朝食を食べ終わってすぐに写真屋さんが来たので、俺は急いで歯を磨いた。皆は先にリビングに集合していて、合流するなり歯磨き粉をスーツに飛ばしていないかとチェックを受けた。そこから家の外に出て、玄関の前で数枚、庭の芝生の上でも何枚か撮った。お天気は快晴。涼しい風も吹いていて過ごしやすい日だった。
自分が子供の頃を思い返すと、写真撮影の意味も理解していなかったし、見知らぬ親戚とも一緒に写真を撮らなければいけない時間は退屈だったように思う。不服そうな顔はしなくても、楽しげな表情はしていなかっただろうな。
俺は普通の子供だった訳だ。お行儀は良かったと思うけど、少しだけ周りの大人の振る舞いを真似するのが上手かっただけで、何も理解してはいなかったんだ。
そんな自分の子供の時分と比べても、ヘンゼルとグレーテルの振る舞いには、気品が満ち溢れているように思う。幼いながらも、既に人前に出しても恥ずかしくない振る舞いができるんだ。大したもんである。少なくとも、俺が洟垂れの頃よりは立派だ。
だが、それも然もありなん。なにせ、前世の俺なんかとは比べ物にならない過酷な人生を彼らは歩んできたのだから。俺よりも逞しいし、俺よりも賢いのだ。老成していると言うよりも、達観していると言うべきか。いずれにしろ、我儘も言わないし、色々なものに自分たちの中で分別をつけているように見える。
誇るべきなのか…事ここに至れば、むしろ誇るべきだな。我儘を言われれば叶えてしまうだろうから、相殺していい塩梅になるのかな。子供のことはわからん。自分の子供の頃も、周りからはこんな風に見えていたのかな。
…いや、比べるべくもないな。双子の方が圧倒的に可愛いし。
まぁ、この話はここまでにして…この服装はどうにかならないものかな。写真撮影が終わったのに、ヘンゼルとグレーテルは着替える素振りを見せないし、明らかに気に入ってしまっている様子だ。
喪服みたいだから別の服に着替えようぜ!とは口が裂けても言えない状況である。俺は堅苦しいから、そろそろ着替えたいんだが…
「なぁ、もう写真も撮ったんだから着替えないか?」
「えぇ〜!せっかく似合ってるのに!そのままでいてよ!かっこいいんだから、今日だけだから!ね?姉様?」
「えぇ、兄様。私もそう思うわ。お仕事以外でヴィリーのスーツ姿が見れるなんて新鮮だもの。今日だけでも、ね?いいでしょう?」
「…わかった。今日だけだぞ?」
俺は別にスーツを着るのは好きじゃないんだが…。見る分には格好イイんだけどね。実際に着ると面倒臭いのだ、コレが。
でも、やっぱり見る分には格好イイし、特別な感じがするんだろうなぁ…お仕事をするまでは、俺も無邪気に父親の正装を見てテンション上げてた気がする…。
そう思うと、断るのもな。なんだか、シンパシーが湧いてきたもん。二人とも、案外そう言うところは子供の感性をしているんだって、気づかせてもらえたし。
どれ!ビシッと決めたまま、昼ご飯に何を食べるかでも考えるとするか!
