エクリプスステークス
| 枠順 | 馬名 | 牡/牝 | 人気 |
| 1 | オラトリオ | 牡3 | 4 |
| 2 | モティヴェイター | 牡3 | 2 |
| 3 | メジロシャーロック | 牡4 | 1 |
| 4 | ヘイジービュー | 牡4 | 9 |
| 5 | ハリケーンアラン | 牡5 | 7 |
| 6 | アドマイヤグルーヴ | 牝5 | 8 |
| 7 | スタークラフト | 牡5 | 3 |
| 8 | ダイヤモンドグリーン | 牡4 | 5 |
| 9 | アルティエリ | 牡7 | 6 |
◇
イギリス競馬界では今、一頭の馬が話題になっていた。
日本からやってきた葦毛の牡馬。メジロシャーロックが。
近年、日本競馬の勢いは凄まじく、芝最高峰のレースの1つ、凱旋門賞でもエルコンドルパサーが2着に入った。
それも半馬身差。今までの結果を考えると、かなりの大健闘をしている。
中距離に限らず、マイルではタイキシャトルが。
短距離ではシーキングザパールが台頭。
日本競馬は着実に強くなっていると、欧州では話題になっていたのだ。
そんな状況で、エクリプスステークスに出走を表明してきた日本馬。
勿論それだけでも注目に値するが、目を惹く要素がたくさんあった。
「日本の三冠馬が来るらしいぞ。それも、かなり強いらしい」
「本国じゃ敵なし。無敗記録を継続中だそうだ」
「向こうでもかなり人気らしいな。日本人を多く見かけるようになったのは、メジロシャーロックを観るためだと」
どこであろうと特別な称号である、クラシック三冠馬。
13戦13勝という、無敗記録を継続中の怪物。
日本からイギリスのサンダウン競馬場まで足を運ぶほどのファン人気。
注目を集めるのは必然だった。
加えて、イギリスの人々の耳にも届いている。
これまでのメジロシャーロックの蹄跡だけでなく、歩んできたドラマが。
「今は亡きオーナーのために、ダービーを逃げ切った……泣かせてくれるじゃないか」
「それだけじゃないわ。この子、生まれたその時に母親を亡くしているみたい……可哀想ね」
「最近では、彼をお世話していた厩務員が事故に遭ったとか。全く、くそったれな運命だね」
とりわけ悲劇的な要素が、イギリス人の間で話題になっていた。
思わず同情する境遇。だからこそ頑張ってほしいと応援する。
その結果が──ブックメーカーでの1番人気だ。
本国の人気馬、無敗のダービー馬モティヴェイターさえも抑えて、メジロシャーロックが1番人気を勝ち取った。
「人気で勝負が決まるわけではないが、やはり嬉しいものがあるな」
「こっちでも人気みたいですよ、シャーロック。これでレースを勝てばっ」
「爆発、するかもしれんな」
これにはオーナーである喜多野裕二も笑みを浮かべていた。
そんな出走前のやり取りがあったメジロシャーロック陣営。
今現在、メジロシャーロックはサンダウン競馬場のゲートに収まっている。
出走の時を今か今かと待ちわびていた。
焦りは……ない。不思議なほど落ち着いている。
(ちょっとは緊張してるが、大丈夫だ。やるだけやってやるさ)
思考はクリア。走るのにも絶好のコンディション。
斤量60.5を背負っているというのに、全く苦にしていない。
問題はない。そう、メジロシャーロックには。
鞍上である岳寛は、緊張していた。
手綱に込める力は強く、ステッキも握りしめている。
岳の頭にあるのはプレッシャー。メジロシャーロックを負けさせるわけにはいかないという、重圧だ。
(いまだ負けを知らない無敗の競走馬。このエクリプスステークスも勝てば、シャーロックの名前は世界に轟く)
これまでは問題なかった。
いつも通りに騎乗して、いつも通りに勝つ。
そうしてきたはずだった。
だが、海外戦の大一番。
キングジョージを見据えているとはいえ、このレースを落とすわけにはいかない。
メジロシャーロックの戦歴に、傷をつけるわけにはいかない。
岳ほどの騎手でも、やはり緊張はする。
それがデビューからずっと騎乗してきた相棒で、なおかつ負けを知らないのであればなおさらだ。
掛かる重圧は常人の倍以上。
見た目こそ平静を取り繕っているが、内心気が気でない。
どうやって勝つか? どうするのが正解か?
