親愛なるシャーロックへ   作:カニ漁船

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日本に帰るわよ。


帰国と秋のローテ

 キングジョージを終えてからは少しバタバタしていた。

 

「こっちでの用事も終わったし、早いとこ撤収せんとやな。幸いにも、シャーロックの調子も悪ない。明日にでも出発するで」

 

 その理由が検疫。

 ちょっとでも長居したら60日ルールに抵触する。

 60日を超えたら、検疫の期間がアホほど長くなるので、すぐにでもイギリスを飛び出す必要があった。

 

 なので、キングジョージが終わった3日後くらいには用意を済ませ、8月にはもうイギリスの地を飛び立った。

 なんとも慌ただしいが、仕方ないか。

 

(それに、あんま長居するとこっちの記者が押し寄せてきかねないからな)

 

 なんでも俺の人気は、こっちでも火が点いてしまったらしい。

 7月頭に起こったテロ事件。失意の底にいた国民の希望の象徴として、俺が祭り上げられているのだとか。

 

 ……なんで? はっきり言うが俺日本の馬よ?

 そういうのってさ、普通自国の馬にしない? 別の国の馬を祭り上げるなよ。

 

 なんて思わずにはいられないが、向こうはすでに盛り上げ体勢。

 

「えらい人気やわ、シャーロックは。イギリス国民のほとんどが支持しとるらしいで」

「エクリプスステークスで兆候はありましたけど、キングジョージで決定的になりましたからね~。一番大きい理由が」

「女王陛下、やな。俺も目ん玉飛び出るかと思うたわ」

「仕方ないですよ、テキ。まさか女王陛下直々にお言葉を貰うなんて思わないじゃないですか。あなたも凄いわね~、シャーロック~」

 

 しかもよりにもよって、イギリスで一番偉い人までもが俺を気に入ってる始末。

 国民だけならどれほどよかったか、イギリスの女王陛下までもが俺を気に入ってしまったのだとか。

 

(レースが終わった後、裕二さんが話をしたらしい。まさかの呼び出しに死を覚悟した、とか言ってたな)

 

 そりゃ国のトップ直々に呼び出されたらそうなるわ。俺だって心臓が持たん。

 ま、呼び出された理由が、今回のキングジョージが素晴らしかったこと。俺のことについてらしいが。

 詳細は語らなかった。一体、何を話していたのやら。

 

 ただ、一つだけ教えてくれたことがある。

 

「女王陛下、シャーロックのことを気に入ったらしいで。一国の女王すら虜にするとは、お前もえらい馬やな~」

 

 俺のことをメッチャ気に入っていることだ。胃が痛くて仕方ないんだが?

 

(嬉しいけど、嬉しいけども! 胃がキリキリするわ! んでこんなことなってんだよマジで!)

 

 日本の人に気に入られるのはまだ分かる。

 出生とか、血統とか、目立つ葦毛だとか。

 今回の海外戦大勝利もあるし、人気が出る要因はすぐ察しがつくんだよ。

 

 でもこっちで人気出る理由なんて、名前ぐらいしかないだろ。

 レースで勝っても皮肉言われるどころか、絶賛されるとは思わんかったわ。

 むしろ怖いよ、なんでこうなったんだよ俺の海外遠征。

 

 ま、まぁある意味大成功、と言えるのか?

 レースは勝ったし、こっちでも人気になったわけだし。

 

「こっちでの種牡馬入りも打診されとるらしいで。噂段階やけど」

「あっはは……噂でしかない、って信じたいですね」

「ま~あったとしても、日本で種牡馬やるやろうしな。裕二さんが手放すとは思えんし、なにより日本でも貴重な血やし」

 

 俺の海外遠征は大成功、でいいだろう。

 

 で、そんなことがあったイギリスともお別れ。

 夜逃げするみたいにこそこそと準備を済ませて、イギリスの地に別れを告げた。

 

