ヂェーヴィチ協会員が行く。~ねじれ幻想郷回遊録~   作:哲学の階のロッカー

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第二十三話 向き合う時

「ちょっと……!? 一体何が起こったの!?」

 

 見えない斬撃が紅魔館を縦にぶった切った直後、ようやく大図書館の主であるパチュリー・ノーレッジが騒ぎを聞きつけて、モノリスの隠し場所にやってくる。見れば、部屋の中はもう一言で言うなら、阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 入ってすぐ近くには、いつの間に入ってきていたのか分からない古明地こいしが、部屋の中央の異形と化した剣士と相対していた。恐らくあれが話に聞いていたねじれの実物と言うものなのだろう、とパチュリーは理解した。当のねじれ本人はそこから一歩も動かず、こいしもそれを幸いと様子見に留め、近づくことも逃げ去ることもせず、ただ警戒したまま、いつでも弾幕を放てるように構えていた。

 問題はそのねじれだ。ねじれの頭部から髪と思しきものが伸びに伸びて、部屋の隅までを埋め尽くす勢いで床にまき散らされている。後ろ髪のみならず、前髪もそんな有様で、最早その視線も、表情すら読み解くことは叶わない。そしてその髪の毛には様々な意匠の刀剣が無数に絡まっている。左手には空色に緑のラインの入った意匠の鞘が握られている。その鞘の中は空っぽで、かといって抜き放たれた刀が右手に握られているわけでもない。ねじれはただ空っぽの鞘を持ったまま、直立不動でそこに佇んでいるだけだ。

 

「……気付かれずにどうやってここまで来たかも分からないけど、何がどうなればあんな……」

 

 心が歪むことで生まれる怪物。さとりから話を聞いたレミリアから伝えられていたことではあるけれど、実際に見てみれば、それは人が妖怪や悪魔に変わるのとはまるで違うように思えた。妖怪などもまた人間の認知や印象、そして伝承など……物質よりも精神的な面が強い存在ではある。

 目の前のねじれにも、所々にそういった面が見受けられる。髪、無数の刀剣、中身のない鞘……それらは彼のねじれた心を強調したモチーフに違いない。ただ―――それはどこまでも痛々しい。苦痛と後悔によってめくれ上がったそれが表に現れているだけ……都市の人間ではないパチュリーだったが、幻想郷の知識人としてある程度そういう事情に詳しかったおかげか、このねじれという存在が、そういうおぞましい成り立ちをしていることをなんとなく察することが出来ていた。

 

「あぁぁ! ぱ、パチュリー様……! その、今ので上の人たちがぞろぞろと……!」

「いや……むしろ好都合よ、こんなこと起こってしまってはね」

 

 そこに慌てた様子で飛び込んで来る小悪魔。その後ろからゾロゾロと上の方でゲームと称してドンパチやっていた連中らが雪崩れ込んで来る。エントランスで戦っていたレミリアと妖夢。続いて隠し場所を知っていたが為に戦いながら徐々に近づいて来ていたさとりと美鈴。騒ぎの……というか紅魔館への巨大斬撃攻撃の始点であるこの部屋に、四人が我先にと駆けこんで来る。

 

「ちょっとパチェー! さっきの何!? 館真っ二つなんだけど!!」

「レミィ……残念だけど突破されちゃったわ。それで手にした外来人があのザマよ」

「もしかしてアレが?」

「……ねじれている」

 

 尋ねるレミリアと応答するパチュリーの間を掻い潜り、さとりがロウゲツの有様を見てねじれだと断定する。さとりの第三の目(サードアイ)に彼のねじれ切った心の内を読み取る。読心を邪魔していた月光石の光はもう彼の手元にはない。まざまざと見せつけられたロウゲツの心中に、さとりは深く嘆息して辺りを見渡す。

 

「……イヴァンはどこ? 彼がこの場に必要なんですが」

「へぇ。そりゃまた何故かしら?」

「ロウゲツの心がねじれた原因が彼だからです。だからこそ、あのねじれを(ほど)けるのはあの子しかいません」

「……まだ来ていないようですね」

 

 さとりの言葉に、興味深そうにレミリアは目を細めた。この場にいる全員がイヴァンの姿を探すが、まだこの部屋には辿り着いてはいない―――妖夢が先んじて言葉を発したその時、また追加で上階から駆け下りてくる音が二人分聞こえてくる。その内の一つは瞬く間にこの部屋へと駆け寄ってきていた。それは慌てふためいて、そしてどこまでも切実に……何があったのかをこの目で確かめる為の必死な足音。

 

「―――ロウゲツ!」

 

