ダイヤモンドステークスを普通に勝ったり、リョーマが戻ってきたり。
なんだかんだ順調な日々を過ごしている。今のところ不安要素は、春の天皇賞だけだろう。
(ついにディープとの対決だもんな~。まさか、この日がこようとは)
ぶっちゃけないと思っていた。
俺とディープは同厩舎だし、なにより岳さんが嫌がりそうだし。実際めちゃくちゃ嫌そうにしてたし。
同じ厩舎の馬が勝利を奪い合う。そんな事態はできる限り避けたいはずだ。
けど、実現した。
俺とディープは、春天で戦うことになる。
(一番警戒すべき相手なのは間違いない。春天のメンバーは、さすがに覚えていないけど。ディープ以上に警戒すべき奴なんて、あのレースにはいなかったはずだ)
改めて、嫌すぎるな。
大前提で、ディープの強さ。
これに関しては疑いようがない。ハーツに負けてはいるが、それでも世代の頂点。
位置取りで圧倒的不利を背負わされる追込で、ここまで勝ち方を重ねてきた。
まだ一回負けたのみ。クラシック三冠競走全部を走って、だ。ディープの強さを理解するには、十分すぎる内容だと思う。
なお、俺を比較対象に持ってくるのはNG。俺の戦績と比べたら大体の馬が霞むわ。
それに、騎乗する人も人だ。
俺を倒すためにとめちゃくちゃ張り切っている岳さん。日本競馬界のレジェンドが、俺に勝つためにと挑んでくる。
いや、うん。
(こっちの方が勘弁してほしいわ。ふざけやがって本当に)
調子が絶好調のレジェンドを敵に回したくないわ。
あの人俺の弱点とか全部知ってるし、そもそも俺の知識は全部あの人から教わったし。
いわば俺の師匠みたいな人だぞ。恐れ多いにもほどがあるけど。
とはいえ、あまり心配していない要素があるのも確か。
ぶっちゃけた話、徹底マークとか弱点を突かれるとか、その辺は問題ないと思っている。
その理由が、俺とディープじゃ勝手が違うということだ。
ディープは前で勝負するタイプじゃない。
おまけに操縦性が劣悪。賢い立ち回りもできないだろう。
俺は普通にやれているから勘違いしそうになるが、本来馬は自分の本能を優先したい生き物だ。
騎手の言う通りにやれと言われて、はいってできる方が稀。
普通はできないし、やったとしても弱くなることがままある。
スティルさんが良い例だな。
人間側の都合で気性を抑えようとしていたが、逆効果。
むしろやる気をなくして、成績は落ち込む一方だった。最終的に何とかなったけど。
賢い立ち回りってのは、馬によって向き不向きがある。
ディープは断然後者だ。
(本能を抑えて理性的な立ち回りをする。ディープの強さにそれは合わない。ってことはだ)
『徹底マークはない。それと、俺の脚を削るなんて真似もできない。後ろで勝負するのが一番強いわけだからな』
俺を削ることよりも、ディープの強みを前面に押し出す。
つまるところ、俺を徹底マークする戦法は取ってこないはずだ。つーか取れないんだろうけど。
(調教でも苦労してんの見てるからな。あの操縦性で、俺をマークするとか無理だろ)
それに、ディープの強みを潰してしまうことにも繋がる。
とにかく走らせるためには、ディープが最も得意とする土俵での勝負を選ぶはずだ。
ってなると、いつもの最後方勝負。
後ろから追い上げて、一気に抜き去るあの走りで来るはず。
根拠はないが、これが一番可能性あるな。
なら、俺が取れる選択肢も限られてくる。
前で勝負しつつ脚を残す。ディープと同じ土俵……ロングスパート勝負に持ち込む。
(前で走る分、俺の方が有利なのは変わらん。後はどれだけ、ディープを外に回すことができるかだな)
ディープ相手に末脚勝負を挑まなければならない。
それがどれだけ難しいことか。
全く、本当。
『考えることが多すぎて嫌になるわ。おのれディープ。おのれ岳さん』
愚痴りたくなる。
そんな愚痴とは裏腹に。
俺は──不思議と気分が高揚していた。
強敵がいる高揚感を、ヒリつきを。
最大限警戒しなければいけない相手がいる勝負を。
G1レースでいつも感じる、この感情は心地良い。
この気持ちは、多分。
楽しい、だ。
◇
俺とディープは目標が被っているので、調教では一緒に走らない。
だが。
『ねーねー! なんでシャロさん走ってくれなくなったのー!? ぼく、もっとシャロさんと走りたいのにー!』
『前にも言ったが、人間側の都合だ。俺にどうこう言われてもしょうがない』
『やーだー! シャロさんと走りたいー! その方がもっと強くなれるもん!』
『だからこうして一緒に走ってやってるんだろうが。ワガママ言うんじゃありません』
放牧に関しては話は別。ディープと一緒だ。
馬側のストレスにならないためにも、仲の良い馬同士を放牧させる。
なので、放牧ではいつもディープと一緒になる。どっちかというと俺が絡まれてるだけなんだけど。
放牧で会うディープに何をされるかというと、走ること。
はい、想像はつくよね。この走り屋、ずっと俺に絡んでくるし。
『走ろう走ろう! 今すぐ走ろう! 全然足りないもん!』
『分かったから舐めんなお前は!』
しかもまた顔を舐めてくるし。
何だコイツ、俺の顔を舐めるのにハマってんのか? 今すぐやめちまえそんな趣味。
で、走っているわけだが。
『しかし、お前本当にアレだよな。走るの大好きだよな』
『え? そんなの当たり前だよ。だって楽しいもの!』
『あーはいはい。そういう奴だよなお前は』
この走り屋についていけるの、俺しかいないんじゃないだろうか?
