魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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第七話

 昼食はカレーだった。

 

 小町が作ったカレーは、辛すぎず甘すぎず、具が大きくて食べ応えがあった。じゃがいもがほくほくと崩れ、にんじんは柔らかいのに形が残っている。

 

「おいしい……」

 

「よかったわ。つむぎちゃん、辛いのは大丈夫だった?」

 

「はい、全然大丈夫です。すごくおいしいです」

 

「あらあら、嬉しいこと言ってくれるわね」

 

 小町はにこにこと笑った。

 

 ほむらはまだ学校から帰っていないし、(しるべ)も訓練へと戻ってしまった。共有スペースには、つむぎと小町の二人だけだった。

 

「小町お姉さんは、毎日みんなのご飯を作ってるんですよね?」

 

「そうよ。朝と夜はここで。お昼は学校に行っている子は学校で食べるし、訓練の子はお弁当を持っていくこともあるわ」

 

「大変じゃないですか?」

 

「まあ、大変と言えば大変だけど」

 

 小町はスプーンを置き、少しだけ遠くを見るような目をした。

 

「今はこれが、私の仕事だからね」

 

 小町の目が、ほんの少しだけ遠くなった。けれど、すぐに笑顔に戻った。

 

「さ、おかわりはいかが?」

 

「いただきます!」

 

 おかわりのカレーも、最後のひとくちまでおいしかった。

 

 

 ◇

 

 

 午後は、何もすることがなかった。

 

 小町は夕食の仕込みに取りかかり、導もほむらもまだ帰ってこない。スバルも事務棟にいるらしかった。

 

 つむぎは共有スペースのソファに座り、棚にあった漫画を手に取った。けれど、ページをめくる手がすぐに止まる。

 

 窓の外が気になった。

 

 宿舎の窓からは、少し離れた場所にある訓練場の一部が見えた。

 

 少女たちが走り込みをしている。号令に合わせて隊列を組み、何かの合図で散開し、また集まる。その動きは素早く、無駄がない。

 

 別の場所では、二人の少女が模擬戦をしていた。一人が魔法を打ち出し、もう一人が素早く距離を取って反撃する。魔法の種類はそれぞれ違うようだったが、どちらの動きにも迷いがなかった。

 

 つむぎは自分の手を見た。

 

 あの日、禍群(まがむれ)の前で張ったシールド。亀裂が走り、白く濁り、最後には砕けた透明な壁。

 

 窓の外の少女たちは、つむぎとは比べものにならないほど自分の魔法を使いこなしていた。身体の動かし方も、間合いの取り方も、全てが違う。

 

 訓練を受けているから当然だ。あの子たちは、ここで暮らし、学び、訓練を重ねてきた。つむぎのように、何も知らないまま戦場に飛び出したのとは違う。

 

 つむぎは窓から目を逸らし、ソファに深く沈み込んだ。

 

『つむぎ。身体の調子はどうだ』

 

 頭の中で妖精さんの声が響いた。

 

「うん。腕はまだ痛いけど、昨日よりましかな」

 

『休養は順調に取れているようだ。焦る必要はない』

 

「焦ってないよ。ただ……」

 

『ただ?』

 

「みんな忙しそうなのに、私だけ何もしてないなって思って」

 

『仮滞在中の身であれば、それは当然だと思うが』

 

「そうなんだけどね」

 

 分かっている。自分はまだここの人間ではない。訓練にも参加していないし、任務もない。身体も万全ではない。やるべきことがないのは仕方がない。

 

 けれど、みんなが動いている中で自分だけがソファに座っていると、ここにいていいのかどうか分からなくなる。

 

 お客さんだ、と思った。

 

 宿舎のみんなは親切だった。小町は朝食も昼食も作ってくれた。導は買い物に付き合ってくれた。ほむらは初対面からクラッカーを鳴らして歓迎してくれた。

 

 けれど、それは全部、お客さんへの対応だ。ここで暮らしている人たちの輪の中に、自分はまだ入っていない。

 

 自分は玄関を開ければ帰れる。帰れば元の生活がある。父と母がいて、命を危険にさらすこともない。

 

 だけど、自分と同じようにいつでも帰れる子ばかりではないのだろう。

 

 スバルは、小さい頃からここで暮らしているらしい。そして、そういう子もここには少なくないとも言っていた。

 

 つむぎは膝を抱えた。

 

 帰る場所がある自分が、この子たちの中にいる。そのことが、少しだけ後ろめたかった。

 

「……妖精さん」

 

『何だ?』

 

「私がここにいる意味って、あるのかな」

 

『意味の有無は、つむぎ自身が決めることだ。私には判断できない』

 

「そっか。相変わらず、妖精さんは冷たいなあ」

 

『事実を述べただけだ』

 

「うん。でも、ちょっとだけ安心した」

 

『なぜ?』

 

「分からないことを分からないって言ってくれるから。無理に励まされるより、楽かも」

 

