魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

11 / 16
第十話

 仮滞在の四日目の朝。

 

 つむぎはいつもより早く目が覚めた。

 

 時計を見ると、六時を少し過ぎたところだった。窓の外はすでに明るい。五月の朝は早い。

 

 天井を見つめたまま、しばらく動けなかった。

 

 三日間。この部屋で目を覚ますのは、これで四回目になる。

 

 簡素なベッドも、小さな机も、日用品が並んだ収納も、もう見慣れた。最初の夜は知らない天井に戸惑ったけれど、今はこの白い壁がどこにあるか分かっている。

 

 昨日、母と電話で話した。泣いた。

 

 ほむらと丘に登った。(しるべ)が玄関で待っていてくれた。

 

 みんなでご飯を食べた。温かかった。

 

 温かかった。

 

 けれど、その温かさの中にいることが、日が経つにつれて重くなっていく。

 

 みんなは動いている。スバルは事務仕事と任務の指揮をしている。ほむらは学校に行き、訓練を受けている。導は、気づけばいつも訓練場にいる。小町はみんなのために食事を作り、宿舎を守っている。

 

 つむぎだけが何もしていない。

 

 ソファに座って漫画を読み、窓の外を眺め、小町の手伝いを少しだけして、ほむらに連れ回されて、ご飯を食べて、眠る。

 

 客だ。まだ、客だ。

 

 つむぎは布団を跳ね除け、起き上がった。

 

 顔を洗い、着替えて階段を降りる。共有スペースにはすでに朝食の匂いが漂っていた。

 

 小町がキッチンに立っている。卵焼き。昨日の夕食後、小町と一緒に作ろうと約束した。

 

「おはよう、つむぎちゃん。早いわね」

 

「おはようございます。卵焼き、手伝います」

 

「ありがとう。じゃあ卵を割ってくれる?」

 

 つむぎは小町の隣に立ち、卵を割った。出汁と砂糖を混ぜ、小町がフライパンを温める。

 

 卵液をフライパンに流し込む。じゅう、と音がして、甘い匂いが広がった。

 

「くるくるっと巻いていくのよ。こう」

 

 小町が菜箸を使って、手際よく卵を巻いていく。つむぎはその手元を見つめた。

 

「上手……」

 

「毎日作ってるからね。つむぎちゃんもやってみる?」

 

「やってみます」

 

 つむぎは菜箸を受け取り、二回目の卵液を流し込んだ。巻こうとしたが、途中で形が崩れた。

 

「あっ」

 

「大丈夫よ。巻き直せばきれいになるから」

 

 小町が手を添えて、一緒に巻き直す。形はいびつだったけれど、ちゃんと卵焼きの形になった。

 

「できた……」

 

「上出来よ。次はもっと上手くなるわ」

 

 スバルが降りてきた。制服姿で、髪をまとめたところだった。

 

「おはよう。いい匂いね」

 

「おはようございます、スバルさん」

 

 つむぎは卵焼きを皿に移しながら、息を吸った。

 

 ここだ。今だ。

 

「スバルさん。お願いがあります」

 

「何かしら」

 

「私、何かさせてもらえませんか」

 

 スバルの手が止まった。

 

「訓練じゃなくてもいいんです。走るとか、身体を動かすとか……何でもいいので」

 

 スバルはつむぎの顔をじっと見た。

 

 昨日までとは、少しだけ違う顔をしていた。不安はまだ残っている。迷いもある。けれど、その奥に、何かをしたいという意志がある。

 

「……身体はもう大丈夫なの?」

 

「腕の痛みはだいぶ引きました。走るくらいなら平気だと思います」

 

「思います、じゃなくて、医務室で確認を取ってからにしましょう。問題がなければ、基礎体力の維持程度なら構わないわ」

 

「ありがとうございます!」

 

 ほむらが階段を駆け降りてきた。

 

「おはよー。なになに、何の話?」

 

「つむぎちゃんが走りたいんですって」

 

「マジ!? じゃあウチが付き合うよ! 朝練の前に一緒に走ろうぜ、つむぎ」

 

「いいの?」

 

「いいよいいよ。一人で走るのつまんないしさ」

 

 導が階段を降りてきた。いつも通り静かで、表情は読みにくい。けれど、つむぎとほむらの会話が聞こえていたのか、テーブルにつく前に一度だけつむぎの方を見た。

 

