もう書くしかなくなっちゃったよ……
互いに恥ずかしい思いをし、文字通り眠れない夜を過ごした次の日の早朝。2人は朝食をさっさと済ませ、軽い荷物を持って家を出た。善意の天使はリュックを背負っており、ネーティルは他人からの目を避けるため、スーツの上からローブを纏い、フードを深く被って顔を隠している。
「………今更なんだが、なんで昨日急にマスク割れたんだ?」
「さぁ………?儂がこれまでどうやっても脱げもしなかったんじゃがのぉ」
「とは言え、これである程度は迫害から逃れられそうだな」
元々マスクを着けている存在として浸透している死神にとって、マスクを脱ぐということは自身の存在を隠すことと同一である。常に狐面を模したマスクを着けていたネーティルも、素顔を知られていなかった恩恵によってその存在を気づかれにくくなっているのだろう。
そして、歩くこと数十分。2人は草原へとたどり着いた。が、周りの草木はまるで焼け焦げたかのように黒く、生命の息吹を一切感じられない。よく見ると、あちこちに銃撃や斬撃の痕が無数に刻まれている。
先程と打って変わって、重苦しい雰囲気で包まれた草原に、ネーティルは首をすくめる。しかし、無意識のうちに力がこもった手を、善意の天使が優しく握る。
「大丈夫だ。行くぞ」
抱きつかれただけで死ぬほど照れていた昨日の彼の姿はどこにも存在せず、今ネーティルの目の前にいるのは、覚悟と寂しさが相乗りした笑みを浮かべた彼だった。
善意の天使に連れられて奥へと進んだ先には、より一層荒れ果てた大地の上に、ぽつんと墓が建てられていた。
「ここが………目的の場所か?」
「あぁ」
彼女が善意の天使の顔を下から覗くと、これまで一度も見ることの無かった、彼の悲しげな顔がネーティルの瞳に映った。
いつの間にか反対の手に手桶と柄杓を粒子生成しており、繋いでいた手を離して、墓の掃除を始める。言葉にならない寂しさをその背中から感じ取ったネーティルは、何も言わずに自身も箒を生成し、周りの掃除を始めるのだった─────。
「………この人は、カキア。俺が昔世話になった人だ」
掃除が終わり、線香を焚いて手を合わせ、墓前に座り込んだ善意の天使は、数分の静寂の後、横に座るネーティルにぽつぽつと話し始めた。
「あの人は色々と凄い人だったよ。会うたびに俺の口に珍しい菓子とか突っ込んでくるし、食わないとむくれて次に持ってくる量が増えるし、そのくせ何処に行っても高確率であの人に出くわすし、なのにふらっと遠出したりするし………」
「そ、それはまた凄い人物じゃのぉ………」
彼の脳裏にあまりにも鮮明にフラッシュバックする゛善意クン、このスイートポテト美味しいよ!ほらほらお姉さんのおやつが食えぬのかー?゛という声。呆れ半分、懐かしさ半分と言った感情に、ネーティルは苦笑いを浮かべる。
「………あの人は、此処に来たばかりの俺に色々教えてくれて、それからも何故かずっと付いてきてた。事あるごとに面倒事を持ってきたり、ちょっかいかけてきたり─────」
「─────けど、お前と出会う2年前ぐらいに、悪意狩りの天使達に殺された」
「………っ」
つい数秒前まで思い出話に耽けていた彼の口から、ただの一つも温かさを感じない、聞いたことないほど無機質な声が出たことにネーティルは声が出ないほど驚く。
「あの人は悪意の天使だった。88人目のな。俺がいない所で、しょっちゅう迫害を受けてたんだと」
彼の両手に、力がこもる。
「俺は、それに気づけなかった。助けることも、相談に乗ることもなかった。全部に気づいたのは、あの人がこの場所で痛めつけられて、焼き殺された後だ」
爪が食い込み、彼の手から血が滴る。
「その後、迫害した天使たちはひっそりと死神達に殺されてたらしい。─────俺は、恩人に何も返せなかった挙句、仇すらとれなかった」
「その時、初めて気づいたんだ。天国は、名前ばっかりの地獄なんだ、って。苦労して此処に来れても、必ずしも幸福になれる訳じゃない………!訳も分からず押し付けられたこの肩書が!!自分自身を殺すことすらあり得る─────」
「お主!!」
ヒートアップし、更に手から血が吹き出すほど強く拳を握る善意の天使を、ネーティルが手を治癒しながら宥める。はっ、とした彼は数回深呼吸を挟み再び静かに話し始める。
「………けどその時、あの人が最後に会った時に言ってた事を思い出したんだ」
『いい?この天国とかいう場所は、必ず苦労が報われたりしない。胡散臭い人に言いくるめられたり、考えを否定されたり、心ない言葉をかけられる事だってある─────』
『─────けどね。私はこう思う。全員が全員を肯定し合えなくても、誰かが全員から否定される必要なんで絶対にない。生まれとか、肩書とか、身分とかなんて関係ない。誰かを否定する権利があるなら、誰かに肯定される権利だって必ずある』
『だから、私は色んな所に行って、色んな人と会うの。それで、その人が思い詰めてたら、言ってあげるんだ。[私は、貴方と一緒に過ごす時間が好きだよ]って』
『例え一人だけでも、誰かから肯定される。それだけで、人ってぐんぐん元気が湧いて、頑張れるんだ。不思議な生き物だよねぇ、私たちって!』
「………だから、お主も人助けを?」
「そういう訳だ。あの人みたいに器用にできなくても、誰かにとっての[肯定]になりたい。善意の天使だからじゃなく、俺自身の意志で、誰かの生きる糧になりたい。そう思ったんだ」
「やはり、結局はお主の優しさか」
彼の全てを聞き、ネーティルは予想通りと言わんばかりに、安堵のため息をつく。
「………俺、そんなに分かりやすいか?」
「いいや?これは儂の純粋な予想じゃ。どうせお主の事だから───と思ってな」
「それつまり分かりやすいって事じゃねえか」
数秒の沈黙の後、2人は同時に吹き出し、声をあげて大きく笑い合う。
(カキアさん。俺は、俺の意思で、こいつにとっての肯定になります。だからどうか………気長に見守っててください)
その日の夜。何事もなく帰宅できた2人は、いつものような午後を過ごし、眠りについた。
善意の天使も、この日だけは、普段のような悪夢を見ず、ぐっすりと眠れていた。
その時、彼の部屋の扉が静かに、ゆっくり開く。足音を立てぬよう、寝間着姿のネーティルが、部屋に入り、ベッドの前に立つ。
「………これだけ近づけば、普段は気配で起きるじゃろうに」
そう呟く彼女の瞳には、幸せな夢でも見ているのか、小さく笑みを浮かべてぐっすりと眠る善意の天使が映る。
彼女は、昼間に彼が言っていたことを、頭の中でループ再生していた。
「誰かにとっての肯定、か………」
そして、彼女は意を決したかのように、彼の掛け布団をめくり、隙間に自身の体を滑り込ませる。
そして、彼の体に腕を回し、優しく抱きしめる。
「ならば………儂が、お主を肯定しよう」
そして、小さなリップ音が部屋の静寂に染み渡る。
「─────儂は、お主の事を心から
彼女はそう言いきるや否や、恥ずかしさから彼の胸に顔を埋めた。
口に残る甘酸っぱい味と、優しい彼の匂いに包まれて、多量の羞恥と多少の罪悪感を抱きながら、ネーティルもまた、幸せな夢へと意識を移していった。
「………俺も、愛してるよ」
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次回予告
−1話 小狐輪廻