世間でのメジロシャーロック人気は凄まじいものとなっていた。
「よし、ゲット! いや~、ここまでで大分使っちまったよ」
「ぶっちゃけ、クレーンで使った金よりもゲーセンはしごした金の方が掛かったけどな。つっても、これでシャーロックぬいゲットだぜ!」
「全国どこも品薄だからな~。知ってっか? 暴動まで起きかけたらしいぜ?」
「うわマジかよ!? やっぱすげぇな~、シャーロック人気」
元々、オグリキャップの活躍以降、客は離れていき。
特に若年層からの関心も引けず、売上は減少傾向にあった。
しかし、今は違う。
20代はおろか、テレビを通して10代の中高生までもが競馬を見ており、一種のムーブメントを巻き起こしている。
ハイセイコーが作り上げた第一次競馬ブーム。
オグリキャップによって再来した第二次競馬ブーム。
そしてメジロシャーロックが生み出した第三次競馬ブーム。
誇張抜きで、現在第三次競馬ブームが巻き起こっている。
「思わず応援したくなるような馬だよな~! こう、頑張ってくれ! って!」
「勝ち続けるんだけどさ、勝ち方が毎回予想つかねぇの! 天皇賞なんてあそこから勝つのかよ!? って興奮したね!」
「海外でも活躍してるんだ。応援しない理由がないね!」
若者から年寄りまで、全ての層に人気なメジロシャーロック。
グッズは飛ぶように売れ、シャーロックがレースに出走するなら現地に、と観光業界にも影響を与えている。
素晴らしい経済効果を叩き出し、JRAからすればメジロシャーロック様々と拝むほどの活躍だった。
ただ、ハイセイコーやオグリキャップと決定的に違う点がある。
それが──海外人気。
メジロシャーロックは海外の競馬ファンにも、素晴らしい人気を誇っていた。
「シャーロックのグッズ求めテ、日本までやってきちまったヨ! ドコにあるんだイ?」
「見て、あそこにあるワ! このクレーンで取ればいいのカシラ?」
「なんでもいいヨ! とにかく、グッズをあるだけ集めないト!」
エクリプスステークスとキングジョージ、香港ヴァーズで素晴らしい結果を残したシャーロックは、海外でも高い人気を誇っている。
中でもイギリスは最大手。そもそもが女王陛下が気に入っているので、国単位でファンと言える。
そんな女王陛下は、繁殖牝馬のセレクトセールに熱心なようで。
「『メジロシャーロックのために、素晴らしい繁殖牝馬を購入しないと! 理想のお嫁さんを探すのよ~!』」
特定の馬のために、繁殖牝馬を購入しようとしていた。
凄い惚れ込みようである。それだけ、キングジョージの一戦が衝撃だったのかもしれない。
香港での人気も言わずもがな高い。
香港ヴァーズに誘致するため、それはもう熱烈なラブコールを厩舎に送っていた。
「『どうかメジロシャーロックを我が国のレースに!』」
「『我が国で走る姿を見たいのです! どうかお願いします!』」
「『メジロシャーロックの素晴らしい走りを香港で! お願いします!』」
……と、連日のように伝えていたようである。
最終的に生江厩舎側はこれを承諾。香港ヴァーズの出走が叶うことに。
その際の反応はというと。
「『日本の最強馬が香港に来るぞー!』」
「『日本じゃない、世界の最強馬だ! メジロシャーロックが香港で走るんだー!』」
「『楽しみで仕方ない! 今からお祝いの席を用意しなくちゃ!』」
お祭り騒ぎだった。
オーナーである喜多野裕二にグッズ化の打診をするほどの熱狂っぷり。
一体どこで情報を、そこまで熱中するほどの熱意を仕入れたのか。疑問を抱かずにはいられないほどの人気である。
日本を超えて世界へと。
メジロシャーロックの人気は、衰えることを知らない。
となると、生まれ育ったメジロの牧場にも目が向けられる。
昨今の経営状況に他の馬の成績、シャーロック以外はどうなのか? と。
他の馬の競走成績に関しては、よくはないだろう。
シャーロックの活躍でメジロマックイーンの種付け数は激増しているが、まだ出走できる歳に達していない。