 小町が微笑んだ。

 

「いいことね。でも無理はしないでね、つむぎちゃん」

 

「はい!」

 

 朝食のテーブルに、全員がついた。卵焼き、味噌汁、白いご飯、漬物。

 

 つむぎが巻いたいびつな卵焼きは、皿の真ん中に置かれていた。

 

「いただきます」

 

 全員の声が揃った。

 

 ほむらが卵焼きを一切れ口に入れた。

 

「うまっ! 小町さんの卵焼き最高!」

 

「ありがとう。でもね、今日のは半分つむぎちゃんが作ったのよ」

 

「えっ、マジ? つむぎ、やるじゃん!」

 

 つむぎは少し照れながら笑った。

 

 導も卵焼きを一切れ食べた。何も言わなかったが、二切れ目に箸を伸ばしていた。

 

 スバルは味噌汁を飲みながら、静かにその光景を見ていた。

 

 

 ◇

 

 

 朝食後、つむぎは医務室へ向かった。

 

 検査は短かった。腕の打撲は回復傾向にあり、骨にも異常はない。軽い運動なら許可が下りた。

 

「ただし、痛みが出たらすぐにやめてくださいね。それから、魔法の使用はまだ控えてください」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

 医務室を出ると、宿舎の前でほむらが待っていた。訓練着に着替えている。

 

「許可もらえた?」

 

「うん!」

 

「よし! じゃあ行こう!」

 

 ほむらは嬉しそうに手を叩いた。

 

 二人は宿舎を出て、訓練場の方へ歩いた。朝の空気はまだ涼しく、吸い込むと肺の奥まで通っていく。

 

「走るコースはね、訓練場の外周を回るのがちょうどいいよ。一周が大体八百メートルくらい。ウチはいつも五周してから朝練に行くんだ」

 

「五周……四キロ?」

 

「準備運動だよ」

 

「準備運動で四キロ……」

 

 つむぎは既に不安になっていた。

 

 訓練場の外周に出ると、すでに何人かの少女が走っていた。まだ早い時間だったが、自主練で来ているらしい。フォームが整っていて、呼吸も乱れていない。

 

「最初はゆっくりでいいからね。ウチに合わせなくていいよ。つむぎのペースで走って」

 

「うん、ありがとう」

 

 ほむらが軽くその場で跳ねてから走り始めた。つむぎもその後を追う。

 

 最初の百メートルは良かった。身体は軽く、足は動いた。朝の空気が頬を撫で、肺に入ってきて気持ちいい。

 

 三百メートルあたりで、呼吸が荒くなり始めた。足の裏にじわりと熱が溜まる。

 

 五百メートルで、脚が急に重くなった。太ももの裏が引きつるような感覚がある。

 

「は……はぁ……ほむらちゃん、ちょっと……」

 

「おっ、もうバテた?」

 

 ほむらは振り返り、速度を落とした。額に汗一つ浮かんでいない。

 

「ウチ、まだ準備運動のペースなんだけどなー」

 

「じゅ、準備運動……」

 

 つむぎは膝に手をついた。心臓がばくばくと鳴っている。汗が額から顎へ伝い、地面に落ちた。

 

 普段なら、もう少し走れたはずだった。中学校の体育で、持久走が特別得意だったわけではない。それでも、人並みにはこなしてきた。

 

 けれど、数日の安静と、禍群(まがむれ)との戦闘で消耗した身体は、つむぎが思っていたよりずっと重かった。

 

 横を、自主練の少女が追い抜いていく。つむぎの倍以上の速度で、呼吸一つ乱さずに。

 

「……はぁ」

 

 追いつけない。当たり前だった。あの子たちは毎日ここで鍛えている。つむぎは四日間ソファに座っていた。追いつけるわけがない。

 

「まあ、最初はこんなもんだよ」

 

 ほむらはつむぎの隣でストレッチをしながら、あっさりと言った。

 

「ウチも最初はすぐバテてたし」

 

「ほんと……?」

 

「ほんとほんと。訓練はじめたばっかの頃、スバルに『体力がないなら走れ』って言われて、毎朝吐きそうになりながら走ってたよ」

 

「そんなに……」

 