答えが出ないままで、エクリプスステークスを騎乗しようとしている。
「……スゥー、ハァ……っ」
深呼吸をして気持ちを落ち着かせるが、あまり効果はなく。
心臓はうるさいくらいに鳴り、止めと命令しても止まない。
海外戦を何度も経験してきた岳は、プレッシャーに飲まれかけていた。
落ち着くまで待つ。
そんなこと、レースが許してくれるはずがなく。
《各馬態勢整いました。サンダウン競馬場、10ハロン7ヤード*1の激闘、馬場はFirm*2の発表。9頭の馬が態勢整って今ッ、スタートしました!》
気持ちを落ち着かせることができずに、レースが始まってしまった。
しまった。頭の中でそう思った時にはもう遅い。
幸いにもメジロシャーロックは抜群のスタートを切ることができたが、それどころではなかった。
(まずは位置取りの確認! 定石通りに、シャーロックのベストポジションをっ!)
周りをしきりに見渡し、どのポジションが最適かを見定める。
だが、焦った思考でそんなものが見えてくるはずもなく。
《メジロシャーロックが先頭で走ります。揃って綺麗なスタートを切りました。外からアルティエリが併せに行く、ヘイジービューも果敢に競りかけます。内枠の2頭、オラトリオとモティヴェイターは控える、日本のアドマイヤグルーヴは後方からのスタートだ》
前へ前へ。
とにかく逃げようとしているのか、それとも周りが見えていないのか。
ペースを上げればいいのか、それとも下げればいいのか。
控えるのが正解か。逃げるのが最適解か。
(どうすればいい? どうするのが正解だ!?)
まだ始まったばかりだというのに、岳は焦りを募らせていた。
正解を導き出せないでいる。導き出せないまま、ひたすらに逃げようとしている。
《メジロシャーロックが先頭でペースを握ります。まもなくカーブを迎える、マイルコースのシュートと合流だ。ペースメーカーはメジロシャーロック、アルティエリは併せません。メジロシャーロックの1馬身後ろを走ります。ヘイジービューはその隣、オラトリオとモティヴェイターはさらにその後ろ。ハリケーンアラン、スタークラフト、アドマイヤグルーヴ、ダイヤモンドグリーンと続きます》
ペースがガタガタのまま、走らせようとしていた。
そんな時である。
メジロシャーロックが弾んだ。己の馬体を揺らすように、わざと弾んだ。
「うわっ!? っとと」
慌てて手綱を握り締め、振り落とされまいとする。
その後も何度か弾んだものの、しっかり握っていたことで落馬することはなかった。
(一体、何がっ)
「……あ」
どうして急に弾んだのか。なんの意味もないところで、どうして振り落とすような真似をしたのか。
頭の中に疑問が出てくるが、すぐに理解する。
ちっとは落ち着いたかよ
そう言わんばかりに、相棒は平常心であることを悟り。
焦る自分に冷静さを取り戻させるために、馬体を揺らしたのだと理解した。
頬が熱くなる。思わず手で顔を覆いたくなる。
その気持ちをグッと抑えて、岳は再度手綱を握り締めた。
(……いけないな。焦りすぎてしまっていた。これ! って作戦を決めずに走らせるのはよくないな、うん)
「ありがとう、シャーロック。もう大丈夫だよ。このペースを継続していこう」
ペースはこのまま。要望に対し、シャーロックは何も言わない。
巡航速度を保ったまま、岳を背に乗せて走る。
了解
そう、答えたような気がした。
冷静になった岳寛。
元から冷静だったメジロシャーロック。
ついでに、イギリスの芝でも問題なく走れるように仕上げた。
途中からアルティエリとヘイジービューが競りかけてきた。
競りかけてきたが、冷静になったコンビが動じることはない。
マークされても意に介さず、日本で走る時と同じように。
ただ悠然と、歩を進める。
《上り坂を駆け上がる9頭、メジロシャーロックの外から併せるヘイジービュー、内から併せるアルティエリ。メジロシャーロックは動きません、マークされても意に介さず! もう一頭の日本馬アドマイヤグルーヴはここで上がってきたか? レースが動きます最後の直線に入りました!》
その様子に、アルティエリとヘイジービューの騎手は焦った。
今度は海外の騎手が焦る番である。
(どういうわけだくそったれ! マークが意味をなしてねぇ!)
(こんなのするだけ無駄じゃねぇか! だったら!)
