君の弾き語りが聴きたい   作:待ってください

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『♪押し入れより愛をこめて』

 かき鳴らす。

 

 かき鳴らす。かき鳴らせ。

 

 高校生活が始まって一ヶ月。春が過ぎ去り、そろそろ初夏に差し掛かる五月。

 

 きっと注目の的になるだろう、話しかけてくれる人がいるだろう。そう思って、ギターとバンドグッズを精一杯身に着けて登校した。……はいいものの、結局誰からも話しかけられないまま、お昼休みになってしまった。

 

 ギターを抱えて教室から逃げだした私は、廊下の隅の物置のような場所ですっかり意気消沈して、現実からも逃げ出してギターをつま弾いている。

 

 走れ、走れ。旋律よ跳ねまわれ。体育が苦手でかけっこもドベ。でもここでだけは、誰よりも上手く駆け回れる。

 緩やかに、しなやかに。上気するリズムを手懐ける。勉強が苦手でバカな私。でもここでだけは、誰よりも淑やかに奏でられる。

 

 ギターの六弦。この丘の上でだけは、私は自由だ。凍てつく地面だって固い岩だって、どこへだって転がっていける。

 

 

 ――本当に?

 

 

 バンドは、私のような陰キャでも唯一輝ける場所。

 

 みんなにちやほやされたくて、中学三年間、毎日6時間練習を続けた。でも結局中学ではバンドは組めなかった。動画サイトではみんな褒めてくれるけれど、家族以外にはリアルでは誰にも披露なんかしたことがない。披露する友達もいない。

 

 だから、本当に私がギターが上手いのかなんてわからない。

 

 今日だってこうしてギターを持ってきたけど、バンドグッズも持ってきたけど、誰も話しかけてはくれなかった。

 

 受け身でいるからだって、自分から踏み出さなきゃいけないって、分かってはいる。でも、他人の目もまともに見れないし、会話の頭に「あっ」ってつけちゃう私が、もしも話しかけて、笑われたりなんかしたら。

 

 

 ……なんだか、悲しくなってきた。

 

 ギターを弾いて少しだけ弾んでいた私の心も、穴の開いた風船のようにしぼんでしまった。流行りのロックのアウトロが終わる。暗く沈んだ気分のまま私の指は弦を弾き、口はひとりでに、今の気分を弾き語っていた。

 

 ……ジャラン♪

 

 ――人様の前で演奏できるように♪

 

 ――毎日6時間練習を続けた結果……♪

 

 ――いつの間にか中学終わってた~♪

 

 ――ライブ出れなかった 『文化祭』♪

 

 ――集められなかった 『バンドメンバー』♪

 

 ――そもそも友達一人もできなかった 『三年間』♪

 

 ――高校こそは……♪

 

 ――高校生になったら 絶゛対゛バンドやるんだ〜~……ッ!!♪

 

 ……ジャラン♪

 

「と決意した高校生活も始まって早一ヵ月、心の拠り所はギターだけ♪」

 

「ひきこもり一歩 手前です♪」

 

 作詞作曲 後藤ひとり『♪押し入れより愛を込めて』……って、私のクソなオリジナル曲を弾いたところでしょうがな――

 

「ククッ、ふっクククッ」

 

 えっ。

 

「はははっ、あっははは、あっはははははっ!!!」

 

 最初は押し殺された、しかし堪え切れない、堪えることそのものが馬鹿馬鹿しいというように物置に高らかに響いた笑い声。誰も居ないと思っていた私は、飛び上がって階段の向こうへ振り返る。

 

 そこには目元を抑え、抱腹絶倒とばかりに笑い続ける男の子の姿があった。

 

 ――聴かれたッ!?

 

 我ながら私とは思えない機敏さで手摺の影に身を隠し、熱をもった顔だけを覗かせる。彼はこちらを刺激しないよう、ゆっくりと階段を降りてくる。

 

 すらりと伸びる細身の手足。男の子としては少し長めの艶やかに輝く黒髪。まるで女の子のように睫毛が長く、整った目鼻立ち。

 階段の上から注ぐ光に照らされたその姿は一枚の絵画のようで、思わず見惚れてしまった。

 

 彼は笑いの余韻を振り払うと、私と目を合わせるように身を屈めて、僅かに相好を崩した。

 

