魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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第十二話

 仮滞在の五日目。朝の六時。

 

 妖精さんの予告通り、筋肉痛は容赦なかった。

 

 階段を降りるたびに太ももの裏が悲鳴を上げる。一段一段、手すりを掴みながら慎重に足を運ぶ。

 

「おはよう、つむぎちゃん。……あら、大丈夫?」

 

 共有スペースで朝食の準備をしていた小町が、つむぎの歩き方を見て声をかけた。

 

「おはようございます。大丈夫です。ちょっと、脚が……」

 

「昨日走ったからね。無理しなくていいのよ?」

 

「いえ、今日も走ります」

 

 つむぎは自分でもびっくりするくらいはっきり答えていた。

 

 やめようか、とは思わなかった。昨日の夜、友達のことを考えて眠れなくなりそうだった。けれど、朝になったら身体を動かしたかった。頭で考えすぎるより、脚を動かした方が楽だと、昨日の一周で知ってしまった。

 

 朝食を食べ終え、ほむらと玄関で合流する。

 

「おはよー、つむぎ。筋肉痛?」

 

「バレた?」

 

「階段の降り方がおばあちゃんだった」

 

「ひどい……」

 

「まあまあ。今日は昨日よりゆっくりな。痛かったら途中で歩く。無理したらスバルに怒られるし」

 

「ほむらちゃんも怒られるの?」

 

「付き添いなのに止めなかったって怒られる。だから、そこはちゃんと言うこと聞くんだぞ!」

 

「……はい」

 

 ほむらはけらけら笑いながら、外へ飛び出した。つむぎはその後を追い、訓練場の外周へ向かう。

 

 (しるべ)はすでに訓練場にいた。

 

 昨日は気が付かなかったが、導もどうやら自主練をしていたようだ。訓練場の端で、静かに立っている。朝の光の中で、指先に小さな光を灯していた。

 

 光は導の手から離れ、空中にふわりと浮かぶ。それからゆっくりと動き出し、数メートル先の地面に降りた。消える。また一つ灯す。浮かべる。動かす。降ろす。

 

 何の訓練なのかは分からない。けれど、繰り返しの中に迷いがなかった。

 

「さ、行こう!」

 

 ほむらの声に、つむぎは視線を導から外した。

 

「うん」

 

 走り始める。

 

 最初の百メートル。昨日よりも脚が重い。筋肉痛が走るたびにずきずきと響く。

 

「は……やっぱ痛い……」

 

「ほらほら、止まんなよ。止まると余計痛くなるから」

 

「ほんと……?」

 

「多分」

 

「また多分……」

 

 三百メートル。呼吸が上がり始める。けれど、昨日よりは少しだけ楽な気がした。身体がこの動きを少しだけ覚えている。

 

 五百メートル。昨日はここで限界だった。脚が棒になり、肺が焼け、膝に手をついた場所。

 

 今日もきつい。

 

 けれど、止まらなかった。

 

 六百メートル。

 

 七百メートル。

 

 脚が震えている。呼吸は荒い。汗が目に入って視界がぼやける。

 

 八百メートル——一周。

 

「っ……はぁ……はぁ……」

 

 つむぎは訓練場の外周を一周し終え、そのままベンチへ向かった。座るというより崩れ落ちる。

 

「お疲れ! 昨日より粘ったじゃん」

 

「ほむらちゃん……私、昨日も一周走ったよ……」

 

「うん。でも今日の方がペースが安定してた。昨日は後半ほとんど歩いてたけど、今日は最後まで走れてたよ」

 

 言われてみれば、そうかもしれない。昨日は五百メートルを過ぎてから早歩きに近かった。今日は遅いなりに、最後まで足を動かし続けた。

 

「ちょっとずつだけど、ちゃんと変わってるよ」

 

 ほむらが水筒を差し出す。つむぎはそれを受け取り、水を飲んだ。

 

「ありがとう、ほむらちゃん」

 

「おう。じゃあウチは朝練行ってくるね。つむぎは無理せず戻りなよ」

 

「うん」

 

 ほむらは手を振り、訓練場の方へ駆けていった。

 

 つむぎは一人、ベンチに残された。

 

 

 ◇

 

 

 息を整えながら、つむぎは訓練場を眺めていた。

 

 八時が近い。正規の朝練が始まる時間だ。少女たちが訓練着を着て集まってくる。号令が響き、走り込みが始まる。

 

 昨日と同じ光景。けれど今日は、その中にいくつか見覚えのある顔がある。昨日、つむぎを追い抜いていった背の高い子。的に何かを放ち続けていた子。

 

 毎日同じことを繰り返している。

 

 つむぎも、同じことを繰り返していた。走って、ベンチに座って、訓練を眺める。

 

 違うのは、あの子たちには繰り返す目的があるということだ。禍群と戦うために鍛えている。自分の力を伸ばすために走っている。

 

 つむぎはまだ、走っているだけだ。

 

