俺は、バカだ。本当に大バカだ。
ちょっと考えれば分かったことを、今の今まで理解できていなかったのだから。
(ユニさんと放牧で会ったのが、9月の半ばの頃。そんな時期に帰ってきたんだぞ? オールカマーを想定していたのに)
明らかに辻褄が合わない。
レースの日程的に、追い切りを考えたら時間が全然足りないんだ。
誰だっておかしいと思うだろ。普通に考えたら。
なんで遅くに戻ってきたのか。宝塚記念の後、ずっと放牧に出されていたのか。
回避できていたと思っていた。
宝塚記念に出走したんだから、きっと大丈夫だと慢心していた。
その結果が、これだ。
『シャロ。ぼくは“航路”を外れなきゃいけない。もう、ここにはいられない』
『……引退、ですか』
『あふぁーまてぃぶ。やっぱり“そうるめいと”だね』
ユニさんの現役引退。
京都大賞典を走り終えた俺に待っていたのは、お世話になった先輩の戦線離脱だった。
思えば、ところどころ怪しいとこがあった。
放牧でまた会って、ユニさんから話があるって言われて。
特に疑問に思わず着いていった、そんな時のこと。
(ユニさん、ちょっと動き方がぎこちなくないか?)
歩き方がぎこちない。脚をかばっているかのような、そんな動きをしていたんだ。
なんで気づいたかって言われると、分からない。
いつもと違う。そう直感が働いたとでもいうのか。
全身から汗が噴き出したような感覚に襲われた。
最悪の想像をしてしまう。聞くのを止めてしまおうとも考えた。
けど。
『ユニさん、大丈夫ですか?』
『シャロ。ぼくは“伝える”をしなきゃいけない』
必死なユニさんを前に逃げることは出来ず。
俺は、ユニさんの話を聞くことにした。
放牧で、みんなとは離れたところで一緒に。
遠くではいつものように、みんなが走っている。
ディープもカメハメハも、ハーツもだ。
遠目に眺めながら、ユニさんとサシで話す。
『それ、で。何でしょうか? ユニさん。大事な話って言うのは?』
『シャロは“GNUS”だから。もう、察しはついてると思う』
すみません、ユニさん。
でも、信じたくないんです、俺。あなたの口から出てくるまで、信じられないんです。
だからどうか、間違っててくれ。俺の想像は、違うと言ってくれよ。
ユニさんから告げられたことは──現役の引退。
俺が、考えていた通りのことだった。
『ぼくは“航路”を外れた。航路は“断絶”。先は、ない』
『……もう、レースで走れない、ってことですか?』
『そうなる。だから、シャロともお別れ』
右前脚に異常が見られたらしい。放牧から帰ってきた後の検査で分かったことだそうだ。
まだ走れはするらしいが、レースは無理。リスクが伴うから止めた方がいい、ってのが医者の言葉。
ユニさんの調教師である世戸口さんは、ユニさんの現役引退を決意。これ以上無理をさせるべきではないと判断したそうだ。
そうか……そう、か。
間違ってて、欲しかったんだけどなぁ。
(でも、これは現実なんだ。ユニさんはここを去らなきゃいけない。これ以上無理を重ねないために、引退しなきゃいけない)
分かってる、分かってるさ。
俺達サラブレッドはそういうもんだ。
走るだけじゃない。次の世代に繋ぐのも大事な役目。
将来を考えて、ユニさんはここで引退するのがベスト。
あぁ間違っちゃいねぇさ。誰だって、それが正解だって思うだろうよ。
けどよ。寂しいもんは寂しいんだ。
(2歳馬の頃から、調教に付き合ってもらった。その後も、調教で接する機会は多かった)
放牧なんかも一緒のことが多かった。
俺のことを親友とか、ソウルメイトと言ってくれたユニさん。
俺も友達だと思っているし、仲は良いと思っている。
そんな馬が、引退する。
悲しくならないはずがない。
『シャロ。泣いてるの?』
『……悲しいですから。ユニさんがここからいなくなるの』
『そう』
相変わらず淡白な反応。
けど、分かる。ユニさんも、悲しんでいると。
『ぼくも、だよ。別れるはとても悲しいこと。ぼくも、シャロとは離れたくない』
『ユニさん』
『けれども、この別れは永遠じゃない。きっと、また会える』
俺と同じように悲しんでいる。
別れたくないと、心の中では思っている。
それでも、ユニさんは踏ん切りをつけていた。
強いな、本当に。
それに、この別れは少しの間。ずっと離れ離れなわけじゃない。
『また“会う”よ。ぼくらはまた“会える”』
『……そうかも、しれないですね。俺ももっと、うんと活躍したら、ユニさんに会えるかもしれません』
『会えるよ。だって、ぼくの新しい“航路”には、きみの姿が見えるから』
