魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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第三話

 つむぎが疲労の中、ぼんやりと瓦礫に座り込んでいると、遠くから低い振動音が聞こえてきた。

 

 最初は耳鳴りかと思った。シールドを削る音。空高く打ち上げられた禍群(まがむれ)が破裂した時の轟音。それらがまだ頭の中に残っているのだと考え、つむぎは気に留めなかった。

 

 けれど、その音は次第に大きくなっていく。

 

 バラバラバラ、と空気を激しく叩くような音が、人けのない街に響き渡った。

 

「……ヘリ?」

 

 つむぎが重い頭を持ち上げると、上空を一機のヘリコプターが旋回していた。機体が傾くたび、窓に反射した陽光がちらちらと瞬く。巻き起こされた風が地上まで届き、瓦礫の隙間に溜まっていた土埃を舞い上げた。

 

 つむぎは目に入る砂を避けるように、腕で顔を覆った。

 

『救援のようだ』

 

「よかった……ちゃんと来てくれたんだ」

 

 安堵の息を吐いた直後、ヘリの側面から小さな人影が飛び出した。

 

「えっ?」

 

 落ちてくる。

 

 命綱も、落下傘も見えない。

 

 そう思った時には、その人影はすでに目前まで迫っていた。

 

 地面へ激突する寸前、人影の背中から一対の翼が大きく広がった。黒みがかった羽根が空気を受け止め、落下の勢いが一瞬で消える。

 

 トッ、と。

 

 上空から飛び降りてきたとは思えないほど静かな音を立てて、少女は地面へ降り立った。腰を落とすことすらなく、真っ直ぐに立っている。

 

 鳥のものに似た翼が風を受けてゆっくりと畳まれ、舞い上がった土埃を払うように揺れた。

 

 見たところ、つむぎより三つか四つほど年上だろうか。

 

 少女は着地すると、まず周囲を一瞥した。倒壊した家屋。地面に残された黒い染み。つむぎの周辺に散らばる瓦礫。

 

 その目は鋭く、わずかな異変も見逃すまいとしている。

 

 けれど、つむぎへ向けられた視線には、先ほどの白いワンピースの少女とは異なる温度があった。

 

 少女は腰につけていた無線機を手に取る。

 

「現場に到着。未登録の適応者と思われる少女一名を確認。意識あり」

 

 手短に状況を伝えながら、周囲へ視線を巡らせた。

 

「周辺の禍群反応は消失しています。因子の確認と周辺警戒を継続してください。建物の被害状況についても記録をお願いします」

 

 無線の向こうから短い返答が聞こえた。少女はそれを確認すると無線機を戻し、つむぎの前に膝をついた。

 

「聞こえる?」

 

「はい……」

 

「自分の名前は言える?」

 

「守宮つむぎです」

 

「守宮つむぎさんね」

 

 少女はつむぎの瞳を覗き込み、指を一本立てた。

 

「これは何本に見える?」

 

「一本です」

 

「気分は? 吐き気やめまいはある?」

 

「ちょっとだけ気持ち悪いです。でも、たぶん大丈夫です」

 

「その『たぶん大丈夫』は信用できないのよね」

 

 少女はわずかに眉を下げた。責めるような声音ではない。むしろ、つむぎの強がりなど最初から見抜いているようだった。

 

「私は鳥山スバル。陸上自衛隊東部方面対禍群特別戦闘部隊所属、階級は曹長。分隊長を務めているわ」

 

 スバルはそう名乗ると、つむぎへ手を差し伸べた。

 

「どう? 立てそう?」

 

「はい……たぶん」

 

「だから、その『たぶん』が怖いのよ」

 

 そう言いながらも、スバルは急かさなかった。

 

 つむぎは差し出された手を握った。自分の手が思っていたよりも冷たくなっていることに、その時初めて気づいた。対して、スバルの手は温かかった。

 

 引き起こされるまま立ち上がろうとしたものの、両脚へ体重をかけた瞬間、膝から力が抜けた。

 

「わっ……」

 

「おっと」

 

 倒れかけた身体を、スバルが素早く支えた。

 

「ほら。やっぱり無理してるじゃない」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「謝る必要はないわ。初めての戦闘だったんでしょう?」

 

 つむぎは小さく頷いた。

 

 身体のあちこちが痛む。腕にはまだ痺れが残り、肩をわずかに動かすだけでも鈍い痛みが走る。膝にも力が入りきらず、地面が微かに揺れているように感じた。

 

 それ以上に、頭の中がぼんやりとしていた。自分が本当に生きているのか。先ほどまでの出来事が、現実に起きたことなのか。その境界が曖昧になっている。

 

 スバルはつむぎの肩を支えたまま、静かに話し始めた。

 

「状況の整理から先にさせてもらうわね。守宮さん——あなたは避難命令の発令後、登録も訓練もないまま禍群と交戦して生き延びた。それは事実ね」

 

「はい。結局は私も助けてもらったんですけど……」

 

「少なくとも、あなたが引きつけていた間は禍群の侵食は止まっていたようよ。結果として、貴女のおかげで避難が無事に済んだ可能性はある」

 

