魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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閑話1

 廃ビルの一室。

 

 乱獅子は壁を背に座っていた。膝に肘を置き、何をするでもなく、ただじっとしている。

 

 割れた窓から朝の陽射しが差し込み、埃が光の中を漂っていた。

 

 安心院はソファに寝転がったまま、スマホをいじっている。

 

 階段を上がってくる足音がした。ゆっくりとした、少し不安定な足取り。

 

「乱ちゃーん、いるかい?」

 

 ベニヤ板の向こうから、しわがれた声が聞こえた。

 

 安心院がソファから起き上がる。

 

「千代さーん。いるよー。王様、千代さん来たよ」

 

「聞こえている」

 

 乱獅子は立ち上がり、ベニヤ板を押しのけた。

 

 廊下には、日除け帽を被った老婆が立っていた。小さな身体の前で、空の籠を両手に抱えている。

 

「悪いんだけどねぇ、今日も畑を手伝ってくれないかい? 奥の畝がどうにも硬くて、あたしの力じゃ鍬が入らないのよ」

 

「……ああ」

 

 乱獅子は短く答えて向かおうとする。理由を尋ねることも、自分の予定を確認することもなかった。

 

「あ、ちょっと待ってよ、ぼくも行くー!」

 

 安心院は脱いだ服をまき散らしながらも急いで着替えると、サンダルを引っかけて、二人の間へ飛び出した。

 

「あら、安心院ちゃんも来てくれるの? 嬉しいわぁ」

 

「えへへ。千代さん、今日もラムネある?」

 

「もちろんあるわよ」

 

「やったー!」

 

 乱獅子は千代の歩調に合わせ、廃ビルの階段を下り始めた。千代が先を歩き、安心院がその横で話し続ける。乱獅子は二人の後ろを、黙ってついていった。

 

 

 ◇

 

 

 太陽が真上に近い。

 

 畑の土は乾いていて、鍬を入れるたびに小さく砂埃が舞った。乱獅子はひたすら畝を起こしていく。額に汗も浮かべず、その動きは鈍らない。硬い土を鍬が割り、ひっくり返された地面から湿った匂いが立ち上る。

 

 安心院はというと、最初の十分だけ草むしりを手伝い、その後は千代のそばに座り込んで話し相手をしていた。

 

「千代さんってさ、王様のことずっと前から知ってるの?」

 

「そうねぇ。もう何年になるかしら。最初はね、気づいたらうちの畑の前に立ってたのよ」

 

「立ってた?」

 

「そう。大きな身体で、怖い顔してじーっと畑を見ていてね。冗談で草むしりを手伝ってくれるのかい?って聞いたけど何も言わないの」

 

 安心院は吹き出した。

 

「王様っぽいー」

 

「だけどねぇ、気がついたら勝手に草むしりを始めていて。お礼にお茶を出したら、次の日もまた来たの」

 

「へえー。それ、ぼくが王様と出会うよりだいぶ前だね」

 

「かもしれないねぇ。あの頃は安心院ちゃんもいなかったし、乱ちゃんはいつも一人だったわ」

 

 安心院は畑で黙々と鍬を振る乱獅子の背中を見た。

 

「千代さんは怖くなかった?」

 

「怖い? 乱ちゃんが?」

 

 千代は不思議そうに首を傾げた。

 

「顔は怖いけれど、……目がねぇ。昔からたまにいるのよ、ああいう子は」

 

 安心院はその言葉を聞いて、少しだけ黙った。

 

「安心院ちゃんも同じでしょう?」

 

「んー。どうなんだろ?ぼくはなんというかほっとけなかったっていうか?」

 

「ふふ、そうなのね」

 

 千代は穏やかに笑った。

 

「笑わないでよー。それで。畑の手伝いも千代さんが頼んだの?」

 

「どうだったかしらねぇ。『畑が大変だ』とは言ったけど、手伝ってとは言ってなかったと思うわ。でも次の日に、黙って畑に来てたの。鍬を持って、一人で耕し始めてね」

 