 妖精さんは少し沈黙した。

 

『……そうか。つむぎが楽であるなら、それでいい』

 

 つむぎは小さく笑った。

 

 

 ◇

 

 

 夕方になると、宿舎が急に賑やかになった。

 

「ただいまー! つむぎー! いるー!?」

 

 ほむらが勢いよく玄関の扉を開けた。制服姿で、鞄を片手に、もう片方の手にはアイスの棒を咥えている。

 

「お、いたいた! つむぎ、暇だった?」

 

「う、うん。ちょっとだけ」

 

「だよなー。じゃあさ、これから一緒にお風呂行かない? 訓練じゃないから施設の方は空いてるはずだし」

 

「お風呂?」

 

「そう。ここのお風呂は小っちゃいからさ、施設の大浴場の方が気持ちいいんだよ。ウチ、学校終わりに汗かいたから行きたくて」

 

 ほむらは既に靴を脱ぎながら喋っていた。断る隙がない。

 

「じゃ、じゃあ行こうかな」

 

「よし! 五分で着替えてくるから待ってて!」

 

 ほむらは階段を駆け上がっていった。足音だけで、どれほど元気かが分かる。

 

 五分後、ほむらはタオルと着替えを抱えて戻ってきた。つむぎも今日買った部屋着とタオルを持って、一緒に宿舎を出る。

 

「大浴場ってどこにあるの?」

 

「すぐそこだよ。宿舎から二分くらい」

 

 ほむらは迷いなく歩いていく。つむぎはその隣について歩いた。

 

「ほむらちゃん、この施設のこと詳しいんだね」

 

「そりゃあね。ずっとここで暮らしてるもん」

 

 ほむらはあっけらかんと言った。

 

「ずっとって……小さい頃から?」

 

「うん。生まれてすぐにここに来たらしいよ。だからさ、外の学校とか街とかの方が、ウチにとっては知らない場所って感じ」

 

 ほむらは笑っていた。暗い表情は全くない。

 

 けれど、つむぎはその言葉の重さを、少しだけ感じていた。

 

 大浴場は宿舎の近くにある共用施設だった。時間帯が早いせいか、他に人はいない。広い湯船に湯気が漂っている。

 

「うわー、広い……」

 

「でしょ? ウチ、ここ好きなんだ。訓練の後はみんなで来るんだけど、今日は貸切じゃん。ラッキーだね」

 

 二人は身体を洗い、湯船に浸かった。お湯が温かい。つむぎの腕の痛みが、じんわりと和らいでいく。

 

「ふはー、気持ちいい……」

 

 ほむらは湯船の縁に頭を預け、天井を見上げた。

 

「つむぎさ、禍群と戦ったんだろ?」

 

「え? うん、一回だけ。スバルさんから聞いたの?」

 

「ちょっとだけね。訓練もなしに戦ったって聞いて、すげえなって思った」

 

「すごくないよ。何もできなかったもん。シールドを張っただけで、結局倒せなかったし」

 

「でも死んでないじゃん」

 

 ほむらは湯船の中でつむぎの方を向いた。

 

「訓練なしで禍群と戦って、生きて帰ってきた。それってけっこうすごいことだよ」

 

「……そうかな」

 

「そうだよ。ウチなんか、初めて現場に出た時、足が動かなくなって泣いたもん」

 

「ほむらちゃんも泣いたの?」

 

「泣いた泣いた。大泣き。スバルに抱きかかえられて撤退したよ。超かっこわるかった」

 

 ほむらはけらけらと笑った。自分の失敗を恥ずかしがる様子がまったくない。

 

「でもさ、そっからもっと訓練して、今はまあまあ戦えるようになったよ。最初がどうだったかなんて、関係ないって」

 

 つむぎは湯船の中で手を見た。あの日、シールドを張り続けた手。今はまだ鈍い痛みが残っている。

 

「ほむらちゃんは、どうして戦おうと思ったの?」

 

「んー。最初は別に、それしかなかったからかなあ。ここで育ったし、適応能力あるし、じゃあ訓練するかって感じで」

 

 ほむらは少し考えて、それから付け足した。

 

「でも今は、ちょっと違うかも。ウチのそばにいる人たちを守りたいなーって思うようになった。スバルとか、導とか、小町さんとか。あいつらがいるから、ウチは頑張れるんだと思う」

 

「……」

 

「つむぎは? 何で戦おうと思ったの?」

 

 つむぎは少し迷った。

 

「……逃げたくなかったから、かな。禍群が街を呑んでいくのを見て、見て見ぬふりができなくて」

 

「うん」

 

「でも、それだけじゃ足りないって、スバルさんに言われた。気持ちだけじゃ守れないって」

 

「まあ、それはそうだな」

 

「だから、どうしたいのか分からない。もう二度とあんな思いはしたくないのに、次に同じことが起きたら、また動いちゃう気がして」

 

