あれからというもの、何度かネオユニヴァースさんと一緒に調教する日があった。
クラシック二冠馬との調教、ありがたい限りではあるのだが。
『キッツ……』
『不十分。“鍛える”を提案する』
『これでも鍛えてんですよこっちは! 1歳差でよう頑張ってる方ですよ俺は!』
ついていくのがやっとなのが現状だ。
当たり前だが、1歳差ってのが響いてる。
俺も抜けている方ではあるが、それはあくまで2歳馬の基準だ。3歳馬の水準を満たしているわけじゃない。
期待をかけられている、ってのは嬉しいけど、こうまで差があるとさすがに凹むな。
『“新星”。そういえば、そうだった』
『あの、もしかして俺が年下っての、気づいてなかったんですか?』
『ううん。“メモリーロスト”しただけ』
『……それ、忘れてたってことじゃないです?』
ネオユニヴァースさんは気にしてなさそうだからいいとしてだ。
ここまでコテンパンだと、康夫さん達をがっかりさせていないだろうか?
よかれと思って組んでもらってるのに、結果を出せてないとなると……今後に響くかもしれない。
ど、どうなんだ康夫さん。一体、この状況をどういう風に思っているんだ!
「ホンマにシャーロックは負けん気が強いな。ここまでやられとって、一切響いとらん」
「ですね。正直な話、悪影響になるならすぐにでもやめさせようと思っていましたけど」
「微塵も折れてへん。それどころか、必死に食らいつこうとしとる。真面目っちゅうかなんちゅうか」
あ、大丈夫そうですね。何でもないです忘れてください。
安心したわ、悪く思われてなさそうで。
悪く思われてたら寝込むところだったわ。寝込んでる暇あるなら鍛えろ。
「新馬の場合、ここまでやられたら嫌になる子もいますからね。その点を踏まえると、メジロシャーロックは凄いですよ」
「世戸口さんもそう思いますか。テキほどじゃないですが、この先が楽しみですね、シャーロック」
「お、お前もようやく気付きおったか! せや、そうやっていつも褒めたらええねん!」
「調子に乗らないでくださいテキ。とにかく、今日もお疲れ様シャーロック。後はゆっくり休んでてくれ」
あ、珍しく俊之さんが褒めてくれた。嬉しい。
にしても、これで調教終わりか。
いつもみたいに世戸口さん達に向かって、頭を下げる。
ぺこりと、お辞儀するみたいに。
『ネオユニヴァースさん。今日もお疲れさまでした。いつもありがとうございます』
『びっぐばん。“新星”の“膨張”、ぼくも“ハッピー”』
『え~っと、俺の成長が嬉しいってことですか?』
『あふぁーまてぃぶ』
ネオユニヴァースさんはいつもみたいに立ち上がった。
調教助手さんがびっくりするから、あんまやらない方がいいと思いますよそれ。
お家に帰って、いつもみたいにリョーマに手入れをされる。
後は餌。いつもみたいに、飼葉桶に山盛りだ。
「今日はリンゴもあるぞ、シャロ! 康夫さんが食べさせても良いって!」
「ヒヒン(リンゴだと)!?」
「お前、リンゴ大好きだもんな。待ってろよ、今すぐ用意してやるからな」
「ヒヒーン(やったー)!」
だがしかし! 今日はなんと、奮発してリンゴもセットでくれるらしい! やったぜ。
ぶっちゃけ飼葉が悪いとは言わない。美味いし。
アレだ、給食にデザートが付いてる感覚。アレに近しいものがある。
わけもなく嬉しくなるじゃん? フルーツポンチがあると。
俺にとってリンゴってのは、給食のデザートと一緒だ。たまについてくると嬉しい、マイフェイバリットフードである。
今リョーマが用意しているが、我慢できない!
「これでよし、と。じゃあシャロ」
「ヒヒィン(はよ食わせろ)!」
「うわっ!? 待て待て、落ち着け落ち着け。焦らなくてもちゃんとやるから!」
思わず馬房の柵に身を乗り出して、リョーマが手に持ってるリンゴにかぶりつく。
上手くリョーマの手を避けて、リンゴをパクリ。
(あ~……っ、うめぇ)
人の時とは味覚が違う。ずっと甘く感じるこのリンゴ。
星3つをつけてもいいリンゴだ。あんまり差が分からんけど。全部美味いし。
「よしよし、たくさん食べて、丈夫な体を作るんだぞ!」
おーよ、任せてくれリョーマ。でも餌の量は加減してくれリョーマ。
◇
調教漬けの日々を過ごして、気づけばもうデイリー杯の日。
時間が過ぎるのって早いな。人間の時よりずっと早く感じるわ。
(……調教の時間が濃すぎるせいだな、うん)
とにかく、今日はレース。京都競馬場に来てるぞっと。
ここで気になるのは俺が何番人気か? 新馬戦1番人気、新潟2歳も1番人気。
じゃあこのデイリー杯は?
