いろんな偉業が達成された秋天からしばらく経った。
今では俺も栗東に戻っており、次のレースに向けた準備をしている。
「次のレースは香港ヴァーズや。気合い入れていくで!」
「はい、テキ。騎手と厩務員の方は?」
「騎手は寛君、着いていくんは柏崎で継続や」
(次は香港か~。これで2ヶ国目だな)
俺の次走は香港ヴァーズ。前世では日本馬の最終戦に選ばれることが多くなった、香港国際競走の1つだ。
短距離の香港スプリント、マイルの香港マイル、チャンピオンディスタンスの香港カップ、クラシックディスタンスの香港ヴァーズ。この4つからなる競走。
特に、香港スプリントは短距離最高峰のレース、なんて呼ばれてた。この時代は分かんないけど*1。
12月開催ってのもあって、世界中から強敵が集う舞台としても有名だ。一年の総決算的なレースになるし。
今回俺が出走するのは香港ヴァーズ。
日本でもっとも有名な勝ち馬と言えば……アイツだ。
(ステイゴールド! 後に黄金一族を築き上げる名種牡馬にして名馬! 香港馬名がまたカッコイイんだよな~!)
ステイゴールドだろう。
岳さんを背に、長い旅の果てを初のG1勝利で締めくくった名馬中の名馬。
ファン人気が凄く高い馬でも有名だ。男女問わず大人気だったとか。その辺は俺と共通点なのかもしれない。
そんなステイゴールドが出走したレースに、俺は出る。
(確か今のところ、日本の勝ち馬はステイゴールドのみのはず。ここで俺が勝って、2例目として君臨するのもいいな)
気合いが入る。レースの日が楽しみだ。
それに、康夫さん的にも思い出深いレースだろう。
なんせステイゴールドが勝ったレースなんだ。そりゃあもう気合が入って
「いや、もう、ホンマに……プレッシャーがエグいて。17連勝やぞ? 17連勝! とっくに日本記録超してもうてるがな!」
「連勝記録でいえば、ブリガディアジェラード*2を超えていますからね。とんでもない馬ですよ、本当に」
「無敗の17連勝、香港ヴァーズも勝てば18連勝や! この記録を途切れさせてもうたら、なんて考えたら、プレッシャーがエグいねんホンマ! ただでさえ超注目されとるし!」
「お気持ちはよく分かります」
……なんか、ごめんなさい。
うん、俺が思っている数倍は緊張しているようだ。がくがく震えているし。
でも、同じ立場なら俺も似たような反応するんだろうな。いや、絶対するわ。
自分の管理馬が無敗の17連勝とか、このまま勝ち続けてやるわうはは~、よりも負けてしまったらどうしよう? の方が頭に浮かぶ。
楽観視なんて到底できん。俺がやっていることなんだけども。
そして、付加価値のように加わるイギリスの女王様が注目している、という情報。
なんなら前回の天覧競馬で天皇陛下の視線もあるぞ。良かったね。良くねぇよいや嬉しいけど。
ストレスでハゲになるわこんなん。康夫さんの胃が死んでしまうぞ本当に。
「ま、まぁ俺らのやることは変わらんわ。万全の態勢で香港ヴァーズに出走させる。これ以外にあらへんからな」
「その通りですね。そのためにも、逐一検査を徹底する必要があります」
「そうや。万が一があらへんよう、しっかり警戒しとくで! 去年は感冒なってもうたからな、今年は同じ轍は踏まんぞ!」
それでも、こうして元気でいられるのだから凄いわ康夫さん。
俊之さんも、しっかりフォローするぞという気概を感じる。とても頼もしい。
だからこそ、俺も俺で頑張らなければ。
(安心できるように、香港ヴァーズも勝つぞ!)