他の馬はいるにはいるけど、こっちには寄ってこない。
嫌われてるわけじゃないと思いたいが。
『見て、また走ってるよディープとシャーロックさん』
『仲いいね~。いつも楽しそうだね~』
『一緒に走ったら永遠に走らされそう』
そんなことはねぇな。微笑ましいものを見る目で見られてるわ。
後最後の奴。別にんなことはねぇからな。俺がしっかりとセーブするからな?
てか、よく聞いたらジャパンじゃねぇか。何考えてやがるアイツ。
いつも通りディープと走っているのだが、ここ最近は変わり始めている。
(走るのを楽しむだけじゃない、な。明確に勝ちへと意識が変わってきている)
『お前、勝ちたがるようになったな。前までは俺と走ってるだけでも楽しそうだったのに、今は俺よりも前に出ようとしている』
『ん~、そうかな? あんまり分かんないや』
本人は無自覚、か。良いことなのやら悪いことなのやら。
『でもね、負けたくないって気持ちは前よりも強くなったよ』
『へぇ。そりゃ、ハーツに負けたからか?』
『うん。負けちゃうってあんなに悔しいんだって、分かったから。あんな気持ちには、もうなりたくないから』
よほど悔しかったんだろう。
有馬記念での敗戦、ハーツクライに叩きつけられた、初の敗北が。
今もなお、ディープの記憶に根付いている。
だからこそ、ディープの炎は燃え上がっている。
今度こそは負けないと、闘志を燃やしているわけだ。
厄介な置き土産を残してくれたもんだ、ハーツも。
(アイツ今頃ドバイか? 勝ってほしいがね)
……てか、よくよく考えたらアイツとキングジョージで走るな。
2006年のキングジョージには、ハーツクライが出走していたはず。
俺のローテにもあるし、キングジョージでまた対決か。
『シャロさん何考えてるの? それよりも、もっと特訓に付き合ってよ!』
『あーはいはい、分かった分かった。付き合ってやるから』
『やったー!』
どうなるかね、本当に。
一通り走り終わった後、ディープとゆっくり。
俺がいると割とみんな寄ってくるのだが、ディープがいると寄ってこない。
なんでかは知らん。
『ね、ね。シャロさんは負けたことある?』
『俺は……ねぇな。一度も負けたことがない』
『わ、やっぱりシャロさんは凄いな~。ぼくも負けたのに、シャロさんは一回も負けたことないんだ!』
隣を陣取るディープと話す。
話題はレースのことだ。これも有馬記念以降、増えるようになった。
『じゃあじゃあ、ハーツさんとも戦ったことあるの? そして、勝ったの?』
『何度もあるぞ。アイツとはなんだかんだ、一番対戦した回数が多いんじゃないか?』
詳しくは数えてないから知らんが、2着とか3着に大体アイツはいる。
クラシック戦は全部走ってるから戦ってるし、春天にも、秋天にもいたはずだ。
そう考えると5回ぐらいか? アイツと戦ったのは。
(思えば俺、ジャパンカップと有馬記念一度も走ってないな。宝塚記念も走ってないし)
日本の代表的なレースだってのに、どれも走ったことがないとは。
なんなら有馬記念に関しては、得票数ぶっちぎりの1位を獲得しているらしい。
なのに出走していない。なんというか、申し訳なくなってくるな。
(いや、宝塚記念も得票数1位って聞いたな。今年もいけないけど)
行けないのに票を入れてくれる。
それだけ俺に期待してくれている、応援しているってことだ。
嬉しいな、なんか。
『ねー聞いてる!? シャロさん!』
『あー、悪い。ちょっと考え事してたわ。なんだって?』
『も~! だから、ハーツさんに勝つにはどうしたらいいかなって。シャロさんは何度も勝ってるんでしょ? 教えて教えて!』
『教えたところでお前は実践できない、ってか逆に弱くなる。だから、お前の持ち味を活かしつつアドバイスするなら』
俺に期待してくれているのが嬉しい。
レースでの声援もそうだ。いつも力になっている。
本当はもっと、応えることが出来たらいいんだが。
(人の言葉喋れないしな。ファン感謝イベントとかも、引退後でしか出来なさそうだし)
現役中に、ファンの声に応えることは難しいだろう。
勝利をもって応えることしか出来なさそうだ。
『ってな感じだ。とにかく、お前はあれこれ余計なことを考えない方がいい。上の人、岳さんの指示を素直に聞けばいいんだ。その方がずっと強い』
『ふ~ん。ぼく、あの人も好きだな~。だってあの人が来てくれると、走れる! ってことだもん!』
『お前は本当に走りに極振りしてんな。ま、だからこそ考えるのは性に合わない、ってことなんだが』
……だというのに、俺はどうしてライバルとなる相手に塩を送っているのやら。
本来なら、教えない方がいいんだろう。
自分が苦労することになる、間違いなく不利になる。
そんなことが見えているのに、分かっているはずなのに。
気づけばこうして、ディープの疑問や質問に答え、アドバイスをしている。
生まれ持っての性、って奴なのかね?
