ちょっとした休暇も終わって、諸々の手続きを済ませ。
めちゃくちゃ長いフライト時間を経て、ついにやってきたわけだ。
『ここがイギリスかぁ』
『走るわよシャロ! 女王であるあたしを、あんな狭いとこに押し詰めたストレスの発散よ!』
『はいはい。分かりましたよ』
イギリス。近代競馬発祥の地とも言われる場所に、俺達はいる。
海外遠征が始まろうとしていた。
まぁ、ここに来るまでにいろいろとあったんだけど。主に俺と一緒に来たグルーヴさんのせいで。
まさか俺の帯同馬がグルーヴさんになるとは思わんかったわ。あまりにも豪華すぎる。
検疫厩舎に着いた時びっくりしたよ。だってグルーヴさんがいたんだから。
『ふふ~ん! 家来の遠征に着いていくのも女王であるあたしの務めよ!』
なんて言ってたな。
俺が海外遠征するのだから、自分も着いていくのが当たり前。
むしろ行かない選択肢の方がない、と力説していた。
『向こうでシャロが寂し~い思いをしないように! あたしが着いていってあげるわね!』
『ありがとうございます。いや、本当に嬉しいっす』
『そうでしょうそうでしょう! 家来のメンタルケアも欠かさない、あたしってばまさしく女王ね!』
実際来てくれて嬉しい。孤独に海を渡ることにならなくてほっとしている。
友達1人いない状況より、見知った顔がいるだけで安心できるってもの。感謝しかない。
……なお、グルーヴさんが着いていくる理由というのが。
「でも、本当に凄いですね康夫さん。アドマイヤグルーヴが帯同馬として着いてきてくれるなんて。向こうのテキも、馬主さんもよく許可を出しましたね?」
「あ~それはな柏崎。シャーロックがおらんかったら、グルーヴが絶対に癇癪起こすっちゅうから、って言われたわ」
「あ、あはは。確かに、その姿が容易に想像できるというか」
俺がいないと栗東で暴れ回るだろうから、というあんまりなものだった。
俺だってそんな気はしてるよ。でも実際に言われるとコメントに困るわ。
「一緒にエクリプスステークスに挑戦する予定やで。キングジョージの方には出走せぇへんけど」
んで、レースにも出走予定。俺も出るエクリプスステークスに。キングジョージは見送るそうだ。
「ま、アドマイヤグルーヴが来てくれるんやったらこっちとしても大助かり! 調教相手には困らんわ!」
「ですよね! 2頭、凄く仲が良いですから!」
「帰ってきた後の方を心配せなあかんわ! アッハッハ!」
笑ってるけど康夫さん、こっちとしては笑い事じゃないからな?
絶対に激詰めしてくるのがいるからな? どこの誰とは言わんけど。
と、グルーヴさんが着いてくることで決定したのだが。
『狭いし何もすることないし動けないし! 何とかしなさいよシャロ!』
『俺に言われてもどうしようもできないですよ。少なくとも後5時間はこのままです』
『あたしをこんなとこに閉じ込めて! 承知しないわよ人間!』
この方飛行機の中でもかなりうるさかった。
そりゃ、気持ちは分かるよ。飛行機の中で何時間もジッとしてなきゃいけないんだから、ストレスも貯まる。
俺だって我慢の限界を迎えそうだったんだ。早く出せ、ってな。
その限界も、隣で俺の倍以上はキレてるグルーヴさんを見たら引っ込むわ。
宥める方向にシフトするわそりゃ。本当にグルーヴさんがいて助かったわ。おかげで冷静になれたんだから。
とまぁ、飛行機ではそんなことがあった。
今はもう向こうでお世話になる予定の厩舎に到着している。
ストレスが溜まっているので早速放牧地へ。
この辺の交渉は柏崎さんが大活躍した。
「『2頭とも放牧地で走らせても構いませんか? ストレスを溜めていると思うので。主にアドマイヤグルーヴの方が』」
「『長旅だったろうし構わないよ。それじゃあ、放牧地に案内しようか。2頭一緒でも大丈夫かな?』」
「『構いません。むしろ一緒でお願いします。何をするか分かりませんので、アドマイヤグルーヴが』」
見事な英語を披露して、向こうの調教師さんに事情を説明。
俺達を一緒の放牧地で走らせることに成功する。いや、すげぇなあの人。
(物怖じしないし、堂々としている。めっちゃ心強いわ)
放牧地でグルーヴさんと一緒に走り回れる。
柏崎さんのおかげだな。
『シャロ! さっさと走るわよ! あたし、今すっごく走りたいんだから!』
『同感ですよ、グルーヴさん。いっちょお願いします』
『任せなさ~い!』
時間を目いっぱい使って、放牧地を走り回った。
気が済むまで、ストレスを発散するつもりで。
何も考えずに、グルーヴさんと一緒に走る。
(いや~楽しい! 今だけは全部忘れて走れる!)
