俺のイギリス遠征。
二度目ということもあってか、滞りなくスムーズに始まったものだ。
スムーズじゃないことも一部あったけど。
その原因は、リョーマである。
(アイツめ、良い大人が駄々こねるなよ本当に)
ま~凄かった。周りの人達が呆れてものも言えないくらいに。
遠征の際、厩務員が一人着いていくことになるのだが、アイツは当然立候補した。
俺にべた惚れしているから当然だな。自分こそが行くと言って譲らなかった。
「去年はいけなかったけど、今年こそは俺が!」
なんて気合いを入れていたのは記憶に新しい。
しかし、大きな問題が立ちはだかったのである。
それが──言語の壁だ。
海外遠征なので、英語は必須スキル。
おまけに今回は凱旋門賞も出るので、フランス語もできれば習得しておきたい言語だった。
英語とフランス語。どちらもできる人材が望まれていたのである。
別にいないならいないで、リョーマが着いていくこともできたのだが。
我らが生江康夫厩舎にはいる。英語とフランス語どころか、いろんな言語を話すことができるマルチリンガル女子が。
「残念やけどリョーマ。遠征に着いていくんは柏崎や。お前は俊之と一緒に、日本で留守番やで」
「あ~……すみません、草薙さん。もう決まっちゃってて」
そう、去年も俺の遠征に着いてきてくれた厩務員、柏崎さんである。
前回の遠征でも大変お世話になった。
現地のホテルの道案内だとか、美味しい食事とか新聞の翻訳とか。
柏崎さんなくして大成功はなかった、と言ってもいい活躍をしていたのである。
マルチリンガルで、前回のノウハウがある。
そんなもん、リョーマよりも最優先で選ばれるに決まっていた。
康夫さんも、最初から柏崎さんを指名するつもりだったらしく。
リョーマに話が行く前に、もう遠征メンバーを締め切っていたのである。
呆然とするリョーマ。申し訳なさそうな顔の柏崎さん。
1秒。2秒。固まったかと思うと。
「嫌だぁぁぁ! 俺も、俺も着いていきます!」
駄々をこねた。いい大人が、旅行にいきたいとねだるガキみたいに。
みっともないったらありゃしなかったな、あの時のリョーマ。
やれ勉強頑張りますから、とか、シャロのお世話から外れたくない、だとか。
そりゃもう交渉していた。康夫さんに、もう決まっていることを。
最終的には、康夫さんの鶴の一声。
「草薙、柏崎相手に英語とフランス語で勝てると思うんか?」
「……」
「おまけに、前回のノウハウがあんねん。向こうも柏崎の方がよう知っとるし、面識あるから安心するやろ。お前は日本で留守番しとき」
圧倒的マジレスで撃沈した。そらそうよ。
だって、どこで勝負しようがリョーマは負けるぞ。
勝てるとこなんて俺への愛情だけだろ。そこで勝ったからなんだ、って話だけど。
こうして、遠征に着いていく厩務員は柏崎さんに決まり。
「シャロォォォ! 俺を置いていかないでェェェ!」
リョーマは最後の最後まで駄々をこねていた。
諦めろよいい加減。どう考えても柏崎さんの方が向いてるって。
「うわっ、凄い白けた目をしてますよ、シャーロック」
「こないな表情見たことあらへんわ。ある意味レアやで」
康夫さんと柏崎さんも、呆れていた。
っと、遠征前からこんな調子だったものの。
ここまで順調に進んでいる。順調すぎて怖いくらいだ。
初戦であるエクリプスステークス。無事に出走することができた。
結果は、俺の2馬身差勝ち。全く苦にせず勝利を掴んだ。
久しぶりにこっちの芝走ったけど、アレだな。意外と何とかなるもんだな。
(調教で感触を確かめていたとはいえ、普通に走れるとは思わんかった。手こずりもしなかったし、しっかりと実力を出し切れたな)
大事な初戦をしっかり勝ち切れた。これは結構デカい。
この調子を維持して、次のレースも勝つ。
ぶっちゃけ、本命は次だからな。エクリプスステークスは前哨戦みたいなもんだ。豪華すぎるメンバーだったけど。
次走は、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス*1。去年はニューベリーで代替開催だったが、今年はアスコットでの開催だ。
アスコットの形状がま~凄いこと。スクーリングでハーツと一緒に走ったが、ヤバいわアレは。
(起伏しかねぇもんな、あそこ。最初が下り坂で、後はずっと上り。高低差22mは伊達じゃねぇな)
別名クソおにぎりコース。三角形の見た目から、俺はそんな風に呼んでいた。
スタート地点から最初のコーナーまで下り坂。コーナーを超えたオールドマイルコースと呼ばれる場所からゴールまでは、ずっと上り坂だ。
コーナーの角度もかなり急であり、スピードに乗りすぎると外に振らされる。
外に降らされたら、その分ロスが大きい。他馬にとって有利な展開になること間違いなしだ。
結論、アスコット競馬場はヤバい。一回走っておいてよかったわ本当に。
(求められるのは総合力。スピードを出すだけでは勝てないし、坂をものともしないパワーは必須。ステイヤー並みのスタミナも必要だし、もうなんかいろいろと大事だ)
どういう理由があって、こんな場所に競馬場を作ろうと思ったのか。本気で疑問である。
ただ、こういう競馬場だ。
本当に強い馬しか勝てない。紛れが決まることは少ない。
それがアスコット競馬場で開催される、キングジョージというレースである。
それにしても強い馬、か。
今までは、他人事のように思っていた。
自分じゃない、自分がなりたい。漠然とそんな意識を抱いていた過去の自分。
気づけば、自分が強い馬になっていた。
周りから挑まれて、俺を倒すためにと向かってくる。
マークされるなんて日常茶飯事。最後に自由に逃げたのは、何時の話か?