 目的と呼べるほどのものはない。強くなるためでも、訓練のためでもない。ただ、じっとしているのが嫌だから走っている。

 

 それでいいのだろうか。

 

 それでいいのかもしれない。今は。

 

 訓練場の端で、導がまだ光の訓練を続けていた。

 

 指先から生まれた光の粒が、空中をゆっくりと動いていく。今度は一つではなく三つ。それぞれが別の方向へ漂い、地面の異なる場所に降りた。

 

 それから、導は視線を動かした。三つの光が降りた場所を順に確かめるように見ている。

 

 つむぎにはそれが何の訓練なのか分からなかった。ただ、導は光を飛ばしているというより、決めた場所へ一つずつ目印を置いているように見えた。

 

 ただ、小さな光が浮かんで、移動して、降りる。それだけ。

 

 けれど、その「それだけ」を導はひたすら繰り返していた。同じ動作を、同じ静けさで。

 

 いつの間にか朝練が終わったのか、訓練場から少女たちが散り始めた。号令が止まり、走っていた子たちが水筒を取りに行き、タオルで汗を拭いている。

 

 導も光を消し、訓練場の端から歩いてきた。

 

 そして——つむぎが座っているベンチの、反対側の端に座った。

 

 何も言わなかった。水筒を膝の上に置き、蓋を開けて水を飲んだ。

 

 つむぎも何も言わなかった。

 

 二人の間には、ベンチ一つぶんの距離がある。

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 

 訓練場から少女たちの声が遠ざかっていく。風が吹いて、つむぎの汗を乾かした。

 

「……導さん」

 

「……」

 

「今日の訓練、お疲れ様でした」

 

「……ん」

 

 導は小さく頷いた。

 

 それだけだった。それ以上の会話はなかった。

 

 けれど、導は立ち上がらなかった。水を飲み終えても、ベンチに座ったままだった。

 

 つむぎも立ち上がらなかった。

 

 隣にいるのが苦しいわけではない。話さなければならないわけでもない。ただ、同じベンチに座って、同じ風を受けて、同じ訓練場を眺めている。

 

 それだけの時間が過ぎていく。

 

 何か話さなければいけないという気がしなかった。

 

 導は水筒を膝に置いたまま、前を見ている。つむぎも同じ方を見た。

 

 昨日の午後から考え続けていたことが、少しだけ遠くなる。友達のこと。学校のこと。映画のこと。向こうとこっちのこと。

 

 忘れたわけではない。ただ、今だけは、考えなくてもよい気がした。

 

 五分ほど経っただろうか。

 

 導が立ち上がった。

 

「……帰る」

 

「はい。お疲れ様でした」

 

 導は小さく頷き、宿舎の方へ歩いていった。

 

 つむぎはベンチに残り、もう少しだけ座っていた。

 

 導が歩いていく背中を見送る。

 

 背筋を伸ばし、足音を立てず、まっすぐに歩く小さな後ろ姿。

 

 何を考えているのか、つむぎにはまだ分からない。導が何を思い、何を感じ、何のために毎朝あの光を灯しているのか。

 

 けれど、一つだけ分かったことがある。

 

 導は、つむぎが隣にいることを嫌がっていなかった。

 

 それが分かっただけで、今日の朝は十分だった。

 

 

 ◇

 

 

 宿舎に戻ると、小町が昼食の仕込みを始めていた。

 

「おかえりなさい。走ってきたのね」

 

「はい。昨日よりちょっとだけ、ましでした」

 

「ちょっとずつね。それでいいのよ」

 

 つむぎはキッチンに入り、小町の隣に立った。

 

「今日も手伝います」

 

「ありがとう。じゃあ、お味噌汁のお豆腐を切ってくれる?」

 

「はい」

 

 豆腐をまな板の上に置き、包丁を入れる。白い塊がさいの目に分かれていく。

 

 小町が隣で野菜を刻んでいる。包丁の音が二つ、台所に重なる。

 

 昨日はこの時間に友達のことを考えていた。向こうの学校のこと。映画のこと。

 

 今日も頭の隅にはある。消えてはいない。

 

 けれど、今は包丁を動かしている。豆腐を切っている。小町の隣に立っている。

 

 それでいい。今は、それでいい。

 

 つむぎは豆腐を鍋に入れ、味噌をとき始めた。

 

 小町が穏やかに笑った。

 

「上手になったわね」

 

「えへへ。いつもやってますからね」

 

 いつも。

 

 その言葉を口にした時、つむぎは少しだけ不思議な気持ちになった。

 

 ここに来て、まだ五日しか経っていない。

 

 それでも、朝に走ることも、小町の隣で味噌汁を作ることも、導が同じベンチの端に座ったことも、昨日から今日へ続いている。

 

 つむぎは味噌を溶いた鍋を、そっとかき混ぜた。

 

 湯気が立ち上がる。

 

 明日も、この匂いを嗅ぐのだろうか。

 

 そう思っても、昨日ほど胸は重くならなかった。

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