魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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第十五話

 宿舎に戻ると、小町が昼食の仕込みをしていた。

 

「おかえりなさい。今日もたくさん走ったのね」

 

「はい。二周近くまで走れました」

 

「すごいわね。初日は一周もやっとだったのに」

 

「小町お姉さん、知ってたんですか?」

 

「ほむらちゃんが毎日報告してくれるのよ。『つむぎ、今日はここまで走れた!』って」

 

 つむぎは少しだけ笑った。ほむららしい。

 

「今日のお昼は、何を作りますか?」

 

「そうねぇ。つむぎちゃん、何が食べたい?」

 

「え、私が決めていいんですか?」

 

「いいわよ。明日は——」

 

 小町は言いかけて、少しだけ口をつぐんだ。

 

「……明日のことは、明日考えましょう。今日は、つむぎちゃんの好きなもの」

 

 つむぎは少し考えた。

 

「……おにぎりがいいです」

 

「おにぎり?」

 

「はい。前に小町お姉さんと一緒に作ったの、おいしかったので。また作りたいです」

 

 小町は柔らかく笑った。

 

「じゃあ、おにぎりにしましょうか。具は何にする?」

 

「梅干しと、鮭と……あと昆布」

 

「前と同じね」

 

「はい。あの時のが、おいしかったから」

 

 二人でキッチンに立った。

 

 ご飯を炊き、具を準備する。小町がご飯を手に取り、つむぎが具を渡し、海苔を巻いて皿に並べる。前に一緒に作った時と同じ分担だった。

 

 前回はみんなが任務から帰ってくるのを待ちながら握ったおにぎりだった。今日は、ただの昼食のためのおにぎりだ。

 

 けれど、同じ手順で、同じ具で、同じ人と作っている。

 

「つむぎちゃん、握るの上手になったわね」

 

「小町お姉さんに教わりましたから」

 

「お母さんにも教わったって言ってたわよね」

 

「はい。お母さんは丸く握るんです。小町お姉さんは三角」

 

「あら、そうなの? 丸いおにぎりもいいわね」

 

「今度、丸いのも作ってみますか?」

 

 そう言ってから、つむぎは口をつぐんだ。

 

 今度。

 

 今度があるかどうか、まだ分からない。

 

 小町は何も言わなかった。ただ、次のおにぎりを握り始めた。

 

 つむぎも黙って、海苔を巻いた。

 

 

 ◇

 

 

 昼食は小町と二人で食べた。(しるべ)は訓練、ほむらは学校、スバルは事務棟。いつも通りの昼だった。

 

 おにぎりをかじると、中から梅干しの酸っぱさが広がった。小町の握ったおにぎりは、ご飯がふんわりしていて、力を入れすぎていない。つむぎが握ったものは少しだけ固かったが、形はきれいに三角になっていた。

 

「おいしい」

 

「よかったわ」

 

 食べ終わると、つむぎは食器を洗った。小町が洗い、つむぎが拭く。いつもの分担だ。

 

 午後。

 

 つむぎは共有スペースのソファに座り、窓の外を眺めた。

 

 訓練場。校舎。通りを歩く少女たち。

 

 明日でここを離れるかもしれない。

 

 あるいは、ここに残るかもしれない。

 

 どちらを選んでも、今日のこの景色は同じだ。

 

 つむぎは立ち上がり、宿舎を出た。

 

 施設の中を歩いた。一人で。

 

 ショッピング区画の前を通り過ぎた。初日に導に案内してもらった場所だ。歯ブラシとタオルを買った店がある。

 

 訓練場の横を歩いた。毎朝走っている外周のコース。ベンチ。導と並んで座った場所。

 

 校舎の前を通った。中から授業の声が聞こえる。ほむらはあの中にいるのだろう。

 

 資材倉庫の裏を覗いた。猫のカレーがいた。日向ぼっこをしている。つむぎがしゃがむと、猫はゆっくりと近づいてきて、手に頭を擦りつけた。

 

「カレー、元気?」

 

 猫はにゃあと鳴いた。

 

 つむぎは猫の背中を撫でながら、ぼんやりと考えた。

 

 六日間で、この施設のことをずいぶん知った。道はまだ覚えられていないけれど、どこに何があるかはなんとなく分かるようになった。

 

 訓練場の外周が一周八百メートルであること。校舎から宿舎まで五分かかること。ショッピング区画には猫のいる倉庫の横を通れば近道できること。

 

 小さなことばかりだ。けれど、六日前には何一つ知らなかった。

 

 猫が膝の上に乗ってきた。温かかった。

 

「……ほむらちゃんがカレーって名前つけたんだよね。好きだからって」

 

 猫は返事をしない。ただゴロゴロと喉を鳴らしている。

 

「私は何が好きなのかな」

 

 味噌汁を作ること。朝走ること。ほむらと笑うこと。導と並ぶこと。小町のご飯を食べること。

 

 全部、ここで知ったことだ。

 

 帰ったら、別のことが好きになるのだろうか。

 

 それとも、ここで好きになったものを、ずっと覚えているのだろうか。

 

 猫が膝から降りて、倉庫の裏へ歩いていった。つむぎは立ち上がり、宿舎への道を歩き始めた。

 

 迷わなかった。

 

 

 ◇

 

 

 夕方になると、宿舎に人が戻り始めた。

 

 導が最初に帰ってきた。静かに靴を脱ぎ、つむぎの前を通り過ぎる時に、小さく頷いた。

 

 ほむらが次に帰ってきた。

 

「ただいまー! つむぎ、今日何してた?」

 

「散歩してた。カレーに会ってきたよ」

 