「大変、楽しく拝聴させていただきました。盗み聞きをしてしまい、申し訳ありません」

「あ、あの、最後の、弾き語りも……?」

「はい。興味深く諧謔味のある、よい弾き語りだと思います」

「ッ〜〜!?」

 

 当然、聞かれてしまっていた。

 

 声にならない絶叫を上げた私は、手すりの奥に隠れて頭を抱える。は、恥ずかしい。羞恥だけで死んでしまいそうだ。よりにもよって、あんなクソみたいな弾き語りを聞かれてしまうなんて。

 

「いや、馬鹿にした訳ではありません。ごめんなさい、それまでとのギャップが可笑しくて。あんな凄い演奏をされる方が、随分と味のある弾き語りをされるのだな、と」

「……凄いって、私の演奏が?」

「僕は元はピアノが専門で、弦楽器はさほど詳しくありません。しかし、それでも貴女が高等技術を使いこなしていることは分かる。あそこまで転調を繰り返しても旋律に全く澱みがない。音量のダイナミクスのメリハリや表現力にしてもそう。感服致しました」

 

 彼は壁の向こうで私のギターをひかえめに、だけどどこか熱っぽく語る。そこに私をからかったり、馬鹿にしたりする気色はない。

 

「ほ、本当に? お、お世辞じゃなくて……?」

「勿論」

「あ、あ、……ありがとう、ございますっ。え、えへへ、ふへへへへっ……」

「……大丈夫ですか? 輪郭? が溶けているようですが……」

 

 再び壁から顔を出した私に、彼は小さく頷く。ほ、本当に私のギターが褒められている……!? 中学3年間の努力は、む、無駄じゃなかったんだ……!

 

 承認欲求が満たされ、まるで最初に動画コメントが付いた時のような、身体がとろける感覚に身を沈める。……どうしてだろう、彼はちょっとだけ冷や汗をかいていたけど。

 何にせよじんわりと陶酔感に浸っていた私に、彼はところで、と話を切り出す。

 

「催促するようで恐縮ですが、他の曲などはないのでしょうか」

「へっ?」

「いや、コレで終わりというならば仕方がないのですが。他に弾き語りのレパートリーがあるなら、是非聴かせて頂きたい」

「え、ええとじゃあ定番の……えっ」

 

 遠慮がちに、でも興味を抑えきれないというように身を乗り出してのアンコール。もちろん応えなきゃ、家族以外ではリアルで初めて私の演奏を褒めてくれた男の子なんだから!

 

 ……って、弾き語り?

 

 えっ? ……えっ? あれを?

 

「あ、あんな弾き語りを、ですか?!」

「はい」

「あっ、あの……。あれは思わず出てきてしまった、黒歴史といいますか……。正直、人に聞かせるようなものじゃないんですけど……」

「はい」

 

「だからこそ、僕は貴女の弾き語りが聴きたい」

「ええ……」

 

 愕然とする私を他所に、端正な造形の瞳を爛々と輝かせて、深く頷く目の前の男の子。

 

 他人の黒歴史を聞きたがる彼の感性についていけない。かくいう私も陰キャのぼっちで、一般の感覚どうこうに自信はないけど、それは絶対変だし悪趣味だよ……。

 少しどころではなく身を退け反らせた私に、彼は少し恥ずかし気に首を振って、ゴホンと誤魔化すように咳払い。

 

「念を押しますが、僕は貴女を揶揄するだとか、嫌がらせがしたい訳ではありません。貴女の演奏は本当に素晴らしい」

「は、はい。あの、だったら、普通の曲を聞いてくれれば……」

「けれどだからこそ、自在に旋律を操れるはずの貴女が、しかし俯きがちに喉を震わせる。その姿こそが斬新で心惹かれる」

 

僕は貴女の弾き語りが聴きたい

「ええ……」

 

 淡々とした口調で、しかし力強く語る彼に誤魔化す気は全くなかった。というか、接続詞の前後の繋がりから読解できない。何が「けれど」で、何が「だからこそ」なんだろう。

 

 とりあえず私を笑いものにしたい訳ではないようだけど、目の前にいるはずの男の子が遠く感じる。私にはあなたが分からないよ……。

 

「まあ、即興の弾き語りを無理強いするのも野暮というものか」

 

 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。男の子は残念そうに瞑目した後、ふう、と息をついて立ち上がった。

 

