「最後だから」と世界滅亡の日に天才美少女から想いを告げられたけど、次の日起きたら普通に朝が来て気まずい 作:古野ジョン
意外にも、地球最後の日はいつも通りに過ぎていった。
朝から高校に行って授業を受け、昼休みに母親が作った弁当を食べ、放課後には理科室で部活動に勤しむ。SF小説でよく描かれる「終末の日」とは違って、何も変わらない平凡な一日だ。
机の向こう側に座る後輩が、二つのカップにお湯を注いでいる。いつもと同じ、インスタントのブラックコーヒーだ。つい最近、間違って砂糖を入れられたけど。
「はい。砂糖、入れて……ないから」
「ああ、ありがと。一緒にコーヒーを飲むのも最後だな」
「……別に、昨日と同じ味」
なんともつれない言葉が返ってきた。しわだらけの白衣に身を包んでいるこの小柄な少女の名は
「ふあ……」
寝不足なのか、咲月はクマの出来た目を手で擦っている。今日で地球が終わると言っていた張本人がこんな調子なものだから、どうも現実感がない。
「なあ、本当に今日が地球最後の日なのかよ」
「同じ説明を繰り返させないで。非合理的」
コーヒーに口をつけてから、咲月がほうと息を吐いた。まるで小動物のような所作で、どことなく可愛らしさがある。というか、咲月は可愛い。特に着飾っていないから目立たないだけで……整った顔立ちとすらっとしたスタイルに、思わず目を奪われることも少なくない。けど、今は見惚れている場合じゃないな。
「そう言わないでくれって。確認だよ、確認」
「……分かった」
咲月は少し面倒そうに返事をしつつ、ぼさぼさの長髪を耳にかけ、目の前に置かれた自分のカップを横にずらした……のだが、少しコーヒーが零れた。
「あっ、ふきん」
「要らない」
近くに置いてあった台拭きを取ろうとしたのだが、その時には既に咲月が白衣の袖でコーヒーを拭いていた。
「ちょっ、染みになるって」
「世界が滅びるのに白衣の洗濯を気にするなんて、合理的じゃない」
「そうだけど、でも……」
「非合理、嫌い」
咲月はよく「合理的」という言葉を使う。とにかく非合理を嫌っていて、言動にもそれがよく表れている。咲月とは幼い頃からの知り合いではあるのだけど、この合理主義が何に由来しているのかはよく分かっていない。
「……ん」
薄茶色に染まった白衣の袖を一瞥してから、咲月はスッと席を立った。白衣の胸ポケットにしまってあった眼鏡をかけ、理科室の前方に向かって歩いていく。
「スクリーン、下げる。プロジェクター、パソコン、起動する。認証はいつも通りに」
小さな声が聞こえるとともに、天井から真っ白なスクリーンが下りてきた。それと同時にプロジェクターが立ち上がり、パソコンの壁紙が表示される。やはり頭を使うゲームが好きなのか、オセロの盤面の写真だ。
「今更だけどさー、こんな勝手に理科室の改造しちゃっていいの?」
「音声認識を実装しただけ。
「そうじゃなくて……」
俺の言葉など意に介さぬまま、咲月はスクリーンの横に立ってこちらに振り向いた。一瞬の静寂があったあと、控えめな呟きが部屋中に響く。
「ん」
その一言で次々にファイルが開いていき、真っ黒な背景に浮かんだ四角い構造物の写真が表示された。咲月が視線を向けた先にレーザーポインターで指したような赤い点が表示され、画像の中心へと向かっていく。
「これが太陽系外から飛来中の未確認物体。たぶん、観測出来ているのは世界で私だけ」
「前に聞いたときから気になってたんだけどさ、
「どんな望遠鏡でもまず捉えられない。信号レベルが低くて、本来ならノイズとして処理されるから」
「なんで咲月は観測出来たのさ」
「説明すると長くなる。地球が滅びるまでに話しきれない」
「じゃあ、なんで滅びるのかだけ教えてくれ」
「ん」