『もっと教えて教えて! 今度またレースがあるんだ。絶対に勝たなきゃだし、勝ちたいから教えて! 後走って!』
『わーかった分かった。分かったから顔を舐めるな、押し付けるな。まず、岳さんの言うことを聞くのは大前提だが……』
ま、慕われているようで悪い気はしない。
可愛い後輩枠だ、コイツは。
教え終わった後、また走っているのだが。
『ぼく、シャロさんにも負けないよ!』
『はい? なんだまた唐突に』
急に俺にも負けない宣言をしてきた。
さっきまでハーツに負けないと言っていたのにだ。
話の流れ的におかしくはないが。
『だって、シャロさんはハーツさんに何回も勝ってるんでしょ?』
『まぁ、そうだな』
『じゃあ、ハーツさんよりも強いってことでしょ?』
『そうなるな』
ただ、楽しそうなディープに、ワクワクしている奴に。
なにより。
『だったら──負けられない。ぼくはハーツさんに勝つ前に、シャロさんに勝つ』
闘志をめらめらと燃やしている相手に、茶々を入れようなんて気にはなれなかった。
っは、マジで燃えてんじゃねぇか、ディープ。
こんなの見たことねぇぞ。
いつも楽しいばかりが先行して、競争意識なんてほとんどなかったってのに。
(さらに強くなる、ってことか。そりゃまた)
骨が折れるし──楽しみじゃねぇか。
人間の頃とは大違いだ。
負けたくない、って気持ちが強い。同族よりも速くなりたい、って意識が段違いだ。
『シャロさん、全力で勝負してね? 手加減なんて、つまらないから』
『はっ、調子に乗ってんじゃねぇぞ。お前相手に手加減する余裕なんかねぇ。全力で倒してやるよ』
『ぼくだって負けない。そのためにも、次のレース……勝ってくるよ』
『ま、そこで躓くようなら、俺に勝つなんて夢のまた夢だからな。頑張ってこい』
これが馬の持つ、闘争本能って奴なのだろう。
悪くない気分だ。むしろ心地良い。
俺も、変わっていってるんだろうな。
『シャロさんに勝って、ハーツさんにもリベンジする! 絶対に負けないぞー、おー!』
『おうおう、頑張れよ若者。1歳しか違わないけど』
『そしてそして! その後は本気の勝負をしようね、シャロさん! ぼく、負けないから!』
『おーよ。俺も、やるからにゃ負けねぇよ』
ファンの期待を背負っている。
康夫さん達からの期待も背負っている。
そして今──ディープからの期待も背負った。
なら、応えよう。
俺の、メジロシャーロックの全霊をもって。
それに、何より。
期待だけじゃない。絶対に勝たなきゃいけない理由がある。
刻一刻と迫っている。ある時が……俺にとって忘れることのできない、ある出来事が。
(次の春天も、絶対に負けられねぇ。俺の父、メジロマックイーンのためにも)
そうだ、俺は……負けるわけにはいかない。
◇
阪神大賞典が終わったある日のこと。
一つのニュースが舞い込んできた。
【ディープインパクト始動戦を圧勝!阪神大賞典を7馬身差V!】
ディープは無事に、勝利したようである。
だが、ディープの吉報からさらに数日後。
4月に入りたての頃。4月3日。
別のニュースが、話題を独占していた。
【メジロマックイーン死去。死因は心不全】
【メジロシャーロックの父メジロマックイーン死亡。19歳の若さで】
俺の父であるメジロマックイーンが、亡くなったというニュースだった。
また一つ、大きなものを背負って。メジロシャーロックは春の天皇賞へと挑むことになる。