やれるだけのことはやった。
メジロラモーヌの死を隠し、メジロシャーロックが気負い過ぎないようにと務めた。
なんとか当日まで、影響なく隠し通すことができたと思っていた。
その努力は、京都競馬場に集ったファンの言葉で無意味となる。
「最近メジロラモーヌが亡くなったんだって。シャーロックの母親代わりだった」
「本当に、とことん恵まれてないよな……頑張れよシャーロック! 俺達はどんな時でも応援してるぞー!」
「ラモーヌのためにも頑張ってくれー!」
ファンからの声援は、当然シャーロックにも聞こえていることだろう。
聞こえているということは……ファンが口にした、メジロラモーヌの死も聞いてしまった、ということだ。
鞍上の岳寛はやってしまった、とばかりに天を仰ぐ。
(あぁ、そうだった。僕らばかりで対策を取っていたけれど、隠したところで……!)
自分達で注意して、隠すことは出来るかもしれない。
けれど、さすがにファンの方まではどうすることもできない。
別に禁止されているわけではないのだから、口にしてしまうファンだっている。
そのことに気づかなかった、自分達の落ち度だ。
メジロシャーロックは賢い。
これでメジロラモーヌの死を認識してしまった。
(育ての親だ。絶対に気負い過ぎてしまう。そうなると……また僕の方で、どうにかするしかない、か)
春天の時みたいになるかもしれない。
そう考えた岳は、覚悟を決める。
またあの時と同じように、シャーロックを制御するしかない、と。
ただ、気になるのはシャーロックの反応だ。
確実にファンの声は聞こえていたというのに、静かに佇むだけ。
入れ込んだりも、悲しんでるようにも感じない。
いつも通りにパドックを回り。
いつも通りに、返し馬を済ませた。
さすがに訝しむ岳。
シャーロックの性格と、これまでのことを考えて、ある程度の目星を付ける。
(元々隠すのが上手い子だ。こちらに心配をかけまいと、態度に出さないようにしている。その可能性が高い)
自分の感情を表に出さないようにしている。
それが岳の出した結論だ。
ならと、シャーロックの頭を撫でる。
「よし、気負い過ぎずに行こうシャーロック。大丈夫だ、君なら問題ないよ」
少しでも気が楽になるように。
孤独ではないことを、自分がいることを教え込む。
寂しさを紛らわせようと努力した。
不安な状況でもレースは進む。
返し馬が終わり、出走する競走馬達はゲートへと入っていく。
《好天に恵まれました、京都競馬場。芝2400m、第40回京都大賞典が幕を開けようとしています。芝の状態は良馬場発表、8頭での出走となります。注目はやはり、1番人気の3枠3番メジロシャーロックでしょう!》
《海外でエクリプスステークスとキングジョージを制しての凱旋、一体どんなレースをしてくれるのか、期待が高鳴りますよ! ただ、やはり心配なのはメジロラモーヌの件ですね》
《影響がないとは言い切れませんね。今のところは大丈夫そうですがっ、とまもなくレースが始まります。最後に大外枠のチャクラがゲートに入りました》
静かになる京都競馬場。
押し寄せた7万人のファン、その期待を一身に背負い。
ゲートが開いたのと同時、メジロシャーロックは飛び出した。
出遅れることなく、あっさりと。
《各馬態勢整って、スタートしました! 揃って綺麗なスタート、メジロシャーロックは3枠からスーッと前に行きます。逃げる構えだメジロシャーロック》
好スタートを切った。
後は、操縦性はどうか?
春天の時は鞍上である岳と喧嘩をしていた。
いたずらに体力を消耗し、不利な状況を作ってしまっていた。
今回はどうか?
