ヂェーヴィチ協会員が行く。~ねじれ幻想郷回遊録~   作:哲学の階のロッカー

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第七話 ねじれゆく

 こいしがその石を拾ったのは本当に偶然だった。

 何の気なしに温泉で水面を見つめていた時、突如として落っこちて来た外来人。興味が湧いたのと、流石に手を差し伸べることすら躊躇するような非情などではなかったので、丁度傍にいた河童(にとり)にも声をかけて、その人間を岸まで引っ張り上げたのだった。

 

 その時だ。男が襷掛けしていた巨大な鞄についていた小さな二つのランプのうち、一つが赤く点滅していたのを見たのは。こいしは機械に詳しくはなかったが、それが何らかのエラーを示しているのだということぐらいは分かっていた。そしてその傍に見たことのない黒い石ころが転がっていたものだから、もしかしたらこれが鞄から零れたものなんじゃないかと思って、ひっそりと拾っていたのだ。

 

 最初は勿論返すつもりでいた。その為にお姉ちゃん(さとり)に声をかけて、さとり、にとり、そして自分の三人で外来人が目を覚ますのを待っていたのだから。

 だけど、その辺りから何か様子がおかしいことに気づき始めていた。

 言ってしまえば、何の理由もないのに心がざわつくような、奇妙な感覚を覚えていたのだ。こいしはしばらくは目の前に横たわった外来人の隠された能力か何かかと思っていた。だけど―――

 

『本題はここからよ。この石、どうやら周囲の者の心を歪ませるみたいなの』

 

 なんと姉がそう言って取りだしたのは、恐らく自分が今持っているのと同質の黒い石だった。

 確かに先週あたりに旧地獄の隅でなにやら騒ぎがあって、そこに姉が向かってからひと悶着はあったようだけれど……まさかこれが(くだん)の呪物であるとは思いもしなかったのだ。

 

 そのことに驚いて、しばらくこいしは考え込んだ。その様子にはこの部屋の誰も気づかない。ただ一人で思考に没頭していた。

 そして目の前で(さとり)外来人(イヴァン)が取り決めを交わす中で……こいしは一人、ぎゅっと黒い石を握り込んで、結局その場にいる誰にも、この石のことは喋らなかった。

 

 理由としては単純で、この石に興味が湧いたからだ。結局のところ、この世界での異変はこんなひょんなことから起きる。

 ただそれは単なる好奇だけではなかった。こいしにはある種の確信があったから。だって―――

 

 こんなにも自分の心は、この石くれに反応してざわめいているのだから。

 

 ―――いつしか閉ざしたはずの心が、揺れ動いている。何かを感じている。それがこいしが黒い石を手放さない、何よりの理由となっていた。それが如何に不自然な挙動であったのだとしても、今感じているこの感覚が夢でも幻覚でもないのなら……ここで拾得物(しゅうとくぶつ)を返すことに惜しさを覚えても、致し方ないというものだろう。

 

 その後に観戦した、(勇儀)外来人(イヴァン)の戦いでは、いつもよりずっと内心で盛り上がった。心が掘り起こされているとでも言いかえればいいのか。とにかく情緒を刺激される思いだった。

 この時には既に、表情や能力には現れないものの、こいしの中身は確実に黒い石に浸食され、閉じられた心を無理やり開かれている最中だったのだ。

 

 そうして遂には―――本来の持ち主の下へ、挑発紛いの遊びの誘いをするに至った。

 いつも本能に従って行動していた。無意識に。そしていつの間にか。それが自分の能力であり、(さが)だった。瞳と心を閉じた瞬間から、自分の全ての行動は無意識に行われていた。

 今は違う。今は心の向くまま、興味と好奇と、そして意識の向くままに行動することが出来る。

 

 この昂りを、あの外来人(イヴァン)は気づいただろうか? 追ってきているのは見えた。だから一瞬、無意識の能力で自分の存在を隠したけれど……もしちゃんと追って来てくれるのなら、きっと楽しいひと時になる。

 

 あぁ……楽しm【自分で追うのではなく……追ってきてほしいのね】

 

 ―――ふと、誰かの声が聞こえた。知らない声、でも誰よりも暖かくて……心地よい声。自分には分かる。これは心に直接語り掛けてきている。

 右手に握った黒い石を見る。もしやこの石に封じられたなんらかの妖怪が話しかけてきているのだろうか。この石の持つ力はそういうことだったのか?