 つむぎは少しだけ顔を上げた。

 

 可能性がある。断定ではなかった。それでも、自分がここにいたことが全くの無意味ではなかったのかもしれないと、他の誰かの口から聞けたことは小さな救いだった。

 

「ただし」

 

 スバルの声に、少しだけ硬さが加わった。

 

「結果が良かったからといって、行動の全てが正しかったことにはならないわ」

 

 つむぎは言葉を詰まらせた。

 

「あなたは訓練を受けていない。自分がどんな魔法を使えるのかも把握できていなかった。そんな状態で戦闘に入った。もし何かが違っていたら、今ここでこうして話すこともできなかったのよ」

 

 正しいと思う。反論できなかった。自分でも、あの時の判断が正しかったのかは分からない。ただ、見て見ぬふりができなかっただけだ。

 

「あなたを責めたいわけじゃないの。ただ、事実を事実として受け止めてほしいだけ」

 

「……はい」

 

「分かってくれればいいわ」

 

 スバルは小さく頷き、声音を戻した。

 

「さて、ここからの話をするわね」

 

 スバルはつむぎの肩を支え直した。

 

「あなたは禍群と直接接触している。まず本部で身体の検査をする必要があるの。因子が体内に残っていないか調べなければならないわ」

 

 禍群の因子。

 

 つむぎの脳裏に、透明なシールド越しに見た四つの目が浮かんだ。あの黒いものが自分の身体に残っていたら。腕や脚の内側で蠢いていたら。

 

 想像しただけで背筋が冷たくなった。

 

「それと、もう一つ」

 

 スバルの目がわずかに鋭くなった。

 

「今回のように作戦区域で発見された以上、検査と事情の確認をせずにあなたを帰すことはできないの。未登録のまま妖精と契約している状態では、どんな魔法が使えるのかも分からない。政府としては、確認なしに放置するわけにはいかないのよ」

 

「……つまり、本部に行くしかないってことですか」

 

「同行を拒んだり、魔法を使って抵抗したりすると話はもっと面倒になるわ。今のあなたには、そんなつもりはないでしょうけれど」

 

 スバルの背中に生えた翼が、風を受けてわずかに揺れた。

 

 柔らかい言い方だった。けれど、もし自分が逃げようとしたとしても、この少女から逃れられるとは思えなかった。

 

『つむぎ』

 

 頭の中で妖精の声が響いた。

 

『彼女に悪意はないようだ。同行するのが妥当だろう』

 

「分かってるよ……」

 

 つむぎが小さく呟くと、スバルがわずかに首を傾げた。

 

「妖精と話しているの?」

 

「あ、はい。同行した方がいいって」

 

「賢明な妖精ね」

 

『当然の判断をしたまでだ』

 

「妖精さん、褒められてるよ」

 

『今は無駄話をしている場合ではない』

 

 相変わらず淡々とした返事に、つむぎは少しだけ笑った。するとスバルも、緊張を和らげるように表情を緩めた。

 

「本部に行けば、魔法少女や妖精、禍群についての資料もあるわ。見せられる範囲にはなるけれど。今後のことは、検査と説明を受けてから決めましょう」

 

「本部に行けば、あの白いワンピースの子のことも分かりますか?」

 

 スバルの目がわずかに細くなった。

 

「先ほどあなたを助けたという子?」

 

「はい。名前も聞けなかったんですけど……」

 

「それも含めて、あとで詳しく聞かせてもらうわ。ただし、知りたいことを知れると約束はできない」

 

「……分かりました」

 

 つむぎは少し迷った。けれど、ここに残ったところで何かが分かるわけではない。自分の身体のことも、妖精のことも、魔法少女になったことでこれから何が起きるのかも。

 

 何より、あの少女のことが気になっていた。誰も映していないような、あの冷たい目が頭から離れない。

 

「本部に行きます」

 

「そう。聞き分けがよくて助かるわ」

 

 スバルは小さく頷いた。

 

 その言い方が、つむぎにはどこか子ども扱いされているように聞こえた。

 

「……私のこと、子ども扱いしてませんか?」

 

「あら。私から見れば、十分子どもよ」

 

「スバルさんだって、そんなに歳は変わらないですよね?」

 

「そう見える?」

 

「少なくとも、学生くらいには」

 

 スバルはわずかに笑った。

 

「年齢と階級は別なの、ここではね。私はこれでも曹長よ」

 

「それ、歳の話への答えになってません」

 

「そのうち嫌でも分かるわ」

 

 スバルはそう言うと、上空を旋回しているヘリコプターを見上げた。

 

「じゃあ、あのヘリまで移動するわよ」

 

「どうやってですか?」

 

「飛んで」

 

「……飛んで?」

 

 つむぎはスバルの背中にある翼を見た。

 

 嫌な予感がした。

 

「私が運ぶから、しっかりつかまっていなさい」

 

「えっ、ちょっと待ってください。私、高いところは……」

 

 言い終わるより先に、スバルがつむぎの背中と膝裏へ腕を回した。

 