「僕は1年5組の水木南と言います。また、貴女のギターを聴かせてくれますか?」

「えっと、はい。1年2組の、後藤ひとりです。いつもギター、持ってきてる訳じゃない、ですけど。……私なんかで良ければ、えと、また、聴いてください」

 

 ……よく分からないところはあるけれど、それでも彼は私の演奏を褒めて、認めてくれた。それだけで、私がギターを持ってきたことは無駄じゃなかったと思える。一応は素直に嬉しい。

 

 水木と名乗った男の子は、背筋をピンと伸ばしてこちらに右手を差し出す。背筋を曲げた私は、けれど彼と同じように名乗って、おっかなびっくりその手を取ったのだった。

 

「……あっ、ふ、普通の演奏ですよ!?」

「楽しみに待っていますね」

「分かってないですよね!? あんなの弾きませんからね!?」

 

 

 

 

 

 ギターが逃げた。

 

 一念発起して始めたバンド活動、その記念すべき初ライブ当日。本番2時間前の放課後になっても彼女と連絡が付かない。

 

 いや、都合が付かないと頑なに合同練習を避けていたのは、今にしてみれば怪しかったけど。あたしが会った限りは人当たりのいい子だったし、まあ追々合わせればいいか、なんて呑気に考えていたのが間違いだったらしい。

 

 でもこのライブは大事な夢への第一歩。簡単に諦めたくない、その一念でライブハウス・STARRYを飛び出した。本来のギターの子は見つからなかったものの、幸いギターケースを背負った女子高生、後藤ひとりちゃんに出会えた。この千載一遇のチャンス、逃すわけにはいかない!

 

「お願い! 今日だけサポートギターしてくれないかな!?」

「えっ……!? む、む……」

「なにとぞ、お願い……よし、ありがとう! 早速ライブハウスへ行こう!」

 

 もうライブまで余裕がある訳でもない、この子を逃したら他にギターが弾ける子なんて見つからない。そう思って彼女の手を握ったその瞬間。

 

 

後藤さんに、何かご用件ですか

 

 

 背後からの低く、冷え切った声。

 

 振り返ると、そこにいたのは姿勢良く背筋を伸ばし、しかしどこか不機嫌そうにこちらを見据える男の子。流石に驚いて素っ頓狂な声をあげてしまった。

 

「うわあっ!? だ、誰っ?!」

「み……水木くん……?」

「……って、知り合い?」

 

 ひとりちゃんも目を丸くはしていたけれど、どうやら彼女の知り合いらしい。あたしにコクコクと頷き返している。

 

 彼は表情を硬くはしていても、それでもその鼻筋はすっきりと通り、目元は切れ長の二重瞼。彼の顔はまるで女優のように――俳優、ではなかったのも正直な所だけど――とにかく端正で整っていた。

 ……なんて、下世話なことを考えていると。

 

「知人が怯えたまま、何処かへ連れ去られようとしている。そこに声を掛けるのはそれほど不条理な行為でしょうか」

「へっ?」

 

 水木と呼ばれた男の子は、丁寧なようで暗に咎めるようにそう述べる。

 勧誘に必死になって気付かなかったけど、我に返って目の前に居たのは――小動物のように身を縮め、俯いた顔を真っ青にして震え上がる涙目の少女。

 

 ……あっ。

 

「ひ、ひとりちゃんに疾しいことはしてません! ただあたし達のバンドのギターに今からヘルプで入って欲しいって話をしてただけなんです! 信じてください!!」

「……後藤さん、彼女の仰ることは正しいでしょうか?」

 

 た、他校の後輩相手になんてことを。慌ててワケを話したあたしにも、疑わしいと言わんばかりに目を細める男の子。

 

 幸い、ひとりちゃんは勢いよく頭を縦に振った。ひどく怯えていたとはいえ、あたしに脅されているとは流石に思っていなかったようだ。彼女のしぐさを確認した彼は、芝居がかったため息をひとつ。

 

「……本番当日に強引に代走を要求する、その行為自体の疚しさはともかく」

「うっ、わ、悪かったよ。でもこっちも、ギターの子が今日になってバックレちゃって、困ってて……」

「駆け出しの零細バンドではよくある話、ですか。大方の事情は理解しました。むやみに疑いをかけてしまい、大変申し訳ありません」

「い、いやあ、分かってくれればいいよ……」

 