咲月が軽く首を振ると、新たに別の画像が表示された。どうやら「未確認物体」と地球との位置関係を表した模式図らしい。咲月の見つめる先にある赤い点が、徐々に地球の方へと動いていく。
「簡単に言えば、ぶつかる。この質量が地球に衝突するのは、人類にとって致命的」
「回避手段とか」
「ない。捕捉すら出来ていない物体を排除することは不可能……だから」
簡単な数学の問題でも解き終わったかのようなテンションで、咲月は静かに目を閉じた。それに続き、投影されていた映像が消えて真っ白なスクリーンだけが残る。
「はい、おしまい。前に話したのと同じ内容でしょ」
「えっと、たしか衝突日時が」
「今日の23時37分。日本標準時でね」
「そんなに細かく分かるのか」
「別に……大したことじゃない。単純な割り算」
咲月はこちらに向かって歩きながら淡々と答えた。いま太陽系の外にある物体が今日の夜に地球と衝突するのだから、かなりとんでもない速さで飛んできているはず。その軌道を完璧に計算していると言っているのだから、相変わらずの才女っぷりだ。
夜ノ森咲月という少女は、一言で言えば天才だ。膨大な知識とそれに裏付けされた鋭い洞察力で、どんな難問も解き明かしてしまう。ときに、その成果は高名な学者のそれをも凌駕してしまうほどだ。
「ん、やっぱり下がった。予想通り」
椅子に腰かけながら、咲月は左手につけたスマートウォッチの画面を見ていた。たぶん、株価か何かが自分の予測と一致しているのか確かめているのだろう。
咲月の才能は様々な方面に発揮されている。しかし、本人はそれを世界にひけらかすようなことはしない。自分の知的好奇心を満たすことが出来れば十分なんだろう。けど、流石に……地球滅亡なんて一大事を公表しないのはどうなんだろう。
「なあ、咲月」
「ん、なに?」
顔を上げることなく、咲月はいつものクールな口調で返事をしてきた。無駄だとは思っているけど、説得くらいはしておくべきだろう。
「やっぱり公表しようよ。世界中の誰も知らないうちにいきなり地球滅亡なんて、あんまりじゃんか」
「……知らぬが仏、だよ。対抗手段がないから、公表する意味もない」
「でも」
「無用な混乱が起きるだけ。合理的じゃない」
にべもなく、咲月はあっさりと言い切った。まあ、言っていることは正しいと思う。宇宙から何かが飛んできて地球が滅びます、防ぐ手立てはありません。……そんな情報が世界中に知れ渡れば、何が起こるのか分かったものじゃない。
今日の夜には自分ごと地球が吹っ飛ぶというのに、咲月は驚くほど冷静だ。運命を嘆くでもなく、周囲との別れを惜しむでもなく、ただひたすら冷静な価値判断を貫いている。徹底した合理主義の賜物、ということなのだろうか。
「……勇也くん、こそ」
「えっ?」
「いつもと同じだね。怖くないの?」
咲月が僅かに顔を上げて、じっと俺の目を見つめている。世界はまったくもっていつも通りに動いているし、なにか劇的なドラマが起こったわけでもない。咲月の言うことが間違っているわけもないから、きっと世界は終わるんだろうけど……やっぱり、どうにも現実感がない。
「怖くないよ。家に帰って、普通に寝る」
「友達とお話、とか。最後だよ?」
「別にいいよ。むしろ怪しまれちゃうじゃんか」
「……ふーん」
珍しく、咲月が眉をひそめた。俺の回答が気に入らなかったのだろうか。「人間関係なんて煩わしいだけ、非合理」なんて言うタイプだと思っていたのに、意外だな。
「じゃあ」
「ん?」
咲月はまた俯いて、何か言いたげにしている。いつもははっきりと物を言うから、こんな場面はなかなか見られない。いったい何だろう――
「最後に好きな子に告白……とかは?」
「……へっ?」
あまりに予想外の言葉が聞こえて、素っ頓狂な返事をしてしまった。……告白? 恋愛なんて非合理の塊だと思うのに、咲月がどうしてそんなことを?
