魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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第六話

「……知らない天井だ」

 

 つむぎの目が覚めた時、目に入ったのは白い天井に白い壁と簡素な照明。窓の外からは聞いたことのない鳥の声が聞こえる。一瞬、ここがどこか分からなかった。

 

 それから、昨日のことを思い出す。

 

 ヘリ。目隠し。格納庫。街のような本部。医務室。検査。資料。適応能力。妖精さん。ピーちゃん。スバルの言葉。

 

 ——契約を解除できるのは妖精だけよ。

 

 ——次に同じことが起きた時、守宮さんはどうしたい?

 

 つむぎは布団の中で手を握った。まだ答えは出ていない。

 

 ベッドの脇に置かれた時計を見ると、朝の七時だった。昨日はスバルにこの部屋まで案内され、横になるなり眠ってしまった。部屋の様子を確かめる余裕すらなかったらしい。

 

 身体のあちこちがまだ痛む。両腕の鈍い痛みは残っているし、肩を動かすと嫌な感覚が走る。けれど、昨日よりは少しだけましだった。

 

 つむぎは起き上がり、顔を洗って部屋を出た。

 

 廊下は静かだった。ここは本部の宿泊棟で、検査や事情聴取のために一時的に滞在する人のための部屋らしい。殺風景な壁に、非常口の案内だけが貼られている。

 

 どこへ行けばいいのか分からず、つむぎが廊下の端で立ち止まっていると、角の向こうから足音が聞こえた。

 

「おはよう、守宮さん。よく眠れた?」

 

 スバルだった。制服姿で、手にはファイルを抱えている。すでに仕事を始めているらしい。

 

「おはようございます。はい、ぐっすり眠れました」

 

「そう、よかったわ」

 

 スバルはつむぎの顔を見て、少しだけ表情を緩めた。

 

「それと、ご家族には昨夜のうちに連絡してあるわ。あなたが無事に保護されたことだけは伝えてある」

 

「お父さんとお母さんに……? ありがとうございます」

 

「ただ、ここの所在地は機密なので、詳しいことは話していないの。あなた本人との通話は、事情確認が済んでからということにさせてもらっているわ」

 

 つむぎは少し胸が痛んだ。お母さんは心配しているだろう。お父さんも。けれど、生きていることだけでも伝わっているなら、今はそれでいい。

 

「朝食はまだでしょう? 今日は少し連れて行きたい場所があるの」

 

「連れて行きたい場所?」

 

「ええ。検査と事情聴取が終わるまでの間、あなたにはうちの宿舎に滞在してもらうことになったわ」

 

「宿舎……」

 

「この本部には、いくつか宿舎があるの。その中で私が宿舎長を務めている宿舎よ。朝ごはんもそこで食べましょう」

 

 つむぎはスバルの後について歩き始めた。

 

 宿泊棟を出ると、朝の光が目に入った。昨日は夕暮れだった本部の街並みが、朝陽の中ではまた違う表情を見せている。

 

 通りには訓練着姿の少女たちが走っていた。朝練だろうか。号令の声が遠くから聞こえる。制服を着た少女たちが、笑いながら何かを話しながら歩いていく。

 

 五分ほど歩くと、通りから少し外れた場所に二階建ての建物が見えてきた。他の建物より少しだけ古いが、玄関の脇には小さな花壇があり、手入れが行き届いている。

 

「ここが私の宿舎よ」

 

 スバルは玄関の前で足を止め、つむぎに向き直った。

 

「中には、私と一緒に暮らしているメンバーがいるわ。あなたが来ることは伝えてあるから、安心して。慣れない場所で困ったことがあれば、遠慮せず頼ってちょうだい」

 

「はい」

 

 スバルが扉を開けた。

 

 その瞬間、乾いた破裂音が宿舎の中に響いた。

 

「わ、びっくりした!」

 

 つむぎは思わず肩を跳ねさせる。目の前で、色とりどりの紙吹雪がふわりと舞っていた。

 

 日焼けした肌に、明るい表情。見るからに活発そうな少女が、クラッカーを両手に持って立っている。

 

「ようこそー! ウチの宿舎へ!」

 

「ほむら、一時的な滞在って言ったでしょう」

 

 スバルが呆れたように言う。

 

「でも一緒に住むんだろ? だったら歓迎しようと思って!」

 

