魔法少女と廃墟の王様   作:マチュピチュ

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第八話

 仮滞在の二日目の朝は、サイレンで始まった。

 

 つむぎが布団の中でうとうとしていると、耳慣れない音が宿舎の中に響いた。甲高い電子音が三回、短く鳴る。

 

 その音に驚いたつむぎが目を開けると、廊下で足音が聞こえた。

 

 一つは素早く、迷いがない。もう一つはばたばたと慌ただしい。三つ目は静かで、けれど確実に移動している。

 

 つむぎが部屋の扉を開けると、廊下でスバルとすれ違った。いつもの制服とは別に戦闘用と思われる装備を身につけている。

 

「守宮さん、騒がしくしてごめんなさい。任務よ」

 

「任務……?」

 

禍群(まがむれ)が出たの。これから出撃するわ」

 

 スバルの声はいつも通り落ち着いていた。けれど、その目には平時とは違う鋭さがあった。

 

 扉がバタンと音を立てて開くと、ほむらが姿を現す。訓練着ではなく、こちらも制服と戦闘用の装備を身につけている。

 

「スバル、準備できた!」

 

「よし。(しるべ)は?」

 

「もう外!」

 

 ほむらはつむぎに気づいて、にっと笑った。

 

「つむぎ、おはよー。ちょっと行ってくるね」

 

「ほ、ほむらちゃん……」

 

「大丈夫大丈夫。すぐ帰るって」

 

 ほむらは手を振りながら玄関を飛び出していった。その背中はいつもと変わらない。けれど、足元の靴は昨日の学校用とは違う、厚い底のブーツだった。

 

 スバルが階段を降りようとした時、何かを思い出したかのように振り返った。

 

「そうだ、小町さんが一階にいるから、何かあったら声をかけて。私たちのことは心配しなくていいわ」

 

「気をつけてください。……あの、スバルさん」

 

「何?」

 

「私の時も、みんなで出たんですか?」

 

「ええ、そうよ。ただ、あの時は現場に着く前に反応が消滅したから、私だけあなたの回収に向かったの」

 

 スバルは短く答え、階段を降りていった。

 

 玄関の扉が開いて、閉まる音がする。

 

 つむぎは廊下に立ったまま、しばらく動けなかった。

 

 あの三人が今から戦いに行く。つむぎが死にかけたのと同じ禍群と向かい合いに行く。

 

 そして、つむぎはここに残る。

 

 何もできないまま。

 

 ◇

 

 共有スペースに降りると、小町がキッチンに立っていた。

 

 いつも通り朝食の準備をしている。コンロの上では味噌汁が温められ、焼き魚の匂いが漂っている。

 

「おはよう、つむぎちゃん。騒がしくてごめんなさいね」

 

「おはようございます。……あの、小町お姉さんは行かないんですか?」

 

 つむぎが聞くと、小町の手がほんの一瞬だけ止まった。

 

「私は管理人だからね。留守番が仕事よ」

 

 小町はすぐに手を動かし始めた。味噌汁をお椀によそい、テーブルに並べる。

 

「さ、朝ごはんにしましょう。二人分だけだけど」

 

 テーブルに向かい合って座る。つむぎと小町の二人だけ。昨日の昼食と同じだったが、空気が違った。

 

 なんとも言えない緊張感が二人を包んでいる

 

「……いただきます」

 

 つむぎは箸を手に取ったが、すぐには動かせなかった。

 

「やっぱり心配?」

 

 小町が穏やかに尋ねた。

 

「はい。やっぱり、怖いです。みんなが禍群と戦ってるのに、私だけここにいて」

 

「そうね。でも、残念だけど、今のつむぎちゃんが行っても守れるものより守られるものの方が多くなってしまうわ」

 

 小町の言葉は柔らかかったが、はっきりしていた。

 

「……分かってます」

 

「それなら今できることをしましょう。食べて、待って、無事を祈る。それも大事なことよ」

 

 つむぎは頷き、味噌汁をひとくち飲んだ。温かかった。けれど、昨日とは少し違う温かさだった。

 

「小町お姉さんは、いつもこうして待ってるんですか?」

 

「そうよ。みんなが出かけている間、ここを守るのが私の仕事」

 

「寂しくないですか?」

 

「寂しいわよ。だけど、もしここが無くなったら、あの子たちの帰る場所まで無くなってしまうもの」

 

 小町はそう言って、微笑んだ。

 

「だから、私はここにいるの」

 

 つむぎは黙って味噌汁を飲んだ。小町の言葉の奥に、何かがあるような気がした。けれど、今は聞けなかった。

 

 朝食を終えると、つむぎは共有スペースのソファに座った。小町は食器を洗い、それから帰ってくるみんなのための食事の準備を始めた。

 