そう遠くない未来でまた会える。そう信じているからこそ、踏ん切りをつけられる。
きっとユニさんは、そう考えているはずだ。
そしてそれは、俺が活躍すれば叶う。
ユニさんは天下の舎台で種牡馬をするはずだ。実績とサンデーの後継だから、ほぼ確で入るはず。
俺も、現時点では舎台入りがほぼ確定しているようなもんだ。今の時点でもとんもでねぇ成績だからな。
俺がこの先も頑張ればまた会える。
ユニさんと、友達と一緒に暮らすことができる。
『この別れは少しの間。だから“さよなら”じゃない。言うべきは“またね”』
『またね、ですか』
『あふぁーまてぃぶ。今日は、それを“伝える”をしたかった。残された時間は、ないから』
だからこそ、さよならじゃない。またね、なんだ。
ユニさんは栗東を去る。寂しいし悲しいけど、俺も踏ん切りをつけなきゃいけない。
『ユニさんは、いつ頃ここを離れる予定ですか?』
『明後日』
『早っ!? もっと早く伝えてくださいよ!』
『ねがてぃぶ。仕方ないがあるよ』
俺はまだ、止まるわけにはいかないのだから。
放牧の時間いっぱいまで、ユニさんと一緒に過ごす。
その時に、ユニさんに言われた。
『ぼくは“託す”をするよ。大切な“そうるめいと”のシャロに、ぼくの思いを“託す”』
『託す、ですか』
『うん。シャロだからこそ“託す”をする。ぼくの分まで強く、誰よりも早くなるを“願う”。それが、ぼくの思い』
『……嬉しいこと言ってくれますね。二冠馬のユニさんに、そう言ってもらえるなんて』
『ぼくは最後の冠を、菊を取れなかった。すごく“悔しい”だった。シャロがそんな思いをしないように、ぼくの思いを“託す”よ』
自分の思いを託すと。
これから先も俺が頑張れるようにと、俺に託してくれた。
えぇ、分かりましたよユニさん。
『託されました、ユニさん。菊は近いですけど、もう大丈夫になったので』
『うん。頑張って、シャロ。“ふぁいと”』
俺は勝ちます。託されたからには、期待されたからには。
俺は、全力で応えますよ。
『後は“気負う”は禁物。シャロは、全部を“背負う”する。だから、気をつけて』
『は、はぁ。そんなにですか?』
『あふぁーまてぃぶ』
最後のはよく分からなかったけど。
タイドと同じように、託された。
(っし。頑張りますか)
俺の気合は、どんどん高まり続けていた。
◇
メジロシャーロック、シャロ。
ぼくの大切な、唯一のそうるめいと。
(ぼくを理解してくれて、仲良くしてくれた子)
本当に、どれほど貴重な存在だったか。
ぼくは、周りに馴染めなかった。
『はろー、はろー。よろしく“お友達”』
『そうなのー? ま、よろしくー』
お友達。そう呼んで、馴染もうとしたけど。
『なんて言ってるのか分からないや』
そう言われること、多かった。
最初は、しょんぼりした。
理解してくれる子、いなかったから。
ぼくは思っている以上に変な子で、この変は受け入れられないって、そう思わなかったから。
でも、時間が経つにつれて慣れた。
『交信、交信。ピピピ』
馴染めないなら、馴染めないでいい。
無理に関わろうとしなくても生きていける。最低限、暮らすことさえできればそれでいい。
そう思えば楽になれたから。
ぼくは、頭の出来が他の子とは違うみたい。
いつも上に乗っている人が、そう評価していた。
「この子はスゴク頭いいヨ! 言葉通じないのだけが欠点ダネ!」
正直、思っていた。
(ぼくの言葉は“分からない”が多い。いつも、いつもそう言われてきたから)
思うままに口にした言葉は、他の子には理解できなくて。
理解しようとも、してくれなくて。
気づけばぼくは、諦めた。
理解してもらうことを。
『今日も“あなざーばーす”を“観測”する。どこを“OSTN”しようかな?』
ぼくはこのまま、ずっと孤独。
そういう星のもとに生まれたんだって、そう思うことにした。
でも、そんなぼくに転機が訪れた。
『俺はメジロシャーロックって言います。そういえば、自己紹介してなかったなと』
『ん。ぼくはネオユニヴァース。好きなように呼んで』
『じゃあ、ネオユニヴァースさんで。これからよろしくお願いします』
たった一つの出会いが、ぼくに希望をくれた。
暖かい光を、諦めなくていいんだってことを。
くれたのは、シャロ。ぼくの、そうるめいと。
不思議な子だった。みんながぼくを避けるのに、シャロだけは避けなかった。
『あ、ネオユニヴァースさん。放牧でも会うなんて、奇遇ですね』
『今大丈夫ですか? ちょっと稽古つけてもらいたくて』
『ユニさん、でも大丈夫ですか? ネオユニヴァースさんだと、ちょっと壁があるような感じしますし』
