魔法少女と廃墟の王様 作:マチュピチュ
「文字通りの意味……ってそういうことを聞きたいんじゃないのよね」
スバルは苦笑しながら、資料の該当ページを開いて見せた。
魔法少女とは、妖精との契約によって同化し、戦闘形態へ移行できる人間を指す。妖精と同化するには、一定以上の適応能力が必要となる。契約の成立後に発現する魔法は、契約者本人の内面と、妖精の性質の双方に影響される。
「適応能力は授業で習いました。妖精と同化するために必要な資質で、高いほど魔法少女に向いているって。でも、選ばれるっていうのは……」
「授業で教わったのは概要だけでしょうから、もう少し詳しく話すわね。適応能力は健康診断の一項目として定期的に計測しているの。本来であれば、一定以上の値を出した子とその親を対象に、政府から説明のための人員が派遣されるわ」
スバルは一度、そこで言葉を切った。
「でも、あなたのように計測後に急激に適応能力が上昇する子もいるの」
「急激に上昇……それって、前の検査では引っかからなかったってことですか?」
「そういうことになるわね。原因は分かっていない。だから今回のように、事前の説明がないまま妖精と契約してしまうケースが稀に起こるの」
つむぎは自分の手を見た。昨日までただの中学一年生だった手だ。その手に、いつの間にか魔力が宿っている。
「そして——」
スバルが目を閉じ、静かに息を吐いた。
すると、スバルの身体から小さな生き物が浮かび上がった。
鳥のような姿をしている。羽根の輪郭は淡く光り、けれどその姿はどこかぬいぐるみのようにも見えた。
「これが、私が契約している妖精よ。この子に選ばれたから、私は今魔法少女として活動できているの」
小さな鳥は胸を張るように羽を広げた。
「初めまして、守宮つむぎ君。僕はスバルと契約している妖精だ。気軽にピーちゃんとでも呼んでくれたまえ」
「ちょっと。恥ずかしいから、あまりその名前を出さないでって言ってるでしょ」
スバルの頬がわずかに赤くなった。
「何をそんなに恥ずかしがるんだい? 僕は幼い君から貰ったピーちゃんという名前をとても気に入っているのだが」
「小さかったんだからしょうがないでしょ……。あの頃は鳥の名前なんて、ピーちゃんくらいしか思いつかなかったの」
「つむぎ君、聞いてくれたまえよ。この子は昔、一人で眠れないと言って、わざわざ僕との同化を解除してまで同じベッドで寝ていたんだ」
「こら」
スバルはピーちゃんを片手で掴んだ。頬は赤いままだったが、声は落ち着いていた。
「……もういいでしょ。戻りなさい」
ピーちゃんはやれやれと言うかのように首を振ると、そのままスバルの身体へ溶けるように消えていった。
「あはは……仲が良いんですね」
つむぎが笑うと、スバルはコホンと咳払いした。
「まあ、もう十年以上の仲だからね」
「十年以上? そういえばさっきは誤魔化されちゃいましたけど、スバルさんって今おいくつなんですか……?」
「今年で十六よ。四歳であいつと契約したから、もう十二年の付き合いになるのかしら」
スバルはそう言って、少しだけ遠くを見た。
「そう考えると、ほとんど家族みたいなものなのかもしれないわね」
その言葉は冗談のようでもあり、本気のようでもあった。
つむぎは返事に迷った。ただ、やはりここは普通とは違うのだと改めて思った。
「それはともかく」
スバルは気を取り直すように、つむぎへ視線を戻した。
「あなたにも妖精がいるでしょう。変身していない状態で、外に出してもらえる?」
「出す……って、どうすればいいんですか?」
「胸の奥にある熱を、外へ押し出すように意識してみて。力を入れすぎなくていいから」
「やってみます。……んっ」
つむぎが胸の奥へ意識を集中させると、そこから何かがすっと抜けるような感覚があった。
次の瞬間、つむぎの前に妖精が浮かび上がった。
それは正八面体の結晶の内部に、球体が浮かんでいるような姿をしていた。鳥や獣とは違う。生き物というより、幾何学模様がそのまま意思を持ったような姿だった。
「妖精さん、こんな姿してたんだ……」
つむぎが自身が契約した妖精の姿に驚いているのを気にせずに、妖精さんとスバルは話しはじめる。
「あなたが、守宮さんと契約した妖精ね」
「その通りだ。彼のように名前はないが、つむぎからは妖精さんと呼ばれている」
「じゃあ、ひとまず守宮さんにならって、妖精さんと呼ばせてもらうわね」
「ああ、それで構わない」
妖精さんの声は、相変わらず落ち着いていた。
スバルは少し表情を引き締めた。