『もっと走るわよ! こんなんじゃ全然気が晴れないんだから!』
『はい! まだ走りましょうか!』
『分かってるじゃない!』
楽しい時間を過ごせた。
余談だが、馬房も近く。隣同士である。
その理由は、なんとなく察しがつくもの。
『ちょっと、ちゃんといるでしょうね? シャロ。あたしを寂しがらせるなんて許さないわよ?』
『いますよちゃんと。何度目ですかその確認、脱走するわけでもないのに』
『しゃ、シャロが不安がらないようによ! 家来のことに気を配るのも、女王であるあたしの役目なんだから!』
『はいはい』
俺達が寂しくならないように、日本馬同士で固めておくためだ。
俺とグルーヴさんは気心の知れた仲。
牡馬と牝馬という違いはあれど、一緒の方が精神的によいという判断だろう。
実際、俺のことを呼んでは啼いてるグルーヴさんがいるし。間違いじゃない。
(……俺もグルーヴさんがいなかったら寂しかった、ってのは内緒にしておこう)
『ちゃんといるわよね~! シャロ~!』
『はいはい。ちゃんといますよ』
始まる海外遠征。なんだかんだ上手くやれそうな気がする。
◇
少し日を置いて、しばらく経ってから調教開始。
まずは芝に慣れるところから始まる。日本とはやっぱり違うからな。
『なによこれ。なんか変な感じがして走りにくいわね~』
『微妙に違いがありますよね。こう、クッション性とか諸々』
好走できない理由の1つにもなっている芝。
日本よりも深く沈むような感触がする。これはこれで悪くないのだが、走りにくさも感じる。
(こっちでの走りを模索する必要があるな、これは。全部を変える必要はねぇけど、勝つためには調整が必要だ)
調整の時間は半月。
スクーリングという、実際の競馬場で走ることもできるので、そこで試走、ってのが一番だな。
『あんま気分が乗らないわね。走りたくないわ』
「『アドマイヤグルーヴ、やる気をなくしているね。何かあったのか?』」
「『検査では特に異常はなかったんですけど……どうしてでしょうか、小見山さん』」
「『初めての芝だから、やる気が出ないんじゃないっすかねぇ。元々デリケートな仔っすので』」
……その前に、グルーヴさんのやる気を引き出すか。
柏崎さん達も心配そうに見てるし、これで調教終わりとか洒落にならん。
『ほら、グルーヴさん。やる気出してくださいよ。確かに芝は違いますけど、走っていると中々楽しいですよ?』
『え~そうかしら? あんまり楽しくないわよ、この芝』
『慣れてきたら楽しいですよ。ほら、少しだけマシになる方法見つけたんで。だからもうちょっと頑張りましょう』
時間はいくらあっても足りない。
一日でも早くここでの走りをマスターする必要がある。
そのためにも、グルーヴさんにはやる気になってもらわなければ。
どう説得するか? そう悩んでいたのだが。
『ま、シャロが言うなら頑張るわ。もっと走りたいし』
思いの外あっさりとやる気になってくれた。
拍子抜けするがありがたい限り。
「『急にやる気を出したね。こちらの理由は分かる?』」
「『それは分かります。アドマイヤグルーヴ、シャーロックと併せるとかなりやる気を出してくれるんです』」
「『柏崎さんの言う通りっす。もうシャーロックにべた惚れって感じっす』」
「『はは、微笑ましいじゃないか』」
調教を再開。さて、なんとかして走り方を極めますか。
『置いていかれないようにしなさい、シャロ! まだまだあたしも負けてないわよ~!』
『当然、負けませんよ! 俺だって強くなってるので!』
『シャロの場合は強くなりすぎよ! 貴方の女王として誇らしいわ!』
こっちのレースを勝つために、頑張るぞ。
ってな具合に、調教自体は順調にこなし。
『また良い感じにできたんで、グルーヴさんにも共有しますね。こんな感じなんですけど』
『ふっふ~ん。やっぱりシャロは優秀ね!』
欧州芝の走り方を改善しつつ、たまにこっちの馬と併せたり。
『違う国から来たんだって? 大変だね~。今日はよろしく』
『はい、よろしくお願いします』
『ま~精々頑張りなよ?』
できることを尽くして、イギリスの環境に慣れるために頑張った。
『今日も走るわよシャロ! こっちの放牧地は広いから最高ね!』
『確かに広いですよね。土地が凄いわ欧州』
『アッハハ! ずっとこっちでもいいくらい! シャロと一緒だし、言うことなしね!』
『日本には帰りたいですけどね』
個人的な感触としては良い感じ。
こっちの走り方も完成しつつあるし、スクーリングでも良い時計を出すことができた。
順調そのもの。後の不安要素は、出走してくるメンバーってとこか。
そういえば、宝塚記念が終わった後ぐらいか?