「えっ」

 

 身体が軽々と持ち上げられる。つむぎは何が起きたのか理解するまでに一瞬かかった。

 

 横抱きにされている。

 

「ス、スバルさん!?」

 

「今のあなたを背負うのは危ないもの」

 

「でも、これはちょっと恥ずかしいというか……!」

 

「落ちるよりはいいでしょう?」

 

 正論だった。

 

 反論する間もなく、スバルの翼が大きく広がった。

 

「私の首に腕を回して。絶対に離さないでね」

 

「は、はい!」

 

 つむぎは慌ててスバルへしがみついた。

 

 次の瞬間、翼が空気を大きく打った。

 

 足元の瓦礫から砂埃が弾ける。身体がふわりと浮き上がり、内臓が置き去りにされたような感覚がした。

 

「ひゃあっ!」

 

「こら、暴れないの」

 

 風が顔に当たる。地面が急速に遠ざかっていく。壊れた家屋も、道路も、先ほど自分が座っていた瓦礫も、みるみるうちに小さくなった。

 

 つむぎは下を見てしまい、慌ててスバルの肩へ顔を埋めた。

 

「あら、高いの苦手だったかしら?」

 

「もっと苦手になりました!」

 

「そうなの? 次からは先に言ってちょうだい」

 

「言う前に飛んだのはスバルさんです!」

 

「それもそうね」

 

 スバルがわずかに笑った。

 

 翼は何度も大きく羽ばたいている。けれど、飛行そのものは驚くほど安定していた。

 

 やがてヘリの側面が近づいてくる。開け放たれた扉の内側で、隊員が手を伸ばして待っていた。

 

「収容する!」

 

 スバルは速度を落とし、機体と並ぶように飛んだ。つむぎを隊員へ預け、自分も翼を畳みながら機内へ入る。

 

 つむぎが床へ足をつけると、膝がまた震えた。

 

「こちらへ」

 

 迷彩服を着た隊員に促され、壁際の座席へ座った。

 

 機内には三人の隊員がいた。窓の外や計器を確認する者、端末へ何かを入力する者、医療用と思われる鞄を開いている者。誰も大声を上げていない。それでも全員が手際よく動き、互いに短い言葉を交わしていた。

 

 つむぎが座ると、すぐに年配の女性隊員が近づいてきた。

 

「腕を見せて」

 

「はい」

 

 袖を捲られ、簡単な触診を受ける。触れられるたびに痛みが走り、つむぎは顔をしかめた。

 

「……骨折はなさそうね。詳しくは本部で検査します。痛みが強くなったら、すぐに言って」

 

「分かりました」

 

 腕へ簡単な固定具が巻かれる。それだけでも、不思議と少し安心した。

 

 戦っている時は、自分の身体を気遣う余裕などなかった。誰かが治そうとしてくれている。その事実が、ようやく自分は助かったのだと教えてくれるようだった。

 

 処置が終わると、スバルが向かいの座席へ腰を下ろした。その手には黒い布が握られている。

 

「一応、本部の場所は機密なの。悪いのだけど、これをつけてくれるかしら」

 

「目隠しですか?」

 

「ええ。正式に所属すれば必要なくなるけれど、今のあなたはまだ部外者という扱いだから」

 

 つむぎは黒い布を受け取った。少しだけ迷ってから、目元へ当てる。

 

 視界が黒く閉ざされた。

 

 その瞬間、ヘリの音が急に大きく聞こえた。回転翼が空気を叩く音。隊員たちが交わす声。金属の床から伝わってくる振動。

 

 機体がゆっくりと傾き、座席へ身体が押しつけられた。

 

 どこへ連れていかれるのか分からない。

 

 検査が終わったら、どうなるのだろう。家に帰れるのだろうか。それとも、このまま——。

 

 父と母には、何と説明すればいいのだろう。学校はどうなるのだろう。友達には何と言えばいいのだろう。

 

 考えなければならないことが、次から次へと浮かんでくる。

 

 その中に、白いワンピースの少女の姿が混ざった。

 

 十メートル近い禍群を、まるでボールのように蹴り上げた少女。誰も映していない瞳。ただ事実を告げるだけだった声。

 

 あの子は、どこへ行ったのだろう。

 

 どうして、あんな目をしていたのだろう。

 

 もう一度会えるだろうか。

 

 つむぎは考え続けようとした。けれど、身体は限界を迎えていた。

 

 ヘリの振動が、揺りかごのように感じられる。座席へ沈み込んだ身体から少しずつ力が抜けていく。

 

『眠るといい』

 

 妖精の声が、頭の中に静かに響いた。

 

「でも……」

 

『目的地へ到着すれば起こす。今は肉体の回復を優先すべきだ』

 

「……うん」

 

 つむぎは小さく頷いた。

 

 瞼の裏に青い空が浮かぶ。続いて、風に揺れるプラチナブロンドの髪。

 

 最後に浮かんだのは、あの少女の冷たい瞳だった。

 

 それを最後に、つむぎの意識はゆっくりと沈んでいった。

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