『またあたしをこんなとこに閉じ込めるわけ!? 蹴り飛ばしてやろうかしら!』

『日本に帰るんだから落ち着いてくださいよ。少しの辛抱ですって』

『……まぁ、シャロがいるから勘弁してあげるわ』

 

 道中はまたグルーヴさんを宥めるのに苦労した。

 

 

 で、検疫とか諸々済ませて。

 

『久しぶりに栗東に帰ってきたな~。そして、帰ってきて少ししたら』

『……久しぶりね、シャロォ』

『スティルさんとの併せ、かぁ。後お久しぶりです』

 

 俺の日常が帰ってきた。帰ってこなくていいのにこんな日常。

 別にスティルさん達に会いたくない、とかそういうわけじゃないけどさ。

 

 んで、スティルさんだけじゃなく。

 

『走るなんてい~や~っ、て、今日はシャロなのね。ならいいわ!』

『よろしく、スイープ』

「早々にやる気出してくれてありがたい限りや、ホンマにっ」

 

 スイープとか。

 

『シャロさん走ろう走ろう! ぼく、ずっと走りたかった!』

『分かったから顔を舐めるなお前は。俺の顔を舐めるのにハマってんのか?』

 

 ディープとか。

 

『あ、お久しぶりですシャーロックさん! 寂しかったですよ~』

『クラフトちゃんは良い子だね。そのままの君でいてね』

『?』

 

 クラフトちゃんとか。

 

 いつメンになりつつあるメンバーと久しぶりに会って、心安らいだ。

 やっぱ日本がいいわ。帰ってきたって感じがする。

 こんなことで帰ってきたことを実感したくなかったけど。クラフトちゃん以外。

 ちなみに、ハーツとは放牧で会った。アイツも相変わらずだったよ。

 

 で、馬房でゆっくりしている間、頭の中に出てきたのは次走だ。

 日本に戻ってきて、どのレースを走るのか?

 

(今が8月中頃。早くて9月、遅くとも10月の天皇賞・秋、か)

 

 ぶっちゃけ、直行でもおかしくないのが現状。

 前哨戦を挟む可能性もあるが、秋天直行ルートもありえなくはない。

 

 決めるのは裕二さん。

 どんな選択をするのか、もうそろそろ分かるはずだ。

 

(前哨戦を挟む可能性が高いけどな。こっちのレース勘を取り戻すためにも)

 

 改めて分かったが、日本と欧州じゃ戦い方が違う。

 芝も違うから、向こうにアップデートした走り方を、また日本仕様に戻さないといけない。

 

 別にすぐにでも切り替えれるが、康夫さん達がどう判断するかだ。

 俺の賢さを知っているとはいえ、万全を期すために1つくらいはレースを使いたいはず。

 

 で、どこが選択されるかってなったら。

 

(おそらくだけど、京都大賞典かオールカマー。秋天の前哨戦として挑むはず)

 

 京都大賞典かオールカマーだろう。毎日王冠の線もあるが、2000mを超える2つの内どちらか、ってのが俺の見立て。

 別に悪くないと思うけどね、毎日王冠を走るのも。

 

『どうなるかな~、俺の次走。もうそろそろ決まりそうだけど』

 

 今もきっと、裕二さん達が話し合っていることだろう。

 

「シャロ~。ご飯の時間だよ~」

「ヒヒン(はいよ)」

 

 柏崎さんからご飯を貰いながら、今後のことについて考えていた。

 

 

 

 

 

 

 とある会議室にて、神妙な面持ちの喜多野裕二達が話し合っていた。

 

 議題はメジロシャーロックの次走について。

 前哨戦を挟むか、直行するか。どちらにするかを決めようとしていた。

 

「では、康夫さん。前哨戦を挟む、ということでよろしいでしょうか?」

「構いません、裕二さん。万全を期すんやったら、前哨戦を挟んだ方がえぇっすわ」

 

 結果は、前哨戦を挟むことに決定。

 天皇賞・秋の前に、レースを1つ使うことにした。

 

