魔法少女と廃墟の王様 作:マチュピチュ
『つむぎ。目的地に到着した』
頭の中で妖精の声が響き、つむぎは重い瞼を開けた。
最初に気づいたのは、ヘリの振動が止まっていることだった。回転翼が惰性で回る低い音と、機外から聞こえる足音。
「起きたかしら」
スバルの声がした。つむぎは目隠しの下で瞬きをした。視界は黒いままだ。
「降りるわよ。もう少しだけ、その目隠しはつけていて」
「はい……」
スバルに支えられて機体を降りる。足元に固い地面の感触があった。ヘリの風が背中を押し、髪が乱れる。
促されるまま数十歩ほど歩いた。やがてヘリの風が遠ざかり、足音が固い壁に反響し始めた。屋内に入ったらしい。
「もういいわ。外して」
つむぎは目隠しを外した。
広いコンクリートの空間だった。天井が高く、壁際には物資や機材が並んでいる。格納庫のような場所だ。
スバルに促されて格納庫の出口へ向かう。大きな扉を抜けた瞬間、つむぎは足を止めた。
目の前に広がっていたのは、街だった。
通りがある。建物が並んでいる。看板が出ている。遠くには校舎のような建物も見えた。
「ここが……本部?」
「東部方面対
スバルはつむぎの反応を見て、わずかに口元を緩めた。
「街みたいって思ったでしょう?」
「はい。てっきり、もっと……」
「殺風景な場所だと思った?」
つむぎは頷いた。
「ここには学校も娯楽施設もあるわ。できるだけ普通の生活に近づけるためにね」
普通の生活。その言葉に違和感を覚えたのは、通りを歩く少女たちの姿が目に入ったからだった。
制服姿の子もいれば、訓練着を着た子もいる。笑いながら何かを話している子もいた。どこかの学校の昼休みのようにも見える。
けれど、壁には避難経路を示す矢印が貼られ、すれ違う少女たちの何人かは腰に小さな装備をつけていた。
日常と戦場が、一つの街の中に重なっている。
「スバルさん、おかえりなさい」
通りを歩いていると、訓練着を着た少女が足を止めた。額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
「ただいま。午後の訓練は?」
「このあと射撃です。……あの、昨日の件なんですけど」
少女はそう言いかけて、つむぎの方をちらりと見た。
スバルは責めるでも急かすでもなく、穏やかに頷く。
「あとで宿舎に顔を出すわ。夕食前でいい?」
「はい」
少女はそれだけで安心したように表情を緩め、頭を下げると訓練場の方へ戻っていった。
短いやり取りだった。けれど、つむぎにはその声が、ただ上官に報告するものには聞こえなかった。困った時に頼れる相手を見つけた時の声だった。
「さ、医務室へ行きましょう。検査の準備ができているわ」
◇
医務室で、つむぎは変身を解いて元の姿に戻った。
検査はつむぎが想像していたよりも長かった。採血。身体の表面の傷の確認。大きな筒状の機械に入っての全身検査。目や耳の反応。禍群の因子が残っていないかを調べるためだと説明されたが、何をされているのか、つむぎにはほとんど分からなかった。
「はい、お疲れ様でした。これで検査は終了です」
「ありがとうございました」
つむぎが頭を下げると、検査を担当した女性の医務官は穏やかに微笑んだ。
「今のところ、禍群因子の侵入は確認されていません。骨折や内臓の損傷もなさそうです」
「よかった……」
「ただし、強い疲労と複数箇所の打撲があります。特に両腕はかなり負担がかかっていますから、しばらく無理に動かさないでください」
安堵したつむぎに、医務官はそれだけ念を押すと、入口のそばに立っていたスバルへ視線を向けた。スバルはいつの間にか小脇に資料の束を抱えている。検査の間に取りに行っていたのだろう。
「鳥山曹長。詳しい結果は後ほど送りますが、緊急性のある異常はありません」
「ありがとうございます」
医務官が部屋を出ていくと、スバルはベッド脇の椅子を引いて腰を下ろした。
灰色の表紙がついた厚みのある冊子を、小さなテーブルの上に置く。表紙には事務的な書体で題名が印字されていた。
対禍群特別戦闘部隊
新規適応者向け基礎資料
自分のために作られた資料ではない。これまでにも何人もの子どもが同じものを渡され、同じようにこの表紙を見てきたのだろう。
「まずは読んでみて。分からないことがあったら説明するから」
スバルに促され、つむぎは最初のページを開いた。
禍群。
人間世界に発生する異質な侵食存在。建物、土地、生物に取りつき、対象を溶解、吸収、同化する性質を持つ。身体を構成する物質は魔力による干渉を受けることで分解を起こす。そのため、完全な排除には魔法少女の魔力が必要とされる。