 少女の横で、スバルよりいくつか年上に見える女性が苦笑していた。その奥には、もう一人の少女がいて、じっとつむぎを見つめている。

 

「ごめんなさいね、つむぎちゃん。この子が先走っちゃって」

 

 女性が穏やかに微笑んだ。

 

「私の名前は猫屋小町。この宿舎の管理人をやってるの。気軽に小町お姉さんなんて呼んでくれると嬉しいわ」

 

「小町お姉さん、よろしくお願いします!」

 

 つむぎが頭を下げると、小町は満足そうに頷いた。

 

「はいはい、次はウチ!」

 

 クラッカーの少女が勢いよく手を挙げる。

 

「ウチの名前は北沢ほむら! よろしくな、つむぎ!」

 

「よろしくね、ほむらちゃん!」

 

「うんうん、いい返事!」

 

 ほむらは満足げに頷く。

 

 その奥で、もう一人の少女がつむぎのことをじっと見つめていた。背筋を伸ばし、髪で片目を隠しており、感情の読みにくい顔で立っている。ほむらとは対照的に、静かな雰囲気の少女だった。

 

「導、あなたも自己紹介なさい」

 

 スバルが促すと、少女はほんの少しだけ視線を下げた。

 

「三ノ輪(しるべ)。よろしく……」

 

 短い自己紹介だった。

 

「えっと、導さん。よろしくお願いします」

 

 つむぎが頭を下げると、導は小さく頷く。それ以上の言葉はない。けれど、拒絶されているというより、どう接してよいのか迷っているようにも見えた。

 

「ごめんなさいね。この子、人見知りなのよ」

 

 スバルが苦笑混じりに言う。

 

「いえ、大丈夫ですよ!」

 

「ありがとう。この子も、決してあなたのことを歓迎していないわけじゃないの。それは分かってくれると嬉しいわ」

 

「ん……」

 

 導が小さく声を漏らす。それが肯定なのか照れ隠しなのか、つむぎにはまだ分からなかった。

 

「そして、知っての通り私が鳥山スバルよ。改めて、今日からよろしくね」

 

「はい、よろしくお願いします!」

 

「さて、まずは朝ごはんにしましょう」

 

 小町が穏やかに手を叩いた。

 

「話は食べながらでもできるもの。つむぎちゃん、こっちへどうぞ」

 

 テーブルには、すでに朝食が並んでいた。ご飯と味噌汁、焼き魚と小鉢。簡素だけれど、丁寧に盛りつけられている。

 

「小町お姉さん、これ全部作ったんですか?」

 

「ええ。ここの食事は基本的に私が担当しているの。みんなの体調に合わせてメニューを考えているから、好き嫌いがあったら教えてね」

 

「すごい……」

 

 つむぎは手を合わせて食べ始めた。味噌汁が身体に沁みた。昨日から、まともな食事を取っていなかったことに気づく。

 

 ほむらは向かい側で、ご飯をおかわりしながら喋り続けていた。

 

「つむぎって、何年生?」

 

「中一だよ」

 

「ウチは小五! ウチが先輩だけど、つむぎの方がお姉さんだな……よし、ならため口でいいぞ!」

 

「ほむら、まだ正式に——」

 

「分かってるって、スバル。それよりさ……」

 

 導は静かに食べていた。箸の持ち方がきれいだった。

 

 朝食を終えると、スバルは手を叩いた。

 

「さて、導は訓練、ほむらは学校の時間よ」

 

「えー、ウチもっとつむぎと話したい! スバル、今日だけ、お願い!」

 

 ほむらが大げさに両手を合わせる。だが、スバルはまったく揺らがなかった。

 

「だめよ。あなた、昨日も学校をサボったらしいじゃない」

 

「うっ」

 

「それに、今日の給食はカレーだそうよ。サボったら食べれなくなるわね」

 

 その瞬間、ほむらの表情がぱっと明るくなる。

 

「カレー!? 分かった、行ってくる!」

 

 切り替えが早かった。

 

 ほむらはつむぎの方へ振り返り、大きく手を振る。

 

「つむぎ、また後でね!」

 

「あはは、いってらっしゃい」

 

 ほむらは鞄を引っ掴み、慌ただしく宿舎を飛び出していった。台風のような子だった。

 

 導は短く「行ってくる」とだけ言い、静かに宿舎を出ていった。

 