「ヘンゼル!グレーテル!昼は何食べる?外食にしようと思うけど。何か食べたいものはあるかい?」
俺が聞くと双子は顔を見合わせて思案顔になり、ヘンゼルがわくわくした様子で口を開いた。
「ほんと?ねぇねぇ、じゃぁ、夜ご飯は?夜ご飯も外に食べに行くの?」
「ほう…そうきたか」
そういえば…前世ではそんなこともあったな。昼も夜も外食とか、スゴい贅沢な日もあったもんだと、かなり大人になってたのに気分が上がりまくったもんなぁ。給料日に家族で豪遊とか、給料を払う側に回ったせいで経験しないままここまで来ちゃったからな。今からでも遅くないか。今は子供たちもいることだし。
ようし…ならばっ。
「ソーフィヤ、ロベルタも、いいかな?それでも」
俺が期待を込めた眼差しで、会話を見守っていた二人に訊ねると、二人はそれぞれ微笑ましそうな顔のまま、頷いてくれた。
「私はいいわよ。楽しそうじゃない。三人の好きなところに行きましょう?」
「私も問題ありません。ただ、なるべく安全な場所にしていただけると、有難いです」
護衛やらは初めから連れていくつもりだったし、この一年で双子は家族以外にボディガードがいる生活にも慣れただろうから、そこは問題なしのはず。
そうと決まれば、あとはヘンゼルとグレーテルの気持ち次第だ。
「よし、ママがいいってさ!ヘンゼル、グレーテル!好きなものを言ってごらん。何でもいいんだよ?」
俺の言葉に双子はキラキラとした視線をソーフィヤとロベルタに向けた。無論、俺も二人に向けて眩しい視線を送った。これじゃあ俺まで子供みたいだけど…偶にはこういうのも悪くない。
「姉様、何でもいいって!どうする?何がいいかな?」
「兄様、どうしましょう…好きなものが一杯で、一つだけ選べそうにないわ」
「僕もだよ…う~ん、でも、お昼と夜とでチャンスは二回あるから…」
「じゃあ、お昼は兄様の好きなもの、夜は私の好きなものというのはどうかしら?」
「あ、姉様、ズルいよ!僕だって夜を狙ってたのに!」
「うふふふ…兄様?こういうのは早い者勝ちですのよ?ね、ヴィリー?」
忌憚なく意見を争わせる双子の姿は真剣そのものだが、話している内容が可愛いに過ぎる。好きなものが沢山できたのか…そうか、そうか。それで、一つには絞れないと。お昼ご飯はなんとかなりそうだけど、夜ご飯はお互いに譲れない。その理由が、いつも皆と一緒に食べる時間だから、とかだったら嬉しいな。そうじゃなくても、大好物が出てくる大切な時間として、夕ご飯のことが認識されていると思うと、何とも言えない温かい気持ちになるのだ。
少なくとも、好きな時間の一つとして、夕ご飯に居場所があるのなら…それは、家族の輪郭が固まりつつあることの、自然な証左なのだと思いたい。
思いっきり抱きしめたいと思ったけど、咄嗟に動くのも変な感じがして…大袈裟かな?でも、俺は凄く嬉しかった。涙が出そうになるくらいには。
だって可愛いじゃないか。この子たちは、原作で知るはずだったことは何も知らない。でも、原作で知らなかったことを、今は沢山知っているんだ。これから先、もっともっと、色々なことを知ってほしい。そうして、大人になっても真っ直ぐに世界を見つめられるように育って欲しい。
浴びなくてもいい理不尽は、俺や、ソーフィヤや、ロベルタが、払い除ける。幸い、払いのける為に必要な金も、力も、意志もあるんだから。ここで惜しみなく使わなくて、他にどこで使おうというのか。
「ああ、そうだな…俺も早い者勝ちでここまで来たから、それを否定はできないなぁ…」
「そうでしょう?ほら兄様、私の言った通りでしょう?ふふん!」
「わ!あー!ヴィリー!今の聴いた?ねえ!姉様がふふん!だって!」
俺の返答に対してグレーテルは得意げで、ヘンゼルは不満げだった。でも、逆に考えればここまで来るのに一年必要だったのだ。たったの一年で届いた、とも言えるかな。いずれにせよ、我儘らしい我儘も出さずに、見せずに過ごしてきたのだ。だから、少しでも我儘や、好き嫌いをハッキリと言い合える関係に進んだことに、俺は嬉しさを覚えても、不満などあろうはずもなかった。
二人が言い合いながらも、どこか楽し気にじゃれ合う姿を見るのは楽しいけど、そろそろ決着もつけないとな。そう思い、俺は先ほどの言葉に、こう付け足した。
