親愛なるシャーロックへ   作:カニ漁船

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予想を超えた決着

 ──最初に気づいたのは、後方でレースを展開していたホオキパウェーブの槙山憲弘だった。

 

(なんだろうか? いやにペースが遅いような気がする)

 

 些細な違和感。すでに第2コーナーを回り終え、向こう正面で進む菊花賞。

 普通ならば気づかないような違和感。ましてや後方でレースをしているのだから、余計気づくはずがない。

 そんな違和感に、槙山は気づく。

 

《第2コーナーを回って向こう正面。すでに2番手に10馬身は差をつけて走っています、先頭はメジロシャーロック。菊の京都で大逃げを披露するメジロシャーロック、もはや代名詞になりつつありますね》

《日本ダービーに京都大賞典。どちらも大逃げで勝ってますからね。この大逃げには注目したいところです》

《つられはしないぞと、コスモステージとモエレエルコンドル、その1馬身後ろにコスモバルクだ。最初の1000m、通過タイムは59秒5。59秒5で流れているこのペース、ついていくのは至難の業かもしれません》

《ですが、つられてはいませんね。冷静にレースを運べています》

 

 どうして気づくことができたかというと、既視感だ。

 

(このペースには、覚えがあるっ!)

「まさか、彼らは!?」

 

 気づけば手綱を動かしていた。

 向こう正面に入った段階、前との差を詰めに行けと指示を出し、ホオキパウェーブを動かした。

 

 知っている。槙山はこのレース運びを知っている。

 知っている。レーススピードを錯覚させるこの走りを知っている。

 知っている。自分がやってきたことなのだから知っている。

 

(そうはさせないぞ、寛君!)

「今差を詰めておかないと、相当まずいことになるっ」

 

 岳寛とメジロシャーロックがやろうとしていること……幻惑逃げを、槙山憲弘は知っている。

 

 序盤は飛ばして走り、リードを保ったら中盤で思いっきりペースを落とす。

 後続は逃げている馬が垂れてきたのだから、無理に上がろうとはしない。

 まだ中盤。ハイペースで走らざるを得ない、と錯覚するからだ。

 

 向こう正面では少しでもスタミナを温存しておきたい場面。無理に仕掛ければ自滅は必至。

 ならば、動く理由はない。勝つために無理をする場所ではないから。

 無理をする場所ではないからこそ──この罠に嵌る。いや、ハメてきた。

 

(セイウンスカイが敵になった、かっ!)

 

 逃げ馬の場合は、ここで息を入れることが難しい。

 理由は簡単で、逃げを選択した馬には、気性の問題があるからだ。

 

 後ろとの差が詰まってきたら逃げようとする。

 追いつかれまいと必死に脚を動かす。

 場所がどこであろうと、逃げ馬の脳内には刷り込まれている。

 他馬に対する恐れか、負けたくないという闘争心が。

 

《逃げに逃げるメジロシャーロック。その差を10馬身以上に広げて逃げているっが、ここで後方で動きがあります! ホオキパウェーブが上がってきた、ホオキパウェーブがグングン上がっていく。最後方集団に位置していたホオキパウェーブが動いたぞ》

《これは槙山騎手の暴走でしょうか? 掛かっているかもしれません》

《さぁ悠々と逃げの一手を打つメジロシャーロック。ホオキパウェーブにあてられて動く馬は、ハーツクライも動こうとしているか? しかし鞍上の安堂ここは必至に抑えます。ホオキパウェーブと、これはカンパニーでしょうか? 2頭が動いています》

 

 だからこそ、成立させるのがとても難しい技術なのだ。かつて槙山とセイウンスカイがやった、後方を撹乱する逃げは。

 

 しかし、ここで問題となってくるのはメジロシャーロックという馬。

 メジロシャーロックは……気性で逃げているわけではないということ。

 これが、あまりにも厄介だった。

 

(その気になれば先行でも差しでも走れる万能脚質。他馬が迫ってもペースを落とすぐらい、訳ないはずだ!)