「さて、早速だけど。あなたは守宮さんとの契約を解除する気はあるかしら? あなたが契約を解除してくれれば、守宮さんは普通の生活に戻れるわ」
「それについては、私はつむぎの意思を優先させてもらう」
妖精さんは迷わず答えた。
「偶然とはいえ、私の声に真っ先に応えたのは、つむぎだからな。もう戦いたくないと言うのであれば、つむぎとの契約は解除しよう。その後は、新たな契約者を探す必要がある。その際は君たちの管理下へ入るのが合理的だと判断する」
スバルはつむぎへ視線を戻した。
「ですって。どうする、守宮さん?」
「私が……」
「契約を解除できるのは妖精だけよ。私たちにも、守宮さん自身にも、無理に解除させることはできない」
スバルは妖精さんを一度見てから、つむぎへ視線を戻した。
「でも、この子はあなたの意思を尊重すると言っている。だから今回は、あなたが選べるわ」
選択。
また、その言葉が出てきた。
魔法少女をやめて、昨日までの生活へ戻るか。
契約を続け、これからも禍群と関わっていくのか。
「……スバルさん。一つ聞いてもいいですか」
「何でも聞いて」
「私、どうしてあの時、逃げなかったんでしょう」
スバルは少しだけ目を細めた。
「それは、私に聞くことかしら」
「分かりません。でも、怖かったんです。本当はずっと逃げたかった。なのに、家が呑まれていくのを見たら、身体が勝手に動いて」
つむぎは膝の上で手を握った。
あの重さ。シールドを削る音。焦げたような匂い。
目を閉じれば、今でもすぐに思い出せる。
「もう二度とあんな思いはしたくないです。でも、次に同じことが起きたら、何もしないでいられるのかも分からなくて」
スバルは急かさず、つむぎの言葉を待っていた。
「戦いたいのか、戦いたくないのか、自分でも分からないんです」
「それでいいのよ」
「いいんですか?」
「昨日死にかけたばかりなのに、すぐに答えを出せる方が不自然でしょう」
スバルは静かに言った。
「怖いと思うことも、誰かを放っておけないと思うことも、どちらも守宮さんの気持ちよ。今は、無理に一つへ決めなくていい」
つむぎは俯いた。
見て見ぬふりをしたくなかった気持ちは、今も胸の中に残っている。
けれど、それだけで家族も、学校も、昨日までの生活も置いていけるわけではなかった。
「……もう少し、考えたいです」
「ええ。そのための時間はあるわ」
つむぎは小さく息を吐いた。
「それと、もう一つ聞いてもいいですか」
「何?」
「あの白いワンピースの子のこと、スバルさんは何か知っていますか?」
スバルの表情がわずかに変わった。柔らかさが消え、慎重な目になる。
「貴女が助けてもらったという子ね?」
「はい。助けてもらったのに、名前も聞けなくて。もう一度会えたら、ちゃんとお礼が言いたいんです」
「……あの子については、正直なところ、私たちもよく分かっていないの」
スバルは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「身元は分かっていない。少なくとも、登録された魔法少女ではないわ。目撃情報はいくつかあるけれど、接触に成功したことはない」
「そうなんですか……」
「あなたのように間近で見たという報告自体が珍しいの。だから、あとで詳しく聞かせてもらうことになると思うわ」
つむぎは小さく頷いた。
あの少女のことは、スバルにも分からない。
どこにも属さず、正体も分からないまま、一人で禍群と戦っているらしい。
誰も映していないような、冷たい瞳。助けてくれたのに、名前も告げずに消えていった。
あの子は、いつも一人で戦っているのだろうか。
「今日はもう休みなさい。部屋を用意してあるから、案内するわ」
「ありがとうございます」
つむぎはベッドから降りた。両腕にはまだ鈍い痛みが残っていたけれど、さっきよりは少しだけ足に力が入る。
医務室を出ると、夕暮れの空が目に入った。
茜色と紫が混ざった空の下で、本部の街は静かに灯りを灯し始めている。制服姿の少女が、誰かに手を振りながら通りを走っていった。
この街で暮らしている子たちは、それぞれの理由でここにいるのだろう。
それに比べて、自分はいったいどうしたいのだろう。
つむぎはスバルの後を歩きながら考えた。
もう二度と戦いたくない。
けれど、次に誰かが困っていた時、何もしないまま逃げられる自信もなかった。
それから、あの子にもう一度会いたい。
ちゃんと礼を言って、名前を聞きたい。
どうしてあんな目をしていたのか、知りたい。
どの気持ちも、まだ答えにはならなかった。
それでも、逃げたい気持ちだけではなかった。