 つむぎは何もすることがなかった。

 

 漫画を読もうとしたが、ページが頭に入ってこない。窓の外を見ても、訓練場には誰もいなかった。もしかしたら沢山の魔法少女が必要な任務だったのかもしれないと思うと、心がぎゅっと締め付けられた。

 

 時間が過ぎる。

 

 一時間が経った。二時間が経った。

 

 小町はキッチンで静かに作業を続けていた。帰ってくるメンバーのためのおにぎりを握り、豚汁を仕込んでいる。その手は淡々と動いていたが、時折手を止めて、窓の外を見ていた。

 

 つむぎは気づいていた。小町も不安なのだ。ただ、それを表に出さずに手を動かし続けている。

 

「小町お姉さん」

 

「なあに?」

 

「お手伝いしてもいいですか?」

 

 小町は少し驚いたように目を見開いた。それから、穏やかに笑った。

 

「もちろんよ。おにぎりの具を並べてくれる?」

 

 つむぎはキッチンに入り、小町の隣に立った。小鉢に入った梅干し、鮭フレーク、昆布を並べる。小町がご飯を手に取り、つむぎが具を差し出す。

 

 二人で黙々とおにぎりを握った。

 

「つむぎちゃん、お家でもお手伝いしてるの?」

 

「お母さんに教わりました。お出かけする時とかに、よく一緒に作ったんです」

 

「いいお母さんね」

 

「はい」

 

 つむぎの手が一瞬止まった。

 

 お母さん。お父さん。

 

 スバルが「ご家族には連絡してある」と言っていた。無事であることだけは伝わっている。けれど、つむぎはまだ直接話していない。

 

「小町お姉さん。私、お母さん達に電話したいんですけど……」

 

「そうね。スバルちゃんに相談してみましょう。帰ってきたら聞いてみるわ」

 

「はい」

 

 おにぎりを握り終えると、つむぎはソファに戻り、窓の外を見た。

 

 空は青かった。雲が流れている。穏やかな空だった。

 

 この空の下のどこかで、スバルとほむらと導が禍群と戦っている。

 

 つむぎはあの日のことを思い出していた。黒い塊が家屋を呑み込んでいく光景。不快な匂い。シールド越しの四つの目。ガリガリと削られる音。

 

 あの恐怖を、あの三人は今まさに味わっているのかもしれない。

 

 いや、あの三人は訓練を積んでいる。つむぎのように恐怖で動けなくなることはないだろう。けれど、それでも相手は禍群だ。

 

 何が起きるか分からない。

 

『つむぎ。心拍数が上昇している』

 

「……うん。分かってる」

 

『ここにいる限り、君に危険はない』

 

「私のことじゃないよ、妖精さん。みんなのことが心配なの」

 

『……そうか。しかし、ここから君にできることはない。心配しても、結果は変わらない』

 

「分かってるって。でも、心配するなって言われて心配しなくなるほど、人間っていうのは単純じゃないんだよ」

 

『……人間とは難しい生き物だな』

 

「だよね」

 

 つむぎは小さく笑った。けれど、視線は窓の外から離れなかった。

 

 ◇

 

 午後になって、玄関の扉が開いた。

 

 つむぎは反射的にソファから立ち上がった。

 

 最初に入ってきたのはスバルだった。戦闘用の装備を一部外した姿で、疲れた表情をしている。帰還処理と簡易検査を済ませてきたのだろう。けれど、怪我はなさそうだった。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい!」

 

 つむぎの声が大きくなった。自分でも驚くくらいに。

 

 次にほむらが入ってきた。左腕に包帯が巻かれており、少量だが血が滲んでいる。

 

「ほむらちゃん、腕……!」

 

「ん? ああ、これ? かすっただけだよ。医務室で処置してもらったし、大したことない。それよりも…ただいま、つむぎ!」

 

 ほむらはけろっとした顔で笑った。けれど、装備の一部分が溶けていて、額には乾いた汗の跡があった。

 

 最後に導が入ってきた。導だけは怪我がないようだったが、顔色が少し青い。魔力を使いすぎたのかもしれない。

 

「おかえりなさい。お疲れ様」

 

 小町がキッチンからタオルと水を持ってきた。三人に一つずつ渡す。その動きは慣れていた。何度も繰り返してきた動作なのだろう。つむぎはキッチンから小町が出てきた時、彼女の手が震えているのに気づかないふりをした。

 

「ほむらちゃん…、本当に大丈夫なの?」

 

「つむぎは心配性だなー。大丈夫だって、ウチ、こういうの慣れてるし」

 

 慣れている。

 

 その言葉が、つむぎの胸に刺さった。怪我に慣れている。自分よりも歳下の少女が、戦闘で負った傷に慣れていると笑う。

 

