初めて屋上で見たあの日の星空は、今でも瞼の裏に焼き付いている。そして星空の下で、満面の笑みを浮かべる彼女のことも……。
5月に入ったが、夜はまだまだ冷える日が多い。
大丈夫だろうと高を括って薄手の上着で来てしまったが、少し失敗した。
夜風が上着をすり抜け肌を容赦なく冷やしていく。
「加瀬っち、寒いの?」
「……ああ。ちょっと失敗したかも」
双葉はいつものように髪を短めのハーフアップにし、ヘアクリップでまとめている。目が大きく、どこか幼さを残した愛らしい顔だ。
胸は結構大きいのだが、普段は体のラインが出ない服装をしているので助かっている。
学校で話すたびに、どうしても視線がそこへ向いてしまい、その度に双葉から呆れ混じりにからかわれるのが、最近の日課になりつつあった。
今日の彼女は、水色の厚手のパーカーに黒のフレアスカートという出で立ちだ。
いつもはズボン姿が多いので、この珍しい格好に少しドキッとする。
校門前で今日の服装を褒めるのが俺のルーティンだが、何を着ていても彼女は可愛いので、いつも言葉選びに困ってしまう。小悪魔みたいに俺をからかう彼女。……でも、そんな関係が嫌いではない。
「どうする? 今日はもうやめておく?」
「……死ぬほど寒いわけじゃないし、大丈夫だ」
週に一度、この二時間だけは双葉を独占できるのだ、俺に「帰る」という選択肢はない。
いつものように部室から天体望遠鏡を持ち出し、屋上へ上がる。
まだまだ時間はかかるが、初めの頃に比べれば随分と手際が良くなった。
「結構慣れてきたね。もたもたしてた最初が懐かしいよ」
「流石に、これだけやってればな」
二人並んで星図盤を広げ、今日観測する対象を相談する。
だが、双葉との距離があまりに近いせいで、心臓が跳ねて落ち着かない。
何とか平常心を装って、今日の目標を「銀河」に決めた。
望遠鏡を目的の方向へ向け、倍率を調整する。
四苦八苦しながらようやく、お目当ての光の塊を捉えることができた。
「……セットできたぞ」
「おつかれ! こっちもだいぶ慣れてきたね」
双葉が望遠鏡を覗き込み、子供みたいにはしゃぐ姿を見る。
星空を観るのと同じくらい、いや、それ以上に……彼女のコロコロ変わる表情を見ている方が楽しい。
この逢瀬が、この関係が……夜空に輝く星々の光のように、ずっと続けばいいなと密かに願った。
1時間ほど経ったので、休憩をとることにした。俺が用意してきた水筒の熱いお茶を付属のキャップに注いで双葉に渡す。
「お、いつも悪いね。あー、温まる……」
双葉は飲み干すとキャップを俺に返してきた。
それを受け取って俺も自分用にお茶を注ぐ。
冷え切った体に染み渡り、生き返る心地がした。
「加瀬っち、私が口をつけたところから飲んでもいいんだよ?」
双葉がニヤニヤしながらからかうように言ってくる。
「……誰がするか」
俺はあえて彼女が口をつけた場所とは反対側からお茶を一気に飲み干した。
「もう一杯ほしいな」
「はいはい」
お茶を注いで渡すと今度は双葉が俺がさっき口をつけた場所からお茶を飲み始めた。
途端に顔が熱くなる。
双葉は飲み干すと「ごちそうさま」と言いながらキャップを渡し、何事もなかったかのように望遠鏡を覗き始めた。
俺は深くため息をつく。一生、この人には勝てる気がしない。
浮ついた気持ちを落ち着かせるには、星を見るに限る。
望遠鏡越しに銀河に想いを馳せる。
何万、何億年もの時を超えて届くその輝きは何度見ても途方もなくすごいと思う。
双葉は人々が歴史の中で紡いできた物語や伝説にロマンを感じているようだ。
対して俺は、星や宇宙の物理的な成り立ちそのものにロマンを感じていた。
同じ星空を見上げていても感じるものが違う。
それがなんだかとても素敵なことのように思えた。
「どう? 加瀬っち、ちゃんと見えてる?」
「あぁ、よく見えてるよ」
そう答えると双葉が俺の背中にそっと手を置いてきた。
星に集中していたはずなのに心臓が跳ね上がる。
最近、天体観測中のボディタッチが多い気がする。
無意識なのかもしれないが気が気ではない。
せっかくの星空への感動が少し薄れてしまうような気もするが……正直、悪い気はしない。
望遠鏡から目を離し双葉の顔を盗み見る。
月明かりに照らされた彼女は、相変わらず可愛かった。
「そういえばさ、双葉は何がきっかけで天体観測を始めたんだ?」
観測が一息ついた雑談中、気になっていたことを聞いてみた。
双葉はいきなり立ち上がるとくるくるとその場で回りながら歌い出した。
「輝くー星の力でー、憧れのー私描くよー」
「……なにそれ?」
歌い終えた双葉は少し照れくさそうに頬を染めた。
「子供の時に宇宙を題材にしたアニメがあってね、それが始まりかな」
「……意外と可愛いところもあるじゃん」
双葉は途端に頬を膨らませた。
「何? じゃあ普段は可愛くないってこと?」
「いつも俺をからかってくることへのお返しだよ」
双葉は怒っているアピールをするのだが、全然怖くない。
ただただ、見ていて可愛いだけだ。
「宇宙飛行士になりたいって思ってた時期もあったけど、結局星座の方にハマっちゃって」
「今も宇宙飛行士になりたいの?」
「いや、全然」
「あ、っそう」
双葉は俺の横に座り直すと持参していたお菓子をボリボリと食べ始めた。
「そういえば、もうお菓子なくなりそう」
「……買ってこようか?」
俺の提案に双葉はニヤリと悪戯っぽく笑う。
「次の土日、どっちか暇?」
「え、まぁ、どっちも空いてるけど」
「じゃあ一緒に買い出し行こうよ。デートしよ、デート」
俺の顔が沸騰し、全身が硬直する。
「ぷっ、反応しすぎでしょ。おもろ」
双葉はケタケタと笑い転げる。
意識するなという方が無理だ。
女の子とデートなんて、人生で初めてなんですよ……。
「詳細はLINEで連絡するよ! エスコート、任せなさい!」
双葉が胸を張るとパーカー越しでも分かるほど豊かな胸元が強調され、視線がそっちに吸い寄せられてしまう。
「……えっち」
双葉は呆れたように吐き捨てた。
いや、これは不可抗力でしょうが!