岳寛の手綱は……これといって動いていない。
2人の意見が一致しているのか、必死になって手綱を締めたりしていない。
つまり、メジロシャーロックは冷静だった。
《好スタートを切ったメジロシャーロック、そのままハナを握ります。競り合うビッグゴールド、内枠を活かして2頭がペースを上げていく。後ろにはリンカーン、マーブルチーフと並んでいます》
岳寛と呼吸を合わせて動く。
逃げの一手。それもがむしゃらな逃げじゃない。
競り合うビッグゴールドが行くなら控える。抑えるなら自分が行く。
否、違う。
一定のペースを刻んで逃げようとしている。
ラップ逃げ。精密機械のように一定のペースで走ろうとしていた。
手綱を握る岳はホッと一安心する。
(今回は冷静に動けている。僕の意思とシンクロしている)
「よし、よし。このペースを維持しよう。無理をする段階じゃない、分かるね?」
メジロシャーロックは大丈夫だと、なんら問題はないと判断した。
そう、メジロシャーロックは大丈夫だ。
(……やっぱり、ラモーヌさんは亡くなってたか)
なにも、問題はない。
◇
レースまでの間に、なんとなく察してはいた。
俺に気を遣っているように接しているのが、俺に構い倒そうとしているのが分かっていた。
最初はどうしてだ? なんて思った。
元々割と愛されていたけれど、いつも以上に優しくされたんだ。
嬉しい、という気持ちよりも。あぁこれ何かあったな、って気持ちの方が出てくる。
んで、この時期に俺関係で何かあったってなると……一つしか出てこなかった。
(9月の中頃。ラモーヌさんが亡くなったのが、丁度その辺だったはずだ)
メジロラモーヌの老衰死。それしかなかった。
俺にとって親代わりだった。
俺を産んですぐに亡くなったメジロコナンの代わりに、俺を育ててくれた方。
優しかった。愛を注いでくれた。
本当の息子ではない俺のことを、愛してくれた。
感謝している、なんて言葉じゃ足りない。
ラモーヌさんがいなきゃ、俺はここにはいない。
そう断言できるくらいには、ラモーヌさんにはお世話になった。
《第2コーナーを曲がって向こう正面。メジロシャーロックとビッグゴールドの競り合い、2頭が競り合って逃げている。その2馬身後ろにリンカーンとマーブルチーフ、サクラセンチュリー、ダディーズドリームと続きます。最後方にはチャクラだ》
んで、まぁ。
なんで康夫さん達が隠そうとしていたのか、その理由も察しがついている。
俺のためだ。俺のために、ラモーヌさんの死を隠そうとしていた。
春天の一件があったんだ。そりゃ、康夫さん達も隠そうとするわな。
ただでさえレースが近い。そんな時に、ラモーヌさんの死を聞いたら、俺に悪影響が出るから。
いや、そうじゃないにしても、康夫さん達は隠そうとしただろう。
(俺がストレスを抱えてしまうから。俺に、悪影響になるから……だから康夫さん達は、なんとしてでも隠そうとした)
あの人達は優しいからな。
レースじゃなかったとしても、俺のためにって隠そうとしたはずだ。
本当に、本当に……周りに恵まれてるわ。
(……状況を整理しろ。今競り合っているのはビッグゴールドのみ。ただ、俺のペースについていけてない。第4コーナーを待たずして落ちる)
だからこそ、心配をさせないために。
俺はこのレースを勝つ。
そして、空で見守っている母さん達のためにも。
(このレースを勝つ。そして、秋天も勝つ)
俺は負けられない。
向こう正面でペースを落とす。
ビッグゴールドは落とさずに前に出た。俺よりも前に出てレースをするつもりなんだろう。
別に構わない。走りに支障はないのだから。
それに、キングジョージでの走りができている。
何でもできるという全能感。自分の走りを貫けている。
《向こう正面でビッグゴールドが先頭に立ちました。メジロシャーロックとの差を1馬身広げて逃げます、ビッグゴールドがペースメーカーだ。メジロシャーロックは控えます2番手の位置》
《いや~、これが強いですよねメジロシャーロックは! 逃げるだけではない、控えることもできます!》
《隊列は縦長、ペースはやや落ち着いてきたか? まもなく第3コーナーのカーブ、ビッグゴールドが先頭に立って逃げます京都大賞典!》
なんつーか、もうちょっと苦労するかと思ったけど。
(普通にモノにできたな、これ。あの時みたいに軽やかに動けるわ)
欧州芝だけー、とか、あの時だけの限定ー、なんてことはなく。
完全にコツを掴んだのか、それとも元々できるのか。
別に苦労なんてせずに、あの時の全能感を手にすることができた。
嘘かもしれんが本当のことだ。現に今の俺はかなり楽にレースができている。
(一体何なんだろうな~、この全能感は。ゾーンとかそういうの?)
……そうなると、俺は常時ゾーン状態とかいうバケモノにならんか?