 スバルは椅子に座り、装備を外し始めた。

 

「守宮さん、心配させたわね」

 

「いえ、大丈夫です。よかった……みんな帰ってきてくれて」

 

「当然よ。帰ってこなかったら、小町さんのご飯が食べられないもの」

 

 スバルは疲れた顔で冗談を言った。小町が「もう、そういうことばっかり」と苦笑する。

 

 導は水を飲み干すと、静かに自分の席に座った。つむぎと目が合う。

 

「……ただいま」

 

 導がそう言ったのは、ほんの小さな声だった。けれど、つむぎには確かに聞こえた。

 

「おかえりなさい、導さん」

 

 導はわずかに頷いた。

 

 小町がおにぎりと豚汁をテーブルに並べた。

 

「さ、みんな食べて。温かいうちにね」

 

 三人がテーブルにつく。ほむらは誰よりも早くおにぎりを掴んだ。

 

「うまー! 小町さんのおにぎり最高!」

 

「ありがとう。でもね、今回はつむぎちゃんも手伝ってくれたのよ」

 

「マジ? つむぎ、ナイス!」

 

 ほむらが親指を立てる。

 

 つむぎは少しだけ笑った。

 

 みんなが食べている姿を見ていた。ほむらは相変わらず賑やかで、スバルは静かに食べている。導は黙っておにぎりを頬張り、小町はみんなの皿を見回している。

 

 昨日の夕食と同じ光景だった。

 

 けれど、少しだけ違った。

 

 昨日はこの光景を外から見ていた。温かい場所を眺めているお客さんだった。

 

 今日は、おにぎりの具を並べた。小町と一緒に握った。帰ってくるのを待った。玄関が開いた時、自分でも驚くくらい大きな声で「おかえりなさい」と言った。

 

 まだ、自分はここの一員ではない。訓練も受けていないし、戦ってもいない。そもそもそうなる決心すらついていない。

 

 けれど、昨日より少しだけ、この場所が近くなった気がした。

 

 食事が終わると、ほむらは疲れたのかソファで眠ってしまった。スバルは報告書を書くために自室へ戻り、導も静かに部屋へ上がっていった。

 

 小町が食器を洗っている。

 

 つむぎはその横に立ち、洗い終わった皿を受け取って拭いた。

 

「つむぎちゃん、手伝ってくれるの?」

 

「はい。朝、小町お姉さんが言ってたじゃないですか。今できることをしなさいって。それなら今の私にできるのは、これくらいだから」

 

 小町は一瞬目を瞬かせた。それから、柔らかく笑った。

 

「ありがとう」

 

 二人で食器を洗い終えると、小町がお茶を入れてくれた。

 

 共有スペースのテーブルで、温かいお茶を飲む。ソファではほむらが毛布を被って眠っている。

 

「小町お姉さん」

 

「なあに?」

 

「さっき、みんなが帰ってきた時、小町お姉さんの手が震えてたの、気づいちゃいました」

 

 小町は少しだけ目を伏せた。

 

「……そう。気づいてたのね」

 

「心配だったんですよね。みんなのこと」

 

「ええ。何年経っても、慣れないわ。これが最期になるんじゃないかっていつも不安になるの」

 

 小町はお茶を一口飲んだ。

 

「私も昔は、あちら側だったのよ」

 

「……小町お姉さんも、戦っていたんですか?」

 

「ええ。昔の話だけどね」

 

 小町の声は穏やかだった。けれど、その目はほむらが眠るソファの方を見ていた。

 

「今は、この子たちが帰ってくる場所を守るのが私の仕事。それが今の私にできることだから」

 

 つむぎは、朝に小町が言った言葉を思い出した。

 

 —— もしここが無くなったら、あの子たちの帰る場所まで無くなってしまうもの。

 

「小町お姉さん」

 

「なあに?」

 

「私、まだどうするか決められてません」

 

「ええ」

 

「でも……もし、いつか私もあちら側に行くことになったら」

 

 つむぎは、眠っているほむらの方を見た。

 

「帰ってきた時に、小町お姉さんのご飯があったら、きっと嬉しいと思います」

 

 小町は少しだけ驚いた顔をした。それから、目元を柔らかくして笑った。

 

「もちろんよ。たくさん用意してあげるわ」

 

 つむぎはお茶を飲みながら、窓の外を見た。

 

 午後の陽射しが本部の街並みを照らしている。

 

 つむぎはまだ、この輪の中に入ると決めてはいない。

 

 けれど、玄関が開く音を待つ時間の長さを、今日初めて知った。

 

 帰ってくる人のためにおにぎりを並べること。温かい豚汁を冷まさないようにすること。

 

 それが戦うことより軽いのかどうか、つむぎには分からなかった。

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