レースが楽しみだ。
ちなみに、帯同馬なのだが。
「そうだ、テキ。帯同馬の件についてですが、もう話はついているんですか?」
どうも今回もいるっぽい。
イギリス遠征の時にはグルーヴさんが着いてきた。俺が寂しくならないようにと、サポート役に。
香港でも用意するのか。俊之さんの口ぶりから察するに。
(日本から香港だし、イギリス程離れてないからいない可能性もあったが)
海外遠征だから念のため、ってことなのかね? 真相は分からん。
康夫さんはというと。
「おぉ、話はついとるで。向こうさんも快諾してくれたわ」
「そうですか。では、近々出発する予定で?」
「せや。ウチで面倒見るわけやからな、こっちも気が抜けんで」
嬉しそうにピースサインをしていた。余程いい感じにまとまったのだろうか。
しかし、誰が着いてくるのか。ここが気になるな。
またグルーヴさんだったりするのか? 可能性としてはなくもないのが
「今度はスティルインラブや! 向こうも出走予定らしくてな、香港カップをラストランにするらしいで」
「あぁ、末本厩舎のスティルインラブですか……なんというか、狙いが透けて」
「言うんやない俊之。これはな? 暗黙の了解、っちゅうやつや。気にしたら負けやで」
「はい、分かりました」
おい、おい。まさかのスティルさんかよ。
グルーヴさんの時も思ったけどよ、そこは普通同じオスの馬を用意するんじゃないのかよ。なんでまたメスなんだよ。
香港のレースに出走する馬がいなかったのかもしれないけどよ。
つか待て。スティルさんって次がラストランなの?
(マジか~。いや、前世よりも長く走っているとはいえ、やっぱり寂しい気持ちがあるな)
次会った時にでも聞いてみるか。
っと、香港でのことは粗方決まり。
「ディープは有馬予定、その前にシャーロックの香港ヴァーズやな。出国は××日やから、柏崎にも伝えとくで」
「分かりました。今日の調教は?」
「今日は~、アドマイヤグルーヴやな。向こうさんも次走が控えとるし、調整をしっかりするで」
この後の調教の予定もしっかりと聞いて。
(うし、今日も一日頑張りますか)
一日が始まろうとしていた。
で、調教なのだが。
「アドマイヤグルーヴも、年内がラスト、っちゅうことですか」
「そうですね。安定した成績を残してはいますが、さすがに衰えが隠せなくなってきてるので。年内いっぱいでラストにする予定です」
「……寂しゅうなりますわ」
グルーヴさんも年内がラストであることを知った。
『グルーヴさん、今年までなんですね』
『らしいわね~。ま、女王は引き際も肝心なのよ』
こっちは史実通り。
エリザベス女王杯に出走して、阪神牝馬ステークスに出走して引退、が大まかな流れだったはず。
分かっては、いたのだが。
『あら、どうしたのかしら? シャロ。あたしがいなくなって寂し』
『そりゃあ寂しいですよ。お世話になったんですから』
『そ、そう。ふ、ふっふ~ん! 全くシャロったら、あたしがいないとダメダメみたいね!』
いやそこまでは言いませんけど。
『ま~でも。シャロは十分強いんだから。あたしがいなくても大丈夫よ。もっと胸を張りなさい』
『はぁ。いや、寂しいと言えば寂しいですけど、グルーヴさんがいなくても別に』
『人気者は辛いわね~! シャロはあたしと離れたくないんだものね~!』
あぁうん。もう何も言うまい。機嫌よくさせておこう。
その後も機嫌良さそうにしていたグルーヴさんだが。
ふとこっちを向いて。
『──頑張んなさいよ、シャロ。あなたの女王は、どこに行ってもあなたを応援しているわ』
激励の言葉を、俺にくれた。
どこにいても、グルーヴさんは俺を応援してくれると。そう言ってくれた。
……はは、ずりぃな。
『頑張らせていただきますよ、女王様。これからも、頑張って勝ちますから』
『よろしい! それじゃ、今日も頑張るわよシャロ! あたしに着いてきなさ~い!』
『はい!』
そんなこと言われたら、頑張らなきゃいけなくなるからさ。
心地良い応援だ。めっちゃ気合が入る。
(頑張るか!)