他の産駒もちらほら出走しているが、未勝利戦を勝ち抜けるかどうか怪しいライン。
一言で片づけるなら、よろしくない、というのがメジロの現状だ。
とはいえ、シャーロックの人気もあり、経営状況は回復傾向にある。
特に大きいのはグッズ。世界規模で売れていることもあり、かなりの金額となっている。
メジロマックイーンの種付け料も上がっているので、バカに出来ないくらいには回収できていた。
メジロの総帥、喜多野裕二はこう語っていた。
「いや、ね。本当に、みなさんに愛されているみたいで。嬉しい限りです」
また、今後の展望についても。
「あの子は職員にも愛されていましてね。シャーロックの産駒の面倒は、何が何でも見る! と気が逸っている職員もいるほどでして」
明るい希望を交えつつ、前向きな回答を残した。
「勿論、私自身も同じ気持ちです。あの子の産駒の活躍を見るまでは、牧場は畳むに畳めませんね。下手なことをしようもんなら、天国の美弥さんに怒られてしまいますから。シャーロックを悲しませるとは何事だ、ってね」
笑いながらそう語っていた姿に、インタビューをした記者達もつられて笑みを浮かべた。
第三次競馬ブームを巻き起こしているメジロシャーロック。
第一次は競馬をスポーツとして。第二次はスポーツから大衆娯楽へ。
そしてこの第三次では、国境の垣根を超えたムーブメントとなっている。
留まることを知らない人気。メジロは安泰かもしれない。
……しかし、それはあくまで外部の人間に限った話である。
内部、というよりは対戦相手となる他馬。
他馬に携わる厩舎と騎手にとっては、最悪も最悪の相手だ。
日本も海外も関係ない。
対戦相手として見た場合……メジロシャーロックほど対戦したくない馬はいない、と気持ちが一致していた。
理由は明白。強すぎる上に弱点がないから。これに尽きる。
メジロシャーロックの次走であるダイヤモンドステークス。
10万人近い観客が集まったが……戦いたくないという気持ちをより強固にするレースっぷりだった。
出走を決意した陣営は、例外なくそう答えたレースとなったのである。
◇
東京競馬場。晴れ空広がる中で5頭の馬が疾走する。
《先頭でペースを握ります、メジロシャーロック。後続の4頭を引き連れて、メジロシャーロックが悠々と逃げている。最大ハンデも何のその、62キロを背負っても問題なし。新たな鞍上隈澤成文を背に、悠々と逃げておりますメジロシャーロック》
《後続は追いかけるだけでも精一杯、ですかね。楽に逃げています》
《ゴーウィズウィンドが2番手その差は2馬身。トウカイトリック、ダイワキングコンと続いて、最後尾はオペラシチー。2週目の向こう正面、快調に飛ばして逃げていますメジロシャーロック。一度も先頭を譲っておりません》
10万人近い大歓声。およそG3のレースとは思えない客入りは、先頭で走る葦毛の馬が原因だろう。
「頑張ってー! シャーロックー!」
「マジ応援! ファイトー!」
「負けないでー!」
ほぼ全てがメジロシャーロックに対する声援。
他を応援するファンからすれば、肩身が狭い思いをしてそうな雰囲気だった。
そんな中、メジロシャーロックの手綱を握るのは岳寛、ではなく隈澤成文。
普段は調教でたまに騎乗する隈澤が、本レースの手綱を握っていた。
春天を見据えているため。ぶっつけ本番で別の騎手に乗ってもらうのではなく、前哨戦を使って慣れさせる。
調教で何度か騎乗しているとはいえ、馬は不安を感じずにはいられない。いつもと違う人間が乗るのだから。
だからこそ、慣れさせる目的での騎乗。
ダイヤモンドステークス出走の狙いは、慣れにあった。
手綱を握る隈澤。順調に飛ばしている。まるで問題はない。
問題はないが、隈澤は──恐怖を覚えていた。
(寛君……君は、なんて馬を育て上げたんだ)
恐怖の対象はメジロシャーロック。そして主戦騎手を務めていた岳寛。
一頭と一人のコンビに向けられる。
