エクリプスステークスから一日が経ったが、イギリスの競馬ファンは興奮冷めやらぬ状況だった。
「日本から来たシャーロック、アレは強いよ! 次のキングジョージ、勝つのは彼かもしれないね!」
「メジロシャーロックは凄いわ! あたし、たった一回で虜になっちゃった!」
「日本の三冠馬は凄いね。こっちで走っても大活躍できるよ!」
日本からやってきた無敗の三冠馬メジロシャーロック。
葦毛の馬の走りに、ほぼ全ての競馬ファンが魅了された。
最初こそアドマイヤグルーヴとのチーム戦を疑うファンは多かった。
元々帯同馬。一緒のレースに出るということは、メジロシャーロックを勝たせるために来たのだろうと推測。
オーソドックスな戦法に、定石通りの走りをする。そう高を括っていた。
だが、蓋を開けてみればメジロシャーロックがペースメーカーを務めていた。
アドマイヤグルーヴが本命か? と思う中、本気で勝ちを狙いに行く騎乗にその疑問は消える。
チーム戦などではない。2頭とも勝ちに来ている。
そう思うには十分すぎる内容だった。
それはいいだろう。ファンが魅了されたのは──あまりにも軽やかに駆け抜ける葦毛の馬体だ。
完全に白くなった馬体は見栄えが良く、先頭に立って走っていたので目立っていた。
それだけではない。メジロシャーロックは、最後まで垂れなかった。
それどころか、競りかけていた2頭を振り切り、後続の猛追を躱して、最後の最後まで先頭を譲らなかった。
イギリスの競馬ではあまり馴染みのない逃げ切り勝ち。王道からは少し外れた勝ち方。
ファンは──沸いた。それはもう凄く沸いた。
「ラビットじゃないのにあの勝ち方……本当に強い馬しか勝てない、ストロングスタイルだ!」
「最初から最後まで先頭。それも一度だって譲らず、競りかけられていたのにだ。強いなんてもんじゃない」
「名探偵の逃亡劇。はは、スコットランドヤード形無しだな!」
馴染みのない勝ち方だし、なにより派手。
今まで走ったことがない場所で。
海を越えた遠くの競馬場で、どの馬よりもマークされていたのに。
メジロシャーロックは、それでも勝ったのだ。
あらゆる不利な状況をはねのけての勝利。沸かないはずがない。
結果、虜になるファンが続出。
それに、元々話題性を呼んでいた馬だ。
そんな馬が勝利したのだから、虜になるのも必然というべきだろう。
次走であるキングジョージはイギリスでも特に伝統と格式の高いレース。
上半期の総決算とも言われている。
出走頭数こそ少なくなりがちだが、欧州の強者が集まるのは間違いない。
現時点でも昨年の凱旋門賞馬・バゴ、今年度のプリンスオブウェールズステークス覇者・アザムールなど強豪が出走を表明。
昨年のキングジョージ覇者・ドワイエン、今年のオークス馬・エスワラー。
新星から古豪まで、満遍なく集まっている。
そんなメンバーで、ブックメーカーの1番人気となっているのは──メジロシャーロック。
「エクリプスステークスであの勝ち方よ? なにより、陣営が太鼓判を押しているもの!」
「欧州での走り方に慣れたらしいからね。これはもう、メジロシャーロックを応援するしかないよ」
「日本からやってきた最強最優の名探偵が、勝利の謎を解き明かしてくれるさ」
いくらなんでも脳を焼かれすぎだろ、と言いたくなるくらいには推されていた。
キングジョージを楽しみにしているファンは多い。
今から待ちきれない、早く月末になってくれ。
誰もがそう思っていた。思わずにはいられなかった。
そんな世論を聞いた、メジロシャーロック陣営はというと。
「イギリスでも大人気やな~、シャーロック。こら、世界中どこでも大人気になるっちゅうんも夢やないで!」
「元々イギリスはあのシャーロック・ホームズ発祥の地ですから。その名前を冠しているのもありますし、なにより」
「エクリプスステークスを完勝しましたからね。人気が爆発するのも仕方ないですよ康夫さん……本当に勝ててよかった」
「寛君焦ってた言うとったもんな。シャーロックに感謝せんといかんで」
「本当にですよ。ありがとう、シャーロック。君のおかげで勝てたよ」
シャーロックの人気を喜び、撫で繰り回していた。
撫でられて目を細めつつ、シャーロックはというと。
(ここでも大人気になってんの!? いや、さすがに日本ほどじゃないはずだ。日本ほどじゃ……ない、よな?)
