魔法少女と廃墟の王様 作:マチュピチュ
仮滞在の三日目。
朝食を終えた後、スバルがつむぎに声をかけた。
「守宮さん。事情聴取の一次確認が終わったわ。ご家族との通話の許可が下りたから、今なら電話できるわよ」
つむぎの手が止まった。
「……本当ですか」
「ええ。ただし、ここの所在地や施設の詳細は話せないわ。それから、契約や今後の処遇については、後日こちらから正式に説明することになる。今は、あなたが無事でいることと、話したいことだけを話して」
「ありがとうございます」
声が震えた。自分でも驚くくらい。
禍群と戦った日から、もう三日が経つ。政府からの連絡で無事は伝わっているはずだけれど、つむぎの口から直接何も言えていない。お母さんの声を聞いていない。お父さんの声も。
「通話はこの部屋で。時間は三十分。私は外にいるから、終わったら声をかけて」
スバルは共有スペースのテーブルに、施設の通話用端末を置いた。つむぎの個人のスマートフォンは預かったままだ。
「ほむらちゃんたちは?」
「今日は
スバルは共有スペースを出ていった。
扉が閉まる。
つむぎはテーブルの前に座った。端末が目の前にある。
指が動かなかった。
何を話せばいいのか分からない。
無事だよ、と言えばいい。心配かけてごめんね、と。大丈夫だから、と。
それだけでいいはずだった。
けれど、指が震えている。
『つむぎ。電話をかけないのか?』
「……かける。かけるよ。ちょっと待って」
『時間は限られている。早い方がよい』
「分かってるって」
つむぎは深く息を吸い、端末を手に取った。
番号を入力する。自分の家の番号。小さい頃から覚えている、変わらない番号。
コール音が鳴る。一回。二回。
三回目の途中で、電話が繋がった。
「——もしもし」
母の声だった。
少し掠れていて、眠れていないような声だった。
「お母さん」
「つむぎ……! つむぎなの!?」
母の声が一気に高くなった。
「うん、つむぎだよ。ごめんね、遅くなって」
「よかった……よかった……! 声が聞けて……!」
母が泣いている。電話越しに、嗚咽が聞こえた。
つむぎの胸が締めつけられた。
「ごめんね、お母さん。心配させて」
「いいの、いいのよ。無事なんでしょう? 怪我は? ちゃんとご飯食べてる?」
「うん、大丈夫。怪我はもうほとんど治ったし、ご飯もちゃんと食べてるよ。おいしいご飯作ってくれる人がいるの」
「そう……そう、よかった……」
母は何度も「よかった」と繰り返した。泣きながら。
つむぎも泣きそうだった。でも、泣いたら母がもっと心配する。だから笑った。笑おうとした。
「お父さんは?」
「今、どうしても外せない用事だけ済ませに会社へ行っているの。でも、ずっとつむぎのこと心配してたのよ。お父さん、口には出さないけど」
「うん。知ってる」
「帰ったら、つむぎから電話があったって伝えるわね。きっと喜ぶわ」
「うん」
少しだけ沈黙が落ちた。
母が声を整えるように、一度大きく息を吸った。
「ねえ、つむぎ。あなた、今どこにいるの?」
「……ごめんね、お母さん。それは言えないの」
「そう……」
「でも、安全な場所だよ。ちゃんとした人たちが守ってくれてる」
「あの人たちから連絡があったわ。禍群の被害区域で保護したって。それ以上は教えてもらえなかったけれど」
「うん。今は、少しだけ預かってもらってるの」
「預かって……って」
母の声に不安が滲んだ。
「大丈夫だよ。またちゃんと連絡させてもらうから。これからのことも、ちゃんと話すから」
その言葉は、つむぎ自身にも言い聞かせるようだった。
「……つむぎ」
「なに?」
「あなた、何か隠してるでしょう」
母の声が静かになった。泣きやんでいた。
つむぎは少しだけ黙った。
隠している。たくさんのことを。
妖精と契約したこと。魔法少女になったこと。禍群と戦って死にかけたこと。今は自衛隊の施設にいること。契約を続けるか、やめるか、まだ迷っていること。
全部、言えなかった。
