魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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第二話

「貴女は……?」

 

 つむぎの声は掠れていた。

 

 少女は答えない。振り向きもしない。白いワンピースの裾を風に揺らしながら、瓦礫の上を裸足で歩き始めた。足元に迷いはなかった。

 

 先ほどまでつむぎにのしかかっていた禍群(まがむれ)は、大きな損傷を受けたのか犬の姿を維持できていなかった。黒い霧のように揺らぎ、形を探っている。

 

 それでも動きは止まっていない。

 

 霧の中から四つの目が浮かび上がった。崩れかけた身体を無理やりつなぎ合わせるように、黒い粒子が寄り集まっていく。

 

『まだ奴は活動を停止していない』

 

 妖精の声に、つむぎは息を呑んだ。

 

「危ない……!」

 

 声を上げても、少女は足を止めなかった。

 

 禍群が少女を新たな脅威と認識したのか、黒い霧が激しく波打った。

 

 すると、住宅街に散っていた禍群の破片が集まり始める。家屋の壁に張りついていたもの、道路のひび割れに沈んでいたもの。つむぎと戦っていた時は体高二メートルほどの犬の形だったが、今は全てが一つに凝縮され、十メートル近い流動体となった。

 

 黒い壁のようなそれが、少女の前に立ちはだかる。

 

 少女は構えを取らなかった。

 

 防御する様子もない。魔法を準備しているようにも見えない。

 

 ただ散歩でもしているかのように、真っ直ぐ禍群へ近づいていく。

 

「何してるの……?」

 

 つむぎの喉から声が漏れた。

 

 あれがどれほど危険なのか、この少女には分かっていないのだろうか。自分はシールドを使っても受け止めるだけで精一杯だった。腕はすでに上がらず、身体にはあの重さの記憶がこびりついている。

 

 何の備えもなく近づく少女の姿は、勇敢というより無謀に見えた。

 

 禍群が波打つように震えた。

 

 次の瞬間、無数の触手が少女へ殺到する。

 

「避けて!」

 

 つむぎが叫んだ。

 

 少女は避けなかった。

 

 ただ右腕を持ち上げる。

 

 気づいた時には、伸びていた触手の全てが消え失せていた。

 

 少女の右手だけが、平手打ちを終えたように振り抜かれている。

 

 黒い流動体は何が起きたのか理解できないように、その場で動きを止める。

 

 しかし、少女は足を止めなかった。

 

 十メートル近くまで膨れ上がった黒い塊の前まで歩み寄ると、軽く片足を引く。

 

 まるで道端のボールでも蹴るような、あまりにも無造作な動きだった。

 

 次の瞬間、その巨体がつむぎの視界から消えた。

 

 そして、少女は足を上げていた。

 

『上だ』

 

 妖精の声につむぎが空を見上げると、ビルよりも高い位置に黒い塊が浮かんでいる。まるで瞬間移動をしたように、巨大な流動体が空中に投げ出されていた。

 

 そして、ぶるぶると震えたかと思うと、花火のような轟音を立てて弾け飛んだ。

 

 近くの窓ガラスが細かく震え、地面に積もっていた砂埃が円を描くように舞い上がる。

 

 つむぎは何が起きたのか理解できなかった。

 

「……消えた?」

 

『ああ、対象の反応消失を確認した』

 

 妖精の声にも、わずかな戸惑いが混じっていた。

 

「今の、何をしたの?」

 

『不明だ』

 

「妖精さんにも分からないの?」

 

『少なくとも、一般的な魔法の発動手順には見えなかった』

 

 つむぎは少女の細い身体を見つめた。

 

 武器はない。特別な道具も持っていない。

 

 ただ手を振り、足を上げただけだった。それだけで、自分が何度攻撃しても再生した相手を消してしまった。

 

 少女は何事もなかったように足を下ろした。達成感も、安堵も、その顔には浮かんでいない。道端の小石を蹴り除けたような、あまりにも自然な振る舞いだった。

 

「……あ、ありがとう。助けてくれて」

 

 ようやく絞り出した声に、少女が初めて振り返った。

 