その日の調教は、不思議と足取りが軽かった。
◇
なんだかんだ月日は流れて。
『ウフフ、それじゃあよろしくねェ、シャァロォ』
『なんでそんなねっとりしてるんですか。まぁよろしくお願いします』
香港へ渡る日がやってきた。
帯同するのはスティルさん。引退の時期がかなり伸びてるな。
(本来なら秋天走る前に引退してたからな~。大分伸びてる)
史実からかなり離れてるな。そのままどんどん史実から離れていってほしいものである。
てか、今のままだとスティルさんってどうなるんだろうな?
(影が薄い、なんて設定があったけど。こっちだと普通に好成績を残してるし)
史実以上に派手な戦績を残している。
地味、なんてことにはならないはずだ。これがどう影響するのやら。
ま、考えても仕方ないか。なるようにしかならんし。
『とりあえず俺は帰った後の方が怖いですね。スティルさんと海外遠征してた、なんて知ったら、グルーヴさんがなんて言うか』
『いいじゃなァい、あの女王様に見せつけてあげればァ』
『発覚した後に困るのは俺なんですよね』
イギリスの時よりもはるかに短いフライト時間を楽しみつつ。
スティルさんと話していた。
現地に着いた後は、放牧で軽く走ったりしていた。
『……誰かしら、貴方はァ? ワタシとシャロの仲をォ、引き裂こうとしているのォ?』
『めめめ、滅相もございません! そのようなことは決して、決してぇぇぇ!?』
『威嚇せんでくださいよスティルさん! ごめんなセンス、悪い方じゃないんだ本当に!』
俺と、スティルさんと、もう一頭。
シックスセンス。ディープと同世代の馬で、俺と同じく香港ヴァーズに出走予定である。
他にもいるが、俺達は3頭で一グループにまとめられていた。
『いや~、それにしてもあのシャーロックさんと同じレースに出るなんてな~。お、お手柔らかにお願いします』
『レースでは手加減しないけど、よろしくなセンス。ま、こっちでもいつも通りの感じで調教するから』
『はいっす。よし、シャーロックさんとの調教は良きだな。強くなれるし』
俺も何度か調教で一緒になったことがある。
どういう馬かというと、クラフトちゃんと同タイプ。気性の悪さをあまり見せない馬だ。
(センスとかクラフトちゃんはマジで貴重だからな。主に俺の精神面で)
別にいいけどさ、俺の調教相手気性難ばっかなんだよ。
それもサンデー産駒の気性難が大多数。いくら好かれてるからって、限度があるだろ限度が。
まぁいい。こっちではスティルさんもいるけど、センスとも調教できる。
『今の内にこっちの芝に慣れておけ、とはいっても、日本とあんまり変わらないと思うけどな。実力は発揮しやすいと思う』
『あ、それはあるっすね。日本と同じように走れる、っつーか。こっちの方がちょっと重い感じしますけど』
『それも慣れだな。ま、欧州よりはマシだよ』
3頭もいるんだ。中々楽しい日々を過ごせるだろう。
とはいえ、調教になると。
『もっと、もっとォ! 昂らせてェ!』
『ヒィィィ!?』
……こうなるわな、うん。
後方から凄まじい勢いで上がってくるスティルさん。
そんなスティルさんから逃げる俺とセンス。
俺は慣れているからいいが、センスは初体験のはずだ。スティルさんの恐ろしさを。
『喰らわせてェ、啜らせてェ、躍らせてェェェ!!』
『怖い怖い! おっかなすぎるんすけど!? 助けてシャーロックさんっ!』
『頑張って逃げろ。以上』
『そんなぁぁぁ!?』
俺ができることなんて、捕まらないように祈るだけ。
頑張れセンス。スティルさんから逃げ切られたら、今以上に強くなれるぞ。多分。