(……マジで覚えてねぇな。基本囲まれるか、マンマークされるかのどっちかだし)
2歳とか、3歳の時の逃げはもうできない。
必ず誰かがマークしてくるし、楽逃げさせないぞと注目され続けている。
それが正解だから、別に文句はないんだけどさ。
だが、俺はそれでも勝ち続けた。
勝って、また勝って、ここまで無敗で駆け抜けてきた。
駆け抜けた結果……俺との対戦を避けられるようになっちまった。
(仕方ねぇさ。同じ立場なら、俺だって回避を選択する。俺みたいな馬、戦うだけ無駄だからな)
普通に走ったら逃げ切られる。
囲んでも包囲網を突破して抜け出してくる。
徹底マークしても振り切られる。
挙句の果てには、追いついても勝負根性で抜かすことができない。
どんな無理ゲー、って話だ。
そりゃ避けるわ。誰だって同じことを考える。
賞金を積むにしたって、限度ってもんがあるからな。最初から2着しか狙えないレースに、何の価値があるのか?
(これでファン人気も高い、ってのが、問題だ。競馬場に集まった観客は、ほとんどが俺のレースを観に来ているわけだし)
『賞金積みにしかならない上に、主役のためのピエロになれって言ってんのと同じだ。そりゃ、嫌だよな』
俺が気持ちよく勝つ姿を観るために、お前らは脇役として頑張ってくれ。
そんなこと言われたら誰だってキレる。本気で勝ちに行ってる分、余計にだ。
俺だってキレる。キレるが……今俺を取り巻く状況が、まさにそんな感じだ。
結果、俺との対決を避ける陣営が多数。
今度のキングジョージはまだいいが、この先のレースは危ういのが現状だ。
(凱旋門賞、か。一応、出走予定らしいけど)
『単走になりかねない、なんて冗談が出回るくらいだ。少なくとも、良い風向きじゃない』
康夫さん達の会話を盗み聞きした。
どうも、また回避する陣営が出るかもしれないらしい。これで何件目だろうか?
世界一を決める舞台。世界のレースでトップランクを維持し続ける、伝統と格式のあるレース。
そんなレースが、たった一頭の存在で、メンツが丸潰れになろうとしている。
一応、ディープも登録自体はしてあるらしい。これは康夫さんに聞いた。
ディープも世界で戦える競走馬だ。登録はしておいて損じゃない。
追加登録だと、掛かる金額が膨大になる。そうなる前に、登録しておくのが普通だ。
別に出走しなくたっていいわけだからな。登録しておいて、やっぱり出ませんもできるし。
オーナーである金古さんを説得して、なんとか登録の許可を得たらしいが。
(望みは薄い、っていったな。俺が出走するなら出さない、それがオーナーの判断だって)
春天で俺に負けたのが、相当ショックだったんだろう。
メジロシャーロックが出走するなら、ディープインパクトは国内に集中する。
そう突っぱねられたらしい。
俺が出なかったら、出るかもしれないとも。
ディープでさえも逃げた。
この事実が、重くのしかかる。
(ディープ陣営が回避を選んだんだ。俺が日本で走れる可能性は、もう0だな)
あの春天で、無敗の三冠馬であるディープでさえも敵わないと悟った。
他はなおさらだ。回避一択になる。
ファンが望もうが、出走する陣営がいないんじゃどうしようもない。
俺を相手にしよう、なんて陣営は出てこないだろう。
日本だけじゃない、海外も同じ状況だ。
エクリプスステークスは様子見も兼ねていたのか、頭数は揃っていた。
で、結果は2馬身差で俺の勝ち。
紙面で着差以上の実力、なんて号外が出たくらいだ。
同じレースに出させる気は失せただろう。分からないけど。
(キングジョージは揃うらしいけど……どうなることやら。回避する陣営がいないことを祈るだけ、か)
なんでも、次のレースは女王陛下直々に観戦するらしい。
それもあってか、出走を選択した陣営は少なからずいるようだ。
去年の凱旋門賞馬も出てくるとか。てことは、ハリケーンランか。
強いことは間違いない。
レーティングに関しても、俺に次ぐ130らしいし。
キングジョージも一筋縄じゃいかない、と、いいな。
と、まぁ。
現状についていろいろと確認したわけだが。
喜ばしくない、というのが俺の感想だ。
強くなった。目的であるメジロの復活も現実になり始めた。
それは事実だ。間違いない。
けどその代わりに、周りがどんどんいなくなっていくような感覚が襲ってきた。
(強者故の孤独、なんて。漫画では見たことあるけど、こんな感じなのかね?)