乱れたペース。
メジロシャーロックを抜き去って、自分達が先頭に立つと言わんばかりに走り始めようとしていた。
──しかし。
「行こうか、シャーロック。君ならば、問題ないだろう?」
最も勢いがあったのは、前で走っていたメジロシャーロック。
逃げていたはずなのに。ペースメーカーをして、2頭からマークされてキツいはずなのに。
あいよ
全く問題ないとばかりに、先頭を奪おうと動いた2頭をねじ伏せようとしていた。
《メジロシャーロックが先頭だ、メジロシャーロックが先頭だ。サンダウンの坂を上るメジロシャーロック、アルティエリとヘイジービューは少しずつ引きはがされていく! これはメジロシャーロックの勢いが凄いぞ、引き離していく! 後続が迫ってきている、メジロシャーロックに追いつけるか!?》
そして、2頭はひれ伏す。
ずっと逃げていた馬に。葦毛の競走馬に。
なす術もなく後塵を拝することになった。
後続はどうか?
勢いがある3頭。メジロシャーロックとの距離を詰めようと、着実に詰めていく。
手綱が動き、鞭が入る。
後続も動いてきた。
内から猛然と伸びてくるモティヴェイター。
外から上がるオラトリオとアドマイヤグルーヴ。
勢いはこの3頭が突出している。
だが、勢いが足りない。
否、メジロシャーロックの勢いが衰えていない。
1ハロンで半馬身しか縮まらないような感覚。逃げていたというのに、メジロシャーロックはしっかりと体力を残していた。
観客席にいた人々は思わず声をあげそうになる。
歓喜の声を、熱の入った応援をしそうになっていた。
「いけいけー! 頑張れーシャーロックー!」
知ったこっちゃないとばかりに応援している日本人を思わず羨んでしまうほどに。
《メジロシャーロックが先頭だ、メジロシャーロックが先頭だ! なんということだ! こんなにも、こんなにも簡単に歩を進めている! なんという走り、なんという強さ! 日本の競馬はここまで進化を遂げていた!》
先頭で走り続けた葦毛の馬体。
無駄な脂肪が一切ない、しなやかさを兼ね備えた筋肉。
見た目以上に大きく見える体高に、気品を感じずにはいられない馬体。
なにより、イギリスでも大人気である──シャーロック・ホームズから付けられたであろう名前。
応援する要素しかなかった。気づけば握り拳を作っていた。
魅了されていた。日本からやってきた、葦毛の馬に。
《メジロシャーロック先頭を譲らない! オラトリオ、モティヴェイター、アドマイヤグルーヴが迫るがメジロシャーロックの勢いは衰えない!》
ゴールしたその瞬間には、拳を突き上げていたファンがいた。
《メジロシャーロック! メジロシャーロック! メジロシャァァァロォックッ! なんというレースだったんだ! メジロシャーロックがあまりにもあっさりと勝ってしまったぞ! 日本馬の中距離戦は苦戦続きだった。その苦戦が嘘みたいなあっさりとした勝利! 2着のオラトリオに2馬身差を叩きつける快勝だぁぁぁ!》
メジロシャーロックはなんの苦労もなく、エクリプスステークスを制したのだった。
◇
歓喜に包まれているサンダウン競馬場。
勝者であるメジロシャーロックを、英国の人々は祝福していた。
「なんて強い馬だ。日本に、こんな馬がいただなんて!」
「次はキングジョージ? 絶対に観に行くわ!」
「日本のファンが羨ましいよ。彼のレース全通したんだろう?」
すでに魅了されたファンが多数。
葦毛で目立つうえ、それがラビット、とりわけ逃げの馬ともなれば尚更だ。
どんなことをしようが目立つ。何もしてなくても目立ってしまうだろう。
さらには同情せずにはいられない馬生。
これまでの悲劇的な境遇をアクセントに、応援したくなる気持ちを抱かせる。
強さも文句なしと来れば、そりゃあ祝福は当然だろう。
メジロシャーロックはたった一走で、英国の競馬ファンの心を掴みかけていた。
当の本馬というと。
(なんかすげぇ黄色い声が上がってんな。言葉分かんねぇけど)
なんとなく褒められてるんだな、ということぐらいは分かっていた。
ついでに、今回のレースについて振り返っている。
(なんとか間に合ったな~。おかげさまで、全力を出すことができた)
『後は……キングジョージ、か。今回は絶好調だったし、岳さんも緊張解れてるだろうし。万全の状態で迎えそうだな、うん』
すでに先を見据えていた。
かつてこれほどあっさりと勝ったことがあるだろうか?強いなコイツ。