人気が出過ぎていないか、ちょっと心配になっていた。
◇
エクリプスステークスから2日ほど経った日のことだ。
康夫さん達が俺のことについて話していたのだが、にわかには信じがたい情報が出てくる。
それが……イギリスでも俺の人気が凄まじい、ということだ。
いや、どゆこと? こっちのG1勝ったぐらいでそんなことなる?
(日本馬が勝つってだけでも凄いことだ。けど、話題になるのは精々日本のコミュニティだけのはず)
欧州はG1の数が半端じゃない。それこそ日本の比じゃないレベルである。
いくら王道になりつつある中距離路線で勝利したとはいえ、だ。
今の俺の人気はちょっと、なんというか、凄いの一言に尽きる。
まず新聞の一面を飾っている。こっちのスポーツ新聞みたいなもののほとんどは、俺の勝利を讃える記事だ。
(すげぇ偏見だけど、あんま記事にしないと思ってたわ。こう、ブリカス仕草を見せるもんかと)
俺のイギリスに対するイメージがあまりにもアレだが、皮肉みたいな感じで褒められていると思っていた。
だが現実は、どこもかしこも俺のことを大絶賛している。
【日本からやってきた葦毛の名探偵。エクリプスステークスの勝利を解明する!】
【日本の三冠馬メジロシャーロックのあざやかな逃亡劇!アウェーでも関係なし!】
【ますます活躍が楽しみになる日本のメジロシャーロック。次走は伝統の一戦KGVI & QES!】
柏崎さんが翻訳してくれたのだが、それはもうとんでもないくらい盛り上がっていた。
嘘だろ。エクリプスステークスだけでめっちゃ絶賛されてるやん。
なに? ここまでくると怖いんだけど。俺の何がそんなに気に入ったん?
なんて思っていると、康夫さん達が要因を考察していた。
「シャーロック・ホームズシリーズは大人気ですからね~。その名前を冠していますから、元々注目度は高かったと思います」
「少なくとも目は惹くわけやな。そこに加わってきた、日本での成績」
「無敗の13戦13勝。エクリプスステークスを加えて14戦14勝。話題にならないはずがないですよね」
あぁ、うん。そういうことか。
なんとなく分かったわ、人気の要因。
(そういや、シャーロック・ホームズってイギリスの小説家が書いたやつだったな)
俺の名前はシャーロック。かのシャーロック・ホームズから取られている。これは裕二さんが前に言っていた。
これで下手な成績を残しているなら、そこまで印象に残らなかっただろうが……俺はここまで無敗。日本じゃ負けなしでイギリスに乗り込んできた。
そんな馬がイギリスのG1であるエクリプスステークスを制した。それも、こっちでは馴染みのない逃げ切り勝ちで。
……うん。全部分かったね。
(そりゃ人気出るわなぁ。つーか、出る要素しかないわな)
おまけに葦毛だ。めちゃくちゃ目立つ。
目立つ奴が目立つ成績を残しているんだから、そりゃ人気が出るわ。
全部の疑問が氷解したな。
だからといって、現状でいいか? と言われたら半々だ。
目立つのは嬉しい。超嬉しい。
褒められて悪い気はしないし、メジロ復活のためにいろいろと都合がよいのは確かだ。
反面、目立つことでどうしても不利になることがある。
(キングジョージのマークはさらにキツくなる、って考えた方がいいな。小頭数なら何とかなるかもしれんが、増やしてくる可能性が高い)
マークだ。エクリプスステークスでは結局2頭だけだったが、これがさらに増える可能性がある。
とりわけ、俺が勝負する位置は逃げだ。ラビットを使って、俺のスタミナを消耗させに来る。
本命は前目、もしくは中団で控える。いつでも狙えるように。
俺がスタミナ切れで落ちた瞬間、差し切る。
軽く考えただけで、こんな勝ち筋が浮かんでくるな。
(無論、これはパターンの一つでしかない。別のパターンを用意してくる可能性もある)
欧州競馬はチーム戦、なんて言われてたっけな。
日本じゃできないラビット戦法。これを頭に入れておかないといけない。
本番までまだ時間はある、か。
「アスコットのスクーリングの予定はどうなってますか? 康夫さん」
「本番の2週間前に2、3回やる予定や。ちゃんと抑えとる」
「最低でも一度は走っておきたいですからね。アドマイヤグルーヴは出走しませんが、パートナーとして帯同を」
やるべきことをやっておかないとな。
ちなみにだが、グルーヴさんはというと。