 正面から見ると、やはりつむぎよりも幼く見える。整った顔立ちに、長いプラチナブロンドの髪と白い肌。まるで人形のようだった。

 

 けれど、暗い色をした瞳だけが妙に冷たかった。

 

「運が良かったですね」

 

 少女は静かに言った。鈴が鳴るような声だった。

 

「次からは、ご自分の実力を考えて動いてください」

 

 慰めでも叱責でもなかった。ただ事実だけを告げている。

 

 つむぎは言葉を返せなかった。

 

 助かった。本来なら、まずそう思うべきだった。少女が来なければ自分は間違いなく死んでいた。骨を砕かれ、肉を食われ、最後には禍群の一部にされていたかもしれない。

 

 けれど安堵より先に、悔しさが胸の奥を刺した。

 

 自分は街を守るためにここへ来たはずだった。見て見ぬふりをしたくなかった。自分にも何かできると思った。

 

 それなのに、何ひとつ倒せなかった。家屋から引き剥がすこともできず、最後には死を覚悟して目を閉じた。結局、自分がしたことは時間を稼いだだけだ。それすら、少女が来なければ何の意味もなかったのかもしれない。

 

 つむぎは震える手を地面についた。

 

「待って……」

 

 もう一度礼を言おうとした。せめて名前だけでも聞きたかった。

 

 けれど顔を上げた時には、少女の姿は掻き消えていた。土埃の向こうにも、瓦礫の陰にもいない。まるで最初からそこにいなかったかのように、荒れた街並みだけが残されていた。

 

『彼女は一体……』

 

「あの子の目……どこかで見た気がする」

 

 つむぎは少女が立っていた場所を見つめたまま呟いた。

 

「あれは……」

 

 そこまで言って、口を閉じた。

 

 冷たいというより、誰も映していないような目だった。あの目だけが妙に頭から離れなかった。

 

『つむぎ、大丈夫か?』

 

「……うん、大丈夫」

 

 反射的にそう答えた。

 

 立ち上がろうとして地面へ手をつく。だが、腕に力が入らなかった。

 

「うわっ……」

 

 体勢が崩れ、そのまま地面へ倒れかける。慌てて身体を支えようとしたものの、今度は足が震えた。

 

 戦っている間は気づかなかった。指先が冷たい。肩が焼けるように痛む。膝にはまったく力が入らない。

 

 身体の奥に溜まっていた恐怖と疲労が、今になって一気に噴き出してきたようだった。

 

「ちょっとだけ……座ってようかな」

 

『その方がいい。君の肉体には強い疲労が見られる』

 

 つむぎは瓦礫へ背中を預けた。

 

 その瞬間、砕ける直前のシールドが頭に浮かんだ。ガリガリと表面を削る音。すぐ目の前にあった四つの目。何度息を吸っても空気が入ってこなかった苦しさ。

 

「うっ……」

 

 胃の奥から何かがこみ上げる。つむぎは口元を押さえ、身体を丸めた。吐くことはなかったが、何度か乾いた咳が漏れた。

 

『つむぎ』

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

『君は先ほどから、そればかり言っている』

 

「だって、大丈夫じゃなかったら困るでしょ」

 

 笑ってみせようとした。だが声は震え、頬もうまく動かなかった。

 

 つむぎは自分の胸元に手を当てた。心臓が速い。けれど、きちんと動いている。首に触れる。腕に触れる。脚を見る。全部、まだついている。

 

 自分は生きている。

 

 それを確かめて、ようやく少しだけ息を吐けた。

 

「妖精さんこそ怪我はない?」

 

『私は今、君と同化している状態だからな。君の肉体が無事であるなら、私も無事だ』

 

「そっか。ならよかった」

 

『しかし、精神はそうはいかない』

 

 妖精の声がわずかに真剣味を帯びた。

 

『少しでも辛いことがあれば言ってほしい。今の君は、自分で考えている以上に動揺している可能性がある』

 

「大丈夫、大丈夫。まあ、正直死ぬかとは思ったけどね」

 

