魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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第九話

 仮滞在の三日目。

 

 朝食を終えた後、スバルがつむぎに声をかけた。

 

「守宮さん。事情聴取の一次確認が終わったわ。ご家族との通話の許可が下りたから、今なら電話できるわよ」

 

 つむぎの手が止まった。

 

「……本当ですか」

 

「ええ。ただし、ここの所在地や施設の詳細は話せないわ。それから、契約や今後の処遇については、後日こちらから正式に説明することになる。今は、あなたが無事でいることと、話したいことだけを話して」

 

「ありがとうございます」

 

 声が震えた。自分でも驚くくらい。

 

 禍群と戦った日から、もう三日が経つ。政府からの連絡で無事は伝わっているはずだけれど、つむぎの口から直接何も言えていない。お母さんの声を聞いていない。お父さんの声も。

 

「通話はこの部屋で。時間は三十分。私は外にいるから、終わったら声をかけて」

 

 スバルは共有スペースのテーブルに、施設の通話用端末を置いた。つむぎの個人のスマートフォンは預かったままだ。

 

「ほむらちゃんたちは?」

 

「今日は(しるべ)が午前訓練、ほむらは学校よ。小町さんは買い出し。だからしばらく一人にしてあげるわ」

 

 スバルは共有スペースを出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 つむぎはテーブルの前に座った。端末が目の前にある。

 

 指が動かなかった。

 

 何を話せばいいのか分からない。

 

 無事だよ、と言えばいい。心配かけてごめんね、と。大丈夫だから、と。

 

 それだけでいいはずだった。

 

 けれど、指が震えている。

 

『つむぎ。電話をかけないのか?』

 

「……かける。かけるよ。ちょっと待って」

 

『時間は限られている。早い方がよい』

 

「分かってるって」

 

 つむぎは深く息を吸い、端末を手に取った。

 

 番号を入力する。自分の家の番号。小さい頃から覚えている、変わらない番号。

 

 コール音が鳴る。一回。二回。

 

 三回目の途中で、電話が繋がった。

 

「——もしもし」

 

 母の声だった。

 

 少し掠れていて、眠れていないような声だった。

 

「お母さん」

 

「つむぎ……! つむぎなの!?」

 

 母の声が一気に高くなった。

 

「うん、つむぎだよ。ごめんね、遅くなって」

 

「よかった……よかった……! 声が聞けて……!」

 

 母が泣いている。電話越しに、嗚咽が聞こえた。

 

 つむぎの胸が締めつけられた。

 

「ごめんね、お母さん。心配させて」

 

「いいの、いいのよ。無事なんでしょう? 怪我は? ちゃんとご飯食べてる?」

 

「うん、大丈夫。怪我はもうほとんど治ったし、ご飯もちゃんと食べてるよ。おいしいご飯作ってくれる人がいるの」

 

「そう……そう、よかった……」

 

 母は何度も「よかった」と繰り返した。泣きながら。

 

 つむぎも泣きそうだった。でも、泣いたら母がもっと心配する。だから笑った。笑おうとした。

 

「お父さんは?」

 

「今、どうしても外せない用事だけ済ませに会社へ行っているの。でも、ずっとつむぎのこと心配してたのよ。お父さん、口には出さないけど」

 

「うん。知ってる」

 

「帰ったら、つむぎから電話があったって伝えるわね。きっと喜ぶわ」

 

「うん」

 

 少しだけ沈黙が落ちた。

 

 母が声を整えるように、一度大きく息を吸った。

 

「ねえ、つむぎ。あなた、今どこにいるの?」

 

「……ごめんね、お母さん。それは言えないの」

 

「そう……」

 

「でも、安全な場所だよ。ちゃんとした人たちが守ってくれてる」

 

「あの人たちから連絡があったわ。禍群の被害区域で保護したって。それ以上は教えてもらえなかったけれど」

 

「うん。今は、少しだけ預かってもらってるの」

 

「預かって……って」

 

 母の声に不安が滲んだ。

 

「大丈夫だよ。またちゃんと連絡させてもらうから。これからのことも、ちゃんと話すから」

 

 その言葉は、つむぎ自身にも言い聞かせるようだった。

 

「……つむぎ」

 

「なに?」

 

「あなた、何か隠してるでしょう」

 

 母の声が静かになった。泣きやんでいた。

 

 つむぎは少しだけ黙った。

 

 隠している。たくさんのことを。

 

 妖精と契約したこと。魔法少女になったこと。禍群と戦って死にかけたこと。今は自衛隊の施設にいること。契約を続けるか、やめるか、まだ迷っていること。

 

 全部、言えなかった。

 

「……今は、まだ話せないことがあるの。ごめんね」

 

「そう」

 

 母は追及しなかった。

 