 否。否、断じて違う。この声は違う。この石の力とこの声はまた違うものだ。

 

【自分で追うのに疲れたの? それとも、最初から貴方はそうだったの?】

 

 問いかける声が止まない。この声は自分からそれを聞き出してどうしたいんだろう。でも……

 

「きっとそうかもしれないわ。誰にも気づかれないから追いかけるばかりで……今度は追いかけてきてほしくなったのかも」

 

 その声に悪い印象を抱くことはなかったから。

 ただ雑談のつもりで、その声に耳を傾けて……言葉を返していた。

 

【本当にそれだけ?】

「……え?」

 

 ざわめきが強くなる。

 

【さっきの彼が言ったことを気にしているんじゃないの?】

「…………」

 

『って言われてもな……俺にはそれしかなかったんだよ』

 

 あの言葉が密かに胸に突き刺さっている。

 過去の自分もそうだった。自分に残っていたのは、(さとり)としての読心能力だけだった。だけど……

 

「そんなことない。私はもうそれを捨て去ったから」

 

 心を読んでいいことなんて一つもないから。だからたった一つ自分に残されたものだったけれど、未練無く捨て去ることが出来た。この第三の目(サードアイ)を閉じることが出来た。

 そうして自分は……未来永劫の無意識を手に入れることが出来たのだから。

 だから(イヴァン)にも言ってあげたの。捨て去ることで見えるものも……手に入るものもあるって。

 

【でも今はこうやって、心が蘇る感覚にときめいている】

「…………」

【心を読む力を……貴方の心を捨て去ったのは、本当に貴方がやりたいことだったの?】

「それは……」

 

 言葉に詰まる。いつもならそんなこと考えもしない。誰かの言葉に揺れ動かされて、意味もなく迷うことなんて。

 でも今は、その言葉がどこまでも深く染み入ってくる。黒い石に剥きだしにされた心に直接語り掛けてくる言葉が何よりも深く突き刺さってくる。

 

【かつて貴方が本当に望んでいたことをしていいんだよ】

「望んでいた……こと?」

 

 抵抗しようという気勢が削がれていく。

 石の魔力にも、声の魔力にも抗えなくなっていく。

 

「私の望んでいたこと」

 

 かつての自分の記憶すら掘り起こされる。

 覚の読心能力によって他全てから距離を取られていた時。警戒され……反発され……嫌悪されていたあの時のこと。

 誰からも近づいてくることがなかったから追いかけるしかなかった。けれど、追いかけた所で心を読まれるのを嫌がる全ては逃げていくし、何より堪えたのは……その嫌悪が、決して冗談でもなんでもなく、本当のことだっていうことを毎回突きつけられなくてはならなかったということ。

 

 だから瞳を閉ざしたの。もう誰の心も覗き見ることなんて出来ないように。(さとり)からは反対されたけれど、そうすれば全てが丸く収まるはず。もう誰から恐れられることも、嫌がられることもないの。そのはずだったのに……

 

【けど今でも、貴方は皆のことを追ってばかり】

 

 ―――そう、自分はただこの能力を閉ざしたかっただけ。でも、どういう因果だったのか……能力と同時に、自分の心までも閉ざされてしまった。意図していたわけではない。自分ではどうにもならない、能力と感情の繋がりで、自分は自分の全てを、諸共全て封印する羽目になった。

 その代わりに、私は"無意識を操る程度の能力"を呼び覚ました。だから、心が閉ざされても平気だった。私がするべきことは、したいことは……いつの間にか自分がやってしまっている。意識する暇もなく、本能的に。

 けれど―――

 

【皮肉ね。かつては貴方にそっぽを向いていた全ては……今では誰も気づきもしない】

 

 この能力は無意識に発動する。相手の無意識を操ってしまえば……最早誰も自分には気づかない。

 本当はただ嫌われずに一緒にいたかっただけだったのに。

 でももうそれは過去のことで。今でなら見向きしてくれる人だっている。この幻想郷は最初の頃より大きく変わってきている。

 数多の異変を通じて得た変化や、新しい交友は確かにあって……だから悲観することなんてなにも―――

 

【本当に?】

 

 でもその問いに返す言葉が見当たらなかった。

 どうしてこんな苦労して、唯一(読心能力)を手放して手に入れた安寧も、偽りのものだったのだろう。

 どうして自分が近づきたくて苦心した全ての者は、自分を厭うのだろう。

 偶然にも、今の自分は過去ほど絶望しているわけではなかったけれど……

 (イヴァン)のことは、少し羨ましく思っていた。自分にはそれしかない、って思うようなものを……きっと捨てなくてもいいのだろうから。だから柄にもなく、それっぽいことを言ってやりたくなっただけだった。

 自分は捨てなくちゃいけなかったのに。それが……ほんの少しだけ気にかかっただけだったのに。今はもう……それがどこまでも痛い。どこまでも苦しい。

 

 本当に……自分はこんなことまでしなくちゃいけなかったのかな?