「早い者勝ちではあるんだけど…でも、今度また食べに行くときは、ヘンゼルの好きなものを夜ご飯に食べよう。グレーテルも、ヘンゼルも、これならどうかな?二人とも好きなものを食べれるし、昼ご飯だってそれぞれが好きなものを選べるよ?」
「…それなら、いいよ?ね、姉様」
「うん…そうね、兄様。私も、そのほうが好いと思うわ」
俺の問いかけに、双子は素直に頷いた。俺たちの思い通りに子供らしく振舞わなくてもいい。ただ、今ある子供らしさを殺すことだけはしたくない。或いは…一度家族になったのなら、死ぬまでずっとそうだろう。親は幾つになっても親だし。子供も、何時までたっても親にとっては子供のままだ。
「決まったかしら?」
ソーフィヤが言う。俺は頷いた。
「みたいだな」
双子は揃って玄関に向かった。ロベルタも一緒だ。
「昼まで時間があるけど、買い物にでも行きましょうか」
俺たちも続いて、靴を履いて家を出ると、ソーフィヤが俺に問いかけた。車の後部座席には既に双子が並んで座っていたが、俺がドアに手を掛けるとヘンゼルが降りてきて、俺を迎えてくれた。
「そうだな…服でも買いに行こう。ずっと正装ってわけにもいかないだろ?」
俺が双子に挟まれて座り、助手席にソーフィヤが乗り込んだ。運転席にはロベルタがメイド服のままでハンドルを握っている。いつもの光景だが…それでいいのか。
「そうね…二人とも、どんな服がいい?」
ソーフィヤがミラー越しに双子を見て、問いかけると、双子が俺を挟んで顔を見合わせた。
「私はロベルタさんみたいな、メイド服が欲しいわ」
これに対して、グレーテルがそう言い。
「あ、じゃあ、僕も!」
これに、ヘンゼルが勢いよく同意した。
って、ええぇッ!?ぼ、僕も!?メイド服だぞ!?
俺が驚いたのと、ロベルタがマニュアル操作をミスったのは同時だった。
ガガガガガコンッ…!
「うわぁ!なになに?今の!」
「びっくりしたぁ~…」
珍しい…あのロベルタがエンジンの起動に失敗するとは。よほど強くクラッチを踏み込んだと見た。
「え!?私と同じ服ですか?それは少し…どうなのかしら、と思うのですが…」
二度目はキッチリと成功させたロベルタの運転で、車は滑らかに走り出した。家の敷地を出て直ぐに前後を黒塗りの装甲バンが挟んだが、護衛の車だから問題ない。いつも通りだ。目的地に向かいながら、ようやっとの思いでロベルタが絞り出した言葉に、俺も同意する。
「ヘンゼルはメイド服ってよりも、執事服じゃないか?」
あ、ちょっと論点がずれてるかもしれん…けど、まぁ、いっか。俺の提案にヘンゼルは眉を八の字にして応えた。不服らしい。
「えぇ~!僕もメイド服が着てみたいよ!ロベルタさんみたいに、僕も格好よくなりたいもん」
今度はロベルタも身構えていたのか、何も起こらなかった。とはいえ…ロベルタみたいにカッコいいときたか。ミラー越しにロベルタの顔を見てみるが…嬉しそうかな?どうだ?
「いやいや…あのな息子よ、執事服もカッコいいぞ?な?…ん?ソーフィヤ?」
口角が上向きに動いてるロベルタを見つつ、俺はソーフィヤに応援を要請したのだが…彼女はなぜか静かだ。というか、なんか、俺を見て溜息をついたんだが…まさか!
「わかってないわねぇ…逆よ。ヘンゼルにこそメイド服が似合うと、私は思うわ」
「いきなりぶっこむなよ!ソーフィヤ!でも、まぁ…気持ちはわかるが。どれにするかは、ヘンゼル次第ってことで…」
お前もかよ!とは言わなかったが、まさかである。気持ちはわかるが、わざわざ言わんでも…なぁ?
うん…気持ちはわかる。絶対似合う。それは分かりきってる。勝利が約束されていることはな…。
そんな、益体のない、けれど楽しい話をしながら。俺たちは近場で世話になっているテーラーの元に向かった。
やっぱり、偶にはこういう日があっても好い。
仕立ててもらったメイド服を着てご満悦の双子は、目に入れても痛いくらいに可愛いし。その恰好のままで、レストランに行こうとするのをやめるように説得したり、その説得に失敗したり、将又、唐突に双子による給仕ごっこが始まってしまい、仕事をとられたウェイターにチップを弾んだり…と。そんなハプニングこそあったものの、レストランで食べた本格的なロシア料理は美味しかった。物心ついてから、真面目にピロシキとボルシチなんか食ったの、もしかしたら初めてかもしれないな。
だから、こんな日が偶にはあってもいい。当たり前に、時々こういう日が訪れてくれたら好い。
皆だってそう、思うだろ?