調教はいつもこんな感じ。
後ろから追いかけてくるスティルさんに、それから逃げる俺とセンス。
「調子良さそうやな。問題なしや」
「シックスセンスも、のびのびと走れている気がしますね」
これには康夫さん達も満足。香港でも順調に過ごしている。
調教が終わった後は、いつもの体調チェックにお掃除。
それが終われば、後は自由時間だ。
『毎回毎回、あのスティルさんから逃げるシャーロックさんって凄いっすね……そりゃ強いわけだ』
『俺はもう慣れた。1年以上やってるからな』
センスとスティルさん。日本馬で固まって、ゆったりと過ごしている。
『あの、っていうのは、どういう意味かしらァ? ワタシ、気になるわねェ』
『いいい、いやいや! 別に深い意味はないっす! えぇ本当に!』
『そんな威圧しないでくださいよ、スティルさん。センスが怖がりますから』
スティルさんの圧に屈したセンスが俺を盾に。まぁ怖いわな、スティルさんをよく知らないと。
とはいえ、別に気を悪くした様子は見せない。
『安心しなさァい? もしなにかあったとしても、シャロがなんとかしてくれるわァ』
『……はい?』
『聞こえなかったのォ? もしワタシが暴走したとしても、シャロがいれば大丈夫って言ったのよォ』
急にそんなことを言われる俺。
スティルさんが、暴走?
ま、まさか。
『なにか暴走するご予定でもあるんですか!?』
『暴走の時点で予定も何もないと思うけどォ。まァ、仮にワタシが昂りを抑えきれなかったとしてもォ、シャロがいたら何とかしてくれるわよォ』
『そ、そうっすよね? よし、ならシャーロックさんの近くにいよう』
俺に対する信頼が厚い件について。ちょっと照れるな。
つっても、なんたって急にそんなことを。
『なんで急にそんな。今も普通じゃないですか。レースも……まぁ普通ですし』
『今の間は何かしらァ? まァいいけどォ、ふと思うようになったのよ。シャロがいなかったとしたら、ワタシはどうなっていたのかをねェ』
『……あぁ』
もしも俺がいなかったら。スティルさんのその言葉で、俺は前世のスティルインラブのことを思い出す。
(……調子は上がらず、むしろ落ち込むばかり。最終的に、良いところが全くなく沈んでいった)
『シャロがいたからァ、今ワタシはここにいる。そう思ったらァ、どんな時でもシャロがいれば安心。そう思ったのよォ』
三冠牝馬戦以降、どんどん沈んでいったことを思い出して、悲しさを思い出す。
同時に、運命を変えた結果、この香港まで来たと考えたら……嬉しくなる。
『例えワタシが暴走したとしてもォ、シャロがいたら──止めてくれるんでしょう?』
そして、こっちに向かって微笑んでいるような。
そんなスティルさんを前にしたら。
『……勿論、止めますよ。スティルさんが暴走してたら、俺が止めますから』
『フフフ、なら安心ねェ。シャロはとォッても強いものォ』
『そうっすよ。シャーロックさんがいたら安心安全っす!』
こっちも、思わず笑ってしまう。
楽しそうなスティルさんを見て、嬉しくなる。
う~ん、不意に泣きそうになるとは思わなかった。
ここまで感謝してくれているとは。
(出会いに感謝、だな)
『んじゃ、香港でのレース頑張りましょうか。勿論、センスもな』
『フフフ。勝つわァ』
『俺は……シャーロックさん、出来れば加減してくれたらな~、なんて』
『無理』
まだ始まる前なのに、満足感が凄いわ。
いつかの感想で、スティルが香港遠征に着いてくるんじゃないか?と危惧していた方々がいらっしゃいましたね?
君 達 の よ う な 勘 の 良 い 読 者 は 大 好 き だ よ