「い……いや、そんなこと考えもしなかったけど」
「なんで」
「なんでって……その、好きな奴なんて……」
この時――俺の頭の中に、なぜか咲月の顔が思い浮かんだ。別に……俺たちはそんな仲じゃない。たまたま昔に知り合って、今こうして先輩と後輩という関係に落ち着いているだけなんだ。
咲月は可愛いし、頭も良いし、何より昔から自分に懐いてくれている。でも、不思議にも「好き」という感情を覚えたことはない。理由は分からないのだけど、最近は特にそう思うようになってしまった。
「……いないよ」
「ふーん。やっぱり耐性が……」
「えっ?」
「なんでもない。別に、なんでも……」
咲月は下を向いたまま、何も言わずに黙り込んでしまった。いくら冷静沈着な咲月といえども、世界滅亡となれば流石に平常心ではいられないのかな。さて、いい時間だし……そろそろ帰るとするか。
「帰ろう、咲月。カップは俺が片付けておくよ」
「……」
立ち上がって二人分のコーヒーカップを両手に持ち、流しの方に向かって歩きだす。どうせ地球ごと吹っ飛ぶのに、カップを洗う意味があるのかは分からない。また咲月に「非合理」なんて怒られてしまいそうだな、なんて。
「勇也くん」
「ん?」
名前を呼ばれたので、反射的に振り返った。すると、目の前に頬を赤らめた咲月の姿があり……不意を突かれてしまう。
「……背、高い。もっと低く」
「えっ?」
不思議に思いつつ、言われるがままに身を屈めた。透き通るような瞳が目の前に迫り、思わず胸が高鳴る。咲月が両手で俺の頬に触れ、そっと自分の方に引き寄せていき――
「……んっ」
「!?」
気づいた時には、唇に淡い感触があった。コーヒーの苦みがあって、すぐにほのかな甘みが通り抜けていく。何が起こったのか分からず、ぱちくりと目を瞬いてしまう。
「ん……」
ゼロ距離にいる咲月は目を閉じていて、その表情は妖精みたいに儚く見えた。理性的で、クールで、冷静で……それが普段の咲月なのに。まるで別の女の子みたいだ。
「さ、咲月……?」
「……」
咲月は唇を離して、弾むように後ろに下がった。微かに紅潮させた頬を手でこすりながら、口をもごもごと動かしている。
「……好き。それだけ」
「好きって、いつから――」
「『それだけ』って、言った……」
余計なことを聞くなと言わんばかりに、咲月は後ろを向いてしまった。そして小走りで理科室の隅に向かい、そこに置いてあったリュックサックを背負う。
「帰るから」
「えっ、でも」
「……忘れて。どうせ、今日で最後だから」
「さっ、咲月!?」
止める間もなく、咲月は部屋を飛び出していった。あまりにも突然な告白に、俺はただただ呆然とするしかない。
咲月が俺のことを好き――だなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないことだと思っていた。少なくとも、俺のことを好きになる合理的な理由なんてないはずだし……驚いたな。
「……おかしいな」
もちろん嫌な気はしない。だけど……キスまでされても咲月のことを「好き」だと思えないんだよな。俺とは釣り合わないようないい子のはずなのに。まるで何かに感情をコントロールされているような、妙な気分だ。
「……帰るか」
甘さの残る唇に軽く触れながら、再び流しの方に向かって歩きだしたのだった。
***
家に帰ったあとは平常通りに過ごした。リビングで夕飯を食べ、風呂に入り、自分の部屋で宿題をこなす。少し早めに布団に入ると、壁掛け時計の針が22時半を指していた。
「あと一時間か……」
咲月が言っていた世界滅亡の時刻は23時37分。別に起きていてもいいけど、何も自分の身体が蒸発していく苦痛を味わう必要はない。寝ている間にことが済むならそれでいい。
「……」
電灯から垂れ下がるひもを引いて、部屋を暗くした。視界に映る情報が少なくなり、脳の中をいろいろな考えが巡るようになる。
それにしても、今日は本当に驚いた。まさか咲月が……な。いつから? どうして? ……何もかも分からないままだ。まあいい。どうせ世界は滅びるんだから。
ああ、眠くなってきた。おやすみ、世界。おやすみ、咲月……。
……。
「――起きなさい、勇也」
……?
「起きなさい、遅刻するでしょー?」
母さんの声? そうか、天国にも母さんはいるのかあ。極楽浄土にも学校があるなんて、まったく世の中は世知辛い――
「起きなさいって言ってるでしょっ!!」
「いでええっ!!!?!?」
何かで頭を叩かれ、飛び起きるように目覚めた。何も分からず周囲を見回すと、おたまを持った母親の姿があり、その背後にある窓からは陽の光が差し込んできている。……待て、陽の光だと?
「ちょっ、世界は滅びたはずじゃ――」
「夢の話なんかしてないで早くご飯食べなさいっ!!」
「わっ、分かったから叩くなって!!」
再びおたまの衝撃を食らう。痛い。痛いということは俺は生きている。生きているということは――世界が滅ばなかったということだよな。ってことは、今日も学校で咲月と顔を合わせるってことだよな……?
「どんな顔して会えばいいんだ……?」
全身の筋肉が脱力し、布団にへたりこんだ俺であった――