テウルギア   作:水無月むに

7 / 9
第六話 暮れなずむ

 

 ──旱魃の蛇、推定襲撃時刻、十三時間前。

 

 午後二時、物置小屋。

 空はご覧の通り、天高く青々と。差し込む日差しは嫌味のように鋭利。

 昼食を終えたふたりは、作戦会議をしていた。

 

「決戦はおそらく夜中。私の力が弱くなる時間帯だ」

「使える光が少ないからか」

 

 そう、とタルトゥは頷く。

 ルーグが使える術式は三つ。偏移は光を必要としないが、残り二つは光に依存したもの。大幅な弱体化は免れない。

 

「だから、新しい術式を覚える」

 

 おお、とルーグは歓声を上げた。

 

「新しい、とは言ったが基礎術式の発展系だよ。偏移を主体として収束と発散を組み合わせた白兵術式」

 

 身体能力を増強する《青方偏移(ブルーシフト)》。

 光に仮初めの質量を与える《赤方偏移(レッドシフト)》。

 

「基礎術式の組み合わせだから、習得自体は容易い。多少のリスクはあるが、君なら問題ないだろう」

 

 リスクとやらが引っかかるが、とやかくは言えない。ここで活躍しなければタダ飯食らい。多少の危険を承知してでもやるべきだろう。ルーグは気合を入れて、押忍と叫んだのだった。

 

 

 夜の森は月光を遠ざけ、限りなく闇に近い。人間であれば明かりを必要とするが、そこは天使。闇夜なんてものともせず、目的地に向かう。

 

「────ああ、すまないが頼んだ」

 

 渋い男性の声がする。闇の中に立つ彼は、四角い何かを仕舞うとタルトゥを見る。マルトは一人だった。

 

「何の用事だ。作戦なら既に伝えたはずだが」

「いやなに、ただの世間話だよ」

 

 疑念の眼差しを受ける少女は知らんぷり。紳士はたっぷりと息を吐く。

 

「なんの企みを持ってきた」

「ひどいなあ、天使に言う言葉じゃない」

「ああ、その悪辣な笑みがなければ素直に頷くところだ」

「心外だな、可愛いだろう?」

 

 再びのため息に、ムッとする少女。

 

「本当に世間話だよ……君さ、ルーグを捨て駒にしようとしてるでしょう」

 

 鋭い眼光がマルトを刺す。

 

「…………そうだとしたら?」

「どうもしないさ。どうにもできないとも言うけれどね。簡単な話だよ──ルーグを信じてあげて」

 

 マルトは目を見開く。ただそんなことを言う為に来たのかと驚愕ゆえに。

 目頭を揉んで、「善処しよう」と告げた。

 

「ああ、そうしてくれ」

 

 少女は短く返事すると、踵を返して闇に消える。

 残されたマルトは三度目のため息を吐いた。

 

「……まったく、おかしな主従だ」

 

 

 時刻は午後八時を回っていた。

 さすがにギリギリまで修行をして、本番にはヘトヘトなんて真似は出来ない。ルーグはハンモックに臥していた。

 タルトゥは居ない。修行が終わると同時に、

 

『町を見てくるからごゆっくり』

 

 と、何処かに行ってしまった。話し相手が消え、少年は手持無沙汰だった。タルトゥを見習い、逍遥でもしようかとぼんやり天井を見つめる。

 

「こんばんわー!」

 

 ふいに、小屋の外から声がかかる。

 誰かと思えばネフェルであった。籠と壺。夕食を届けに来たのだとルーグはさとる。

 

「ありがとうネフェルさん」

「いえいえ、戦う人には元気でいてもらわないといけませんからね」

「なるほど」

 

 はにかむネフェルに、ルーグは道理だと頷く。

 よく噛めとタルトゥに言われたことを思い出しつつ、パンを噛み砕く。ちぎるではなく、砕く。硬い岩のようなパンだ。

 ゴリゴリ。ガリガリ。

 まるで食事の音ではない。

 ビールにしてもドロドロとした液体である。濁っていて小麦と思しき粒が浮いている。見た目はアレだが、栄養たっぷりなドリンクだ。

 

「ねえ、ルーグ君」

 

 ネフェルの声に、顔を上げる。

 彼女の顔は暗い。それが気のせいではないことは、ルーグでもわかる。端正な顔立ちは曇りに曇って今にも雨が降り出しそう。

 蛇への恐怖。非日常の興奮。生活が崩れる不安。混じりに混じった感情のるつぼ。少し、言葉に詰まって吐き出されたのは疑問だった。

 

「君は、どうして戦ってくれるの?」

「え?」

 

 ルーグは固まる。彼にはまるで予想だにしない質問。

 けれど、彼以外からすれば当然の疑問。

 

 ──戦う理由。

 町の人々は町を守るために。

 マルトは帝国の命令によって。

 なら、ルーグは?

