秋の天皇賞が近づいている今日、ファンの熱は高まり続けている。
理由は当然、メジロシャーロックだ。
「俺、今日がG1初観戦なんだ。生のメジロシャーロック見るの超楽しみ~!」
「マックイーンは成し遂げられなかった春秋連覇、シャーロックだったらやれる!」
「ここまで無敗の現役最強馬だ! 京都大賞典も楽勝だったし、負ける方が難しいだろ!」
16戦16勝。現役最強の4歳馬で、世界を相手に結果を残した葦毛の馬。
「シャーロックのぬいぐるみとかグッズとか、たくさん出てるよね~」
「最近やっと取れたの! ホントにゲーセンのは鬼ムズだよ~」
人気が出ないわけがない、応援する要素があまりにも多すぎる競走馬。
血統、勝ち方、ストーリー。全てがメジロシャーロックという馬を鮮やかに彩っている。
その勝ち方自体も、万人受けしやすい、分かりやすいものばかりだ。
「G2とかG3とかはほぼ調整だけどさ、G1はすげぇよな~!」
「逃げで勝ったり、捲って勝ったり! めちゃくちゃ興味惹かれるよあんなの!」
「それに、葦毛で目立つもんね~。メジロシャーロック最高~!」
毛色も白で見やすく、退屈させない勝利に虜になる。
素人でも分かりやすいが、玄人もまた満足するようなレースばかり。
「岳との呼吸が毎回合っているからな。あの馬の賢さは本当に規格外だ」
「春天以外は、騎手に逆らったりしなかったからな。それにおそらくだが、三種類の逃げを使い分けている。恐ろしいもんだよ、シャーロックは」
「マークしても動じず、逆にマークしてきた相手を掛からせる。言うは易く行うは難しの典型例だ、メジロシャーロックの走りは」
「岳騎手が全てにおいての理想形、なんて触れ込んでいるのがよく分かる。メジロシャーロックこそ、競馬の理想を詰め込んだ馬だ」
「弱点なんて末脚の切れ味だけだよあんなの。でも、毎回勝ち方が凄いからな! 見ていて飽きないんだ!」
まさしく万人を魅了している。
誇張でも何でもなく、メジロシャーロックは世界中のファンを虜にしていた。
もっともそれはファンに、観戦している人間側の話であり。
対戦する側からすれば、目の上のたん瘤だ。
「天皇賞にメジロシャーロックが出走、か。本当に、ずっと海外遠征してくれれば……」
「しっ! 気持ちは分かりますけど、あんまりそういうこと言っちゃダメですよ!」
特に騎手や調教師は頭を悩ませていた。
厩舎の馬を出走させる以上、勝ちを狙うのは当然だ。
最高の仕上がりを目指して調整し、1着になることを目標に日夜頑張っている。
なにより馬は可愛い我が子のようなもの。勝ってほしいと願うのは当たり前の感情だ。
難しくとも勝利を。関係者全員の願いである。
しかし、メジロシャーロックが出走するとなると、話は別だ。
これまでの強さを目の当たりにしてきたからこそ、痛感させられる。
ある騎手は語る。
「メジロシャーロックが出走する時点で、2着争いを強いられているようなもの」
「太刀打ちできる馬はいないですよ。世界中のどこにもね」
記者のインタビューで出てきたこの一言。
口にこそしなかったが、メジロシャーロック以外の陣営は全員、同じ気持ちを抱いていた。
勝ち目がないのだ。
どんな展開に持ち込まれても勝利を狙える。
あらゆる手を尽くしても、勝ちを取りこぼすことがない。
競馬の理想形といえる勝ち方、なにもさせてもらえない支配力。
メジロシャーロックの強さは規格外なのだ。
初めから2着争いを強いられる。
それがどれほど苦しく、絶望的なことか。
その影響は、レースのローテにも出始めている。
「京都大賞典にメジロシャーロックが出走予定……なら、変えましょう」
「やっぱり、そうですか。私もそうしようと考えていたところです」
「はい。あの馬は常軌を逸している。勝ち目はありません」
メジロシャーロックが出るならばと、ローテを変更する陣営も珍しくなくなってきたのだ。
勝ち馬が決まっているレースに出るよりも、まだ勝算があるレースに出走する。
遊びではない。1着を目指しているからこそ、他のレースに出るのだ。
見方によれば敵前逃亡にしか見えないだろう。
事実、そのことを記者は突っ込んだ。始まる前から逃げるのか? と。
そんな記者の問いかけに対し、調教師は答える。
