「立ちなよエレーヌ。あんたの力はその程度じゃあないはずだよ」
口にたまった鮮血をぺっと吐き捨て、震える身体を抑えつけてイザベラは立ち上がり、鷹揚に手招きをする。
タバサは、派手に吹き飛んだ割にダメージは少なく、簡単に立ち上がった。
半ば自分から吹き飛んで衝撃を殺し、黒い霧から逃れていたのだ。
競り合いに勝ったのはイザベラではあったが、ダメージははるかにイザベラの方が大きい。
「さすがだね! そうでなくっちゃ化け物になった甲斐がない」
このまま勝負を続けたところで、イザベラの敗北は確定した状況にある。
だが、イザベラはタバサに不適に笑いかける。
「知ってるかい、追い詰められた悪役ってのは変身するのがおやくそくなんだよ」
イザベラが、胸元に埋め込まれていた黒い水晶の珠に触れると、彼女の身体を覆う霧がすべて彼女の体中にしみこむようにまとわりついた。
「ぎぎっ、ひぐっ、あがぁっ」
イザベラの体中に刺青のような紋様が刻まれていく。
黒い角が生え、爪は伸び、黒い羽が生える。
血管が皮膚表面にくっきりと浮かび上がり、限界まで拡張して脈動するようにのたうっていた。
身体を作り変られていくあまりの痛みに絶叫する。
「ああああああああッッッ!!!」
頭を押さえてうずくまるイザベラの口、鼻、目から血が流れ落ちる。
苦しみもだえるイザベラの脳裏に、かすれるようなドス黒い声が響いてきた。
『もっと、お前にチカラをやろう。苦しむことはない。意識を渡せ……』
「だ……だまれ! わたしの聖戦を邪魔するんじゃない!」
だがイザベラは己の手綱は決して放さない。
『支配を受けいれろ。すべてを……』
「ひっ込め下郎! お前なんかにわたしはやらない! エレーヌ以外に渡してやるもんか!」
『……愚かな。後悔するぞ……』
「クソがッ! 黙れ黙れ黙れェェッ!! わたしを、舐めんなぁぁ!!!」
イザベラの意識を強引に奪い取ろうと、どす黒いチカラがイザベラの全身を駆け巡り、さらなる激痛を与えてくる。
「ぎぎっ、ぐぎっ、ひぎぐぅぁああああッ!!」
だがイザベラは、唇を噛み切り、己の腕にまで噛み付いてまで、己の身体に絶対に意識を渡さないと言い聞かせる。
「わたしは! わたしはイザベラっ、イザベラ・ド・ガリアなんだよォォォッ!!!」
取り込まれるのではない。イザベラが、闇を取り込むのだ。
「約束を果たすんだ! 守れなきゃ死んでも死に切れないんだよっ!!」
イザベラの執念はどこまでも本物で一途。
その執念が邪悪なる意思に勝った。
「なんで……? どうしてそこまで……」
その様を見てタバサが呆然とつぶやく。
「そんなに……そこまでするほど、わたしが、追い詰めてしまったの? 憎い、の?」
「違うっ! それは違うんだエレーヌ。わたしは、愛してるんだ! ずっとずっとあんただけを見てきた! あんたのそばにいられればそれだけでよかったんだっ!!」
「ああっ、好きだっ、大好きなんだよ私のエレーヌ、わたしだけのエレーヌ! わたしと一緒に死んでっ、わたしと一緒に永遠に生きておくれぇぇッッ!!」
薬の副作用。怪物の本能。シャルロットへの愛憎。戦いの興奮、脳内麻薬。
「ぎゃは。ぎゃはははははははっっ!!」
すべてが彼女をあおりたてていた。
もえつきそうな情熱と興奮の中、彼女は恍惚としていた。
「たぎる、たぎるんだエレーヌッ、ああッ、あああッ、んはぁっ、ココが。私のオンナがうずくっ、子宮がうずいてっ! たまらないぃっ、んぅぅっ、ああぁっ、あああはぁっ!!」