 ほむらは湯船の縁に腕を乗せ、あっさりと言った。

 

「じゃあ、まだ分かんないってことでいいんじゃない?」

 

「いいの?」

 

「いいだろ。昨日死にかけたばっかなんだし」

 

 ほむらはにっと笑った。

 

「怖いなら怖いでいいじゃん。でも、見て見ぬふりできなかったのも本当なんだろ?」

 

「……うん」

 

「なら、どっちも本当ってことでいいじゃん」

 

 ほむらの言い方はあまりにもあっさりしていた。深刻さがない。けれど、それがつむぎには心地よかった。重く考えすぎていたものが、少しだけ軽くなる。

 

「……ありがとう、ほむらちゃん」

 

「え、何が?」

 

「なんとなく」

 

「変なやつだなー」

 

 ほむらは笑い、湯船の中でばしゃばしゃと足を動かした。

 

 

 ◇

 

 

 宿舎に戻ると、共有スペースには夕食の匂いが漂っていた。

 

 テーブルには五人分の食事が並んでいる。小町が最後の一皿を置いたところだった。

 

「おかえりなさい。お風呂、気持ちよかった?」

 

「はい! すごく広くて、びっくりしました」

 

「でしょう? あそこは私のお気に入りなのよ」

 

 スバルが事務棟から戻っていた。制服のまま椅子に座り、疲れた様子で首を回している。

 

 導も自分の席についていた。訓練から戻ったらしく、着替えを済ませている。静かに座って、テーブルの上の食事を見ていた。

 

 つむぎ、ほむら、スバル、導がテーブルにつくと、小町が最後に自分の席へ腰を下ろした。

 

「いただきます」

 

 全員の声が揃った。

 

 夕食は、鮭の塩焼きとほうれん草のおひたし、豚汁だった。どれも丁寧に作られていて、味付けが優しい。

 

 ほむらは相変わらず賑やかだった。学校であった出来事を一方的に喋り続け、スバルが時折「ほむら、口を閉じて食べなさい」と注意する。導は黙って食べているが、ほむらの話に耳を傾けているようだった。たまに、ほんの少しだけ口元が動く。

 

 小町はみんなの皿を見ながら「おかわりは?」と聞いている。スバルが「豚汁をもう一杯」と言うと、小町は嬉しそうにお椀を受け取った。

 

 つむぎはその光景を見ていた。

 

 これが、この宿舎の日常なのだろう。毎日繰り返される、ごく当たり前の夕食の風景。

 

 温かかった。

 

 けれど、同時に、自分がその輪の中にいるのかどうかが分からなかった。

 

 みんなは優しい。ほむらは気さくに話しかけてくれる。小町は食事を用意してくれる。導も、言葉は少ないけれど拒絶はしていない。スバルは事務手続きまでしてくれている。

 

 それでも、つむぎは自分が客であることを感じていた。

 

 この子たちは、ここで暮らし、訓練し、戦っている。つむぎはまだ何もしていない。カレーを食べ、お風呂に入り、ソファで漫画を読んだだけだ。

 

「つむぎ、おかわりいる?」

 

 ほむらの声に、つむぎは顔を上げた。

 

「あ、うん。もらおうかな」

 

「小町さーん、つむぎもおかわりだってー」

 

「はいはい」

 

 小町がお椀を受け取り、豚汁をよそってくれる。

 

 つむぎは両手でお椀を受け取った。温かかった。

 

 ありがとうございます、と言いながら、つむぎは思った。

 

 まだ答えは出ていない。ここに残るのか、帰るのか。魔法少女として戦うのか、元の生活に戻るのか。

 

 けれど、この感じだけは、忘れたくないと思った。

 

 食後、つむぎは自分の部屋に戻った。

 

 簡素なベッドと小さな机。今日買った歯ブラシとタオルが、収納の上に置かれている。それだけの部屋だった。

 

 ベッドに腰を下ろし、窓の外を見た。本部の街に灯りがともっている。遠くの訓練場は暗くなり、通りを歩く人影もまばらだった。

 

 自分の家の窓から見える景色とは全く違う。

 

 けれど、不思議と怖くはなかった。

 

『つむぎ』

 

「ん?」

 

『今日は長い一日だった。早めに休んだ方がいい』

 

「うん。そうするよ」

 

 つむぎは歯を磨き、買ったばかりの部屋着に着替えて、ベッドに潜り込んだ。

 

 目を閉じると、今日のことが浮かんでくる。

 

 小町のカレー。導の静かな足取り。ほむらの笑い声。スバルの疲れた首。みんなで囲んだ夕食のテーブル。

 

 それから——あの白いワンピースの少女の瞳。

 

 まだ頭の隅に残っている。誰も映していないような、冷たい目。

 

 あの子は今夜も、一人なのだろうか。

 

 つむぎはそこまで考えて、意識が沈んでいくのを感じた。

 

 仮滞在の一日目が、静かに終わろうとしていた。

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