いつもぼくに構ってくれて、温かさをくれた。
(変な子。みんな、ぼくを避けるのに)
本当に、不思議な子だった。
だから、聞いたことがある。
『シャロは、ぼくと“いっしょ”。いやじゃない?』
ぼくといて嫌じゃないか、って。
こんなぼくと一緒で、困ってないかって。
我ながら、意地悪だと思う。
その時は丁度、グルーヴと仲良くなった時期だから、嫉妬みたいな感情があったのかもしれない。
(シャロは人気者。ぼくは、その中の個に過ぎない)
誰とでも仲の良いシャロ。
だから、別にぼくと仲良くしなくてもいい。そんな必要はないから。
ちょっと寂しいけど、これでお別れかもしれない。
(……寂しいな)
仕方ないけど、その方がいいのかもしれないから。
でも、シャロは違う。
『え、なんで? どこに嫌がる要素があるんですか? ユニさんと一緒にいるの好きですよ、俺。心地いいですし』
ぼくと一緒でいいって、嫌がることなんてなにもないって。
心底不思議そうに、そう言ってくれた。
(……あぁ)
シャロからしたら、何気ない言葉。
きっと、みんなにも言ってることかもしれない。
同じようなことを、同じような感じで。みんなに言ってると思う。
けれど、ぼくは。
(シャロとは、一緒にいてもいいんだ)
その言葉に、救われたんだ。
他に馴染めなかったぼくを、認めてくれた。
シャロはぼくを、ネオユニヴァースを認めてくれた。
だからこそ、だ。
『シャロは“お友達”より上』
『はい?』
『シャロは“親友”。ぼくとシャロは“そうるめいと”』
シャロは他とは違う。
特別な称号。お友達の上、親友で、そうるめいと。
シャロだけに許す、特別。
『あの、どういう意味』
『“うれしい”だよ。びっぐばん。なかよし“うれしい”』
『いや、ちゃんと教えてくれませんかねぇ!?』
嬉しい。凄く嬉しい。
特別。ぼくの特別。シャロは、特別。
それが、ぼくがシャロを気に入っている理由。
大切な、ぼくのそうるめいと。
だけど、そのそうるめいととは、シャロとはお別れをしないといけない。
脚をケガした。
走るのに支障はないけれど、レースは無理。
それが、人間の結論。
(そう、だね。あまり無理すべきではないと、ぼくも思う)
加えて、ぼくの結論でもある。
なんとなく分かる。もう走れないんだっていうのが。
レースでも最後に勝ったのは、大阪杯。
グルーヴを倒して、ぼくが頂点に立った。
それが、最後の勝利だった。
後悔がない、といえば嘘になる。
走りたくない、と言われたら、それは違うって言える。
けど、世の中にはいろんな仕方ないが溢れてて。
これもその一つ。この状況もまた、仕方ないなんだ。
(残された時間“わずか”。別れる前に、なんとしても)
『シャロに“託す”をする』
その仕方ない状況で、ぼくはやらなきゃいけない。
シャロに託すことを。走れなくなったぼくの分まで、走ってほしいと、託さないといけない。
放牧でなんとか時間を見つけて。
ようやく会えたシャロに、ぼくは託した。
『ぼくは“託す”をするよ。大切な“そうるめいと”のシャロに、ぼくの思いを“託す”』
ぼくの思いを。ぼくの分まで元気に。
『うん。シャロだからこそ“託す”をする。ぼくの分まで強く、誰よりも早くなるを“願う”。それが、ぼくの思い』
これからも健やかに走れますようにと、願いを込めて。
『ぼくは最後の冠を、菊を取れなかった。すごく“悔しい”だった。シャロがそんな思いをしないように、ぼくの思いを“託す”よ』
シャロに、全てを託した。
シャロは、受け取ってくれた。
『託されました、ユニさん。菊は近いですけど、もう大丈夫になったので』
嬉しい。思いを託せて、ホッとした。
あぁ、でも。
『後は“気負う”は禁物。シャロは、全部を“背負う”する。だから、気をつけて』
『は、はぁ。そんなにですか?』
『あふぁーまてぃぶ』
もうちょっと、一緒にいたかったな。
これは、永遠の別れじゃない。
またいつか会える。シャロとは、絶対に会える気がする。
(これは、その時までのお別れ。少しの間だけ、星と星は違う軌道に乗る)
『またね、シャロ』
だから大丈夫。
新しい場所でも、ぼくは元気でやっていける。
少しずつ離れていく元お家。栗東。
大きな車に乗せられて、ぼくは新しいお家へと向かう。
『頑張れ、シャロ。きみの未来に“祝福”を送るよ』
親友で、そうるめいとであるシャロのことを思いながら。
ぼくは、新天地へと向かった。
またね。ぼくの大切な親友。そうるめいと。メジロシャーロック。
ネオユニヴァースの現役引退。思いを託され、またも気合いが入るシャーロック。