イザベラは体内を駆け巡る歓喜のあまり、戦いの最中、何度も絶頂していた。
蕩けるような淫靡な表情を浮かべ、小さな唇から涎をたらしながら、痙攣しながら、舞い踊るように鎌を振り回している。
「もっと、もっとだエレーヌ、もっと殺しあおう、もっともっともっとぉぉっっ!!」
生きて死に。死んでは生きるような。生と死のはざまが心地よい。
相手はこれ以上ない、愛しいエレーヌ。彼女と命を競い合う。
ああ。なんて。どこまで甘美なのか。
迫りくる甘い死と壮絶な生がイザベラのすべてを塗りつぶしていく。
「愛してるッ、愛してるんだエレーヌ、どうしようもないッ、あんたの全部が好きなんだッッ!!!」
「わたしをあげるッ、わたしのすべてあんたにささげるよ、受け取っておくれ、エレーヌゥゥッ! 一緒になろうっ、早く一つになろうっ!!」
「あんたを殺してッ、わたしも死ぬんだァァァッッ!!!」
絶叫とともに、爪の一撃がタバサを傷つけ血しぶきをあげた。
返り血を浴びたイザベラはさらに歓喜する。
「エレーヌ、エレーヌ、エレーヌ、エレーヌ、エレーヌ、エレーヌ、エレーヌ、エレーヌ、エレーヌ、えれーぬぅ……一緒に死んでよぉぉぉぉぉぉぉッッッッ!!!!!!!」
タバサは戦いの中、ずっとイザベラの影をひきずっていた。
過去の思い出があったから、躊躇したし、どこかあなどっていた。
でも、とタバサは思い直す。
「認める。もう躊躇しない油断もしない……今のイザベラは間違いなく最強の敵」
「防御は不要。回避は最小限。攻撃あるのみ。肉を切らせて骨を絶つ」
そうなのだイザベラの方はとっくに覚悟も決めている
彼女がいったように何もかもを捨て、命すらも省みない。
人間なのに怪物で、怪物なのに人間。
だから強い。
だからこそ恐ろしい。
理性のない化け物ではない、人間が化け物を制御しているのだ。人間の強さと化け物の強さを兼ね備えている。
いわば最悪の敵。
なのに相手を侮って情けをかけて迷っているようでは勝てるはずがない。
これからは攻守交替。全力で攻め滅ぼすとタバサは覚悟を決める。
「全力で、あなたを倒す……!」
「わたしを殺しておくれッ、エレーーーーヌゥ!!!」
ふたりの得物が交差する。
次の瞬間、ごきゅぐじゅんっ! と骨が砕け肉がはじける音が周囲に響いた。
「がひゅっ……!?」
あまりにあっけなく――がむしゃらに懐に飛び込んで放ったタバサの捨て身の一撃が、紙一重でイザベラの左胸に大穴を穿った。
イザベラに油断はなかった。
身体に残る力をすべて一撃に賭け、それでなお敗れた。
「…………」
ドサリと。地面に倒れ伏すイザベラをタバサが見下ろす。
その姿に油断はない。
「く、くく……や、やっぱりつよいねぇ、とんでも、ないよ……あ、あんたは……」
イザベラは這いながら、右手をタバサに伸ばす。
両者の距離は遠く、その姿はまるで太陽を掴もうとする愚者のようであった。
「……油断はしない」
タバサは感情を宿らせない瞳のまま、イザベラが余力を残していると判断し、杖を振り、ウィンディ・アイシクルを唱えて、彼女に氷の矢を降り注がせた。
「がひゅぶあぁっ!?」
手に、足に、腰に、背に、首に無数の氷の矢が突き刺さり、イザベラを地面に縫いとめた。
確実な致命傷。
最悪の妖魔といわれる吸血鬼ですら絶命する一撃であった――