「お、カレー元気だった?」

 

「元気だったよ。膝の上に乗ってきた」

 

「いいなー。ウチにはなかなか乗ってくれないんだよなー」

 

 スバルが最後に帰ってきた。つむぎと目が合った時、少しだけ何か言いたげな顔をしたが、何も言わなかった。

 

 五人分の夕食がテーブルに並ぶ。

 

 今日のメニューは、肉じゃがと味噌汁と白いご飯だった。

 

「いただきます」

 

 全員の声が揃った。

 

 ほむらが今日の授業の話をしている。英語のテストが返ってきたらしい。「四十五点だった」と言って、スバルに「算数よりはましね」と返されている。

 

「ましって何だよ! 頑張ったんだぞ!」

 

「頑張った結果が四十五点なら、もう少し頑張り方を考えましょう」

 

「うぐ」

 

 導は黙って肉じゃがを食べている。じゃがいもを箸で丁寧に割ってから口に運んでいた。

 

 小町はほむらの皿を見て、「おかわりする?」と聞いている。ほむらが「する!」と即答する。

 

 いつもの夕食だった。

 

 この光景を、つむぎは六回見た。

 

 初めて見た時は、温かいけれど自分の場所ではないと思った。二回目は、まだお客さんだと感じた。三回目は、出撃から帰ってきたみんなに「おかえりなさい」と言えた。四回目は、友達のことを考えながら食べた。五回目は、期限を知って、この光景があと何回あるのか数えた。

 

 六回目の今日は、ただ食べていた。

 

 おいしいな、と思った。肉じゃがの味がしみている。味噌汁は自分が作ったものと同じ味がする。白いご飯が温かい。

 

 ほむらの声が聞こえる。スバルの声が聞こえる。導の箸の音が聞こえる。小町が立ち上がって、おかわりをよそう音が聞こえる。

 

 この音を、覚えていたいと思った。

 

 食後、ほむらが宿題を始めた。スバルは報告書を書いている。導は自分の部屋へ上がっていった。

 

 つむぎは小町の食器洗いを手伝った。

 

「小町お姉さん」

 

「なあに?」

 

「明日、スバルさんに答えを言わないといけないんですよね」

 

「……そうね」

 

「まだ、決められてないです」

 

 小町は食器を洗いながら、穏やかに言った。

 

「今夜、ゆっくり考えなさい。答えは、朝になったら出るかもしれないし、出ないかもしれない」

 

「出なかったら?」

 

「その時は、出なかったって正直に言えばいいのよ」

 

「……それでいいんでしょうか」

 

「いいかどうかは、スバルちゃんたちが考えるわ。大人が考えることまで、今のつむぎちゃんが一人で背負わなくていいの」

 

 小町はつむぎに最後の皿を渡した。

 

「でも、自分がまだ決められないってことだけは、ちゃんと言葉にしなさい。それも、今のつむぎちゃんの本当だから」

 

「でもね、つむぎちゃん」

 

「はい」

 

「どんな答えでも、明日の朝ごはんは作るわよ。だから、ちゃんと起きてきてね」

 

 つむぎは皿を拭きながら、少しだけ笑った。

 

「はい。起きます」

 

 

 ◇

 

 

 自分の部屋に戻った。

 

 ベッドに座り、窓の外を見る。

 

 本部の灯り。遠くの訓練場。暗くなっていく空。

 

 六日間、この窓から同じ景色を見てきた。

 

 つむぎはベッドに横になった。

 

 天井を見つめる。白い天井。最初の朝、「知らない天井だ」と思った天井。今はもう、知っている天井だ。

 

 目を閉じた。

 

 六日間のことが浮かんでくる。

 

 小町のカレー。ほむらのクラッカー。導の道案内。スバルの翼。

 

 出撃のサイレン。握ったおにぎり。包帯を巻いたほむらの腕。

 

 母の声。丘の上の風。朝のランニング。ベンチの端に座る導。

 

 味噌汁の湯気。

 

 手のひらに残った熱。

 

 そして——あの白いワンピースの少女。

 

 誰も映していない瞳。名前も知らない。どこにいるのかも分からない。

 

 けれど、あの子のことが、ずっと頭の隅にいた。

 

 六日間、毎晩のように思い出していた。宿舎の温かさに包まれるたびに、あの子は今も一人なのだろうかと考えた。

 

 帰れば、あの子に関わる何かを知る機会はなくなるかもしれない。

 

 ここにいれば——いつか、何か分かるかもしれない。

 

「……」

 

 つむぎは手のひらを胸の前で開いた。

 

 暗い部屋の中で、何も見えない。

 

 けれど、昼間に感じた熱を思い出す。指先に残っていた、魔力が通った痕跡。

 

 怖い。まだ怖い。

 

 あの音が聞こえる。ガリガリと削られる音。四つの目。砕けていくシールド。

 

 でも、今日、手のひらの中で何かが動いた。

 

 自分の意志で。

 

 つむぎは手のひらを閉じた。

 

 明日の朝には、何かを言わなければならない。

 

 帰るのか。残るのか。

 

 ここで過ごした六日間も、家で過ごしてきた十三年間も、どちらも本当だった。どちらも大事だった。

 

 けれど、手のひらの中の熱だけが、他の何とも違う重さを持っていた。

 

 あれは、自分にしかないものだった。

 

 怖くて、まだ出せなくて、それでも確かにそこにある力。

 

 それを、このまま眠らせておいていいのだろうか。

 

 つむぎは目を閉じた。

 

 今夜は、ただ眠ろう。

 

 明日の朝ごはんのために、ちゃんと起きなければならないから。

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