「絶対、ちゃんと話すから。全部。お父さんにも」

 

「分かったわ。待ってるから」

 

 母の声が、少しだけ柔らかくなった。

 

「つむぎ」

 

「なに?」

 

「無理しないでね」

 

「……うん」

 

「それと、帰ってきたら、つむぎの好きなハンバーグ作るわね」

 

 つむぎの目から、涙がこぼれた。

 

「……うん。楽しみにしてる」

 

「じゃあね。また電話してちょうだいね」

 

「うん。またかけるよ。お父さんにもよろしくね」

 

「ええ。大好きよ、つむぎ」

 

「……私も。大好きだよ」

 

 通話が切れた。

 

 つむぎは端末をテーブルに置き、両手で顔を覆った。

 

 涙が止まらなかった。

 

 声を出さないように、歯を食いしばって泣いた。肩が震える。鼻の奥がつんと痛い。

 

 お母さんの声。お父さんを心配するお母さんの声。ハンバーグを作るという言葉。大好きよ、という言葉。

 

 全部が温かくて、全部が痛かった。

 

 自分は、あの家から来た。あの温かい場所から。

 

 そして今、別の温かい場所にいる。小町がご飯を作り、ほむらが騒ぎ、導が静かに隣にいて、スバルが全員を見守っている場所。

 

 二つの場所は、どちらも温かい。

 

 けれど、どちらかを選ばなければならない日が来るのかもしれない。

 

『つむぎ』

 

 妖精さんの声が、静かに響いた。

 

「……なに」

 

『泣いているのか?』

 

「泣いてないよ」

 

『そうか、ならよかった』

 

「……ごめん、嘘、泣いてる」

 

『そうか……、私には、その機能がない。だが、泣いても良い時には泣いても良いのだと思う』

 

「なにそれ?」

 

『適切な言葉が見つからない。ただ、家族との通話の後に泣くことは、人間にとって不自然ではないと認識している』

 

「……ありがとう、妖精さん」

 

『私は何もしていない』

 

「いてくれるだけでいいの。今は」

 

 妖精さんは少しだけ沈黙した。

 

『……そうか』

 

 つむぎは顔を拭い、鼻をかんだ。それから、窓の外を見た。

 

 本部の空は青い。あの日と同じ、五月の空だった。

 

 ◇

 

 夕方近くになって、ほむらが学校から帰ってきた。

 

「つむぎー! 今日ヒマ?」

 

「うん。何もないよ」

 

「じゃあさ、施設の中を案内してやるよ。ウチが知ってる穴場があるんだ」

 

 つむぎは少しだけ迷った。けれど、部屋にいても考え事が堂々巡りになるだけだと思い直し、頷いた。

 

「行く。お願い」

 

「よーし!」

 

 ほむらに連れられて宿舎を出る。

 

 ほむらの案内は、普通のそれとは全く違った。地図もなければ説明もない。ただ足の赴くままに歩き、気になったものがあれば立ち止まる。

 

「つむぎ、ここ訓練場の裏手。放課後に自主練する子が多いんだ。ほら見ろよ」

 

 金網越しに、数人の少女が走り込みをしている。その横では、一人の少女が魔法を的に向かって放っていた。

 

「あの子、すげえんだよ。狙撃系の魔法で、五百メートル先の的にも当てられるらしいぜ」

 

「五百メートル……」

 

「ウチは近接だから、ああいうの憧れるんだよなー」

 

 ほむらはさらに歩いていく。

 

「こっちは資材倉庫。たまに猫がいるんだ」

 

「猫?」

 

「うん。野良がいつの間にか住み着いてて。ウチ、よく餌やりに来るの」

 

 倉庫の裏に回ると、日向ぼっこをしている三毛猫が一匹いた。ほむらがしゃがんで手を出すと、猫は警戒もせずに擦り寄ってきた。

 

「ほら、つむぎも触ってみなよ」

 

 つむぎがそっと手を伸ばすと、猫はゴロゴロと喉を鳴らした。温かかった。

 

「可愛い……」

 

「でしょ? ウチ、こいつにカレーって名前つけたんだ」

 

「カレー……?」

 

「好きだから」

 

 理由になっていなかった。けれど、ほむららしくて、つむぎは少し笑った。

 

 猫を撫でながら、ほむらがぽつりと言った。

 

「つむぎ、今日なんかあっただろ」

 

「え?」

 

「泣いた?」

 

 つむぎはどきりとした。

 

「……分かる?」

 

「そりゃな、目が赤いもん」

 

 ほむらはそれ以上追及しなかった。猫の背中を撫でながら、空を見上げる。

 

「ウチさ、泣ける人ってすごいと思うんだよね」

 

「すごい?」

 

「うん。ウチ、あんまり泣いたことないんだ。泣き方がよく分かんなくて」

 