《本日の1番人気、8枠12番のメジロシャーロックです。馬体重はプラス2キロの488、調子も絶好調と陣営は太鼓判。果たして今回はどのようなレースを見せてくれるのか? 注目が集まりますね》
《やっぱり大人気ですよね、メジロシャーロックは! 好走に期待しましょう!》
1番人気である。フハハ。
とはいえ、これは当然と言えば当然か。
新馬戦から圧勝に次ぐ圧勝。さらにこの時代では珍しい、非サンデーの活躍馬。
鞍上はあの岳さん。厩舎も名門で、太鼓判を押すほど調子が良い。
人気が集中するのは当たり前、軸にしない理由がない。
嬉しい限りだ。こうして注目が集まれば、俺の目標にも近づいていくのだから。
(活躍すればするほど、メジロが注目される。現状を知る人が増えるかもしれない)
協力者が増える可能性もあるんだ。注目されて損はない。
もっとも、人気を維持するためには勝たなきゃな。
例外としてハルウララがいるけど、今の俺にその路線はちとキツい。
勝つ。勝って有名になって、なおかつ牧場を維持するための資金を積み上げる。
(たかが一頭じゃ塵積レベル。けど、ないよりはるかにマシだ)
たとえ俺個人軍だとしてもやってやる。
全てはそう、メジロ存続のために!
っと、気持ちを新たにしたところでゲートだ。
果たして今日はどんな指示が飛ぶのやら。岳さんの意思に合わせないと。
《今大外枠のメジロシャーロックがゲートに収まりました。デイリー杯2歳ステークスが今っ、始まりましたっ!》
入って少しした後、ゲートが開いた。
狭くて窮屈だった空間が一気に解放され、目の前に芝の緑が広がる。
遅れない。すぐさま飛び出した。
手綱をグイグイ押される。もっと行けという合図。
(前に詰めろ、ってことね。了解!)
大外から果敢に攻める。
内を攻めろ、と鞭が入った。
前に出ろ、内側に入り込め。
この2つの情報で察する。定石通りのレースをしろってことが。
《始まりましたレース。大外のメジロシャーロックこれは好スタート。内へ内へ攻めます。ややバラついたスタート、1枠1番のメイショウボーラーも好スタートを切った》
《最内枠を活かしてスーッと上がっていきますね。前の良い位置につけそうです》
《10番のグレイトジャーニーも内へ、5番のエーティーテイオーはちょっと出遅れたか? ここからベストポジションにつけるかどうか、注目したいところ》
さて、先行集団につけるとしますかね!
……ってちょい待ち岳さん。なんでそんなに手綱をガシガシ押してるんすか?
もう先行集団の位置にはつけてますよ。これで満足じゃないんですか?
なにさせようとしてるんだ、なんて思った時。
「今日は11秒後半のペースで走るよ。これじゃあまだ12秒の後半だ」
なんで1秒早くしてんだよ。それ後半までに取っとくんじゃないのかよ。
本当に何考えてんのこの人。
なんて思ったが、よく考えれば好都合じゃね?
(やれることを増やして損はない。なら、やるしかねぇ!)
岳さんの意図は分からない。
だが、クラシックを見据えるならやっておいて損はない。
特に、ペースを覚えるのは大事だ。超大事。最優先事項。
実践でもやれるように、実践でやるのは間違いじゃない。
(それを重賞でやるのはおかしいだろって話だけどなぁぁぁ!)
もうツッコまねぇぞ! あんたもあんたで俺への要求値が高すぎるとか、いろいろと言いたいことあるけど!
我慢してとにかく前へ。少しずつ、じわりと前へ進む。
《おっと、これはメジロシャーロックが大外から被せに来ました! 大外からメジロシャーロックが先頭に立とうという勢い》
《確認したかメイショウボーラー副永騎手も手綱を押していますね。この2頭が逃げる展開になりそうです》
《メイショウボーラーに外から併せるメジロシャーロック、2頭の競り合いです。グレイトジャーニーは控える形、エーティーテイオーは先行集団に混ざりました》
新馬戦と同じ逃げ。違う点を挙げるとすれば、今回は考えがあっての逃げってことだ。
(考え、つっても岳さんのだけど! まぁ逃げは好都合だ!)