「なら教えて欲しいものだ。どうすればメジロシャーロックに勝てるのかを」
「マークしても意味をなさない。メジロマックイーンのスタミナとスピード、オグリキャップの勝負根性。全てを引き継ぐあの馬に」
「なにより、春天であれほど不利な状況から勝利したあの馬に。メジロシャーロックに勝てる方法があるというならば、ぜひとも教えてもらいたいものだ」
憤りを隠せず、そう言い放った。
努力不足と罵るのは、難しいことではない。
敵前逃亡は恥ずかしいことだと、糾弾するのは楽だ。
始まる前から負けを認めるのは、競走馬を預かる身として恥ずべき行為だと叩くのは簡単だ。
しかしそれは、外部の人間だから言えることだ。
外側の人間、関係者の苦労を知らないからこそ好き勝手言える。
関係者だって努力している。
日々の調教に始まり、お世話や体調管理など、自分達にやれることは全てやっている。
負けて悔いなし、やるだけやったんだから後悔はない。
その覚悟でやってきている。
全てやってきたうえで、あれほど圧倒的な差を見せつけられたら……心が折れる。
メジロシャーロックの強さがよく分かるからこそ、理解しているからこそ。
戦わないことこそが最善である。そう結論付けたのだ。
今回の天皇賞・秋も、メジロシャーロックが出走するならばと回避しようとする陣営もいた。
ただ、今回は天覧競馬が予定されている。天皇陛下がご観覧なさるのだ。
そんな舞台を逃すわけにはいかない。
2着争いかもしれないが、それでもやれるだけのことはやりたい。
名誉あること、栄誉あるレースで。万に一つあるかもしれない可能性に賭けたい。
「天覧競馬、か。それならば、出走するか」
「お願いします。どうか、お願いしますっ」
「本当に、メジロシャーロックだけが懸念材料だな……」
最終的にフルゲート。
18頭が出走することになった。
気合いを入れる各陣営。
「メジロシャーロックだけを集中的にマークだ。あの馬は自分のペースを崩さん、ペースに着いていければあるいは」
「とにかくメジロシャーロックだ! 何をしてくるのか、最優先で警戒するんだ!」
「他の強豪よりも、なによりメジロシャーロックだ。あの馬を好きにさせたらダメだ」
特に騎手には、メジロシャーロックをフリーにしてはならないとしっかり言い聞かせ。
当日は徹底的にマークしろと、口を酸っぱくして命令した。
騎手側もこれを承諾。
「分かっています。あの馬をフリーにしたら一番まずいですから」
「勝つにはメジロシャーロックを自由にさせないこと。それが一番の道ですね」
「最優先でマークするヨ。あの馬、本当に厄介ダカラ」
競馬を理解しているからこそ、メジロシャーロックを自由にさせてはならないと意見が一致。
インタビューでもメジロシャーロックをマークすると、どの陣営もそう口にしていた。
これを受けての生江康夫厩舎は。
「光栄ですわ。そんだけシャーロックが強いっちゅうことですから。無論、負けるつもりは一切ないっすわ」
迎え撃つ。不敵に笑って、そう口にした。
月日は流れる。
秋華賞が終わった翌週。
菊花賞で新たな三冠馬が誕生した。
《抜け出した抜け出した! ディープインパクトが抜け出した! 外からアドマイヤジャパンを躱した、ディープインパクト先頭だ! アドマイヤジャパン粘る、しかし先頭はディープインパクトだ! 世界のホースマンよ見てくれ! これが日本近代競馬の結晶だ! ディープインパクト三冠達成! またも誕生した無敗の三冠馬! それが同じ厩舎の、同じ騎手で! またも成し遂げた三冠ジョッキー岳寛!》
圧倒的な強さで成し遂げた無敗の三冠。
メジロシャーロックと同じ厩舎の後輩、ディープインパクトが成し遂げた。
騎手も同じ。二年連続で三冠馬が誕生し、二年連続で三冠ジョッキーの座に輝いた。
規格外の天才ジョッキー岳寛。まさしく日本最高の騎手である。
その岳寛は、インタビューでこう語る。
「今日も大仕事でしたけど、来週もまた逃せない大仕事があるので。楽しみにしててください」
天皇賞・秋も勝つと。暗に仄めかしていた。
色めき立つファン。翌週もまた楽しみだと、期待に胸を膨らませる。
熱が高まったまま1週間が経ち。
天皇賞・秋本番を迎えた。