 ひとまずひとりちゃんを無理に連れて行こうとしていた訳ではない、と理解はしてくれたらしい。彼はちくりと皮肉を交えつつも、慇懃に頭を下げた。……あたしへの意趣返しか、どこか対応が辛辣。

 

 ただこちらも焦って誘い方が強引になった負い目もあるし、頭も下げられているので文句も言いにくい。

 

「気を取り直して、あたしは下北沢高校二年、伊地知虹夏」

「秀華高校一年、水木南です。一学年先輩だったのですね、重ねて失礼申し上げました」

「ま、まあ、あたしも結構強引なとこあったし。ごめんねひとりちゃん」

「い、いえ。き、気にしてませんから……」

 

 名乗り返した彼、水木君は表情を動かさず、頭だけは腰から丁寧に下げる。ほ、ホントに失礼したと思ってるのかなぁ……? いや、それは今は置いておいて。

 

「それで、改めてヘルプのギター、お願いできないかな」

「えっ、……あっ、あの、その……」

 

 水木君の登場で、少し落ち着いたように見えたひとりちゃん。でもヘルプギターの話には、やっぱり自信がないのか目に見えて狼狽えてしまう。うーん、確かにこんな人見知りな子には、ちょっと酷なお願いだったのかも。

 

 彼女は助けに来た少年に縋るように視線を向けて、

 

「? 何か躊躇う理由でも?」

「え゛っ!?」

 

 けれど藁にもすがる思いのひとりちゃんに、肝心の藁の無情な一言。彼は引き受けて当然、むしろすがって来るのが謎とばかりに首を傾げた。

 というかひとりちゃんを置いて帰ろうとするのはどうなの。

 

「あ、あの、わ、私には荷が重いというか……」

「後藤さんはバンドを組むことが目標なのですよね? 不幸な行き違いこそありましたが、奇貨は居くべきですよ」

「えっ、あ、ああ、そんなあ……」

 

 あたしをちらと見て、多少強引な所はあれ悪い方ではなさそうですし、なんてひとりちゃんを煽る水木君。この野郎、いけしゃあしゃあと。

 

 いや、待てよ。ひとりちゃんもバンドを組みたがっていたというなら、お互い渡りに船といえばその通り。ならいっそ、ここは彼の煽り文句に便乗させてもらおう。

 

 ……背中から撃たれた背中から、と言わんばかりのひとりちゃんは可哀想だけど。

 

 

「よーし、そういうことならこの際ヘルプと言わず、一緒にバンドやろうよひとりちゃん!」

「確かに、降って湧いた話に困惑されるのも無理はない。しかしだからこそ、多少の失敗で非難される謂れもありません」

「そうそう。ダメで元々、失敗しても大丈夫! 誰も怒ったりなんかしないよ!」

 

 

「そもそもあたしたちも学生バンドだし、求められてるハードルもそこまで高くないよ! あたし達も精一杯フォローはするから!」

「まあ、後藤さんの技量なら何とでもなるはずです。何なら今からプロの舞台に上がっても通用するでしょうしね」

「本当っ? そんなに凄いギタリストだったんだ! このまま一緒に武道館まで埋めちゃおうよ!」

 

 

 理詰めでひとりちゃんのメリットを説く(逃げ道を塞ぐ)水木君と、感情的な安心感を(こっちの水は甘いぞと)訴えるあたしのコンビネーション。どんどん顔色を悪くするひとりちゃんには悪いけど、水木君のキャラも掴めてちょっと楽しくなってきた。

 

「世辞も過ぎればかえって無礼なのでは?」

「急に冷静にならないでくれる?」

 

 あたしにも矢が飛んでくるので油断ならないけど。というか慇懃無礼な君に言われたくないなー。

 

「ともかく。後藤さんにとっても、悪い話ではないと思いますよ」

「あたし達を助けると思って! この通り! お願いします!!」

「えう……でもぉ……」

 

 ひとりちゃんも急な話で踏ん切りが付かないだけで、なんだかんだ悪い気はしていないんじゃないだろうか。水木君やあたしの説得に、顔を青ざめさせながら嬉しそうにもしていたのは丸わかりだった。

 

「うう、はい……。がんばりまひゅ」

「ありがとうひとりちゃん!」

 

