ドゥアトは日干煉瓦を積み上げた四角い家が並ぶ町。ウェイストランズではありふれた建築様式だ。
ルーグ達は住居から離れた家屋。物置小屋を貸し出されていた。高い位置にある小窓からは茜色が差し込む。タルトゥとルーグは対面に座していた。
「まず
「もちろん、最初に聞いたからな」
「その力を引き出すには祈祷が必要だ」
「……ふむ、祈祷ってなんだ?」
「祈祷のほかにも詠唱や儀式なんて仰々しく言うが、要は準備期間だ」
祝詞、舞い、歌、印──神に捧ぐもの。何らかの儀式的、神秘的意味が伴う行動をすることで
本来、力を行使するに足りない人間の“格”を補うための行為。
「君の体は力を行使する為に最適化されている。だが、それでも力を行使するには祈祷が必要になる」
「なる、ほど……?」
体の最適化は初耳だったが、流すことにした。
「そして祈祷がなくとも発動する力もある。それを基礎術式と呼ぶ」
「……あー、すまないタルトゥ。少し整理させてくれ」
少し考えたのち、ルーグは口を開く。
彼の横には四角いパンとビールが置かれていた。おもむろにビールのコップを手に取る。
「このコップを格、器だとするならばビールは力としよう。
ビールを多く飲みたくともコップが一個しかない。なら、隣家からコップを借りてこよう……でも、借り物だから返さなきゃいけないというのが祈祷。
ビール一杯だけでも十分、となれるのが基本術式……という認識であっているか?」
返事は無い。ルーグは不安になり、タルトゥの方を向く。
「……なぜ、そのような顔を?」
彼女は目を見開いていた。怪訝な目付きに正気に戻ったタルトゥ。
「あ、いや、君の飲み込みが早くて驚いていた。記憶喪失と侮っていたけど、頭の回転は早いのかな?」
ある意味では侮辱とも取れる言葉だが、少年は素直に褒め言葉として受け取る。
「さっきも名前を出したけど、
「パンをビールに浸すと柔らかくなるみたいな?」
「……まあ、大体そんな感じだな」
実践してみせるルーグに、タルトゥは苦い笑みを浮かべる。
「ただ、常に力を使えるわけじゃない。器を満たす力は人間に負担がかかる。
君風に言うならばコップに常にビールを入れているとカビたり、コップが汚れてしまう。だから洗う。
その洗う行為に該当するのが
「名前?」
「そうだ、契約時に言ったろう。我が仮名は《
それはルーグの記憶にも新しい名だった。
「扉の開閉、火の点滅、水の流れ。力を起こし、鎮めるイメージ。仮名とは力を封ずる扉だ。それを自在に開閉出来なければ
「なるほど。つまりは如何にビールを入れ、如何に飲むか?」
「……君はその喩えしか出来ないのか?」
しかも、なんか違うしと呟くタルトゥ。まあ、本人が理解できているのならばと納得する。
言葉を咀嚼する中、ルーグの中に疑問が湧いてくる。
「なあ、ひとつ疑問がある」
「何かな?」
「君は《
「……さて、どうだろう」
タルトゥは答えを濁した。ルーグの視線にも屈せず、沈黙を貫く。
ふと、ため息をついて「おいおいね」と言った。
「さあ、そろそろ良い子は眠る時間だよ」
差し込む光はとうになくなっていた。
◇
早朝。ルーグは目を覚ます。
窓から差し込む闇は薄れつつある。
大きく伸びをすれば体がほぐれ、心地が良い。
「ハンモックとやらは存外、寝心地がいいな」
ハンモックを揺らすルーグ。
なんとなく視線を上げるとタルトゥが柔らかい、子供を見るような目で見ていた。
「おはよう、ルーグ。早い目覚めだな」
目が合うとニコリと笑う。
見ていたのか、という言葉を呑み込む。追求すればこちらが不利になると判断した。
ルーグは平然を装い──側から見れば頬を赤らめて──ハンモックから降りる。
「おはよう、タルトゥ。オレが言うのもなんだか朝が早いな」
「そりゃあ天使は寝ないからね」
「そうなのか」
そういえば昨日、タルトゥはパンを食べていなかったことをルーグは思い出す。天使には実体が無いと聞いたが、寝食も不要らしい。
(便利ではあるんだろうが……)
ルーグにはその性質が少しばかり悲しく思えた。
「────おはようございまーす!」
ふいに家の外から声がする。すだれを掻き分け、現れたのは妙齢の女性だった。ここらの伝統衣装だと言う白が映える服を着て、脇には二つの籠と壺を抱えていた。
「朝食をお届けに参りましたー!」
「わざわざありがとう、ネフェルさん」
ネフェルは、マルトがルーグ達に手配した世話係である。穏やかで、たおやかな美人。人当たりの良さそうな女性だ、とルーグは思った。
パンを食べる少年をにこやかに見つめる女性。
ふと思い出したかのように、声を漏らす。
「そうです。ルーグ君にお土産を持ってたんでした」
もう一つの籠から布を取り出す。ネフェルと似た白い伝統衣装とサンダルだ。
「これは……」
「その貫頭衣だと暑いでしょうし、動きづらいでしょうから」
ルーグは衣装を受け取る。白い布地はさらさらと触り心地が良く、通気性の良さそうな感触であった。
おお、と少年は声をあげる。
「ありがとうネフェル。大切にする」
「ふふ、そうしてくださいね」