「……今は、まだ話せないことがあるの。ごめんね」
「そう」
母は追及しなかった。
「絶対、ちゃんと話すから。全部。お父さんにも」
「分かったわ。待ってるから」
母の声が、少しだけ柔らかくなった。
「つむぎ」
「なに?」
「無理しないでね」
「……うん」
「それと、帰ってきたら、つむぎの好きなハンバーグ作るわね」
つむぎの目から、涙がこぼれた。
「……うん。楽しみにしてる」
「じゃあね。また電話してちょうだいね」
「うん。またかけるよ。お父さんにもよろしくね」
「ええ。大好きよ、つむぎ」
「……私も。大好きだよ」
通話が切れた。
つむぎは端末をテーブルに置き、両手で顔を覆った。
涙が止まらなかった。
声を出さないように、歯を食いしばって泣いた。肩が震える。鼻の奥がつんと痛い。
お母さんの声。お父さんを心配するお母さんの声。ハンバーグを作るという言葉。大好きよ、という言葉。
全部が温かくて、全部が痛かった。
自分は、あの家から来た。あの温かい場所から。
そして今、別の温かい場所にいる。小町がご飯を作り、ほむらが騒ぎ、導が静かに隣にいて、スバルが全員を見守っている場所。
二つの場所は、どちらも温かい。
けれど、どちらかを選ばなければならない日が来るのかもしれない。
『つむぎ』
妖精さんの声が、静かに響いた。
「……なに」
『泣いているのか?』
「泣いてないよ」
『そうか、ならよかった』
「……ごめん、嘘、泣いてる」
『そうか……、私には、その機能がない。だが、泣いても良い時には泣いても良いのだと思う』
「なにそれ?」
『適切な言葉が見つからない。ただ、家族との通話の後に泣くことは、人間にとって不自然ではないと認識している』
「……ありがとう、妖精さん」
『私は何もしていない』
「いてくれるだけでいいの。今は」
妖精さんは少しだけ沈黙した。
『……そうか』
つむぎは顔を拭い、鼻をかんだ。それから、窓の外を見た。
本部の空は青い。あの日と同じ、五月の空だった。
◇
夕方近くになって、ほむらが学校から帰ってきた。
「つむぎー! 今日ヒマ?」
「うん。何もないよ」
「じゃあさ、施設の中を案内してやるよ。ウチが知ってる穴場があるんだ」
つむぎは少しだけ迷った。けれど、部屋にいても考え事が堂々巡りになるだけだと思い直し、頷いた。
「行く。お願い」
「よーし!」
ほむらに連れられて宿舎を出る。
ほむらの案内は、普通のそれとは全く違った。地図もなければ説明もない。ただ足の赴くままに歩き、気になったものがあれば立ち止まる。
「つむぎ、ここ訓練場の裏手。放課後に自主練する子が多いんだ。ほら見ろよ」
金網越しに、数人の少女が走り込みをしている。その横では、一人の少女が魔法を的に向かって放っていた。
「あの子、すげえんだよ。狙撃系の魔法で、五百メートル先の的にも当てられるらしいぜ」
「五百メートル……」
「ウチは近接だから、ああいうの憧れるんだよなー」
ほむらはさらに歩いていく。
「こっちは資材倉庫。たまに猫がいるんだ」
「猫?」
「うん。野良がいつの間にか住み着いてて。ウチ、よく餌やりに来るの」
倉庫の裏に回ると、日向ぼっこをしている三毛猫が一匹いた。ほむらがしゃがんで手を出すと、猫は警戒もせずに擦り寄ってきた。
「ほら、つむぎも触ってみなよ」
つむぎがそっと手を伸ばすと、猫はゴロゴロと喉を鳴らした。温かかった。
「可愛い……」
「でしょ? ウチ、こいつにカレーって名前つけたんだ」
「カレー……?」
「好きだから」
理由になっていなかった。けれど、ほむららしくて、つむぎは少し笑った。
猫を撫でながら、ほむらがぽつりと言った。
「つむぎ、今日なんかあっただろ」
「え?」
「泣いた?」
つむぎはどきりとした。
「……分かる?」
「そりゃな、目が赤いもん」
ほむらはそれ以上追及しなかった。猫の背中を撫でながら、空を見上げる。
「ウチさ、泣ける人ってすごいと思うんだよね」
「すごい?」