 プルプルと震えていたひとりちゃんは、けれど観念したように頷く。やった、これでライブができる! 彼女の勇気に、あたしは感謝一杯で手を握った。

 

 

「では僕はこれで。後藤さん、ライブ頑張ってくださいね」

 

 

「まって!!!! みすてないで……みすてないでください……!!」

 

 そして水木君は今度こそ用は済んだ、と踵を返していた。

 

 便乗したあたしが言うのも何だけど、ああまで煽っておいて「ハイさよなら」は流石にひどいよ。助けに来たと思った相手のあんまりな仕打ちに、もはやガチ泣きしながら彼に縋り付いたひとりちゃんを一体誰が責められようか。

 

 

 

 

 下北沢にあるというライブハウスに向かう道のり。水木くんが逃げてしまわないよう、私は彼の腕を抱えて歩いていた。普段なら男の子にしがみつくなんてできないけど、今の私は色んな意味で支えがないと歩けない。

 

 今日これからライブをやることへの恐怖と不安。人肌の温もりで震えを紛らわせないとどうしようもない。

 さっきの私の醜態には、流石の水木くんも思う所があったらしい。困ったように身じろぎをすることはあれど、ほとんどされるがままだった。

 

「はい、ご迷惑をお掛けしました。……電話をお借し頂き、ありがとうございました」

「今時スマホを持ってないって珍しいよね。でも何の電話してたの?」

「この後アルバイトの面接があったので、断りとそのお詫びを、と」

「あー……まあ、ひとりちゃんのこの様子じゃあねえ。でも、あれじゃ女の子を散々弄んだ挙句、見捨てたようにしか見えないよ」

「人聞きの悪い物言いはやめて頂けませんか?」

 

 公園では少々刺々しかった二人も、道中で話す内にいく分打ち解けた様子。水木くんより伊地知さんのコミュ力が大きそうだったけど。

 ……そして、そこに入れない私はやっぱりぼっちだった。

 

 水木くんは表情が薄い。

 

 私が脅されていると勘違いして不機嫌だったのかと思っていたけど、どうやら素でそうだったらしい。誤解が解けた後、二人で結託して私に説得という名の追い込み漁をしていた時も、その表情はほとんど能面のようだった。

 

 伊地知さんと話している今も、彼は無表情のまま。彼女もやりにくそう、という訳でもなかった。なんでもベース担当の幼馴染の人もそうなんだとか。流石陽キャ、強い。

 

「けど、君がそこまで気にするって、ひとりちゃんの演奏ってどんななの?」

「素晴らしい演奏ですよ。敢えて邪魔をするつもりもなかったのですが、堪え切れず笑ってしまって」

「……なんでギターの演奏で笑うのか、というのもそうだし、君が笑うって相当だよね?」

「実際、諧謔としてもかなり……あの、後藤さん、痛い痛い」

「あ、あはは。気になるけど触れるのはよしておこうかな」

 

 あの弾き語りを伊地知さんにまで知られたら、こんなに明るく素敵なお方に陰キャのUMA(ツチノコ)の生態なんぞが知られてしまったら、今度こそ私は死んでしまう。私は両腕に力を込めて、水木くんの意地悪を実力で阻止した。

 

 ……後から考えたら無駄な努力だったんだけど。

 

「後藤さん。落ち着かれたようなら、そろそろ腕を離しては頂けませんか。流石にここまで来て、貴女だけ置いて帰ろうとは思っていませんよ」

「……水木くんは意地悪だから、信用しません」

「あーあ、ひとりちゃんヘソ曲げちゃった。あんまり女の子にひどいことしちゃ駄目だよ」

 

 水木くんは意地悪だ。

 

 初めて会った時、あの『♪押し入れより愛を込めて』を大笑いしてくれたし。確かにクソみたいな曲だけど、あんなに笑わなくてもいいと思う。

 ……そもそも、他人の黒歴史を聞きたいと本人に宣う時点で性根が歪んでいる。

 

 さっきの公園でも伊地知さんと一緒になって私を追い詰めておいて、話が決まった途端私を置いて帰ろうとした。用事があったらしいとはいっても、水木くんは元々私を助けにきてくれたはずだったのに。

 

 なんだかちょっとムカついて、私は再度腕に力を込めた。

 

「まあ、彼女の機嫌を損ねたのは全面的に僕が悪いとして。先程の会話で、僕はとくに誇張や世辞を挟んだつもりはありませんよ」

「へっ?」

「じゃあひとりちゃん、本当にギター上手いんだ。本人はそこそこって言ってたけど」

「え゛っ!?」

 

 そんなことを思っていると、私のギターの腕前に話題が飛び火。ああ、やめて、伊地知さんの期待値が上がってしまう!