また、禍群は魔力を持つ存在に強く反応し、通常の人間や動物よりも魔法少女を優先して襲う傾向がある。
「溶解、吸収、同化……」
つむぎは無意識にその言葉を読み上げていた。
シールド越しに見た四つの目がよみがえる。殺されるだけではなかったのかもしれない。肉体を溶かされ、吸収され、死んだ後まであの一部にされていたのかもしれない。
呼吸が浅くなった。
「守宮さん、大丈夫?」
「……はい。大丈夫です」
口から出たのは、いつもの言葉だった。けれど、ここで資料を閉じてしまえば何も分からないままだ。
つむぎは震えそうになる指先を押さえ、続きを読み進めた。
未登録の魔法少女については、状況に応じて保護および行動制限の対象となる。
避難命令下の区域に無許可で残留した者は、原則として保護および退去措置の対象となる。故意または悪質な違反と認められた場合は、事情聴取が行われる。
「私って、やっぱり怒られるんですか……?」
「少なくとも事情を聞かれることにはなるでしょうね。ただ、今回はまだ調査が終わっていないから、何とも言えないわ」
つむぎは俯いた。街を守りたかった。けれど、力の使い方を誤れば、自分も被害を生む側になっていたのかもしれない。
「その気持ちは決して悪いものじゃないわ。ただ、気持ちだけでは守れないものもある。知識が必要になる。訓練も。誰かと協力することもね」
スバルは次のページを開くよう促した。
「だからこそ、私たちがあるのよ」
ページの上部には「対禍群特別戦闘部隊」という文字が記されていた。
その下には、制度の説明が並んでいる。
所属する魔法少女には、住居、教育、医療、給与、任務に必要な装備が支給される。
義務教育を終えていない者については、施設内の教育課程を受ける権利が保障される。
退役後は、希望する職業への斡旋および社会復帰支援が行われる。
個々の能力に応じた訓練プログラムにより、戦闘技術と自己管理能力の向上を図る。
本人の意思を尊重した進路選択を基本とする。
つむぎはゆっくりとその文章を読んだ。
住居。教育。医療。給与。訓練。斡旋。意思の尊重。
どの言葉も整っていた。丁寧に書かれ、問題がないように見える。
スバルは窓の外へ目を向けた。医務室の窓からは、敷地内を歩く少女たちの姿が見える。制服姿の子。訓練着を着た子。笑いながら何かを話している子。
「ここで暮らしている子たちは、勉強をして、遊んで、訓練を受けて、任務に出るの」
スバルの声は落ち着いていた。
「生活は保障される。でも、それはここで戦うことと引き換えよ」
つむぎは頷いた。
「さて、ここからが大事な話よ。あなたには今、二つの選択肢がある」
スバルはつむぎに向き直った。
「一つ目。妖精との契約を解除して、元の生活に戻る。妖精側が同意すれば可能よ。あなたは登録もされていないから、手続きもそれほど複雑ではないわ」
「もう一つは……」
「対禍特戦隊に所属すること。魔法少女として正式に登録され、訓練を受け、任務に就く」
つむぎは膝の上に置いた手を見つめた。
「今すぐじゃなくてもいいわ。ただ、どちらを選ぶにしても、検査と事情聴取が終わるまではここにいてもらうことになるの」
「……はい」
「最初から全部受け入れる必要はないわ。疑問に思ったことがあれば、何でも聞いてちょうだい」
つむぎはもう一度、資料に目を落とした。
整った言葉が並んでいる。保障。支援。尊重。訓練。能力に応じた。本人の意思。
どれも優しい言葉だった。
けれど、つむぎは読み進めるほど、奇妙な感覚を覚えていた。
禍群と戦えば怪我をする。死ぬこともあるかもしれない。資料には禍群の性質も、魔法少女を優先的に襲うことも書かれていた。
なのに、その先がない。
怪我をしたらどうなるのかは書かれている。けれど、死んだらどうなるのかは書かれていない。
任務を拒否できるのかどうかも、命令に逆らった時に何が起こるのかも、家族のもとへどれだけ帰れるのかも。
そして何より——妖精との契約を人間の側から解除できるのかどうか、具体的な手順はどこにも書かれていなかった。
つむぎは手を止めた。
整った言葉の隙間に、書かれていないものがある。
それは、つむぎがまだ言葉にできないほど漠然としたものだったけれど、胸の奥にわだかまりのように残った。
窓の外では、少女たちが笑っている。
訓練着のまま水筒を抱えている子。誰かに手を振りながら通りを走っていく子。
あの子たちは、この資料を読んだのだろうか。書かれていないことに気づいたのだろうか。それとも——気づいた上で、ここにいるのだろうか。
つむぎはしばらく黙った末に、スバルを見た。
「……魔法少女って、いったい何なんですか」