「守宮さんは、小町さんから宿舎の案内を受けてちょうだい。終わったら、しばらく自由にしてくれて構わないわ」

 

「はい! ……スバルさんはこれから?」

 

「事務仕事よ。あなたの滞在に必要な手続きをしてくるわ」

 

 スバルは小町に「お願いします」と一言残し、背中から翼を出して事務棟の方へ飛び去っていった。

 

 

 ◇

 

 

「まず、玄関を入ってすぐの扉が共有スペースね。さっきご飯を食べた場所。何もない時は、みんなここに集まってテレビを見たり、ゲームをしたりしてるわ」

 

 棚にはボードゲームや漫画が並び、隅には誰かが置きっぱなしにしたクッションもある。生活感があった。

 

「隣がキッチン。自分でも何か作りたいものがあったら自由に使って構わないけど、何をどれくらい使ったかはちゃんと報告してね?」

 

「はい!」

 

「向かいの扉がお風呂よ。任務や訓練の後は、みんな汗だくになるからね」

 

 一階の案内が終わると、二階へ上がった。廊下の両側にいくつもの扉が並んでいる。扉にはそれぞれ名前の札がかかっていた。

 

 鳥山スバル。三ノ輪導。北沢ほむら。

 

 その中に先ほど会った名前が並んでいるのを見ると、ここで本当に皆が暮らしているのだと実感した。

 

「つむぎちゃんの部屋はここ。一番奥の部屋ね。滞在中はここを使ってちょうだい」

 

 小町が一つの扉の前で立ち止まる。まだ何も書かれていない名札が、扉にかかっていた。

 

 部屋の中には、簡素なベッドと小さな机、備え付けの収納が置かれていた。必要最低限の家具だけが揃った、仮滞在用の部屋だった。

 

「日用品がまだないでしょう? 歯ブラシとか部屋着とか、必要なものはショッピング区画で買えるわ」

 

 小町は施設内の地図を一枚、つむぎに渡した。

 

「それから、こっちが施設内で使える仮の身分証。買い物の決済や身分の確認に使うものよ。ここにいる間の日用品は施設の負担だから、必要なものは遠慮しないで揃えてね」

 

「ありがとうございます」

 

「もし迷っちゃったら、自衛隊の服を着てる人に道を聞いてね」

 

「はい!」

 

「私はお昼の準備があるから、案内はここまでになっちゃうんだけど……一人で大丈夫かしら?」

 

「大丈夫です! 私、ここ最近は道に迷ったことなんてありませんから」

 

「……わかったわ。気をつけてね」

 

「行ってきます!」

 

 

 ◇

 

 

 つむぎは迷っていた。

 

 完全に、迷っていた。

 

 

 地図を見て、ショッピング区画を目指して歩き始めたはずだった。看板を頼りに左へ曲がり、次の角を右へ。そこまでは合っていた——はずだった。

 

 けれど、気づけば見覚えのない訓練場の前に立っていた。遠くで少女たちが走り込みをしている。地図を見ても、目の前の訓練場がどの建物なのか分からない。

 

「あれ……?」

 

 つむぎは地図を回した。回しすぎた。上下が分からなくなった。

 

「えっと、北がこっちで……いや、太陽がこっちだから……」

 

 太陽を見上げた。真上に近い。方角の参考にならなかった。

 

「妖精さん、道分かる?」

 

『私も、つむぎが見聞きした情報を基に判断している。現在地を把握できていない以上、正確な案内は難しい』

 

「つまり、妖精さんも分からないんだ」

 

『つむぎが地図を逆さに持っていることだけは分かる』

 

「えっ」

 

 つむぎは慌てて地図を上下反転させた。けれど、結局どちらが正しいのか余計に分からなくなった。

 

 とりあえず歩こう。そう思って、つむぎは適当に足を進めた。

 

 訓練場の横を抜け、倉庫らしき建物の間を通り、気がつくと小さな広場に出ていた。ベンチがいくつか置かれ、周囲には植え込みがある。

 

 そのベンチの一つに、誰かが座っていた。

 

 導だった。

 

 訓練着のまま、膝の上に水筒を置き、じっと何かを見つめている。つむぎの気配に気づいたのか、ゆっくりと顔を上げた。

 

「あ、導さん。こんにちは」

 

「……」

 

 導は小さく頷いた。

 

「えっと、訓練終わりましたか?」

 