 軽く笑ってみせたつもりだった。けれど、その声はやはり震えていた。

 

 つむぎは誤魔化すように空を見上げた。五月の空は青く澄み渡っている。つい先ほどまで死にかけていたことが嘘のような、穏やかな空だった。

 

「ねえ、妖精さん」

 

『なんだ?』

 

「あの子、何者なんだろう」

 

『不明だ。周囲に残った魔力を確認しているが、通常の魔法少女とは性質が異なる』

 

「異なるって?」

 

『通常、魔法を使えばその性質を帯びた魔力が痕跡として残る。だが、彼女のものにはそれがほとんどない』

 

「どういうこと?」

 

『魔法を使ったのではなく、純粋な魔力を手足に纏わせて攻撃しただけに見えるということだ』

 

「それだけ?」

 

『それだけだ。だが、手足に纏っていた魔力の量が異常だった。しかも、制御している様子もない』

 

「制御?」

 

『彼女の周囲には、燐光のようなものが漂っていただろう。あれは、身体から溢れた魔力が使われることなく拡散していたものだ』

 

 妖精はわずかに間を置いた。

 

『湯水のように魔力を放出しながら、あれほどの出力を維持できるのであれば、保有している総量も相当なものだと思われる』

 

「そんなにすごいの?」

 

『すごいというより、なぜそのような非効率な戦い方をするのか、私には理解できない。あれほどの魔力を持つのであれば、何らかの魔法を使った方が効率よく戦えるはずだ』

 

 

 つむぎは少女が消えた方角を見た。

 

 あれほどの力を持っているのに、少女は少しも誇らしげではなかった。強いから戦う。敵だから倒す。それ以外に何も必要としていないようだった。

 

 助かった。生き残った。

 

 けれど、自分は街を守れたのだろうか。

 

 少女がいなければ、自分は死んでいた。それでも、自分がここに残らなければ、禍群はもっと多くの家屋を呑み込んでいたかもしれない。

 

 守れなかったとも言い切れない。守れたとも言えない。

 

 その答えだけは、まだどこにもなかった。

 

 

 ◇

 

 

 つむぎの危機を救った少女は、建物の屋上に立っていた。

 

 眼下に広がる住宅街を一度だけ見下ろし、それから足に力を込めた。

 

 軽く踏み込んだだけで、少女の姿がその場から掻き消える。遅れて風が吹き抜け、足元のコンクリートの欠片が舞い上がった。

 

 少女は街を駆けていた。

 

 屋上から屋上へ。ビルの壁面を蹴り、道路や線路を一息に飛び越えていく。一度地面を蹴るたび、周囲の景色が後方へ流れた。その姿を偶然目にした者がいたとしても、白い影が通り過ぎたとしか認識できなかっただろう。

 

 避難区域を抜けると、何事もない日常が広がっていた。車が道路を行き交い、歩道では買い物袋を下げた人々が歩いている。遠くから子どもの笑い声が聞こえてきた。

 

 避難区域の外では、別の街で禍群が現れたことなど嘘のように、ありふれた日常が続いていた。

 

 少女は人々の視界に入らないよう路地裏へ降り立ち、白いワンピースの裾を整えると、人気の少ない道を歩き始めた。戦いの後だというのに、その足取りに乱れはなかった。

 

 やがて少女は、街外れに建つ荒れ果てた廃ビルの前で足を止めた。

 

 窓ガラスは割れ、外壁はところどころ剥がれ落ちている。周囲の建物から取り残されたように、そこだけが長い間放置されていた。誰かが住む場所には見えない。

 

 それでも少女は迷うことなく中へ入っていった。

 

 階段には空き缶や破片が散らばっていた。手すりは赤く錆び、踏み込むたびに古い床が軋む。

 

 三階の一室。ドア代わりに立てかけられたベニヤ板を押しのけると、そこだけは少し様子が違っていた。

 

 古びたソファ。壁際に積まれた漫画雑誌。小さなテーブルの上に置かれた菓子袋とペットボトル。床の一角には折り畳まれた毛布が置かれ、反対側には色鮮やかなクッションや小さな鏡、充電用のコードが無造作に散らばっている。