 

 だが、槙山にとってはそれだけじゃない。

 気性以上に厄介な点が一つある。

 

 日本ダービーと京都大賞典の勝ち方だ。

 どちらも大逃げで勝っているからこそ、他の騎手はセオリーから逸脱した走りはしまいと冷静になってしまう。

 

(前を走る馬を追いかけていないのは仕方ない。大逃げが印象的すぎて、脳に焼き付いているのだから!)

「とんでもないことをやってくれるね……意趣返しのつもりかい、寛君!」

 

 メジロシャーロックが大逃げで勝ってきたからこそ、この逃げはよく刺さる。

 無理に逃げていると錯覚してしまうからこそ、いずれは自滅するだろうと考えているからこそ、より大きな効果を発揮する。

 

 恐ろしい。ホオキパウェーブに騎乗しながら、冷や汗が流れる。

 なんなら、自分がやってきたことよりも数段恐ろしいことをやってのけている。

 

(気づけという方が無理だ! そもそも寛君は、コンマ数秒単位でペースを落としている!)

 

 誰にも気づかれないほど緩やかに。

 ゆったりと、着実にペースを落としている。

 最後の直線でも問題なく走り切れるほどには。

 一体何時からなのか。どこから息を入れていたのか……槙山に知る術はない。

 

《まもなく第3コーナー、淀の坂に入ります。先頭は依然としてメジロシャーロック、メジロシャーロックが大きく、大きく差をつけて逃げています! 京都競馬場の大歓声、京都競馬場の大歓声を受けながら、メジロシャーロックが淀の坂を上っている!》

《後方からホオキパウェーブが迫ろうとしていますね。ですが、ここでコスモステージらも!》

《終盤に向けて、一気に盤面が動いています菊花賞! クラシック最後の冠を奪うべく、18頭の優駿達が淀の坂を上ります! 先頭はメジロシャーロック、その差は10馬身以上開いている!》

 

 知る術はないが、すでに悟っていた。

 

「メジロシャーロックは、落ちてこない……っ!」

 

 10馬身の差が一向に縮まらない。淀の坂を上りながら、必死に手綱を動かしながら。

 槙山はすでに、このレースがどういう結末になるか。すでに察していた。

 

 同様のことは、デルタブルースに騎乗している磐田も感じている。

 小さな違和感に気づくことができず、ホオキパウェーブが上がってきて、ようやく気付いた。

 

(まさか、このままだと!)

「くそっ!」

 

 ホオキパウェーブに続くように、デルタブルースに上がるよう指示する。

 どうか間に合ってくれと、祈りながら手綱を動かす。

 

 しかし、あまりにも差が開きすぎている。

 デルタブルースが位置していたのは中団。

 前を走るメジロシャーロックの姿は、あまりにも遠い。

 

(しかし、それでもっ!)

 

 負けないためにと、今できる最善を尽くそうと動く。

 デルタブルースの力を信じて、磐田は必死に手綱を緩め前へ行くように指示を出していた。

 

 

 槙山と磐田が絶望していることなど露知らず、先頭を走るメジロシャーロックの鞍上、岳寛はというと。

 

「よしよし、このままゆっくり上ってゆっくり下る……なんて、定石通りにはいかないよ」

 

 それはもう素敵な笑顔で恐ろしいことを考えていた。

 

「坂で加速だ。君ならできるよ、シャーロック」

 

 先頭でずっと逃げいていた馬に対し、とんでもないことを要求する。

 上り坂はゆっくりでも構わない。

 その代わり、下り坂で加速しろ。

 

 ゆっくり上ってゆっくり下れ。淀の坂における鉄則だ。

 その鉄則を破り、タブーを犯せと要求したのである。

 

 考え無しに言っているわけではない。

 これは、信頼しているからこそやらせている。

 

(シャーロックの脚は十分に回復した。なんせ、第1コーナーからじっくりと行かせてもらったからね)

 

 規格外の賢さに加え、あのメジロマックイーンの産駒。

 東京競馬場で、2400の大逃げを成功させた。

 スタミナだって問題はない。回復した脚で、残り1000mの距離を走るのは訳ない。

 

 全幅の信頼を寄せている。名手、岳寛が。

 メジロシャーロックなら問題なくこなせると、絶対に勝てると踏んでいる。

 