 安心院は少しだけ笑った。

 

「……ぼくもね、王様に出会った時そうだったんだ」

 

「そうなの?」

 

「ぼくが話しかけて、ぼくがついて行って、ぼくが居座った。王様は一回も『来い』って言ったことないの。だまってぼくのこと置いてくれるの」

 

「あら。乱ちゃんらしいわねぇ」

 

 安心院は乱獅子の背中を見つめた。

 

 自分から人の輪に入ろうとはしない。けれど、困っていると知れば何も言わずに手を貸す。そういう人だった。

 

「ふえー、王様、ぼくもう疲れたー……」

 

 安心院は突然立ち上がり、畑の端まで走って乱獅子にじゃれついた。千代の前で妙に真面目な空気になりそうだったのが気恥ずかしかったのかもしれない。

 

「お前は何もしていないだろうが」

 

「心では頑張ってたもん」

 

「まあまあ乱ちゃん、休憩にしましょう?」

 

 千代が声をかけると乱獅子は鍬を止めた。千代に言われると断らない。

 

 乱獅子と安心院が縁側に腰を下ろすと、千代は二人にラムネの瓶を渡す。

 

「やったー、千代さん大好きー! 王様、早く飲もうよー」

 

「少しは遠慮をしろ」

 

「いいのよ、乱ちゃん。この歳になると安心院ちゃんみたいに素直な子が一番可愛いのよ」

 

「えー、ほんと?ね、ね、王様、ぼく可愛いって。王様もぼくのこと可愛い?」

 

 安心院は乱獅子の腕に抱きついて尋ねる。

 

「暑苦しい」

 

 そう言って乱獅子は安心院を引きはがすと一息でラムネを飲み干して立ち上がる。

 

「休憩は終いだ」

 

「まったく恥ずかしがっちゃって。安心院ちゃんだけじゃなく、乱ちゃんのそういうところも可愛いのよ?」

 

「だよねー!……コホッ、コホッ」

 

 安心院は乱獅子の真似をして一息でラムネを飲み干そうとしたが、炭酸にやられて咳き込み、口元からラムネをこぼした。

 

「あらあら、大丈夫?」

 

 乱獅子は安心院を一瞥し、黙って自分のタオルを差し出した。

 

「あ、ありがとー王様」

 

 安心院はタオルで口元を拭きながら笑った。

 

 畑仕事が一段落した頃には太陽も少しだけ傾き始めていた。それでも空気にはまだ熱が残っていて、土の匂いと草の匂いが混ざっている。

 

 千代が縁側の方から小さな籠を持ってきた。中には採れたばかりの野菜がいくつか入っている。

 

「乱ちゃん、悪いんだけどね。これ、帰りに商店街の辰巳さんのところへ届けてくれないかい?」

 

「魚屋か」

 

「そうそう。昨日、お魚サービスしてもらったお礼にね」

 

「分かった」

 

 乱獅子は短く答え、籠を受け取った。

 

 その横から安心院がひょいと籠の中を覗き込む。

 

「おつかいだ。いいねー、王様。おつかい終わったらさ、帰りに駄菓子屋寄ろうよ」

 

「寄らん」

 

「えー。頑張って畑仕事したのにー」

 

「ほとんど休んでいただろうが」

 

 安心院が胸を張ると、乱獅子は呆れたように息を吐いた。

 

 千代はそれを見て、くすくすと笑う。

 

「あらあら。じゃあ安心院ちゃんには、これもあげようね」

 

 そう言って、千代は小さな紙袋を安心院へ手渡した。中を見た安心院の顔がぱっと明るくなる。

 

「飴だ! 千代さん、ほんと大好きー!」

 

「乱ちゃんにもあとで分けてあげてね」

 

「はーい。王様、あとで一個あげるね」

 

「いらん」

 

「あ、そーいうこと言うんだ? じゃあぼくが全部食べちゃうもんねー」

 

 

 ◇

 

 

 畑を抜けると、細い道の先に小さな商店街が見えてくる。

 