「でもさ、続けてたらそのうち気持ち悪くならなくなった。身体が慣れたのか、そうなるのに飽きたのか分かんないけど」

 

 ほむらはけらけらと笑った。

 

「行ける? もうちょっとだけ」

 

「……うん、行く」

 

 つむぎは息を整え、再び走り出した。走るというより、早歩きに近かった。それでも足を止めないことだけは決めていた。

 

 ほむらはつむぎの隣を走った。速度を完全に合わせてくれている。さっきまで準備運動のペースだったはずなのに、文句一つ言わない。

 

 一周目が終わった。

 

 脚が棒のようだった。肺が焼けるように熱い。全身から汗が噴き出していて、訓練着の背中が張りついている。

 

「じゃ、ここまでにするか! お疲れー!」

 

 ほむらが声をかけてくれた。

 

 つむぎは訓練場の端にあるベンチに座り込んだ。座るというより、崩れ落ちた。

 

「はぁ……はぁ……もう、だめ……」

 

「一周走れたじゃん。初日にしては十分だよ」

 

 ほむらが水筒を差し出す。つむぎはそれを受け取り、水を飲んだ。喉を通る水が、今は何よりもありがたかった。

 

「ほむらちゃんは……まだ走れるの?」

 

「うん。でも今日はここまでにしとく。つむぎと一緒の方が楽しいし」

 

 ほむらは隣に座り、空を見上げた。

 

 朝の光が訓練場を照らしている。自主練の少女たちが走り続けている。号令の声が遠くから聞こえ始めた。八時が近い。正規の朝練が始まる時間だ。

 

「明日も走る?」

 

 ほむらが聞いた。

 

「……走る」

 

「おっ、いいね」

 

「根性っていうか……何もしないで座ってるのが、もう嫌になっただけ」

 

「それで十分だよ」

 

 ほむらはにっと笑った。

 

「じゃあウチは朝練行ってくるね。つむぎは無理せず宿舎に戻りなよ」

 

「うん。ありがとう、ほむらちゃん」

 

「おう。また夕飯でな!」

 

 ほむらは手を振り、訓練場の方へ駆けていった。あっという間に自主練の少女たちに合流し、号令と共に走り出す。

 

 つむぎは一人、ベンチに残された。

 

 息はまだ上がっていた。脚も腕も重い。

 

 けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。身体が疲れている。それは、自分が何かをした証拠だ。

 

 つむぎはしばらくベンチに座ったまま、訓練場を眺めていた。

 

 号令に合わせて動く少女たち。隊列を組み、散開し、集まる。その合間に、各自の魔法を使った個別訓練が始まる。

 

 炎を手のひらから噴き出す子。光の矢を的に向かって放つ子。風を纏って跳躍する子。

 

 一人一人、違う魔法を持っている。一人一人、違うやり方で鍛えている。

 

 つむぎは自分の手のひらを見た。

 

 あの日、この手からシールドが出た。薄い透明な壁。禍群の攻撃を受け止め、最後には砕け散った壁。

 

 今、この手から同じものを出せるかどうか分からない。試していない。怖くて。

 

『つむぎ』

 

 頭の中で妖精さんの声が響いた。

 

「……ん?」

 

『魔力の残留量は安定している。変身しなくても、シールドの展開自体は可能なはずだ』

 

「……」

 

『医師も控えるように言っていた。今すぐ試す必要はない。ただ、情報として伝えておく』

 

「……ありがとう、妖精さん」

 

 つむぎは手のひらを閉じた。

 

 出せるかもしれない。出せばまた、あの透明な壁が現れるのかもしれない。

 

 けれど、シールドを出したら、あの音を思い出す。ガリガリと削られる音。割れていく亀裂。四つの目。息ができなかった苦しさ。

 

 まだ、無理だ。

 

 でも——「まだ」だ。「もう二度と」ではなく、「まだ」。

 

 それは、昨日までとは少しだけ違う気持ちだった。

 

 つむぎは立ち上がった。脚はまだ震えている。

 

 宿舎に戻ろう。今日出来ることはまだある。小町の手伝いだ。昼食の準備がある。

 

 つむぎは訓練場を離れ、宿舎への道を歩き始めた。

 

 一歩ずつ。ゆっくりと。

 

 走った後の脚は重かったけれど、ソファに座っていた時よりも、自分の足で立っている感覚があった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。