 理由は単純。

 

「違う芝で走っとったから、こっちでの勘を取り戻さんといかんですし。なにより、戦術もちゃいます」

「シャーロックの賢さなら問題ないかもしれませんが、それでも万が一がないとは言い切れない」

「はい。幸いにもダメージもないですし、秋天前に一つ使うくらいやったら問題もありませんすわ」

 

 日本のレース仕様に戻すためである。

 

 欧州と日本では、芝も戦術も違う。

 その差をなくすために、前哨戦を挟むのはかなり大事だ。

 

 シャーロックは規格外の賢さを誇るが、それでも影響がないとは言い切れない。

 天皇賞はメジロにとって特別なレース。絶対に勝たなければいけない。

 

「マックイーンは落としてしもうた。斜行からの失格、今でも悔んどります」

「父の無念を晴らすためにも、息子であるシャーロックでは」

「絶対に春秋連覇を成し遂げますわ。プレッシャーは半端ないですけどね」

 

 そのためには万全を期す。

 海外で走って、日本のレース勘を取り戻せずに負けるなど、あってはならない。

 絶対に勝つために、多少の無理をしてでもレースを使う。

 それが喜多野裕二達が出した結論だった。

 

 ここで心配になるのは、メジロシャーロックの体調問題。

 崩れでもしたら大変なことだが、全くと言っていいほど心配はなかった。

 

「先程申し上げた通り、シャーロックにダメージはあらへん。すぐにでも走れますよ」

「海外遠征でもダメージなしとは。タフな子ですね」

「ホンマにですわ。えぇ報告、期待しといてください」

 

 笑い合う2人。

 シャーロックの強さを信頼しきっている。

 

 が、その表情は一瞬にして曇った。

 

「……もっとも、無視できない不安要素もありますが」

「無視できひん不安要素? なんかありましたっけ?」

「まだ噂段階、だがね。あることが気になっている」

 

 特に、裕二の表情は暗い。

 一体何があったのか? どんな噂があるのか。

 

 その噂に、康夫は心当たりがあった。

 

「……あぁ。今回の秋天、天覧競馬になるらしいっちゅう話ですか」

「まぁ、それも、ですね。天覧競馬になる話がありますね」

「……アカン、胃が痛い。ただでさえイギリスの一件があるっちゅうのに、日本でもえらいこっちゃになっとる」

 

 今回の秋天が天覧競馬になる、という点だ。

 

 元々、昨年の秋天が予定されていた。

 ただ諸々の事情*1から今年の秋天になり。

 エンペラーズカップ100年記念の副題が付けられ、天覧競馬になることが決定した。

 

 天皇陛下が競馬を観覧なさるのは実に106年ぶりのこと。

 そんな舞台で、メジロシャーロックは走ることになる。

 

 端的に言って、生江康夫はめちゃくちゃに緊張していた。

 まだ一ヶ月以上先のことなのに、すでに胃が痛くなるくらいには。

 

「ホンマに、ホンマに……! イギリスの女王陛下の一件あるっちゅうのに!」

「同じ気持ちですよ、康夫さん。種牡馬入りする際は是非、なんてお声掛けを貰いましたし、心臓が止まりかけました」

 

 いや、裕二の胃も痛くなっている。

 

 当然だ。一国の長である女王が、自家生産の馬をいたく気に入っているのだから。

 胃が痛くならないわけがない。身に余る光栄、下手なことなどできないと緊張するのが当然。

 

 そこに加わる、自国の天皇陛下がレースを観覧なさるという無視できない要素。

 メジロシャーロックのことは耳に入っているだろう。

 観覧する以上、情報は仕入れるはずだから。

 

「下手なレースしようもんなら、俺ら消されるんとちゃいます? な~んて」

「……」

「なんか言うてくださいよ! 不安になるやないですか!!」

「いや、可能性としてないとも言い切れないのが、その」

 

 冗談すら言い合えない状況になっていた。

 