 

「マルトと争い、見逃された。それに協力すると約束したしな。もっと言えば、町を守るのは良いことだ」

 

 だから、協力するのだと。命を懸けるに値するのだと言う。

 潔白で、善良な理由。それは正しい。助け合いをすることは正義であるとネフェルも思う。

 だが、人が言うにはあまりに正しすぎる(・・・・・)

 

「君は別にこの町を守る必要なんてない。貴方を縛るモノは容易く引きちぎれてしまう。貴方は逃げることができる。なのに、どうして逃げないの?」

 

 ルーグの理由は絶対的なものではない。彼個人の感情だ。この町で少年は誰よりも自由だった。だというのに、少年は逃げない。むしろ、災害に立ち向かうのだと言う。それはネフェルには理解できない未知。

 

 どうして、という視線にルーグはたじろぐ。

 彼には当たり前の行動を疑えと言うのだから酷だろう。沈黙する少年に、ネフェルは嘆息する。彼女だって彼を責めたいわけじゃない。ただ、いざ本番となって逃げだされては困る。なら、期待をさせずに逃げてほしい。

 ネフェルが今夜訪れたのはそれが理由だった。

 

「……怖くないの?」

 

 ふたたび、問いかける。

 一瞬の間を置いて、ルーグは口を開く。

 

「…………怖いよ。うん、怖い」

 

 それはまごうことなき本音。

 ネフェルは瞠目する。物語の主人公のような動機を吐く少年に恐れなどないのだと、考えていた。

 しかし、実態はどうだ。目の前にいるのは小さな子供だ。

 

「オレは記憶喪失だから、昔の記憶が無い。過去(じぶん)が無い。まるで迷子だよ。どうすれば自分であるのか、何をすれば自分であるのか、まったくわからない」

 

 幸せな記憶。辛い記憶。楽しい記憶。怒った記憶。

 日々の小さな機微を積み上げて、人間は作られる。

 だとすれば、記憶を亡くしたルーグは赤ん坊と大差ない。

 

「だけどね。記憶を無くしても経験したものは無くならないと思うんだ。いくら無くしても、気づかなくても傷跡は確かにある」

 

 翠緑の腕をなでる。そこにあったはずの何かを確かめるように。

 

「その傷跡がささやくんだ」

「ささやく?」

 

 ──お前は善であれ、と。

 ルーグでなかった誰かの記憶の残滓。たぶん、親しい人だったんだろう、とルーグが言う。

 

「だから、それを指針にした」

 

 ネフェルは絶句していた。

 それでは呪いではないかと。記憶の無い少年に残されたモノが「善であれ」なんて悲しすぎる。

 かつての自分でない誰かが、そう願われて、受け継いだルーグが願いを叶える。『それが自分であったはずだ』と。そんなものが呪い以外のなんであろうか。

 

(なんて、悍ましい)

 

 ネフェルは嘆く。この幼気な少年は、呪いに直向きに、愚直に向き合っている。それがどんな結末をもたらすかも知らずに。

 彼女は怒りでどうにかなりそうだった。

 

「ネフェルさん?」

「────、っ」

 

 ルーグの言葉に、ハッと意識が戻る。

 純朴な目だった。打算のない、飾り気一つない無垢なまなざし。昔、会った赤子とひどく似ている。まるで純粋な目で言う。

 

「オレはきっと、自分を証明したいから蛇の前に立つ。善良であることを示すために」

 

 それが町を救う理由なのだと宣言する。

 ネフェルの目にはルーグが自身に言い聞かせているように見えた。真綿で自分の首を絞めつけている。人はそんなにも正しくは生きられない。

 言葉は無い。彼女ではきっと彼を変えられない。

 

 ──でも、この呪いを解ける人はいるのだろうか。

 

 夜も更け、月は孤独に輝く。

 旱魃の蛇が到着するまで、あと──

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。