(1)
昔、どこかのSF短編漫画で世界の終わりは唐突にやってくるというセリフがあった。
ドラマ性など無く、誰にしも平等に。
その言葉の意味を、俺は頭では無く、肌身で感じることになった。
〜〜〜
その日の早朝、
「遅いぞ」
「兄貴が早いの」
兄である
魚料理メインの居酒屋『太公望』の一日で最初の仕事だ。
その後、仕込みを済ませて夕方からの開店に備える。時折ふらりと出掛けることもあるが、まぁご愛嬌。如何にも気難しげな顔つきと寡黙さゆえに、とっつきにくいきらいはあるものの、料理や店構え自体の評判は良く、客の入りも上々だ。弟を養って高校に送り出すだけの稼ぎがある。
「また遅くまで、仮面ライダーの動画を観てたのか? あぁ言うのは、朝早くに見るもんじゃないのか?」
「認識が古いなぁ。最近は公式もアーカイブの配信とかしてるし、サブスクだって充実してる。兄貴にも、オススメのヤツ教えてあげよっか。そうだなぁ、まずダブルか、でも基本のノリ押さえとくならアギトかなぁ……」
「バカ言ってないで、さっさと食って学校行け」
促されて、はぁいと生返事。
朝のカウンター席が、そのまま彼らの食卓だった。そして席には、ランチ用の弁当がすでに置かれている。それらのうちの一品は、必ず魚が入っている。
「そんなにライダーが好きなら、最終的にはそっちの仕事に就きたいのか? ほら、スーツアクターとかオモチャ会社とか」
「どーだろ? どっちもしんどいって聞くしなぁ……まぁ、あぁ言うのは裏の事情とか知らないで、ほどほどの距離感で楽しむのが良い気がする」
そろそろ進学や就職を意識する頃合い。兄の問いからは懸念めいたものを感じさせるが、まだ決めていないというのが正直なところだ。
大学に行ってから決めるのか、それともそのまま兄の代わりが務まるように働くか。
「ご馳走さん。んで、行ってきまーす」
だから早めに話題を切り上げて朝食を平らげて、弁当箱と鞄を引っ掴んで、店舗兼自宅を飛び出した。
「……ほどほどの距離感で、か」
斉徒は、苦笑めいたものを顔に浮かばせつつ、弟の後片付けをし始めた。
「まぁ、それはそうかもな」
と。
〜〜〜
いつも通りの登校。授業。そして部活に少し顔を見せて後の、下校。
いつも通り流れていく日常、景色、雲、時間。
それでも、進路を選ばなくてはいけない時は、迫りつつある。
自分が何者かにならなければならないという義務感と焦燥感は、常につきまとっている。それが進学や就職のことなのかは、択徒自身にもよく分からない。
その時になれば、いつか形になるのだろうか。
その時にならなければ、分からないままなのだろうか。
「いざって時に、選ぶことなんてできるのか……?」
どこか皮肉げな気分を帯びて、択徒は苦笑した。
益体も無いと首を振った、まさにその時だった。
突如として、熱と風とが、背に叩きつけられた。直接、爆弾か何かでも爆ぜたかのような衝撃に、脚はひとりでに崩れて、地に臥す。
顧みれば、有名どころの商業ビルの、その数字のロゴが、燃え落ちるのが見えた。
最初はゆっくりと傾き、やがて大きな音を立てて、地に落ちた。悲鳴があがった。
心臓が必死に血を送り出す。にも関わらず、身体中を巡るその血が冷たい。
竦む足。麻痺する半身。ゆえに、見てしまう。
空中を埋め尽くすジッパーのような亀裂。そこから降り注ぐ獣と虫ともつかない生物。
爆発によって割れた窓ガラスの反射から、薄羽を展開して飛翔するトンボの如き魔物。
倒壊したビルの隙間から鋏を伸ばして追い討ちをかける化け蟹の大妖怪。
幾度となく見た光景。ただしそれは画面越しに。フィクションの世界で。現実には起こり得ない、はずだった。
インベス、ミラーモンスター、魔化魍。その他雑多な怪物たちが、世界の終末を告げるかのように、突如として行進を始めた。そして、人類と、その作りたもうた文明を、蹂躙していく。
嘘だと叫びたかった。夢だと縋りたかった。
だがどうしようもない事実であると、全身の細胞と、心が、択徒に教えてくる。
そしてもう容易に想像がつくことがあるとすれば、ここが現実なれば……ヒーローは、都合よく現れることはない。今、選択の余地なくなす術なく、自分はこの禍に、巻き込まれて死ぬ。
今すぐに、物語の怪物たちが、この場に、迫って。
瞬間、長竿のごときものが、怪人たちと択徒の中間、コンクリートに突き立った。そこを起点に力の波濤が立ち、怪人たちを吹き飛ばした。
そして滑り込んできた長躯の人影がそれを抜き取るや、大きく円に振る。その周上に残っていた怪物たちを、薙ぎ倒す。
それは、釣竿だった。
鋼の地金に紅のラインが奔る、近未来的とも超古代的ともとれる質感のそれには糸がくくりつけられ、その先に鮫のシャープな造形のルアーが垂れ下がる。
それを握りしめ、背に担ぎ直したのは、見慣れた背。兄の背。
「兄……貴?」
「悪い、択徒。ちょっとお前に隠し事をしていた」
戸惑う弟を庇って立つ断河斉徒は、彼の疑問を遮るかのように、
「この世界に、仮面ライダーは、実在する」
と言って大きく竿を振るって、自らの腰回りに鮫のルアーを泳がせる。
その起動が真紅の光帯となって彼の腰回りを駆け巡り、そのままベルトとなった。
自らの手の内で竿をコンパクトに縮ませつ、ベルトのバックル部分に収め、リールを回す。
「変身!」
〈スタンディングシャーク! エクシードジョーズ! シャーズ!〉
そしてグリップのレバーに指をかけて引くと、ベルトの認証音と共に、足下に波が立つ。荒ぶる飛沫が身を躍らせる鮫の刻印が空に描かれる。
それが、斉徒の表層を覆うと、銀色のボディスーツと血潮のごときエネルギーラインがその間を埋める。鮫肌のアーマーがさらにその上に貼り付き、深海で獲物を狙うが如き鋭き眼光が、黄色く閃く。
その姿が確立した後、その仮面のヒーローは、兄の声音で高らかに宣った、
「……そして俺が、この世界のライダー……仮面ライダーシャーズだッ!」