「……休憩」

 

「お疲れ様です」

 

「……」

 

 会話が続かなかった。導は再び視線を落とし、つむぎは立ったまま困っていた。

 

「あの、実は迷っちゃって。ショッピング区画に行きたいんですけど、どっちか分かりますか?」

 

 導はつむぎを見た。それから、つむぎが手に握っている地図を見た。

 

「……逆」

 

「え?」

 

 導はつむぎの手から地図を取る。

 

「今ここ……、宿舎がここで……、ショッピング区画はここ」

 

 導はつむぎにもわかるように場所を指さしていく。

 

 そして、つむぎはショッピング区画とは正反対の広場にいることがわかった。

 

「あっ……、あはは」

 

 つむぎは顔を赤くして笑うしかなかった。

 

 導はしばらくつむぎを見ていた。それから、水筒を持って立ち上がった。

 

「……ついてきて」

 

「え、案内してくれるんですか?」

 

 導は答えなかった。ただ歩き始めた。

 

 つむぎは慌てて後を追う。

 

 導の歩く速度はゆっくりだった。つむぎが追いつけるよう、意識して速度を落としているようにも見えた。

 

 二人は並んで歩いた。導は何も話さない。つむぎも、無理に話しかけるのはやめた。

 

 訓練場を通り、宿舎を横目にまっすぐ進み、校舎らしき建物の裏を抜け、少しだけ開けた通りに出た。入口に看板が立っている。「ショッピング区画」と書かれていた。

 

「あ、ここだ! ありがとうございます、導さん!」

 

「……ん」

 

 導は小さく頷いた。これで帰るのかと思ったが、帰らなかった。ショッピング区画の入口の前で、つむぎを待つように立っている。

 

「えっと……一緒に来てくれるんですか?」

 

「……迷う」

 

「迷うって、私が?」

 

「帰り」

 

「……ぐぅ」

 

 反論したかったが、行きだけで訓練場まで迷い込んだことを思い出し、つむぎにはぐうの音しか出せなかった。

 

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 ショッピング区画に入ると、日用品を扱う店がいくつか並んでいた。つむぎは歯ブラシ、タオル、部屋着を選んだ。それから文房具を少しと、小さなハンドクリーム。

 

 導はその後ろを、黙ってついてくる。

 

 店を出ると、導が先に歩き始めた。つむぎはその後を追う。

 

 二人は並んで歩いた。導は何も話さない。つむぎも、無理に会話を続けようとはしなかった。

 

けれど、行きよりも沈黙が気にならなかった。

 

 導は分かれ道へ来るたびに足を止め、つむぎがついてきていることを確かめてから歩き出した。つむぎの腕がまだ痛むことに気づいているのか、買い物袋も半分持ってくれている。

 

 宿舎が見えてきた。

 

 つむぎが入口へ向かうため角を曲がろうとすると、導が制服の袖を軽く引いた。

 

「……そっちは裏口」

 

「あっ」

 

 その言葉につむぎは動きを止める。

 

「ありがとうございます……」

 

「……ん」

 

 導の口元が、ごくわずかに動いた。笑ったのかもしれない。けれど、その変化はあまりに小さく、つむぎには確信が持てなかった。

 

 宿舎へ戻ると、共有スペースから良い匂いが漂っていた。

 

「おかえりなさい、二人とも。迷わなかった?」

 

 小町がキッチンから顔を出した。

 

「……迷いました。でも、導さんが助けてくれました!」

 

「あら、そうなの?」

 

 導は何も答えず、持っていた袋をつむぎへ返した。

 

「ありがとうございました!!」

 

「……ん」

 

 それだけ言って、導は訓練場へ戻っていく。

 

 つむぎは、その小さな背中を見送った。

 

 言葉はほとんど交わしていない。それでも、導が冷たい子ではないことだけは分かった。迷っているつむぎを見つけて、頼まれてもいないのに立ち上がった。店の前で待ち、帰り道まで案内してくれた。荷物まで半分持ってくれた。

 

 宿舎へ来る前より、この場所を少しだけ近く感じた。

 

「つむぎちゃん、お昼にしましょうか」

 

「はい」

 

 つむぎは小町の声に振り返った。

 

 まだ、この場所に残ると決めたわけではない。

 

 それでも、初めて入った時より、宿舎の扉は少しだけ軽く見えた。

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