「ま、訓練で大怪我した時はさすがに泣いたけどな」

 

 ほむらは笑っていた。けれど、その笑い方がいつもより少しだけ静かだった。

 

「だからさ、泣きたい時は泣けばいいと思うよ。ウチの分まで」

 

「……ほむらちゃん」

 

「ん?」

 

「妖精さんとおんなじようなこと言ってる」

 

 つむぎは何故だかとても気恥ずかしくなり、冗談まじりに呟いた。

 

「妖精さんって、つむぎと契約してるやつか? ウチと同じこと言うなら、ソイツはきっと良いやつなんだな」

 

 ほむらはけらけらと笑い、立ち上がった。猫がにゃあと鳴いた。

 

 二人はさらに歩いた。校舎の裏を通り、小さな運動場を抜け、施設の端にある見晴らしのいい丘に出た。

 

「ほら、ここがウチの穴場」

 

 丘の上からは、本部の街並みが一望できた。

 

 宿舎が並ぶ通り。訓練場。校舎。事務棟。ショッピング区画。遠くにはヘリポートも見える。

 

 全部がここに収まっている。小さな街。戦うために作られた、けれど暮らすための場所。

 

「きれい……」

 

「でしょ。ウチ、ここが好きなんだ。訓練が辛かった時とか、ちょっと嫌なことがあった時とか、ここに来て空見てると、まあいいかって思えるんだよね」

 

 ほむらは丘の上に腰を下ろした。つむぎもその隣に座る。

 

 風が吹いた。五月の風は少しだけ暑くて、草の匂いがした。

 

「ほむらちゃん」

 

「ん?」

 

「今日、お母さんに電話したの」

 

「うん」

 

「声聞いたら、泣いちゃった」

 

「そっか」

 

「お母さんも泣いてた」

 

「うん」

 

 ほむらは何も言わなかった。ただ隣にいた。

 

 つむぎはしばらく黙って空を見ていた。

 

「……私、まだ何も決められてない」

 

「うん」

 

「ここにいたい気持ちもあるし、帰りたい気持ちもある。戦えるようになりたいけど、怖い。お母さんのご飯も食べたいし、小町お姉さんのご飯も食べたい。中学の友達と仲良くしたいけど、ほむらちゃん達とも一緒にいたい」

 

「つむぎってば欲張りだなー」

 

「そうかも」

 

 ほむらは笑った。

 

「でも、それでいいんじゃない? 全部本当なんだろ」

 

 前に湯船の中で言ってくれたのと、同じ言葉だった。

 

 全部本当なら、全部持ったままでいい。

 

「……うん。全部本当」

 

「ならいいさ」

 

 ほむらはそれだけ言って、空を見上げた。

 

 夕日が丘の向こうに沈み始めていた。本部の街に灯りがともっていく。

 

 つむぎは隣にいるほむらの横顔を見た。

 

 ほむらは、物心ついた時にはもうここにいたと言っていた。外の学校も、外の街も、つむぎにとって当たり前だったものが、ほむらにとっては知らない場所なのかもしれない。

 

 それでもほむらは、泣けない代わりのように笑い、迷っている誰かの隣にいてくれる。

 

 それがどれほど心強いことか、ほむら自身は気づいていないのかもしれない。

 

「帰ろっか」

 

 ほむらが立ち上がった。

 

「うん」

 

 つむぎも立ち上がる。

 

 丘を下り、宿舎へ向かう。夕暮れの中を二人で歩いた。

 

 宿舎の灯りが見えてきた時、玄関の前に導が立っていた。

 

 ドアの前で、じっと二人が帰ってくるのを見ている。

 

「導さん、どうしたの?」

 

「……ご飯できた」

 

 導はそれだけ言って、先に中へ入っていった。

 

 ほむらがにやりと笑う。

 

「あいつ、わざわざ迎えに来てくれたんだよ」

 

「え、そうなの?」

 

「導ってさ、誰かが遅いと、ああやって玄関の前にいるんだよ。何も言わないけどね」

 

 つむぎとほむらは導の後を追いかけて玄関をくぐる。

 

 宿舎の中には夕食の匂いが漂っていた。

 

 テーブルに五人分の食事が並んでいる。小町がキッチンから「おかえりなさい」と声をかけ、スバルが席についている。

 

 つむぎは自分の席に座った。

 

 ここに座るのは、三回目だ。

 

 まだお客さんなのかもしれない。けれど、今朝お母さんの声を聞いて泣いて、ほむらと丘の上で風に吹かれて、導が玄関で待っていてくれた。

 

 その一つ一つが、昨日までにはなかったものだった。

 

「いただきます」

 

 全員の声が揃った。

 

 つむぎは味噌汁をひとくち飲んだ。

 

 温かかった。

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