 そして、それに応えるように。

 

はいはい分かりましたよ

 

 と言わんばかりに、上り坂をゆっくりと上り──下り坂で加速をつけた。

 

《淀の坂を上って、ゆっくり下らっ、ない! 加速だ加速だ、ここでメジロシャーロックが加速する! メジロシャーロックの大逃げはまだ終わっていない! 2番手浮上したホオキパウェーブが追う、メジロシャーロックを必死に追う!》

《こ、ここで加速ですか! なんとも大胆な一手を打ちましたね岳騎手!》

《さぁこれで落ちることに期待は出来なくなったぞ後続! 気づけばハーツクライが3番手集団に浮上している! いつの間に上がってきたハーツクライ! ホオキパウェーブ、ハーツクライ、デルタブルースが2番手争い接戦だ! だが先頭メジロシャーロックははるか前方、はるか前方!》

 

 2番手との差をさらにつけようとしている。

 すでに回復し切った体力。脚色も十分。

 

 ここにきて、槙山以外の騎手、とりわけ先行集団で走っていた騎手は全員気づいた。

 あまりにも絶望的なことに。

 

(うそ、だろ? いつ溜めてたんだよ、あれだけの脚)

(気づけなかった……いつどこでペースを落としたのか、全く!)

(まだ、まだ終わってない、けどっ)

 

 メジロシャーロックは落ちてこない。

 岳以外の17人の騎手は。第4コーナーを悠々と曲がるメジロシャーロックの姿を目に焼き付け。

 全てを悟ってしまった。

 

 

 正面スタンド前。先頭で入ってきたメジロシャーロックを迎えるは、15万を超える大歓声。

 

「おっしゃ余裕やー! そんまま押し切れー!」

「盤石にもほどがあるだろ! やっぱメジロマックイーンの仔だー!」

「勝てー! 勝てー!」

 

 怒号のような歓声が支配する京都競馬場。

 すでに歓喜の咆哮を上げる人さえもいる始末だ。

 

 それも仕方ないだろう。

 2番手ホオキパウェーブとハーツクライ、そしてデルタブルースとの差は10馬身開いている現状。

 その差は、一向に縮まる気配がないのだから。

 

《メジロシャーロック先頭! メジロシャーロック先頭! なんという、なんという強さだ!? 最も強い馬が勝つ菊花賞で、これだけの強さだ、これだけの強さだメジロシャーロック!》

 

 逃げる、逃げる。ひたすらに逃げる。最初から最後まで、先頭で逃げ続ける。

 

《残り200を切った! これはもはやウイニングラン、これはもはやウイニングラン! 脚色が全く衰えませんメジロシャーロック! メジロが菊の舞台でまたも光り輝く!》

 

 ホオキパウェーブ槙山憲弘。ハーツクライ安堂克己。デルタブルース磐田泰成。

 全員が必死に追っているが、脚色十分のメジロシャーロックには追いつけない。

 

《ご覧ください! これがメジロシャーロック! これがメジロの寵児! 名門メジロ復活の刻だ! 2着に大差をつけて! 葦毛の超特急が菊の大輪を咲かせる!》

 

 あまりにも鮮やかに。

 あまりにも悠々と。

 

 メジロシャーロックは──菊花賞のゴール板を駆け抜けた。

 

《メジロ初の三冠馬! 皐月に芽吹き! ダービーで力強く育ち! 菊で羽ばたくメジロの翼、メジロの集大成! これがメジロシャーロックの強さだァァァ! 今、メジロシャーロックが駆け抜けたァァァ! 第六代目三冠馬、その名はメジロシャーロックゥゥゥ!》

「うおおおあああぁぁぁ!!」

「やった、やりやがった! メジロシャーロックがやったんだぁぁぁ!」

 

 地鳴りが起きたと錯覚するほどの大歓声。

 実際に京都競馬場が揺れているんじゃないか? と思うほどの声。

 それほどまでに、人々は歓喜していた。

 新しい三冠馬の誕生を。メジロシャーロックという馬が、無敗の三冠馬として君臨したことを。

 