さすがに違うな。そこまでバケモノになったつもりはない。
となると、後考えられる線としては。
(本格化。この線が一番濃厚だな)
元からバグった成績出してる俺が本格化とは、なんて思うが、ぶっちゃけこれが一番あり得るんだよな。
なんかずっと調子が良いし。前よりもずっと楽に走れているし。
本格化が一番近いかもしれん。
(思えばマックイーンって晩成型だったしな。産駒の俺が晩成型でもなんらおかしくはない、ってことか)
そうなった場合、晩成型の馬が無敗のクラシック三冠を勝ち取った、ってことになるが。
いや、うん。
もう深く考えないようにしよう。
レースはもうすぐ第3コーナーのカーブ。
カーブに入る前に、俺は仕掛けた。
(岳さんの手綱は動いていない。けど、岳さんならここで仕掛けさせるだろ)
そう信じて、俺は動く。
結果は──俺の仕掛けを止めない。
つまり、ここで動くのはなにも間違っていない、ということだ。
ロングスパート。前を走るビッグゴールドを捉えるべく、俺は動き始める。
《まもなく第3コーナーのカーブ。第3コーナーのカーブを前にしてっ、ここで動いたメジロシャーロック! メジロシャーロックがじわじわと上がってきました! 後続も差を詰めてくる、ビッグゴールド必死に逃げる!》
必死に逃げているのが分かる。
俺に追いつかれまいとしているのが後ろからでも分かる。
けど、第4コーナーを回る頃には追いついた。
『ヒィ、ヒィ……っ』
粘れず、落ちていく。
ビッグゴールドを躱して、俺が先頭に立った。
《第4コーナーで先頭に変わりましたメジロシャーロック先頭! さぁここでメジロシャーロックが先頭に変わりました、後続は追いつけるかどうか! チャクラがぐいぐい上がっていく、リンカーンも負けていません!》
後はこのまま駆け抜けるだけ。
(スタミナは余裕。十分すぎるほど回復したし、追いつかれないだけの差を維持できる)
とはいっても、出来る限り差をつけておきたい。
油断して差し切られるなんて嫌だからな。
絶対に届かない差をつけて逃げる。これに決まりだ。
岳さんの鞭は入らない。
つっても、岳さんの鞭が入ったの数えるほどしかないけど。
(俺が仕掛けようとしている場所と一致しているんだから、そりゃ振る機会ないよな)
今は関係ないか。
とにかく逃げる。差をつけることだけを考える。
《最後の直線、先頭で入ってきたのはメジロシャーロック! メジロシャーロックがグングン差を広げて入ってきました! その差は2馬身、2馬身のリードをさらに広げようとしています!》
《リンカーンが必死に追っていますが、差が縮まりませんねコレ!》
《2番手に浮上したリンカーンが必死に追う! リンカーンに続くように後続6頭が葦毛の馬を追いかける! しかしその差は開くばかりだ!》
いつもの前傾姿勢で。
地を這うように走り、後ろとの差を広げていく。
(……足音、どんどん遠ざかっていってるな。差を広げている証拠だ)
だが、油断はしない。
いつどこで、何が起こるかなんて分からない。
最後の最後まで全力で。それが一番だ。
結果として、俺は抜かれることなく。
《メジロシャーロックだメジロシャーロックだ! 海外遠征でさらに強くなったメジロシャーロック、その差を5馬身まで広げて今ゴールイン! 京都大賞典を制したメジロシャーロック、これで二連覇達成です!》
《盤石の勝利でしたね~。秋天でも本命候補になるでしょう!》
《2着はリンカーン、3着はサクラセンチュリー。タイムも》
京都大賞典を制した。
これで二連覇、か。
「うおおおぉぉぉ……っ、すげぇぞメジロシャーロック! 馬券的にはクソまずいけど、やっぱ凄いぜ!」
「なんも問題あらへんわ! 秋の天皇賞もシャーロックで決まりや!」
「さすがだぞメジロシャーロックー! きっと、天国のメジロラモーヌも喜んでいるぞー!」
観客の声援が耳に入る。
俺の勝利を喜んでいるのが伝わってくる。
ふぅ。一安心、だな。
「お疲れ様、シャーロック。なにも問題なく走れたね」
鞍上の岳さんから撫でられる。
レースが終わって、いつも通りだ。
空を見上げる。
(ラモーヌさん、見ててください)
俺はもっと強くなる。
ラモーヌさんが心配しないくらいに。
母さんが安心していられるように。
俺は、強く生きる。
吹っ切れている模様。