 さとりが名指しで探していた人物、イヴァンが部屋へと突っ込むように入ってくる。相変わらず息は切れていないが、その表情には非常に切迫したものが感じられた。

 そしてその碧眼の視線が中央に立つねじれたロウゲツを捉えた瞬間。イヴァンの目はこれ以上無いほどに見開かれ、糸がぷつりと切れたように、彼の表情と心を支えるナニカが崩れていくのが感じられた。

 

「イヴァン、どうした? ……って、大丈夫?」

 

 イヴァンの後追いで駆けて来たフランが彼の顔を正面に回って覗き込んだ時には―――もうその表情に生気と呼べるものが全て抜けきったかのように、蒼白に歪んでいるのが見えた。だが、それがどうしてであるかはフラン……もとい紅魔館の住民には分かるはずもない。妖夢も心配そうにその表情を見てはいるが、その内情を全て把握しているわけではない。その表情の意味を分かっていたのは、こいしとさとりの二人だけだった。

 

「さ、とり……ロウゲツは……なんで……?」

「……」

 

 イヴァンが助けを求めるようにさとりにぼそりと問いかける。さとりはその表情と内心を見て、表情を曇らせながらも……静かに頷いてから、口を開く。

 

「……分かっているはずよ。貴方は随分と……彼に黙っていることがあるのだから」

「っ……俺の、せいで……?」

「―――イヴァン!?」

「……! い、イヴァン……手が……!?」

 

 さとりの言葉に、イヴァンは遂にその場に崩れ落ちる。その様子に慌ててさとりが肩を貸して受け止めるも、イヴァンの身にもう力は入らない。

 それどころか―――こいしはイヴァンの手を見て、声を震わせる。

 

 イヴァンの手には―――まるでそこから生えたと思しき、木の根のようなものが巻きついていた。イヴァンの心はざわついていた。すぐ傍にあるモノリスから電波のようなものを受けて。ねじれの発端たる後悔塗れの過去と、それでも立とうとする意志を打ち砕かれ、よりにもよってモノリスすらこの場にあるというのなら、最早必然と言っても差し支えないような、この状態。

 イヴァンもまた―――ねじれかけている。それをこの場の全員が察知した。

 

「俺……俺、は……!?」

「さとりさん!? イヴァンさんはどうすれば!?」

「しょうがないわ。こうなったら、一旦モノリスから離すしか……」

「待って、お姉ちゃん!」

「こいし……?」

 

 さとりを引き留めたこいしが急いで、イヴァンの手に何かを持たせる。すると、イヴァンの心を揺らすざわつきが次第に収まっていって、彼の顔色も少しばかりだが良くなっていった。

 

「―――あ、れ……? これ、は……」

 

 イヴァンが収まりゆく焦燥の中、持たされたものを見てみれば、それはまだ淡い光を放つ月光石の欠片だった。ロウゲツが取り落として割れてしまった破片……それを拾って持たせてもらったのだ。特異点たる月光石の光が、モノリスの精神浸食から、イヴァン自身の目や耳にワンクッション置いてくれることで、どうにかモノリスの影響から脱することが出来た。

 イヴァンは徐々に心の負荷から解放されていくが、それでもなお、自身の手に生えてしまった木の根は消える気配がない。そもそもモノリスなど無くても、都市ではねじれる人が結構な数いる。問題は心そのものであり、モノリスはそれに干渉してねじれを誘発するに過ぎない。心の奥底にねじれる原因が残っているのなら、モノリスなど無くてもねじれ得るものであるから。ただ、どうにかこれ以上イヴァンのねじれが進行するようなことだけは避けられたようだった。

 

「大丈夫? イヴァン……」

「あ、あぁ……悪い、こいし。助かった」

「ううん。ねぇ、声は聴いてないよね?」

「声?」

「うん。私も……貴方の友達も聞いたの。ねじれていい、って背中を押そうとする暖かい声……あの人、ロウゲツはそれを聞いて……」

「……」

 

 それを聞いて、イヴァンははっとする。ロウゲツは月光石を準備していた。モノリスの影響自体は受けていなかったはず。それなのにねじれたのは、そういうことだったのだと。

 だがイヴァンの中で合点がいったというのに、こいしはなんだか微かに苦しそうな表情をして、イヴァンを見つめていた。

 

「……どうした?」

「……いや、ごめんなさい。声もそうだけど……本当は私が余計なことを言っちゃったから」

「余計な事、って……」

「私、心配になって。彼がモノリスへ近づいたら、もしかしたらねじれちゃうかも、って。イヴァンと何かあったのを、彼も引きずっているように見えたから。それを聞いてみたら……」

「こいし……」

 