理解者がいない、並ぶ者がいない。
孤高の存在、って感じか。
俺も男だ。憧れたことはある。
絶対の強さはカッコいい。無双する主人公はイカしてる。
敵をバッタバッタとなぎ倒す姿を想像したもんだ。
実際になってみると、思った以上に空しいものだと痛感する。
いくら強くなっても、競う相手がいなければどうしようもない。
戦う相手が、挑んでくる敵がいないと。力を使う意味なんてないのだから。
俺としては走りたいだけだ。走って、競って、戦いたい。
初めはただがむしゃらに、誰かのためにって走ってたのに。
気づけば随分と、本能的に走るようになったもんだ。
馬の闘争心を刺激されている、ってか。
もっとも……発揮する相手が、今はもう少ないってところだが。
(あ~、俺も厨二臭くなるか。俺を満足させてくれよぉ、とか)
やめだやめだ。
こんなこと、考えたって仕方ねぇ。
なるようにしかならないんだ。俺は俺の、やるべきことをやればいいんだから。
っと、考えていたところに。
『こんなところにいたか、シャーロック』
『お、ハーツじゃん。どうした? 今休憩中だけど』
ハーツがやってきた。
俺と一緒に遠征して、次のレースで走るライバル。
そして……まだ俺に挑もうとしてくれる、数少ないライバルだ。
ハーツは、相変わらず闘志MAXだ。
『決まってるだろう。貴様に勝つために、特訓していたところだ』
『いや、休めよ。なんのための放牧で休憩時間だよ』
『冗談だ。俺とて休憩の重要性は分かっている。ケガをしては、元も子もないからな』
『冗談かよ。心臓に悪いわ』
今でこそ普通に話しているが、調教中のコイツはヤバい。
俺に勝つ。それ以外の無駄なものは一切そぎ落とす。
ウマ娘2期のライスシャワーみたいな追い込み方だ。鬼を宿そうとしている。
そんなハーツに俺は、一瞬気圧されたことがある。
(実際、めきめきと成長している。随分と痩せたように見えるが……違うな。無駄がなくなっているんだ)
有力馬が多数出走予定らしいキングジョージ。
最優先で警戒すべきは、もう決まっている。
『今度こそ貴様に勝つ。そのために俺は、努力を重ねている』
ハーツ一択だろ、こんなの。
気合いが尋常じゃねぇ。下手すりゃ、飲まれちまう。
今のハーツは、今まで戦ってきた中で最上級の仕上がりだ。
だとしても、負ける気は微塵もない。
『抜かせ。今度も俺が勝ってやるよ』
『いつまでも高いところから見下ろしているがいい。その方が、引きずり下ろした時が楽しいからな』
『随分な趣味してんなぁ、お前』
俺は、絶対に勝つ。
だって俺も、ハーツとの対決を……楽しみにしているのだから。
当たり前だろ。
俺に勝とうと向かってくる、数少ない相手なんだ。
楽しみにするのが当たり前、しない理由の方がない。
(ぐつぐつと燃えている感じだ。衝動が抑えきれない)
キングジョージはきっと、素晴らしいレースになるだろう。
……ただ、それと同じくらい。
(だってのに、なんで俺は)
不安を感じている。
なんでかは分からない。虫の知らせ、という奴だろうか?
嫌な予感がする。まるで、望んでないことが起こるかのような。
本当になんとなく、嫌な予感がする。漠然とだけど。
『……考えても仕方ねぇ。ちょっくら走るか』
『走るのか? なら付き合おう。軽くだろう?』
『当たり前。レース近いし、本気で走るわけにゃいかん』
そんな嫌な予感を振り切るように。
放牧の時間。ハーツと一緒に走った。
次回はキングジョージ。