競り合う、のではなく。意識するのは11秒台を出すことだ。
「よし、11秒の後半に乗ったね。ただちょっと飛ばし過ぎかな? もう少し落としても構わないよ」
前回と変わらず、上からタイムの指示を飛ばしてくれる岳さん。
俺はまだ体内時計が完璧じゃないし、教えてくれるのはありがたい限り。
隣を走っている馬は、どうやらムキになって競り合うつもりらしい。
俺? 俺の方は別の意味でそれどころじゃない。
「出来る限りタイムのブレをなくすんだ。ちょっとの誤差が後の勝敗に響くからね」
「調教ではできていただろう? 本番でもできるようにならないと」
「よしよし、ブレは最小限で済んでいるね。でも、まだやれるよね? 君なら」
俺の鞍上鬼畜過ぎんだろ。要求がエグすぎるって。
なんで重賞で調教みたいなことしないといけないの? あなたもしかして、重賞を調教の場と勘違いしていらっしゃる?
いろいろと考えて動かなきゃいけない。
ぶっちゃけ、隣を走っている馬のことなんて気にしている余裕ないんだわ。
《第4コーナーに入って先頭はメジロシャーロックだメジロシャーロックだ。新馬戦と同じ状況、逃げるメジロシャーロックを追う10頭、ただ1頭競りかけるメイショウボーラー。2頭がペースを掴みます》
《これは2頭とも掛かっているかもしれませんね。どこかで一息つけたらよかったのですが、第4コーナーだとさすがに厳しいです》
俺は俺のやることでいっぱいなんだわ。やめたくなる、って考えが浮かぶほど。
でもね、やるしかないんだ。だってこの人、天下の岳さんだし。
実際、強くなっている実感がある。身体的じゃなくて、頭の良さ的な話でだ。
前世はただの学生。競馬の作戦とか、騎手がなにを考えて騎乗しているとか、これっぽっちも分からない。
対する岳さんは、騎手を生業にしてきたんだ。
俺なんかよりも何倍も詳しい。世界で活躍するトップジョッキーなんだ。
そんな人が、重賞って大切な場で教えてくれている。
(言う通りにやれば成長できる! 頑張れ俺、やれるだろ俺! 俺は出来る子だろ!)
その機会を、無駄にするわけにはいかない。
この人の期待に、俺は応えないといけない。
なにより応えないと、俺の目標を達成することなんてできやしない。
(やってやらぁ! 覚悟しとけよ岳さん、あんたの要求に全部応えてやるからな!)
だから、やるしかないんだよ!
走る、走る。ひたすらに走る。
《第4コーナーのカーブを曲がって最後の直線へ! 先頭で入ったのはメジロシャーロック、メジロシャーロックだ。メイショウボーラー必死に食らいつく、後続はペースを上げてきた》
頭空っぽで、がむしゃらに走ったらダメだ。
走りつつやるんだだ。考えて走らないといけない。
今のペースが大体11秒の後半。この速さをしっかり覚えておくんだ。
俺がこの先、強くなるためにも!
《メジロシャーロックが振り落とした残り200m! メジロシャーロックが先頭で抜け出した! 後続が必死に追い上げてきているが!》
《後続もバテ始めていますね。差をつけられないようにペースを上げたのが仇となりましたか!》
《だが、どうしてお前は走れるんだ!? メジロシャーロックが駆け抜ける、メジロだメジロだ! またまたメジロだ、メジロシャーロックだ!》
今回の感覚を、しっかりと刻みつけてやる!
《メジロシャーロックが駆け抜けた1着! メジロシャーロックが後続に4馬身差を叩きつけてレースを制しました! これで無傷の3連勝です!》
《いや、これは強い! 疑う余地が一切ない本物ですよ!》
《2着はグレイトジャーニー、3着アドマイヤシェイク。競り合っていたメイショウボーラーは着外に沈みました! デイリー杯2歳ステークスはメジロシャーロックの逃げ切り勝ちです!》
なんて思っていたら、レースが終わっていた。4馬身差の完勝、だな。
レース後。減速して一時停止すると、撫でられる感触が。
「よしよし、今日もよく頑張ったね。やっぱり凄いよ、君は」
岳さんだ。俺の頑張りを褒めてくれてる。
「僕の要求にしっかり応えてくれた。君ほど乗りやすい馬はいないな」
ふふん、それほどでもある。これが俺の実力ってわけよ。
「次は何を教えようかな? ふふ、今から楽しみで仕方ないよ」
おい何を考えている? ありがたいけどそれ調教で頼むぞ。
また重賞でやるんじゃないぞ。絶対だからな? 絶対だからな!?
う~ん畜生。