに頑張ってもらうしかない。
グルーヴさんはまだ怒っているが、俺の話はちゃんと聞いてくれるみたいだ。
良かった良かった。
よし、この調子で説得しよう。
材料は揃っている。後は、切り方次第だ。
『……どういう意味よ?』
『そのままの意味ですよ。ぶっちゃけ俺らが別々の理由は、同じレースに出るからです』
簡単に言えば、別々なのは今だけだ。
レースが終われば、また一緒に調教する可能性は十分にある。
ただでさえ、グルーヴさんは俺がいると大人しい。
端田さんがそれを見逃すとは思えない。
『レースが終われば、また俺と走れるようになりますよ。だから、それまでの辛抱です』
『……でも、その間はスティルに構うじゃない。そんなの嫌よ』
『それこそ我慢です。我慢すればしただけ、その時が楽しいんじゃないですか』
大人しくなるんだから、一緒に調教するのが自然だ。
というか絶対にやる。やらない理由の方がないんだから。
今は仕方ないと割り切ってもらうしかない。
グルーヴさんに、分かってもらうしかないんだ。
だからこそ、この説得を成功させなければ。
少しの沈黙。
グルーヴさんが、口を開く。
『シャロは、あたしと走るの、嫌じゃないかしら?』
不安そうな呟き。嫌われたくない、そんな気持ちを感じる。
答えは、決まっている。
『嫌なわけないでしょう。楽しいに決まってますよ』
そう答えたら、グルーヴさんは震え始めた。
なにかあったのか、なんて聞く前に。
明らかに機嫌のよいグルーヴさんが、ルンルン気分で俺に寄ってきた。
『っ! そうよね、そうよね!? あたしと一緒が一番楽しんだものね!』
『それはちょっと誇張しす』
『ふっふ~ん、さすがはあたしの一番の家来! よく分かっているようで何よりだわ!』
すげぇ、小躍りしてそうなくらい喜んでる。
代わりに後ろからの圧がすげぇ増してる気がするけど。
「おぉ、シャーロックがアドマイヤグルーヴを宥めおったで。にしても」
「最後まで微動だにしてませんでしたね、シャーロック。メンタルが強すぎる」
「牝馬2頭に囲まれてなぁ。モテモテやな、シャーロック!」
やかましいぞ康夫さん。だったら今すぐ代わってくれや。
気が気でねぇんだよこの位置。目の前のグルーヴさんは喜んでるけど、後ろのスティルさんはすげぇ圧で俺を睨んでんだよ。
『……フゥン。ワタシとは遊びだったのかしらァ?』
『人聞きの悪い! ちゃんと真面目にやりますよ!』
『ま、いいわ。あの女王から奪うだけだもの』
『なにを!?』
ま、まぁ、グルーヴさんはちゃんと理解してくれた。
スティルさんは……この後の調教で発散させてあげればいいだろう。
『ふふん、次のレースでコテンパンにしてあげるわ、スティル! 女王はあたしよ!』
『……ワタシも、シャロのおかげで調子を取り戻してきてるのォ。もう二度と、貴方には後れを取らないわァ』
『上等よ! あたしもシャロのおかげで強くなってるの。次のレースでそれを証明してあげる!』
とにかくこれにて一件落着だ。
「よ、よし、よし。ようやく落ち着いてくれたな……ほんっと~に、ご迷惑をおかけしましたぁ!」
「あぁ、うん。ホンマにご愁傷様です、端田さん」
「……お気持ちは察しますわ、端田調教師。下手したら、ウチもそうなりかねんし」
「末本さん……」
ついでに端田さんと末本さんの間に友情が芽生えた。
気苦労が多そうな2人である。
ちなみにこれ、朝の調教での一幕。
調教を始めよう、って時にグルーヴさんに絡まれた。
勿論、絡まれている間は出来ず。
向こうが去っていったので、今ようやく始めよう、って段階だ。
「ようやく調教できるわ。端田さんも末本さんも、大変なやっちゃ」
「中心にいるのはシャーロックですけどね。お前はモテモテだな、シャーロック」
俊之さん。これは喜んでいいのかどうなのか分からないっす。
◇
いろいろとあった調教の時間が終わり。
馬房で休憩した後放牧だ、なんて思っていた矢先のこと。
「シャロ、お前の隣の馬房に新しい子が来るからな」
「ヒン(なんですと)?」
「ブラックタイドがいなくなってから随分と空いてたけど、ようやく入厩が決まったみたいでな。新しいお隣さんが来るぞ」
俺の頭を撫でながら、リョーマがそう言ってきた。
ほほう、ついにお隣さんが来るのか。
タイドがいなくなってから数ヶ月。ついにだな。
(さてさて、誰が来るのやら。ちょっと楽しみだぞ)
ケガで離脱していた先輩か。それとも俺より下の世代か。
下の世代だと嬉しいな。ちょっと先輩風吹かせることが出来るかもしれんし。
(調教相手が基本年上なせいで、そんな機会なかったからな~。いやはや、誰になるのやら)
「お、馬房から顔を覗かせて、興味があるみたいだな。もうそろそろ来るらしいぞ」
そりゃあ興味が出るってもんよリョーマ。
待つこと数分。あんまり待たずに件の馬がやってきた。
康夫さんが連れてきている。隣には俊之さんと、リョーマと同じここの厩務員。
おそらく、あの馬に専属でつく人だ。俺におけるリョーマみたいな感じ。
で、件の馬だが……小さいな。
(かなり小柄だ。けれども、オーラがすげぇ)
第一印象は小さい馬。小さいのに、オーラが凄い。
なんていうか、強いってのが本能的に分かる。走るぞ、とかこいつはやれる、って感じのオーラが出てる。
「しかし、小さいですね。それに顔も可愛い系ですし、最初は牝馬かと思いました」
「お前の気持ちもわからんでもないで、壱河。俺も最初勘違いしとったわ」
「けど、潜在能力は高いです。育成牧場でも有名でしたから」
確かに可愛い系だな……って、ちょっと待て。
(小柄で、牝馬と間違えそうなほどで、いかにも走りそうって感じのオーラ出してて)
それに該当する馬、俺知ってる気がするんですけど?
しかもその馬、俺が目標を達成する上で最大の障害になる馬だったような気がするんですけど?
いやいやそんなまさか。
あるわけないって。俺の勘違いだって。
気のせい気のせい。まさかねぇ?
なんて思っていたのも束の間。
康夫さんの次の言葉で、俺はひっくり返りそうになった。
「シャーロック~。お前のお隣さんになるディープインパクトやで~。この子もごっつい馬でな、仲良うしたってな!」
『わ、わ、凄~い! ぼくと全然違~う!』
「ディープ。コイツはメジロシャーロック。お前もいろいろと教わるんやで?」
おい、間違っててくれよ。そこはさ、俺の勘違いで済ませてくれよ。
現実は変わらない。俺の目の前にいる相手は、俺のことを輝いた目で見ているこの馬は。
『ね、ね! 走ろう走ろう! 走ったら気持ちいいよ! 一緒に走ろう!』
(俺のお隣、まさかのディープインパクトかよぉぉぉ!?)
未来の衝撃の英雄、ディープインパクトだった。どういう確率やねんお前。
今話いろいろと起きすぎじゃなぁい?