余裕な走りをしているが、その実恐れを抱いていた。
なぜか? その理由は、メジロシャーロックの走りにある。
隈澤は……ここまで一度も、ペースの指示や進路取りをしていない。
この小頭数では位置取り争いは意味をなさない。馬のやりたいようにやらせるのが一番だ。
飛ばし過ぎなようなら自分が抑える。不安を感じているはずだから、どこかでペースを逸脱するはずだ。
その時は無理しない程度に抑える。大丈夫だ、不安に感じる必要はないと、教えるつもりだった。
だが、現実は。
そんな心配は、微塵もいらなかった。
(ここまで私は手綱を握っているだけ。ペースの意地も、最内の経済コースのコーナリングも、全てメジロシャーロックが単独で行っている)
「単独で行っている上で……完璧としか言いようがないレースを展開しているっ」
隈澤は元々、馬のやりたいように走らせる主義だ。
決して無理はさせず、馬が走ることが嫌にならないように努める。
なにより今回は代役。
できる限り、主戦である岳寛にそのままのメジロシャーロックを渡したい。
そんな思いがあったからこそ、出来る限り無茶なことはさせないようにしよう。
レース前は、そんなことを考えていたのだ。
ただ、レース前。
最終追い切りの日。岳からこう言われていた。
「シャーロックならなにも心配はいりませんよ。彼は、自分でレースができますから」
「……はい? それは、どういうことかな、寛君」
「言葉通りの意味です。シャーロックは自分でレースを作れますよ」
断言。シャーロックは心配ないと、断言していた。
あの時は、シャーロックに対する信頼だと思っていた。本気にしていなかった。
その判断が間違いであったと、レースで思い知らされた。
何もしなくても勝てる。メジロシャーロックだけで自己完結している。
(完璧なペース配分に間違えないコース取り。敵として対峙した時もそうだったが……)
味方でも恐ろしい。そう思わざるを得なかった。
《最後の直線、メジロシャーロックが先頭で入ってきました。メジロシャーロックが先頭、東京競馬場は割れんばかりの大歓声! 後続を突き放して、メジロシャーロックが先頭を突き進みます!》
かつて、調教助手の俊之が口にしていた言葉が頭によぎる。
インタビュー記事でも書かれていたこと。
「シャーロックなら騎手一年目の新人が騎乗しても勝てる」
ふと、その言葉を思い出した。
あぁ、確かに勝てるかもしれない。
なにせ一頭で完結しているのだ。なにもしなくても勝てる。
しかし……隈澤の考えは違う。
(この子に新人を乗せたらダメだ。確実に、将来ダメになる)
新人はおろか、若手すらも乗せてはいけない。
メジロシャーロックに騎乗してもいいのはベテラン、それなりに数をこなした騎手でなければならない。
出なければ……有望な芽を潰してしまう。それほどの強さを、メジロシャーロックは持っている。
《隈澤成文手綱は持ったまま! 騎手が変わっても全く問題なし! 後続に今6馬身差を叩きつけ! メジロシャーロックがダイヤモンドステークスを制しました! これは凄い、最初から最後まで圧倒し続けた! メジロシャーロックの強さに陰りなし!》
そう思わずにはいられなかった。
レース後インタビューにて。
「いや~それにしても、盤石の強さでしたね! 今のお気持ちは?」
「本当に強い馬ですね。寛君が教え込んだだけあって、私はただ乗っていただけでした。乗っていただけで勝てるんですから、凄い馬ですよ」
「成程成程。確か、巷では新人騎手が騎乗しても勝てるとかどうとか。いや~、それはさすがに」
「勝てますよ。確実に」
その話題が出て。
隈澤は思わず口を滑らせてしまう。
メジロシャーロックが抱える危険性を、口にしそうになった。
とはいえ、そこから先は口をつぐむ。
「……失礼。さすがに難しいとは思いますが、勝ち負けには絡めると思います。ちょっと言葉足らずでしたね」
「い、いや、先ほど確実に勝てると」
