テウルギア   作:水無月むに

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第七話 旱魃の蛇

 

 夜半。マルトは大樹を背に杖を抱え、座っていた。

 森中に配置したセンサーは嵐の前を思わせる静けさだった。けれど、確かに嵐は町に迫っている。

 

 ドゥアトを囲む緑の城壁はマルトの術式だ。

 

 ──《深森庭園(フォート・フォレスト・ガーデン)

 それはどんな不毛の地でも緑に染め上げる陣地作成術式。構成する植物は術者が自在に選択でき、特に防衛戦では優秀と言える。

 今回、マルトは守りを重視した。罠や防壁、毒などの妨害・防衛に適した植物群。最悪は籠城を視野に入れた編成だ。

 頑健さは下手な城壁よりも上。厄介さで言えば対峙した帝国の騎士団が口を揃えて「二度とやりあうか、ボケっ!」と吐き捨てたくらい。

 つまり、こと防衛に限ればマルト・ホルダードは帝国でも指折り。トップクラスだ。

 

 ドゥアトの狩人は展開済み。マルトも準備はできている。ルーグは期待以上の収穫を得てきた。

 あとは敵を待つだけ。

 

(本当に?)

 

 だが、マルトの心中は穏やかでない。

 伝手の情報で巨体であること、水源を枯らすことは知っている。自ら調査もして、情報が確かだと認めている。

 しかし、不安が消えない。不足がある気がしてならない。

 

「そもそも、旱魃の蛇とはなんだ」

 

 ずっと、マルトの頭に巣くっていた疑問。帝国でも言われていたこと。暴徒でない。事象でない。比喩でない怪物とはなんだと。

 ふつう、こういう場には騎士団が派遣される。しかし、送られたのは一介の学者だ。帝国が事態を深刻視していない証拠だった。

 

「……まあ、いいさ。神秘があることなど、とうに思い知った事だ」

 

 神がいて、怪物がいないはずもあるまい。と、マルトは疑問を振り切った。

 

 

 一方、ルーグは砂漠と町の中間地点で待機していた。

 頭上には変わらず毬藻。今は監視役ではなく連絡係だ。

 

『蛇はお前の方に誘導する』

 

 だから、存分にやれとはマルトの弁。

 ルーグは前衛、もとい壁役だ。作戦前のミーティングで可能だと判断され、ここにいる。彼の役割はいかに耐え、マルトや狩人連中の攻撃を蛇に受けさせるか。

 重要ではあるが、捨て駒のような立ち位置。

 

「逆に言えば、活躍すれば信用を得られるとも言うな」

 

 タルトゥは不敵に笑う。

 そのポジティブさにルーグも思わず笑ってしまう。

 

「そうだな。信用を得れば長老の誤解も解けるかな?」

「……君は急に素っ頓狂なことを言うよな」

 

 ノーテンキめと吐き捨てるタルトゥ。きょとんとした天然少年。

 決戦前だというのにゆるい空気が漂う。

 

 ふいに毬藻が跳ねる。三回。それは接敵の合図。蛇が森に突入したことを表していた。

 

「ルーグ」

「ああ。──起きろ、《虹霓の冠(レインクラウン)》」

 

 光の神骸装(テウルギア)が稼働する──。

 

 

 同時刻。旱魃の蛇は森林を這っていた。

 その体長は26メートルにも及ぶ砂州の如き巨体。草木を薙ぎ倒し、オアシスに向かおうとするが、いやに植物が目障りで、時折何かが飛んできて邪魔をされる。

 

 “うざったいな”

 

 蛇の鱗は並大抵の攻撃を寄せ付けない。せいぜいがくすぐられた程度の痛み。だが、ウザいものはウザい。怪物は苛立っていた。

 仕方なく通りやすい道を進む。そうすれば植物が何もしてこないことは理解している。

 

 ”絶対、飲み干す”と彼の眼に執念が宿る。

 何がなんでも飲んでやると意気込んだ蛇の視界が開けた。

 

 月光が降る広場だった。

 まるで天然の舞台照明(スポットライト)。照らされる役者はひとり。蛇を目前としても仁王立ちをした少年。

 

「──《青方偏移(ブルーシフト)》」

 

 障害物(しょうねん)が何かささやいた。だが、蛇は意に介さず。所詮、ただの壁。自らが進めば崩れる脆い土塊だと突撃した。

 確かに、蛇の巨体は脅威である。重さとは力だ。体の大きさは強さに直結する単純な指標と言える。

 事実、蛇は巨体を武器に街々を壊滅させてきた。ただ動くだけで人が死ぬ、街が死ぬ。工夫などない。悪意などない。

 

 ──災害とは在るだけで破壊をもたらす者の名だ。

 

 矮小な障害程度が何をしようと知らぬ。と、油断している蛇に避ける気はない。いや、避けるという選択肢が初めからない。さして考えることもせず、突貫して、瞬く間に少年が眼前に居た。

 

「────、《赤方偏移(レッドシフト)》!」

 

 少年の掌に光が集い、塊を成す。仮初めの質量を得た光を蛇の顎へ叩き付け、解放。

 

「“アガッ、────”」

 

 光が爆ぜる。物理エネルギーを伴う光は、少年の膂力以上の破壊力を引き出す。その掌底は蛇の顎を砕いていた。

 蛇は短い悲鳴をあげ、飛び退く。

 

「“…………痛い、痛い痛い痛い痛い!”」

 

 思考の空白。理解できない。

 渇きすら意識の外。理解できない。

 痛みとは己の危機を知らす機能。理解できない。

 つまり、自分に危害が及んでいる。理解できない。

 