『随分強くなったじゃない、シャロ。これも全部あたしのおかげね!』
『いろんな方々のおかげではありますが、まぁグルーヴさんのおかげではありますね』
『そうでしょうそうでしょう! あたしはできる女王なのよ!』
俺が強くなったことにご満悦そうにしていた。俺の隣で。
実際間違ってないな。
(なんだかんだ一番多いし、グルーヴさんの力で強くなった実感がある。本当に)
『ありがとうございます、グルーヴさん。すげぇ感謝してます』
『あら、どうしたの急に? いいのよ、シャロはあたしの一番の家来なんだから!』
感謝を込めて頭を下げる。
グルーヴさんは、終始機嫌良さそうにしていた。
「それに、アドマイヤグルーヴも3着やからな。エクリプスステークスで3着やで、3着! 大健闘も大健闘や!」
「こっちの走りに合わせられた、ってのが大きいですね。1着が同じ日本ですけど」
グルーヴさんは3着だったらしい。いや、すげぇな普通に。
この時代に3着なのは大概ヤバい。掲示板外惨敗とかざらにあった時代だし。
でもグルーヴさん、このエクリプスステークスで遠征のレースは終わりなんだよな。
(キングジョージはそもそもコース体系が合わない。他のレースに出走しようにも、間隔が厳しいし)
6月から遠征してるから、出るとしたら7月までのレース。
8月以降は検疫で引っかかる可能性があるため、出来る限り避けたい。
その7月までのレースが、どうしても見つからず。
『グルーヴさんはもうレースに出ないんですよねぇ』
『らしいわね。勝てなかったのは癪だけど、悔しさは帰ってから晴らすわ』
レースの出走はなしになった。
とはいえ、帰るわけではない。
俺のレースがあるので、それが終わるまではイギリスだ。
『頑張ってくるのよシャロ。シャロはあたしの一番なんだから!』
『家来が抜けましたね。勿論、頑張らせていただきますよ』
調教とスクーリングでは一緒に。
グルーヴさんの力を、存分に貸してもらおう。
目標はキングジョージの制覇。頑張るか。
◇
エクリプスステークスが終わってからほどなくして。
俺が滞在しているイギリスに、とんでもないニュースが舞い込んできた。
「……康夫さん。連日、ロンドンのニュースが流れてますね」
「しゃあないやろ。あんなことが起こったんやから」
それが、ロンドンで起きたテロ事件である。
地下鉄の3か所が同時に爆破。さらにはその1時間後に、2階建てのバスが爆破された。
ロンドンオリンピックの開催が決まった、翌日の出来事である。
「犠牲者も出とる。実行犯も、何人か亡くなっとるらしい」
「サミットも一時中断、対策に動いているそうです」
「……痛ましい事件ですね。本当に」
康夫さん達の表情は一様に暗い。
正直俺も、康夫さん達と同じ気持ちだと思う。
(幸いにも、俺達が拠点にしている場所には影響がほぼない。だけど、だけど……)
今いる国でテロ事件が起きて、冷静でいろってのはちょっと無理だ。
時間が経てば解決するかもしれねぇが……それも何時になるか。
康夫さん達も気落ちしているが、それでも前を向いている。
「……俺らは全員無事や。やれることやって、俺らにできることをするで」
「そう、ですね。まずは、キングジョージです」
「テロに屈するわけにはいかん。シャーロックにも気を配っとき、柏崎。シャーロックはそういうんにものすごく敏感やからな」
「はい、分かりました。アドマイヤグルーヴも徹底します」
なら、俺だけ下を向いているわけにはいかないな。
(やれることをやる、か)
本当に、その通りだ。
調教も再開。やっぱり少しだけ気落ちしたけれど。
「……おし、タイムも申し分なしやな。後は休憩して、放牧に出そか」
「分かりました。それじゃあシャーロック、グルーヴ。お家に帰ろうね~」
影響を最小限に抑えることができた。
『シャロ、なにかあったの? 辛い時や苦しい時は、この女王を頼りなさいよね! あなたの女王を!』
『グルーヴ、さん』
『シャロなら特別に、あたしに触ることも許すわ! これは特別よ? 光栄に思うことね!』
後、グルーヴさんみたいな帯同馬の大切さを、あらためて実感できた。
本当に、いるといないとでは大違いだ。
寂しくなんて、ならないのだから。
(ありがたいよ、本当に)
ありがたみを噛みしめながら、その日一日を過ごした。
サンキューアドマイヤグルーヴ。