「言い間違いですよ、言い間違い。申し訳ありません、ちょっとメジロシャーロックの強さに興奮してまして」
愛想笑いを浮かべてお茶を濁す。
これ以上追及されたらまずい。そう思いつつも。
(シャーロックが孕んでいる危険性……それは、新人の芽を潰しかねないものだ)
頭の中ではシャーロックの危険性のことでいっぱいだった。
確かに、メジロシャーロックは一頭で自己完結している。
乗っているだけで勝った自分がいるのだ。間違いなく新人だろうが、下手したらその辺の人を捕まえても勝てる。
それだけの確信があった。
だがそれは……騎手を生業にする人間にとっては、甘い蜜で毒だ。
(シャーロックだけでどうにかなってしまう、誰が騎乗しようが関係ない……下手したら、勘違いしてしまう)
馬だけでどうにかなるのであれば、騎手が技術を磨く余地がない。
それだけならまだマシだが、最悪の場合勘違いを起こしてしまう可能性がある。よくない成功体験を覚えてしまう。
結果、シャーロックでやった騎乗を、他の馬でもやりかねない。
他の馬にシャーロックレベルのことを求めるのは酷。というか無理。
しかし、勘違いして天狗になる場合がある。
本来であれば、いろんな馬に騎乗し、試行錯誤して、自分なりの騎乗スタイルを身に着ける。
この馬ならこの乗り方を。気性の激しい子にはどういう風に乗ればいいのか? 自分ならどう騎乗するか?
本来であれば、自身の経験から学び活かして、模索していくものだ。積み重ねが非常に大事になる。
そんな新人や若手の時に、シャーロックのような完璧な馬に騎乗した場合どうなるか?
騎手が成長する可能性を、潰してしまうかもしれない。
試行錯誤する手間がいらないのだから当然だ。だって、シャーロックに任せれば勝てるのだから。
楽を覚えてしまう。それが一番怖い。
恐ろしい。強いとか美しいとか、賢いとかいう次元ではない。
ただ、恐ろしい。たった一頭で自己完結する馬がいるのかと、恐怖を覚えた。
……もっとも、それはあくまでレース面での話。
それ以外となると、話は別だ。
(けれども、シャーロックもシャーロックなりに、出来る限りのことをやろうとしているんだ。怖さを覚えるのは違う話、か)
調教で関わっているから知っている。
それ以外の時間でも、シャーロックと会ったことがある。
だから知っている。シャーロックの優しさを。
自分の欲求よりも他を優先する。
他馬に併せ、他を立てることを苦に思わない。
たまにこちらを労うように、顔を舐めてくれる。
そんな、優しい馬だ。
確かに、レースでは怖いかもしれない。
だが、普段の彼は優しくて聡い子だ。
何もかもが怖いわけではない。
(……いけないな。あまりの強さに、恐怖してしまった。彼に謝らないといけない)
己の過ちを後悔しつつ、後でシャーロックに頭を下げよう。
インタビュー中にも関わらず、隈澤はそんなことを考えていた。
「あの~隈澤騎手? 質問の方ですがよろしいですか?」
「……え? あ、あぁすみません! なんでしょうか!」
ただ、幸いにも記者はそれ以上追及することなく。
質問に懇切丁寧に答え、無事にインタビューを終えた。
そして、インタビュー後。
「すまない、シャーロック。君に怖さを覚えてしまった。優しい君を、怖がってしまった。申し訳ない」
隈澤は、本当にメジロシャーロックに頭を下げた。
生江康夫も驚いているし、柏崎厩務員も目を見開いている。
当のメジロシャーロックはというと。
(え、なに? 俺が怖かった? いや、まぁ確かに、騎乗している隈澤さんからそんな気持ちは感じてたけど)
『別に気にする必要ないのに。律儀な人だなぁ』
のほほんとしていた。
特に気にしておらず、むしろ慰めるように。
「わっと。あはは、本当にすまないね、シャーロック。次からは気をつけるよ」
「ヒヒン(気にしないでくれ)」
隈澤の顔を舐めた。
これにて一件落着である。
実際新人がシャーロックに騎乗したら勘違いしかねないかもしれない。