「ルドルフ以来の無敗の三冠! しかも、大差勝ちだ! こんなすげぇことはねぇだろ!?」

「大逃げで勝つとはなぁ。こりゃすげぇ!」

「葦毛の逃げ馬、セイウンスカイみたいな勝ち方しやがった! すげぇぞメジロシャーロック!」

 

 これ以上ないほどに喜んでいた。

 

 そして、それだけではない。

 

《三本の指を掲げる岳寛! これが岳寛初の三冠馬との出会い! 岳寛に、三冠ジョッキーの称号をプレゼントしましたメジロシャーロック! しかも、なんとこの菊花賞もレコードタイム! タイムは3分2秒2、セイウンスカイのタイムを1秒縮めたメジロシャーロック!》

《いや、強すぎますよコレ! 本当に強いとしか言えません!》

 

 岳寛に三冠ジョッキーの称号を。

 さらには三冠全てでレコードタイムを記録。

 とんでもない記録を樹立した。

 

「シャーロック! シャーロック! シャーロック!」

「ユタカ! ユタカ! ユタカ!」

 

 ダービーのように沸き上がるコール。

 歓喜に包まれる京都競馬場の雰囲気は、いつまでも続きそうなほどだった。

 

 

 ほどなくして、ウィナーズサークルでインタビューを受ける岳寛。

 今回の逃げに関して、彼はこう答えている。

 

「いや~、これでノリさんにリベンジで来たかなって。ほら、セイウンスカイの時は負けちゃったし。イングランディーレも逃げ切られたから」

「じ、じゃあこの逃げは意図的だった、と? セイウンスカイのような逃げを、今回の菊花賞でやったのですか?」

「はい。あ、しかもセイウンスカイのタイムを更新しましたね。いや~、良かった良かった」

 

 結構な畜生発言を残していた。

 

 厩舎初の三冠馬。しかもそれが、メジロマックイーンの仔ということもあり、感激の涙を流す生江康夫。

 

「いや、ホンマに最っ高すわ! えぇ酒が飲めそうです! ホンマに強い馬ですわ、メジロシャーロックは!」

 

 口から出るわ出るわ、メジロシャーロックを絶賛する言葉。

 いつもの5割増しくらいに飛び出ていた。

 

 口取り式では、メジロの新オーナーである喜多野裕二も感激のあまり涙を流していた。

 

「いえ、ね。天国の美弥さんに、良い報告が出来そうです。シャーロックが三冠を獲りましたよって、真っ先に報告しに行きます」

 

 その言葉に、インタビュアーたちも思わずほろりと涙を流したのはここだけの話だ。

 

 さて、ここで改めて、メジロシャーロックの三冠レースについて振り返ろう。

 

 最も速い馬が勝つ皐月賞をラップ逃げで。

 最も運の良い馬が勝つ日本ダービーを大逃げで。

 最も強い馬が勝つ菊花賞を幻惑逃げで。

 

 三冠全てのレースを、異なる逃げで勝利した。

 しかも、全部レコードを塗り替えている。過去のタイムを超える記録を叩き出した。

 

 この情報で確定的になる。

 今後の競馬を引っ張っていくのは──メジロシャーロックを置いて他にいないと。

 

 ドラマ性、話題性、強さ。

 全てを兼ね備えたスターホース。

 メジロシャーロックの動向に、全国の人々は熱視線を送っていた。

 

「次走はオーナーさんと相談してからやな。年内全休もあり得るかもしれません」

「あ、有馬は!? 有馬には出走なさらないのですか!?」

「う~ん、ここまで頑張ってもろてるしなぁ。問題なさそうやったらありそうやけど」

 

 次走は未定。

 果たしてどうなるのか。

 期待に胸を膨らませるファンだった。

 

 

 当のメジロシャーロックはというと。

 

(よし、よし! これで第一目標達成! メジロ復活にぐっと近づいたぞ!)

 

 めちゃくちゃ喜んでいた。

 

 

第65回菊花賞勝者・メジロシャーロック。2着につけた着差は推定11馬身

同時に第六代目三冠馬・メジロシャーロックが誕生した




祝え!新たなる三冠馬、第六代目三冠馬メジロシャーロックの誕生を!
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