6月の終わり際に、岳さん達がこっちに来た。
「久しぶりだね、シャーロック。それにアドマイヤグルーヴも。今日から合流できるよ」
「端田さんにもよろしくされたからな。しっかりとやらせてもらうで」
夏競馬があるが、そっちは俊之さんと端田さんに任せることができる。
康夫さんはこっちに来て俺達の応援、岳さんは俺に騎乗予定だ。
じゃあグルーヴさんは? というと、こっちの騎手に騎乗してもらう予定だとか。
すでに何度か騎乗している。中々悪くなさそうな反応をしていた……騎手の方は。
『誰よコイツ。変なことしたら承知しないわよ!』
『落ち着いてくださいグルーヴさん。こっちの人です』
『知らないわよ。無礼な真似をする人間は振り落として当然なんだから!』
グルーヴさんの方はアレ。投げ飛ばさなかっただけマシ、ってとこか。
いや、悪くはない。悪くはないんだ。
ただ気難しいというか、やっぱ気性難か、というか。
なんにせよ、無事に済んで一安心である。
最後のスクーリングでは岳さんが俺に騎乗、したのだが。
「……ふぅ。やっぱり、緊張するね。海外の大舞台で、君に乗って挑むんだから」
岳さんはどこか緊張しているようだった。
動きがいつもよりぎこちないし、違和感を感じるくらいには緊張している。
練習でこれってことは、本番でも怪しいかもしれん。
(ただ、その気持ちは分かる。特に、俺ってのがな)
ここまで無敗で、ファン人気が高い。
わざわざ俺のために、日本からイギリスへ渡るファンも多い。
ツアーも組まれるほどだ。期待がとんでもないことになっている。
さらには、初めて走る舞台。
日本ならいざ知らず、何もかもが違う海外だ。
戦い方も違うから変える必要があるし、不安要素をあげればキリがない。
そりゃ緊張もするさ。万が一でも負けてしまったら、って考えたら委縮する。
場数を踏んできたと言っても、慣れるもんじゃない。
(ぶっちゃけ、俺は岳さんの倍以上に緊張しているけどな!)
俺も緊張してる。
そりゃそうだ。日本馬が勝ったことない上に、そもそもこの時期はまだ日本が下に見られていた時代。
地位は向上しつつあるけど、本場と比べたら下だ。
格上挑戦。そう見ても全くおかしくない。
だからこそ、燃える部分もあるわけだが。
(ま、だからといって。負けるつもりはさらさらねぇけど)
『ジャイアントキリング。かましてやりますか』
ここで勝てば、俺の価値はさらに倍増。
メジロの未来も相当明るくなる。
海外勝利ってのはそれだけ大きい。特に、この時期の海外勝利はな。
俺の人気もそこまでじゃないだろう。
こっちだとブックメーカーか。そっちの人気も、最下位レベルでも全く驚かない。
いや、人気出て欲しいとは思うけどね。厳しいもんがあるのは事実。
ま、勝つ条件には全く関係ないんだが。
むしろ警戒されてないわけだし、フリーで動けるはず。
フリーで動けるなら、これほど気が楽なことはない。
『やる気が出てくるぜぇぇぇ! 頑張るぞぉぉぉ!』
『凄くやる気じゃないシャロ! あたしも負けないわよ!』
やってやろうじゃねぇか、エクリプスステークス制覇!
なお、エクリプスステークスが近づく中で知ったこと。
「こっちでもシャーロック人気なんやな~。ブックメーカーで1番人気らしいで」
「近年でエルコンドルパサーの件もありますし、なによりシャーロックは目立ちますからね。日本の三冠馬が来る、ってことでこっちでも有名ですよ」
俺の人気、ブックメーカーでも1番人気らしいです、はい。
(じゃあマークされるじゃねぇかくそったれ! 久しぶりにフリーになれると思ったのにぃぃぃ!)
嬉しいけど嬉しくねぇ!
なんだかんだ走り方はちゃんとマスターした模様。次はウマ娘編。