 

 廃墟の中の、場違いな生活感だった。

 

「あ、王様おかえりー」

 

 少女を迎えたのは、もこもことした部屋着を着た少女だった。ソファに寝転がり、スマホを操作しながら片手をひらひらと振っている。テーブルの上には開封済みの菓子袋が三つ並び、足元には読みかけの雑誌が落ちていた。

 

「……安心院さん、だらしがないですよ」

 

「そんなこと言わないでよ王様ー。ぼくと王様の仲じゃん」

 

「どんな仲ですか……。それにしても、ここへ戻るたびに物が増えている気がするのですが」

 

 少女--王様は部屋の隅に置かれたクッションへ目を向けた。

 

「全部必要だもーん」

 

「ソファがあるのにですか?」

 

「クッションに座りたい時もあるの」

 

「その鏡は?」

 

「女の子には必要でしょ」

 

「…雑誌は?」

 

「暇つぶし」

 

「……お菓子は?」

 

「非常食」

 

 安心院は一切悪びれずに答えた。

 

「非常食なら、今開けてどうするんですか……」

 

 王様は深く息を吐く。

 

「いつの間にか、私の物より貴女の物の方が多くなってしまいましたね」

 

「ちがうよー。王様の物が少なすぎるんだよー」

 

「まったく……なんでこんなところで暮らそうとするんですかね」

 

「だってー、ぼくがいないと王様さみしいでしょ?」

 

「そんなことはありません」

 

「またまたー」

 

 安心院はスマホを置いて身体を起こす。

 

「そーれーにー、ぼくがいなかったら王様、ずっとそこに座ってるだけじゃん。ご飯も適当だし、寝る時も毛布一枚だし」

 

「私は十分満足しています」

 

「ぼくが嫌なの!」

 

 王様は溜息を吐くと、部屋の隅へ歩いていった。

 

 安心院がその背中を目で追う。

 

「……あれ?王様ー、服汚れてるよ」

 

 王様は服の裾を見た。戦闘で舞い上がった土埃がわずかに残っている。

 

「王様が服を汚すなんて珍しいね」

 

「そういうこともありますよ」

 

「ふーん? なんかいつもと違うことでもあった?」

 

「いつもどおりですよ。行って、倒しただけです」

 

「そっかー。というか王様、いつまで変身したままなの?」

 

 言われて、王様は自分の姿を見下ろした。

 

 白いワンピース。細い手足。腰まで伸びたプラチナブロンドの髪。

 

 戦闘中は何も気にならなかった。けれど、こうして生活の場へ戻ってくると、自分の身体ではないような落ち着かなさがあった。

 

「……そうでしたね」

 

 王様は長い髪を軽く払った。

 

「戦いの後は、いつも戻るのを忘れてしまいます。安心院さん、少し目を逸らしていてください」

 

「はーい」

 

 安心院は素直にスマホへ目を戻した。

 

 王様は一度目を伏せる。

 

 次の瞬間、眩い光が少女の身体を包んだ。

 

 白く細い輪郭が、光の中で徐々に大きくなっていく。白いワンピースも光に溶け、黒い作業着へ形を変えていった。華奢だった肩が広がる。細い手足が太く伸びる。腰まであった髪は短くなり、柔らかかった顔の輪郭も厳しいものへ変わっていく。

 

 床が小さく軋む。

 

 光が収まった後、そこに立っていたのは、仁王像のように厳めしい顔をした巨漢だった。身長は二メートル近い。岩のように分厚い身体つきは、黒い作業着の上からでも隠しようがなかった。

 

 先ほどまでの可憐な少女の面影はどこにもない。

 

 彼の名は、金剛乱獅子。

 

 そして、王様と呼ばれる少女の正体だった。

 

 安心院はスマホから顔を上げ、乱獅子を見上げた。

 

「いつ見ても不思議だよねー。なんでこんなにでっかい男の人が、ぼくよりちっちゃい女の子に変わるんだろ」

 

 乱獅子が面倒くさそうに眉を寄せた。

 

「……知るか」

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