 その想いが、今更になって首をもたげてくる。身体全体にのしかかり、凝り固まり……離れなくなる。ねじれて……ねじれて、どこまでもねじれて、(ほど)けなくなる。

 黒い石がそうさせている。甘い声がそうさせている。そして……自分が望んで、そうなっていく。

 

【ううん。他人の為に貴方が心を折る必要なんてないんだよ】

 

 声がとびっきり甘い誘惑と共に、こいしの心に踏み込んで来る。それを跳ねのけることはもうできない。

 

【言ってごらん。貴方が本当はどうしたかったのか】

 

 ……誰かと一緒にいたかった。

 ……誰かに嫌われたくなかった。

 ……心なんて閉ざしたくなかった。

 ……自分の心を分かって欲しかった。

 …………愛がほしかった。

 

【できるよ。そして……貴方はなれる】

【貴方の望み通りの姿に】

 

 全てのねじれた想いが、自分を覆い尽くしていく。凝り固まって、まるで岩石のように大きく、固く。

 そして沈んでいく。自分が、ねじれた想いが、その全てが。

 沈んで……沈んで……一度、誰にも分からないところへと消えて行った。

 

***

 

「聞いた、お空? さとり様が言ってた外来人が勇儀と勝負して大騒ぎだったって」

 

 灼熱地獄跡、二人の妖怪がそこでの仕事を終えて、そこより上方の地霊殿に帰るための帰り道。

 赤髪猫耳の妖怪、火車の火焔猫燐(かえんびょう りん)と、黒髪に大きな翼が特徴的な、地獄鴉の霊烏路空(れいうじ うつほ)が、雑談しながらゆったりと上へ上へと歩いて帰っている途中だった。

 

「え? 全然知らない。その外来人死ななかったの?」

「みたいだね。単純な外の世界ってわけじゃなくて、もっと違う世界から来た戦える人間みたい。それで……」

「それで?」

「最近あったでしょ。さとり様が心を歪ませる黒い石を拾ってきたアレ。アレをどうにかする為の手助けをその外来人に頼んだとかなんとか……」

「…………で?」

「今アンタ忘れてたでしょ……まぁなに。さとり様からちゃんと説明受けるから、ってこと。帰ったらまずさとり様に顔見せに行くからね」

「あ、そういうこと? 最初からそう言えばいいのに」

「はいはい悪かったね」

 

 何のことはない、連絡事項を混ぜた雑談。いつもと大して変わらない帰り道。二人とも仕事が終わった直後で緩んでいた。

 だから仕方が無かった。二人の直上に何やら(ひず)みのようなものが出来ていて……それがどんどん広がっていっていることに……二人とも気が付かなかったのは。

 

「……あれ?」

 

 その危機に最初に気づいたのはお燐の方。猫妖怪としての聴覚が異常を察知したのか、それとも野生の本能によるものか。けれども遅かった。それに気づいたその時には(ひず)みは最大まで広がり切っていて―――そこから何か石で出来たような巨大な何かが落ちてくる直前だったのだから。

 

「っ!? お空ッ!!」

「え?」

 

 ドンっ、とお燐がお空を突き飛ばした瞬間と、巨大な何かが堰を切ったように落ちてくるタイミングは同時だった。

 刹那。巨大な障害物が落下し、着弾したことを示す重く大きい音が響いたのと、凄まじい衝撃波が帰り道の洞窟中に駆け巡る。

 

「っあ……!!」

「っ!? お燐!?」

 

 突き飛ばされたお空がすぐさま衝撃波の方向を見やれば、そこには衝撃波をまともに喰らったせいで地面にボロボロで倒れ伏すお燐と……その傍に巨大な何かが触手を生やし、今にも振りまわしそうな姿があった。

 

「な、なに……こいつ……!?」

 

 それは巨大な緑色をした石碑だった。そこには何かしらの文字がびっしり書かれていたけど、お空には分からない奇怪な……あるいはこの世に存在しているどこの言語でもなかったのかもしれない。とにかく何かを訴えているようでもありながら、誰にも読めることのなさそうな文字列の刻まれた石碑であった。

 ただ何よりもお空を驚愕させたのは……その石碑から生やされた無数の青色の触手と―――その触手に連なり幾つも存在していた……開き、お空とお燐を凝視している第三の目(サードアイ)だった。

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