 

 ……でも、私のギターって、どうなんだろう。昼間の不安がぶり返してくる。ネットのみんなは上手いって言ってくれてるし、水木くんも褒めてくれたけど、他の人とセッションなんてしたことがないし。

 

 自信を勝手に失っていた私を脇目に、水木くんは少しだけ相好を崩して、眩しいものを見るように目を細める。初めて会ったときの、微笑み。

 

「僕が後藤さんの演奏を好きなのは、そういう部分だけではないのですが」

 

 なにか、……お父さんに初めて演奏を披露した時のような。決して上手く弾けたわけじゃないけど、ギターを弾く私の姿そのものが嬉しいというような、とても穏やかな横顔。

 

 そういえば、初めて会った時――大笑いしていたのは別としても――その時の水木くんは、さっきまでの彼とはどこか印象が違った。

 

 今にして思えば、陰キャの私が水木くんとそれなりに会話できたのは、彼が今みたいなとても優しい表情をしていたからだ。彼が本当に私の演奏が好きなんだって改めて分かる。こんな私でもリアルで評価してくれる人がいるんだって、顔に熱が集まった。

 

 

 

 ……あれ? でも水木くんが好きなのは『♪押し入れより愛を込めて』だよね?

 

 気持ちが急に冷めてきた。アレでそんな優しい顔をされても、正直、その、なんというか……。

 

「……あんまり嬉しくない」

「なんで!? ねえ、二人は友達なんだよね!?」

 

 

 

「そ、それは置いといて。そう言う水木君は何か楽器やってるの? 」

「はっ!!! 水木くんはピアノをやってるそうです!」

「なんでひとりちゃんが答えるの、しかもそんな必死になって……」

 

 微妙に気まずい沈黙に縮こまっていた私だけど、伊地知さんのその質問ではっと気付いた。

 

『僕は元はピアノが専門で――』

 

 そう、会話の僅かな情報を手繰り寄せる。死なば諸共、地獄に道連れ。水木くんが無関係を決め込むんだったら、彼にも関係者になってもらおう。水木くんへのささやかな仕返しも込めて答えたら、伊地知さんはちょっと身を引いていた。……ひどい。

 

「まあいいけどさ。この際ピアノも参加しちゃう? 簡易キーボードくらいはSTARRYにもあったはずだけど」

「無茶を仰る。それに、ピアノはこちらに移ってきた際にやめてしまいました」

「ありゃ、それまたどうして」

「……習い事に嫌気が差した。よくあることでしょう?」

 

 肝心の水木くんはにべもない。表情を固く戻して、伊地知さんの誘いをそっけなく断ってしまった。

 

 どこか寂しそうに俯いて。痛みをこらえるように、口を一文字に結び引いて。

 

「痛い痛い。あの、腕を人質にするのはそろそろやめて頂きたいのですが」

「そんなこといわないで、一緒にやりましょうよぉ……」

「だからなんでひとりちゃんがそんなに必死に勧誘してるのさ。あたし達どんなバンドだと思われてるの」

 

 思わず腕に力を入れたのがクラッチになっていたらしい。呆れたように突っ込む伊地知さんだけど、私にとっては死活問題なのだ。それに水木くんはもうちょっと痛い目を見てもいいと思う。

 

「でも、何かを強制されて嫌いになっちゃうって、気持ちはちょっとわかるかな」

「うぐっ」

「そもそも僕がやっていたのはクラシックで、……後藤さん大丈夫ですか? 顔がスロットマシンのようになっていますが」

 

 なんでもないような呟きが、けれど私には深く突き刺さる。実際、私も強制されて嫌いなったものばかりだ。体育、二次関数、ピーマン、人付き合い、etcetc……。

 

 伊地知さんは苦笑いしながら、トラウマで顔のパーツが縦に流れる私を宥めた。

 

「残念だけど、無理強いはよくないよひとりちゃん」

 

 ……。

 

 それだと、数と理屈と陽の気を盾に逃げ道を塞いでくるのは「無理強い」とは言わないんだろうか。

 