 理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解したくない。

 

 傷なんてとっくに回復している。蛇が持つ機能は完全だ。でも、心は別の話。

 本能は理解している。けれど、理性が、矜持が理解を拒む。

 

「“……ありえない。ありえない。ありえない”」

 

 キッと障害を、少年を睨んだ。

 すると、彼は一歩退いた。顔は青々と悪い。脂汗が滲んで、ガクガクと足が震えている。

 

「────、っ」

「ルーグ、ルーグ! どうしたんだ!」

 

 ナニカが叫んでいる。でも、蛇には聞こえない。

 

 “ああ、よかった。ボクが弱いわけじゃない”

 

 彼は安堵していた。自分の力があれば何事も単なる障害物に過ぎないのだと。

 これは旱魃の蛇が持つ機能のひとつ。恐怖心を煽る魔眼。僅かな恐怖だとしても何倍にまで増幅し、対象をその場に縛り付ける恐れとなす。

 心身が弱い者ならば心臓が止まりかねない凶悪な魔眼。

 

「“はは、はははははは”」

 

 蛇は嗤う。安堵に笑む。それは淫蕩に耽る、嗜虐に満ちた、卑しい獣の笑みだった。

 よって、ここに蛇は生まれ落ちた。

 もはや自然災害が如し化身にあらず。暴虐を知る一匹の獣。水を飲み干す蛇。

 

 その怪物の名を──アポピス。

 彼の目に映るのは渇きではない。暴虐に堕ちた、あまりに血に飢えた色。

 今はただ自分に疵を付けた少年が気に食わない。無惨に食らいつくしてやると殺意が湧き立つ。

 少年がどんな表情(かお)をしているかが見たくなって、目を合わせた。きっと絶望した顔をしていると期待して。

 

「“は?”」

 

 そして、笑いが止まる。

 顔は青い。足が震えてる。汗が地面に染みを作っている。到底戦える状態じゃない。

 なのに。だというのに、その目が睨んでいる。

 お前を倒してやると、必死に、決意に満ちた目が突き刺さる。恐怖なんか殺してやると叫んでいた。

 

「…………怖いな。怖いよ、お前は」

 

 でも、と少年は言う。

 

「それが、オレの役割を放棄する(・・・・・・・・・・)ことにはならない(・・・・・・・・)

 

 蛇に光が当たる。か細い今にもかき消えそうな月光。熱を感じ取れるアポピスに目眩しは意味がない。焼きが回ったかと思う彼の鱗に衝撃が走る。続けて一回、二回とどんどん回数が増えていく。

 それは彼にしてみれば「ちょっと痒い」程度のもの。だが、ちょっと痒い程度でも何回も続けばうざったくなる。

 

「“うがああ、ウザいな、もう!”」

 

 鱗に弾き返されたのは矢だった。正確無二に蛇だけを狙って矢を射る。

 

「……すごいな、狩人とやらは。僅かな光で蛇を射抜いてみせる」

 

 感心するルーグは地を駆る。

 青方偏移(ブルーシフト)は肉体を光として身体強化を図る術式だ。偏移率を上げることで更なる強化も可能とする。

 ただし、強化倍率は破格だが、常に収束術式を行使するのと同様の負荷がかかるし、収束術式の限界を超えれば、その肉体は光となって消滅してしまう。

 現在、ルーグの偏移限界は5%。たったそれだけの偏移率だとしても、

 

「“痛い、痛い、痛い痛い痛い!”」

 

 アポピスを傷つけるには十分だ。

 怪物は泣く。子供のように喚き散らす。巨体が暴れるのは単純ながら有効な攻撃だった。

 有効打になりえるのはルーグの打撃のみ。けれど、いくら強化されたとはいえ、ルーグは人間である。神骸装(テウルギア)使いであることも加味しても、蛇の喚きを受け止めるには弱すぎる。

 暴走する蛇を避けながら、ルーグは考える。この場の打開策を。

 

(せめて、日が昇っていたら……)

 

 だが、深夜であることが足を引っ張る。絶対的なアウェーではないが、有利でもない微妙な時間帯。夜気が消えるにはまだ遠い。

 

「ルーグ。アレを見ろ」

 

 タルトゥが指を差す。

 そこには闇の中で隊列を組む花々があった。ポンポン跳ねる毬藻。マルトの合図だ。なるほど、とルーグは頷く。

 

「……匂うな」

 

 ふいにタルトゥが呟く。

 不快げに呟かれた声にルーグは首をかしげる。

 彼女の言う匂いなんて、少しも嗅ぎ取れないからだ。

 

「卑しい蛇の匂いだ。鼻が腐る」

 

 心底から不快だ、と言わんばかりの声。

 その言葉が向けられたのはひとりしかいない。

 

「“────、は”」

 

 暴れる蛇は静止する。疲労ではない。彼の中で湧き立つ感情が処理しきれないからこその静止。はじめて(・・・・)蛇は停止した。

 

 ──《火銃花(ヒガンバナ)》一斉射。

 

 遠くで誰かが告げる。

 瞬間、暗闇に弾ける光と炸裂音。ダダダダダと音速でかっ飛ぶ種子(だんがん)は、蛇の鱗を砕き、あらわになった肉を叩く。

 蛇の声にならない叫び。のたうち回る体に容赦無く種子が打ち込まれていく。

 

「学者殿は手心がないな」

「……オレ、あんなの聞いてないんだが」

「言ってないからね」

 

 あっけらかんとした態度に、ルーグは説明を諦めて、蛇に駆け出した。

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