 昔ながらの店が並ぶ、静かな通りだった。シャッターの下りた店も多い。けれど、開いている店の前には野菜の箱や花の鉢が置かれ、どこか人の気配が残っている。

 

 乱獅子が通りへ入ると、八百屋の前にいた男が顔を上げた。

 

「お、乱じゃねぇか。ちょうどよかった。裏のシャッターが下がりっぱなしで動かなくなっちまってなあ。すまんが、見てくれねぇか?」

 

 乱獅子は籠を安心院へ預け、店の裏手へ回った。

 

 錆びたシャッターの前でしゃがみ込み、下部のレールに噛んだ石を取り除く。こびりついた錆を削り落としてから、シャッターの下端をゆっくりと持ち上げた。

 

 金属が軋み、止まっていたシャッターが動き出す。

 

「おお、動いた。いつもすまねぇなあ」

 

「レールの掃除はしておけ」

 

「はいよ」

 

 表通りへ戻ると、向かいの金物屋の女将が声をかけてきた。

 

「あら、乱ちゃん。ちょうどよかった。うちの棚が傾いちゃって。今度、見てもらえないかしら」

 

「……ああ」

 

 その隣を通り過ぎようとすると、今度は豆腐屋の主人が店から出てきた。

 

「乱、明日の朝、配達を手伝ってくれないか? 今朝、腰をやっちまってなあ」

 

「何時だ」

 

「朝六時。すまんな」

 

「分かった」

 

 安心院は、預かった籠を抱えたまま、にやにやと笑っていた。

 

「王様、ほんと断んないよねー」

 

「……」

 

「ここに来ると、ずっと頼まれてるじゃん」

 

「それに、ここだと王様じゃなくて乱だしー」

 

「王様なんて呼んでるのはお前だけだ」

 

「なら、ぼくも乱ちゃんって呼んだ方がいーい?」

 

 乱獅子はちらりと安心院を見る。安心院は笑っていたが、その声はいつもより少しだけ柔らかかった。

 

「好きにしろ」

 

 乱獅子はそれだけ言って、また歩き出した。

 

 魚屋の前に着くと、奥から年配の男が顔を出した。

 

「おお、乱坊。千代さんからか」

 

「ああ」

 

 乱獅子は籠を差し出す。男は中身を確認すると、満足そうに頷いた。

 

「ありがとな」

 

「別に」

 

「本当に無愛想だなあ、お前は」

 

 男はそう言いながらも、どこか楽しげだった。

 

 安心院が横から口を挟む。

 

「王様はねー、顔が怖いだけで優しいんだよ」

 

「余計なことを言うな」

 

「いいじゃん。本当のことだし」

 

 魚屋の男は豪快に笑った。

 

「そうかそうか。じゃあ優しい王様にはこれを献上してやろう」

 

 そう言って、男は店先に置いてあった小さな袋を乱獅子に渡した。

 

「何だ」

 

「コロッケだよ。昼飯代わりに肉屋んとこで買ったんだが、食うタイミングがなくてな。揚げたてじゃないが、まだうまいぞ」

 

「金は」

 

「いらんいらん。野菜の礼だ」

 

 乱獅子は少しだけ黙ったあと、低く言った。

 

「……すまん」

 

「おう。また来いよ」

 

 乱獅子は軽く頭を下げ、袋を持って店を離れる。

 

 安心院は隣で目を輝かせていた。

 

「王様ずるーい、ぼくにも半分ちょうだい?」

 

「飴があるだろう」

 

「しょっぱいのも欲しい」

 

「わがままを言うな」

 

「じゃあ飴あげるから」

 

 安心院が紙袋から飴を一つ取り出して差し出す。乱獅子は受け取らなかった。

 

 そのまま何歩か歩いたあと、乱獅子は袋からコロッケを一つ取り出し、黙って安心院へ渡した。

 

 安心院は一瞬きょとんとして、それから嬉しそうに笑った。

 

「…やっぱり王様は優しいね!」

 

「黙って食え」

 

「はーい」

 