 こいしがいつもの無表情を崩して、悲痛な顔で謝るのを見て、イヴァンはさとりの肩を借りるのをやめ、その両足で立つ。

 そしてねじれたロウゲツを見据えて、一歩近づく。何かこいしに慰めの言葉をかけようかとも思った。だが、この木の根が巻きついた両手では頭を撫でてやることも出来ない。そして彼を放置して慰めても、それは中途半端な結果しか生まない。あのねじれをどうにかしなくては、この自分のねじれさえも。そうして初めてこいしの表情も晴れるのだろう。それが分かっていたから。

 

「こいし……後で俺からも謝らせてくれ。結局……アイツがねじれたのは、俺がロウゲツと向き合えなかったからなんだから」

「イヴァン……」

「その為に……力を貸してくれ、こいし、さとり」

 

 紅魔館の道中の会話を思いだす。自分の背を押してくれると言ってくれた両者の言葉。今がその時だと、イヴァンはねじれかけた心を奮い立たせる。それを待っていたとばかりにさとりが微笑んでイヴァンに並び立つ。

 

「来る前にそうしてあげるって言わなかった?」

「勿論。助けてあげたいっていうのは変わらないから」

「……ありがとう」

 

 三人の輪に、妖夢も剣の柄に手を置いてロウゲツへの警戒を緩めないままに加わってくる。

 

「私もやらせてもらいますよ、ロウゲツさんがあんな状態になるなんて、どうにかしてあげませんと」

「妖夢も……あぁ、頼む」

「とはいっても、どうしたらいいのかは分からないので、その辺りの指示はお願いしますね!」

「ちょっと、アンタたちだけで盛り上がらないでよ」

 

 いよいよレミリアを筆頭に紅魔館組までイヴァンの傍に近寄って、ねじれたロウゲツを正面にこの部屋の全員が対峙する形となる。レミリアはばつが悪そうに、動かないロウゲツへ視線を投げた。

 

「形はどうあれ、完璧モノリスは取られちゃってるし……後始末の手伝いぐらいはさせてもらうわよ」

「いいのか?」

「ねじれについて聞いた時、もうちょっとカッコいい……ドラゴンとか妖怪とかになると思ってたんだけど……全然違うのね、アレ。痛々しくて見ていられないって感じがするわ。あんなの見せられるとね……」

 

 吸血鬼たるレミリアにとっては自分より下の人間はただの玩具とそう大して変わりはない。だがロウゲツは普通の人間ではない―――少なくとも自分に刃を届かせられるかもしれない存在だと、自身の従者(十六夜咲夜)を倒し、それを示していた。

 だというのに……目の前でねじれたソレは自分に届き得る剣士の在り様には到底思えない。

 玩具代わりに人間をねじれさせれば面白そうとも思っていたはずなのに、実際に見てみればなんてことはない。決して愉快な思いにはならない。存在自体が愉快なものではなかったから。それが分かったなら、もう放置する理由もない。

 

「このまま突っ立ってられても仕方がないもの。フラン、パチェ。アンタたちもそれでいいわよね?」

「まぁ……このままこの部屋占拠されちゃ、たまったものじゃないし……」

「イヴァンがもっかい遊んでくれるなら私もいいよ。アレに邪魔されて途中だったもん」

「10:0ぐらいで俺が負けてただろ、あれ……! いやまぁ、それで手伝ってくれるなら勿論やるけども……」

 

 さりげなくもう一回ボコボコにされることが確定したが……これで戦力的な憂いは消えたに等しい。これだけ実力のある者らがいるなら、ねじれたロウゲツを抑えることは十分に可能なはずだ。

 

「美鈴、こあ。貴方達は妖精メイドたちを鎮めてきて。どうせ慌てふためいてるはずだから。上で休んでる咲夜にもそう言っておいて」

「「わ、分かりました!」」

 

 レミリアの指示で、慌ただしく上へ駆けていく美鈴と小悪魔の足音が遠ざかっていく。

 

 静寂―――ねじれた剣鬼と相対する者らの息遣いだけがその場に残った。彼らの間には確かな距離がある。近づくのも容易くはない、見た目以上の大きな距離が。だが、イヴァンはようやくロウゲツを正面に捉えて立っている。今まで避けてきたけれど……幻想郷なる異世界に堕ちてから、なんていうとてもとても大きな遠回りをもしたけど、それでも。

 ようやく―――向き合う時が来たと、そう信じて。

 

「ロウゲツ……行くぞ」

 

 ねじれかけたせいで木の根が巻きついた両手。機械鞄(デリバリーキャリア)を持つのも非常に苦労するが、それでもどうにか両手で抱えるように、自分の武器であるそれを構えて。

 僅かな―――でも確かな一歩、間合い(心の距離)を縮めた。見えない刃が塞ぐ間合いへ、一歩を踏み出した。

 

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