 最終的になるようにしかならない。

 そう言い聞かせて、今後のことについて話し合う。

 

「もうこの際、秋天のことはええっすわ。秋天以降のレースはどないしましょ? 無難に秋古馬三冠ローテでいきますか?」

 

 次は秋天以降。

 11月以降はどうするか? を決めることにした。

 

 選択肢としては秋古馬三冠を目指すローテ。

 ジャパンカップ・有馬記念を走ることを目標にする。

 一番ありがちなローテになるだろう。

 

 康夫はこのローテを推していた。

 普通かつポピュラー。無難な道を推奨する。

 

 だが、裕二はどうも違う考えのようで。

 

「私は、香港国際競走……香港ヴァーズも悪くないと考えています」

「香港ヴァーズ、ですか。ステイゴールドも走った」

「はい。世界中から強豪が集う舞台で戦う。それはジャパンカップも同じですが、こちらでもいいんじゃないか? そう思っています」

 

 香港ヴァーズの出走を提案してきた。

 

 近年世界中から強い馬が集まるようになった、香港国際競走。

 1年の締めくくりとして、このレースを選ぶ日本馬も多くなってきている。

 

 悪くない提案。康夫も難しい表情を浮かべる。

 

「秋古馬三冠もえぇですけど、香港も捨てがたいですわ」

「えぇ。それに、香港側から熱烈なラブコールを受けていまして。ぜひともメジロシャーロックを我が国のレースに、という声が大きく」

「あ~……ついに出走したことない国すら魅了するようになったんか。罪な馬やで、ホンマ」

 

 どちらも魅力的なレースだからだ。

 

 秋古馬三冠のローテも捨てがたい。

 しかし香港ヴァーズも無視できない。

 どちらか選ぶしかない。どちらも選ぶことは出来ない。

 

 どっちかを諦めるしかないのだが。

 

「……ま、先延ばしでもえぇと思いますわ。期間はまだあるわけですし」

「それもそうですね。秋天が終わってからでも、問題はないと思います」

「後は前哨戦やな。ま~京都大賞典予定で行きましょか」

「そちらも問題ありません。昨年制したレースですから、勝手も分かっているでしょうし」

 

 まだ結論を出すべきではないだろう、と先延ばしにした。

 幸いにも期間はある。まだ大丈夫だ、と考えることにした2人だった。

 

 最後に、ついでとばかりに今後のことを少し。

 

「ちなみに、シャーロックはいつまで走る予定ですか? 春天の連覇目指す、っちゅう噂聞きましたけど」

 

 康夫の言葉に対し、裕二は。

 

「来年も現役は続行です。当然、春天の連覇を目指します」

「分かりましたわ……やけど、いろいろ大丈夫です? 主に種牡馬入りの話やとか」

「問題ありません。社代から話は来ていますが、決定権はこちらにありますから。何を言われようが、こちらのことを優先させてもらいます」

 

 毅然とした態度で、そう返した。

 

 

 これで話し合いは終わり。

 

「それじゃ、俺はこれで失礼します」

「はい、お気をつけてお帰りください、康夫さん」

「勿論っすわ。裕二さんも気をつけて。シャーロック、悲しませたらアカンすよ?」

「はは、勿論ですよ」

 

 和やかなムードのまま、今後のことを話し終えた。

 

 康夫が退出した後の裕二の表情は、暗い。

 考えているのは、メジロシャーロックのこと。

 今後のことについて、いろいろなことが頭に浮かんでいた。

 

 レースのこと、引退のこと、種牡馬のこと。

 とりわけ不安なのは……レースについて。

 

 春天のこと、海外遠征の大成功が頭に浮かび。

 

「……大丈夫だと思いたいが」

 

 そう呟いて、部屋を後にした。

*1
新潟県中越地震があったため




秋のローテは京都大賞典からの秋天。そこから秋古馬三冠か香港ヴァーズかどちらか。ジャパンカップも有馬記念も香港ヴァーズが中1週になるから大分キツそう。
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