 安心院はコロッケを両手で持ち、小さくかじった。商店街の通りを歩きながら食べる揚げ物は、冷めていてもどこかほっとする味がした。

 

「んー、おいしー! ほら、王様も食べなよ」

 

「ああ」

 

 乱獅子は残りのコロッケを一つ取り出し、二口で食べた。

 

 二人は並んで歩く。背丈が全く違う二人組。巨漢の青年と、その腰ほどの高さしかない少女。商店街の人々はそれを見慣れているのか、微笑ましそうに見送るだけだった。

 

 通りの向こうで、子どもたちがボール遊びをしていた。その中の一人がこちらに気づいて手を振る。

 

「乱にーちゃーん!」

 

 乱獅子は小さく片手を上げた。それだけだった。自分から声をかけることはしない。けれど、呼ばれたことを無視もしない。

 

「王様、にーちゃんだって」

 

「……うるさい」

 

 安心院はくすくすと笑いながら、乱獅子の腕にしがみついた。乱獅子は振り払わなかった。

 

 

 ◇

 

 

 商店街を抜けると、夕暮れが近づいていた。

 

 空が茜色に染まり始め、遠くのビルの輪郭が黒く浮かび上がる。商店街から続く帰り道は、街灯もまばらな細い一本道だった。

 

 歩いていると安心院の足取りが次第に遅くなる。

 

「うー、足痛い……」

 

「サンダルで来るからだ」

 

「だって急いでたんだもん。王様が先に行こうとするからー!」

 

「待てと言われなかった」

 

「……むー!」

 

 安心院は立ち止まり、片足のサンダルを脱いだ。足の裏が赤くなっている。

 

 乱獅子は赤くなった足の裏を一度見てから、安心院へ背を向けてしゃがんだ。

 

「え?」

 

「乗れ」

 

 その言葉に安心院は笑顔で背中へ飛び乗る。

 

「やったー! おんぶー!」

 

 乱獅子はゆっくりと立ち上がり歩き出す。

 

「暴れるな」

 

「王様、今日は疲れたねー」

 

「体力が足りない。もっと動け」

 

「考えとくー」

 

 まるで親に甘える子どものように、安心院は乱獅子の肩に顔を埋める。

 

 夕日に照らされた道を、乱獅子はゆっくりと歩いていた。二人の影が長く伸びている。

 

 乱獅子はしばらく黙って歩いていたが、やがて低い声で呟いた。

 

「……安心院」

 

「なーに、王様?」

 

「汗くさいぞ」

 

「はぁ!? 信じられない! 王様、デリカシー!」

 

 安心院は顔を真っ赤にして乱獅子の背を叩く。しかし、巌のような背中はびくともしない。

 

「もー! おーろーしーてー!」

 

 そう言いながらも、安心院は自分から降りようとはしなかった。乱獅子もまた、背後のじゃれつきを気にする様子はない。

 

 少し経つと諦めたのか、安心院は再び乱獅子の肩に顔を埋めた。

 

「王様さぁ」

 

「……」

 

「ここにいる時くらい、もうちょっと嬉しそうにすればいいのに」

 

「……」

 

「千代さん、八百屋のおじさん、金物屋のおばさん、お豆腐屋のおじさん、お魚屋のおじさん、ボール遊びしてたあの子たちも。王様が来ると、みんな嬉しそうだったじゃん」

 

 乱獅子は答えなかった。

 

 安心院の声が次第に小さくなっていく。

 

「ぼくだって…いっしょにいれて……嬉しいんだからね……」

 

 やがて声は途切れ、代わりに小さな寝息が聞こえてきた。

 

 乱獅子は足を止めた。

 

 安心院がずり落ちないよう、背中へ回した腕の位置を直す。寝息が首筋にかかった。

 

 それから、また歩き始めた。

 

 商店街の灯りが少しずつ遠ざかっていく。

 

 乱獅子は振り返らない。

 

 夕暮れの道を歩くその目は、ここではないどこかを見ているようだった。

 

 安心院の寝息だけを背負い、乱獅子は廃ビルへの道を黙って歩いていく。

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