◇
エンペラーズカップ100年記念第132回 天皇賞・秋
| 枠順 | 番号 | 馬名 | 牡/牝 | 人気 |
1 | 1 | ヘヴンリーロマンス | 牝5 | 15 |
1 | 2 | スズカマンボ | 牡4 | 17 |
2 | 3 | メジロシャーロック | 牡4 | 1 |
2 | 4 | リンカーン | 牡5 | 7 |
3 | 5 | アサクサデンエン | 牡6 | 12 |
3 | 6 | スティルインラブ | 牝5 | 6 |
4 | 7 | タップダンスシチー | 牡8 | 8 |
4 | 8 | ハットトリック | 牡4 | 9 |
5 | 9 | ストーミーカフェ | 牡3 | 13 |
5 | 10 | ハーツクライ | 牡4 | 3 |
6 | 11 | ホオキパウェーブ | 牡4 | 16 |
6 | 12 | ダンスインザムード | 牝4 | 14 |
7 | 13 | ゼンノロブロイ | 牡5 | 2 |
7 | 14 | スイープトウショウ | 牝4 | 4 |
7 | 15 | テレグノシス | 牡6 | 10 |
8 | 16 | サンライズペガサス | 牡7 | 11 |
8 | 17 | アドマイヤグルーヴ | 牝5 | 5 |
8 | 18 | バランスオブゲーム | 牡6 | 18 |
◇
10月最終週の東京競馬場。
晴天の空の下、20万人もの観客が押し寄せる。
全ては天皇賞に出走するメジロシャーロックのために。
第1Rの時点から並ばないと、席を取ることができない。
早朝から並んでいた。
止まない喧騒。
右を見ても左を見ても、メジロシャーロックのファンばかり。
これだけで、どれほどの人気があるかよく分かるだろう。
「勝てば春秋連覇。マックイーンが出来なかった偉業だ!」
「マックイーンも斜行さえなければな~。猛抗議されたろ? 確か」
「らしいな。つっても、結局審議は覆らなかったしな。父親の無念、息子のシャーロックが晴らしてくれるさ!」
単勝元返しとなっている馬券を握り締め、少しでも良い場所で観ようと争奪戦になる。
とはいえ天覧競馬。
天皇陛下がご来場しているのに、喧嘩などご法度。
節度を持って、ルールを守って。楽しく競馬を観ることを心掛けていた。
レースプログラムは進み、ついにメインレースである天皇賞・秋を迎える。
パドックから戦場へ。
18頭の競走馬が返し馬を済ませる。
メジロシャーロックが出てきた瞬間、爆発的な歓声が上がった。
「頑張れよー、シャーロックー!」
「応援しているからなー!」
「がんばれ~、シャーロックー!」
大人から子供まで。
一番の歓声を受けるメジロシャーロック。
パドックでも問題ない。馬体重も京都大賞典の491から増減なしと、ベストをキープしている。
不安要素は全くない。
完璧な調整だった。
天皇陛下は、特別な席でしっかりと見守っている。
その視線はメジロシャーロックへと向けられていた。
「ほう、あの子がメジロシャーロックですか。噂は私の耳にも入っています」
朗らかな笑顔を浮かべ、一体どんなレースをしてくれるのかと期待に胸を膨らませる。
この時ばかりは童心に帰っていた。
純粋に、大好きな馬を見守る。第1Rから観戦していた天皇陛下の顔は、ずっと笑顔だった。
そんな状況で迎えたメインレース。
メジロシャーロックは順調に返し馬を済ませている。
(グルーヴさん達に絡まれないで本当に良かった。ちょっと離れてるから、全員こっちに来ないみたいだし)
なんか別の意味で安堵しているが。
そんな安堵をよそに、東京競馬場にファンファーレが響き渡り。
「ゲートの準備をお願いします」
ゲート入りの時間がやってきた。
各馬がゲートへと向かう。空気がヒリつき、戦いの幕が上がろうとしているのを感じる。
《この日がやってきました。エンペラーズカップ100年記念、第132回天皇賞・秋。天覧競馬となった今回のレース、天皇陛下が見守る中、各馬がゲートへと収まっていきます。芝2000m左回り、晴れ空の下良馬場での出走です。注目すべきはやはり!》
《メジロシャーロックを置いて他にはいないでしょう! 1番人気の2枠3番、実力に関しては疑いようがありませんから!》