「どうしたの?」

「……いえ、別に」

 

 

 

 

 

「ギター、見つかったんだ。……ほう、なかなかバンドマンらしい奴が来たな」

 

 リアルの理不尽さに戦慄しながらも、なんとかライブハウス――どことなく暗い雰囲気で、陰キャの私には馴染み深い――に着くと、伊地知さんに声が掛かる。

 背が高くて、中性的な鋭利さを持った綺麗な人。水木くんといい伊地知さんといい、やたら顔面偏差値が高くて尻込みしちゃうなあ……。

 

 その青い髪の女の人は、値踏みするように顔を近づけてきた。鋭い目つきに睨まれているように感じてしまって、思わず水木くんの陰に隠れる。

 

「……らしいって、どの辺が?」

「キノコヘアと言えなくもないし、女も侍らせてる。これで喫煙飲酒もやってない筈がない」

「バンドマンへの偏見が凄い!」

「飲酒も喫煙もしていませんし、後藤さんは……」

 

 胡散臭そうに聞き返した伊地知さんに、彼女はその整った顔から割とトンチキなことを宣っていた。そもそも私はギタリストとして認識されてなかったらしい。いやまあ、バンドマンのステレオタイプに合致するのは間違いなく水木くんだろうけど。

 

 初対面の相手にアウトロー判定を喰らった彼は僅かに眉を顰め、腕にしがみついていた私を見返して。

 

「役得ということで」

「あ、そこは否定しないんだ?」

「やっぱり私の見込みは正しかった」

「は、侍ってないです!」

 

 彼も彼で真顔でトンチキを言い放った。揃ってニヤけた笑みを浮かべた伊地知さんと青髪の人に、思わず彼から距離を取る。

 

 侍るというか、牽引というか。自分で言うのも何だけど、水木くんだって防虫剤の匂いのする芋ジャージ女にひっつかれても困ると思うんだけど。

 

「とか言ってる場合じゃなくて。ギターはこっちの、後藤ひとりちゃん。彼は付き添い? の水木南君」

「その、よ、よろしくお願いします」

「ひとりちゃん、こいつがベースの山田リョウね」

「よろしく。……こっちがギターなのか。ちょっと意外」

 

 改めて挨拶を返す私を見て、ベーシストの山田さんは考え込むように口元に手を当てる。や、やっぱり水木くんみたいに堂々としてないとバンドマンとして不満なんだろうか……。

 

「こら、ひとりちゃんを怖がらせないの。リョウは表情が出にくいだけだから。ほら、「変人」って言うと喜ぶよ」

「怖がらせてないし。嬉しくないし」

 

 これでベーシストは落ちる、と嘯く伊地知さんに、山田も露骨に機嫌良さそうに目を細めた。私が気に入らない訳じゃなさそう、と少し安心していると、水木くんがぽつりと呟く。

 

「しかし本来、変人とはその奇矯さを自ら顧みないがためにそう呼ばれるものなのでは?」

「それだと、み、水木くんこそ素で変ですよね」

「僕はごくごく普通の人間です」

「……」

 

 心外だとばかりに切り返した水木くん。でも、昼休みやさっきまでのエキセントリックな振る舞いを知っている私にはただただ白々しく響くのみだった。変な人がその変な振る舞いをまるで自覚してない、というのはその通りなんだけど。

 

「……嬉しくないし……」

「ライブ前にメンバーのモチベーションを下げるのはやめてくれない?」

 

 そして山田さんは何故か落ち込んでいた。そもそも、水木くんが言っているのは変人というより狂人だと思う。

 

 その後、山田さんが八つ当たり気味に「店長が勝手に飛び出したことに怒っていた」と告げると、伊地知さんは逃げるように私達を控室に案内した。

 

「僕は遠慮しておきます」とかこの期に及んで宣う水木くんだったけど、私は彼の腕を取って強引に控室まで引っ張り出した。ここまで来たら最後のギリギリまで付き合ってもらう。

 ……本当にそうなるとは、この時はまだ思ってなかった。

 

 ともかく、ギブソン・レスポールカスタムの、エボニーの指板に指を添える。

 

 現実は怖い。友達はWhy。

 でも、これからとっても楽しいことが待っていそうな気がする……!

 

「「ド下手だ……」」

 

 なんでぇ……?

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