「うん。ウチ、あんまり泣いたことないんだ。泣き方がよく分かんなくて」
「ま、訓練で大怪我した時はさすがに泣いたけどな」
ほむらは笑っていた。けれど、その笑い方がいつもより少しだけ静かだった。
「だからさ、泣きたい時は泣けばいいと思うよ。ウチの分まで」
「……ほむらちゃん」
「ん?」
「妖精さんとおんなじようなこと言ってる」
つむぎは何故だかとても気恥ずかしくなり、冗談まじりに呟いた。
「妖精さんって、つむぎと契約してるやつか? ウチと同じこと言うなら、ソイツはきっと良いやつなんだな」
ほむらはけらけらと笑い、立ち上がった。猫がにゃあと鳴いた。
二人はさらに歩いた。校舎の裏を通り、小さな運動場を抜け、施設の端にある見晴らしのいい丘に出た。
「ほら、ここがウチの穴場」
丘の上からは、本部の街並みが一望できた。
宿舎が並ぶ通り。訓練場。校舎。事務棟。ショッピング区画。遠くにはヘリポートも見える。
全部がここに収まっている。小さな街。戦うために作られた、けれど暮らすための場所。
「きれい……」
「でしょ。ウチ、ここが好きなんだ。訓練が辛かった時とか、ちょっと嫌なことがあった時とか、ここに来て空見てると、まあいいかって思えるんだよね」
ほむらは丘の上に腰を下ろした。つむぎもその隣に座る。
風が吹いた。五月の風は少しだけ暑くて、草の匂いがした。
「ほむらちゃん」
「ん?」
「今日、お母さんに電話したの」
「うん」
「声聞いたら、泣いちゃった」
「そっか」
「お母さんも泣いてた」
「うん」
ほむらは何も言わなかった。ただ隣にいた。
つむぎはしばらく黙って空を見ていた。
「……私、まだ何も決められてない」
「うん」
「ここにいたい気持ちもあるし、帰りたい気持ちもある。戦えるようになりたいけど、怖い。お母さんのご飯も食べたいし、小町お姉さんのご飯も食べたい。中学の友達と仲良くしたいけど、ほむらちゃん達とも一緒にいたい」
「つむぎってば欲張りだなー」
「そうかも」
ほむらは笑った。
「でも、それでいいんじゃない? 全部本当なんだろ」
前に湯船の中で言ってくれたのと、同じ言葉だった。
全部本当なら、全部持ったままでいい。
「……うん。全部本当」
「ならいいさ」
ほむらはそれだけ言って、空を見上げた。
夕日が丘の向こうに沈み始めていた。本部の街に灯りがともっていく。
つむぎは隣にいるほむらの横顔を見た。
ほむらは、物心ついた時にはもうここにいたと言っていた。外の学校も、外の街も、つむぎにとって当たり前だったものが、ほむらにとっては知らない場所なのかもしれない。
それでもほむらは、泣けない代わりのように笑い、迷っている誰かの隣にいてくれる。
それがどれほど心強いことか、ほむら自身は気づいていないのかもしれない。
「帰ろっか」
ほむらが立ち上がった。
「うん」
つむぎも立ち上がる。
丘を下り、宿舎へ向かう。夕暮れの中を二人で歩いた。
宿舎の灯りが見えてきた時、玄関の前に導が立っていた。
ドアの前で、じっと二人が帰ってくるのを見ている。
「導さん、どうしたの?」
「……ご飯できた」
導はそれだけ言って、先に中へ入っていった。
ほむらがにやりと笑う。
「あいつ、わざわざ迎えに来てくれたんだよ」
「え、そうなの?」
「導ってさ、誰かが遅いと、ああやって玄関の前にいるんだよ。何も言わないけどね」
つむぎとほむらは導の後を追いかけて玄関をくぐる。
宿舎の中には夕食の匂いが漂っていた。
テーブルに五人分の食事が並んでいる。小町がキッチンから「おかえりなさい」と声をかけ、スバルが席についている。
つむぎは自分の席に座った。
ここに座るのは、三回目だ。
まだお客さんなのかもしれない。けれど、今朝お母さんの声を聞いて泣いて、ほむらと丘の上で風に吹かれて、導が玄関で待っていてくれた。
その一つ一つが、昨日までにはなかったものだった。
「いただきます」
全員の声が揃った。
つむぎは味噌汁をひとくち飲んだ。
温かかった。