《ここまで無傷の16連勝。無敗記録はどこまで続くのか? 父メジロマックイーンは逃してしまった秋の天皇賞を、息子が取り戻しに来ました。1番人気メジロシャーロック、2枠3番での出走となります!》
一頭、また一頭と入る度に静かになっていき。
最後の馬、大外枠のバランスオブゲームが入る頃には、完全な静寂が支配していた。
《各馬態勢整いました。伝統の一戦、秋の天皇賞が》
静かな空気。秋の風が頬を撫で。
風を切り裂くように、ゲートが開く。
開いた瞬間、馬達が一斉に飛び出した。
《今っ、スタートしました! さぁ始まりました、揃って綺麗なスタートを切ります。誰がペースを握るか、先頭に立つのはどの馬か? ここは果敢に生きますタップダンスシチー。やはりこの馬が飛び出してきました、タップダンスシチーが早くも先頭に立とうという勢い》
天皇賞・秋、開幕。
先頭に立とうとしているのはタップダンスシチー。
かつてジャパンカップを大逃げで沸かせ、9馬身差で圧勝した逃げ馬が先頭を取ろうとしている。
メジロシャーロックはその後ろにつけようとしていた。
じわりじわりと、内枠を活かして上がっていく。
しかし。
《外からストーミーカフェも上がります。9番のストーミーカフェも前で勝負、メジロシャーロックに並びます。2番のスズカマンボも内枠から上がります、おっとこれは珍しい、テレグノシスも前で勝負だ》
《早くから後方で構える姿勢を見せるのはスイープトウショウ、スティルインラブですね。ここはやはり鉄板です》
《ハーツクライはどうか? ハーツクライはいつもよりちょっと前、アドマイヤグルーヴと同じ位置につけています。注目のメジロシャーロックは先行勢に混ざっている。メジロシャーロックは前から4番手、5番手の位置》
内側からスズカマンボが、外からストーミーカフェとテレグノシスが迫ってくる。
完全に併せに来ていた。近い位置でマークしようとやってきた。
無論、この3頭だけではない。
ほとんどの馬がメジロシャーロックをマークすべく、近い位置で勝負しようとしてきた。
これにはシャーロックも驚く。
(なんか、いつもより大分多いな? そんだけ警戒されてるってことだろうけども)
とはいえ、ここは冷静に捌く。
焦ったら相手の思う壺。動じずに、自分のレースを展開すればいい。
王者の走り。勝ち続けてきた自分の走りを信じるのみだ。
岳寛も同じ考えなのか、特に動かすように指示を出さない。
周りからの警戒は予想できたこと。特段驚くようなものではない。
(確かに多いけど、僕とシャーロックなら問題なく捌ける)
そう信じて、手綱を握り締めていた。
いつも通りにすればいい。
自分達の力を信じているからこそ、この戦法ができる。
動じない精神力を持っているからこそ、相手を迎え撃つことができる。
……だからこそ、気づかなかった。
周りの切羽詰まっている表情に。
メジロシャーロックをマークしている騎手の動きに。あまりにもマークが集中しすぎていることに。
全方位から敵意を向けられている。
視線はメジロシャーロックにしか向けられていない。
前を走るタップダンスシチーが、楽に逃げている。
後ろを走るスティルインラブ達はドフリーの状態だ。いつでも抜け出すことができるほどに。
マークが一頭に集中しすぎた。
その結果。
《第1コーナーのカーブを曲がります。タップダンスシチーが快調に飛ばして逃げている、タップダンスシチーの逃げだ、タップダンスシチーの単騎逃げだ! 先行集団はテレグノシスを先頭に1つの集団を形成。スズカマンボ、ストーミーカフェと続いて、真ん中にはメジロシャーロック。その後ろにはハットトリック、ゼンノロブロイがつけています。それにしても、かなり集中的にマークされていますね》
《それだけメジロシャーロックは強いですから。これで動じずにレースを展開できるのも見事、マークしている方も振り回されていません。こちらもまた見事な騎乗ですね》
気づかぬうちに、メジロシャーロックを包囲するようにレースが展開されていることに。
シャーロックも岳寛も。
周りの騎手さえも、気づいていなかった。
明日も競走馬編をアップします。天皇賞・秋の続きを。